2001年12月 |
1日(土)
今日は皇孫誕生のニュースに明け暮れたが、内親王誕生とのこと。当然皇位継承権の話題になるであろう。僕は女帝を認めるべきであると思うが、その際、男子長子相続制度に固執せず、単純長子相続制度への移行こそ、21世紀の天皇制のあり方ではないかと思う。つまり、男子が存在しない場合に女子が相続する形態ではなく、誕生順に相続する方法である。皇室にかかわらず日本人の家意識として、男系のみを家系とする考え方は、現在においては一般的であろう。しかし、家長の存在として、男子にそれを限る必要は全く無いと思われる。特に少子化が続く現在の傾向下では、女性が家長になるという家族形態を、皇室が新たに国民に提示し、新たな家族像を提起する事は大きな意味があるであろう。その際、女性皇族の臣籍降下を如何に扱うかが問題になるであろうが、皇族の人数に目安を設けておき、皇位継承順位の遅い順に、臣籍に降りていけば良いのではないであろうか。
また今日は、サッカーワールドカップの1次リーグ組み合わせが決定した。日本の対戦国はベルギー・ロシア・チュニジアらしい。どの国も世界ランク20位代で、日本よりわずかに強い国々。来年の6月はどのような戦いぶりをするか、今から心躍るが、出来るだけ湿度が高く蒸し暑くなれば、開催国の利点を活かせるのではないであろうか。でも、1次リーグで一番楽しみなのは、アルゼンチンvsイングランド。これが一番好カードだろうなぁ。
昨日岩村の女城主をお酒のページに載せたが、岩村出身の佐藤一斎が、小泉首相が田中外相へ渡した重心心得の作者で、何気に話題になっているらしい。岩村は旧城下町だが、江戸時代は小規模の譜代大名が入れ替わり立ち代り入城し、あまり特徴はない。やはり戦国時代の女城主遠山景任の妻、と言うよりも織田信長の叔母が観光の中心である。この叔母さん、岩村城落城により秋山信友の妻となり、信長に攻められて逆さ磔にされるという運命にある。今は鄙びた旧街並みが旅情を誘う。城は城跡だけだったと思うので、石垣マニアでもなければ面白くはないです。
3日(月)
なにやら研究室でウイルスが流れているらしい。論文なんかはフロッピーに入れているから良いけど、このHPだけはバックアップがとっていないので、やられたら大変だ。現在PCを、家と研究室の二台体制とっているけど、家でフロッピーが必要な作業なんぞ、ほとんどやる事はないから、家のFDドライブもほとんど使われてないけど、学校からフロッピー持って来て、ちゃんとしないとねぇ。最近は添付ファイルを開かなくても、勝手にメール本文中から悪さをする奴らもいるらしい。そうなると、なかなか水際の対応は難しいからねぇ。やられても良いことを前提にしないとツライかも。
4日(火)
昨日に引き続きウイルスの話。昨日研究室で騒いでいたのは、添付ファイルを開かなければ大丈夫なウイルスだったが、今日はついにメール見ただけで感染する、Nimda型ウイルスも広まっていた。二つ隣の研究室など、部屋全員が感染したそうである。また、家に帰ってきたら、僕にもMLを通じてそんな感じのが送られてきていた。幸いIEを最新バージョンに更新してあるので、勝手にDLを始めるという事は無かったが、一瞬かなり焦った。まぁ、HPのデータをバックアップしてからメール見たから、例え感染したとしても被害は全く無いはずだけど、やっぱり気持が良いもんではない。それにしても今日は、専門用語の多い書き込みになってしまった。研究室で、僕にウイルスの対応とか聞く人いるけど、基本的には機械に弱い人なので、適切な回答出来ないのではといつも悩みながら、知っている限りで応対している。でも、答えてても本当にそうだったっけなぁってドキドキなのが実情です。
5日(水)
リュック・ベッソンの『ジャンヌ・ダルク』を見た。日本では歴史的人物の姓名は現地読みするが、この元のタイトルは『Joan
of Arc』と言うらしい。最初タイトルだと気付かなかった。。。英語風に直訳するとアーク川のジョアンなのでしょうか。映像はジャンヌの少女時代、教会からのフランス農村風景が、とても美しく描かれ、それにぼ〜っと浸っていると、いっきにイギリス軍の襲来へと場面が移り、息もつけない展開を見せます。これで引き込まれてしまいました。しかし、その後有名なシャルル王太子との初体面の場面へと移りますが、少女時代との脈絡が全く無く、彼女の物語を知らない人には、わけのわからない展開でしょう。まぁ、史実には忠実でしょうが、その辺は幾つかの小説が描いてるので、自分の頭の中でストーリーを描きながら、対面の場面に臨みましょう。その後オルレアン死守のための戦闘シーンですが、これははっきり言ってすごい出来です。飛び道具が弓しかない時代の、戦闘シーンと言うのは絵になりますが、ただ美しさに比例して残虐性も高いです。そんなわけで大画面で見ていたら、もっとリアルだったのにと少し後悔しています。その後はランスでの戴冠を経て、彼女の存在がシャルル7世側に必要でなくなり、イギリス軍の捕虜となり、異端審問から火あぶりへという、派手さが無くなっていくストーリーです。ここは、ジャンヌの良心を演じるダスティン・ホフマンが、彼女の行動を本当に神の啓示なのかと問い質し、ミラ・ジョヴォビッチが苦悶するシーンが続きます。演技自体は素晴らしいのですが、最初D・ホフマンが何なのか分からなく、パッケージが手元に無いレンタルビデオじゃ、かなり戸惑いました。。。タイムリーに見れば、そんなこと無かったんでしょうか。もうちょっと映画の情報を入手してから見れば、もっと楽しめたはずかもしれませんが、全体的に良い映画でしたよ。
6日(木)
古本屋で谷恒生『安部清明』祥伝社、2000年を見て、カヴァーから漫画だと思ったので買って来たら、なんと小説だったので仕方なく読み始めた。後から検索かけたら、この作者は直木賞候補にもなった作家らしいが、小説自体はあまりにも時代考証が無茶苦茶で、流石に辛くなって途中で投げ出した。多分、歴史小説なんだから、もっと寛容に読んでいけば良いんだろうが、頭がくらくらした。歴史小説がどこまで史実に基づき、どこから作者の創作が可能かと言う定義があるのかどうか、僕は良く知らない。ただ、桓武天皇は独裁者だったので気ままに長岡京に遷都していたり、関白が公共事業をめぐって土建業者から賄賂を貰ったり、ストーリーと関係ない部分はもうちょっと何とかならないのだろうか。と、こんなことを考えながらこの小説は読むものじゃないんだろうけど、疲れた。。。歴史小説自体は嫌いじゃなく、高校時代によく読んだ永井路子や杉本苑子など、楽しく読めるものも多く存在するのだが、そういう小説は大体、時代考証をしっかりした上で、人間の立居振舞から思考の点で、やはりぐっと引き込むストーリー展開をしているものです。
7日(金)
星野さんが阪神監督に就任するかもと言うニュースをちらほら聞くが、やはりドラゴンズファンの独りとしては複雑な気分だ。ただ、前監督婦人の脱税疑惑で悲惨な阪神を見捨てるのは、男星野としては心苦しいだろう。義理と人情に厚い星野さんは、中日ファンと名古屋の街を裏切ることになるかと悩むだろうけど、今は球界全体のことを思って、阪神へ貸し出されても良いのではないのだろうか。ジャイアンツみたいに自分の球団の利益しか考えないのではなく、日本プロ野球がみんなに愛されることこそ、ドラゴンズと星野さんに考えてもらいたいと思う。名古屋を愛して中日に残った山崎の心意気も素晴らしいが、監督を退任した星野さんが、中日だけの利益を考える必要はないであろう。メジャーに負けないくらい、ドラゴンズにも他の10球団にも頑張ってもらいたいものです。
9日(日)
青学の友達が演奏会をしたので、表参道までヒョコヒョコ合唱を聴きに行って来た。音楽関係疎いので、ソプラノとアルトとテノールとバスの違いくらいしか分からず、一緒に行った友達が、隣のバスが大きくて、友達の声と少し混じっちゃうねなどという発言に、へぇーそんなもんなんだぁと、妙に感心しながら、やっぱりバスはバスとしか分からないやと、半分悔しい気持も交ざりつつ聞いて来ました。冬の表参道と言えば、前は原宿駅に向かって鮮やかな電飾していたのですが、近隣の住民の苦情などで今は昔、何か侘しい冬の道になってしまっていたのが印象的でした。商店街の損失はかなりのものでしょうし、時間とエリアを区切って、もう少し妥協点を探れなかったものなのだろうかと、美しき頃が記憶に残っているだけに、今更ながらに残念です。でもドリカムのWINTER
FANTASIAは未だ健在で、オルゴール調のcrystal vineがとっても良かったです。来年1月3日まで点灯しているので、もしお時間のある方はどうぞ。その前で願い事をすると、ひとつだけ願いがかなうらしいですよ!
10日(月)
プロフィールのところに、「高村直助先生に師事する」「谷本雅之先生に師事する」の2文を追加してしまいました。お前なんて知らないと言われないか心配ですが、今日は高村先生についてのエピソードでも書いておきましょう。東大は1・2年と駒場で教養課程があって、3年から本郷で専門科目が始まります。ここで、僕は日本史に進学して、特にこの時代が専攻したいと言うことは無く、ただ漠然としていたような気がします。候補としては、村井先生のいる中世の対外関係などがありましたが、何故だかその頃無性に浜口内閣の井上財政と、産業合理化に興味がありまして、近代のゼミに拠点を置いてしまう事になりました。そして、3年生時に高村ゼミにも所属し、そこでは都市史をテーマに前期は論文を読み、後期は研究報告というスケジュールでした。この中で、高村先生と中林真幸先輩(現千葉大助教授)のお二人の議論を見ていて、単純な僕は2人とも格好良いなぁっと感じてしまい、近代日本経済史に人生賭けてしまいました。今でも、お二人に会った直後の数日は、その前後と比較しても、明らかに研究の進展度合いが違うような気がします。
高村先生は、普段はとても温和な紳士で好々爺然としていらっしゃいますが、研究に関しては極めて鋭く、史料読みの不十分な点や、論点の不備、他に考えられる可能性や、別の史料のありかなど、次々と列挙されて、駒場でバカな時間を過ごしてきた僕としては、これが大学なんだぁっとえらく感動した記憶があります。おかげで新緑の銀杏並木まで荘厳に感じたものです。定年退官してフェリス女学院へ行かれてしまいましたが、引越しの御手伝いでいそいそと女子大へ出かけた記憶があります。春休みで学生がいなかったの想定外でしたが、その後横浜の夜景がきれいなレストランで、先輩達と一緒にご馳走になってしまいました。中林さんは、3年の高村ゼミに加えて、近代読書会でもお世話になりました。学部3年にあがったばかりで、D2の中林さんが高村直助『日本資本主義史論』を解説するという、今から考えると無謀にもそんな勉強会に参加し、何やら近代日本経済史っていうのはどえらいもんだという印象だけ強く残ってます。でもこのお二人がいなければ、確実に僕は大学院進学は考えなかったと思いますから、人生の出会いって不思議なものです。
11日(火)
昨日は高村先生について述べたので、今日は谷本先生に関してのエピソードです。学部4年の春、日本史の院試にも落ちて、さらに健康を害して入院をしてというように、惨憺たる日々を一時期おくっていた訳ですが、そんな路頭に迷っている僕に対して、当時経済の助手さんをしていた中林さんから、今の研究を進めるには、経済にも顔を出した方が良いのではないかと言うアドバイスを受けまして、谷本先生を紹介していただきました。谷本先生は快く他学部聴講を認めてくださいまして、ゼミに参加することとなったわけですが、ここでいろいろとカルチャーショックを受けることとなりました。
まず一つ目は、日本史のゼミと経済のゼミは全く異なっていて、前者が歴史の実証訓練を重視するのに対し、後者は研究史の整理を極めて重視すると言う点でした。翻ってみると、日本史では研究史整理は個々人に任せてあり、経済では研究方法は個々人に任せてあるわけで、それぞれ習うより慣れろという雰囲気を持っています。二つ目は、ゼミが延々4時間も続くことでした。高村ゼミや宮地ゼミ(宮地正人先生と僕は何の血縁関係もありません。あしからず)などは、先生方は何でも知っているという感じでしたし、野島ゼミ(研究者としては加藤陽子先生の方が通りがいいですね)などは、先生が学生以上に予習をビッシリしているというものでした。それに対して谷本ゼミは、先生が学生と一緒に、個々の論文の論旨や、研究史との兼ね合いなどを、一緒に考えていくというスタイルであり、考えられる可能性を逐一検証していくという、言うなれば研究者の思考方法を、谷本先生と一緒になぞる作業だったのです(経済進学後、それは谷本ゼミだけだと知りましたが)。
それまで論文なんぞの小難しい文章を読むよりも、史料を眺めているのが好きだった僕は、ここで非常に論文を読む訓練をさせられ(今も途上ですが)まして、一つの論文を評価もし批判もするという、癖をつけるように努力し始めました。批判できないほど鮮やかな論文や、評価できないほどツライ論文もありますが、それでも両者を共にすることが重要だと思ってます。それにしても、谷本先生との議論は、本当に頭の回転の速さを要求されますし、文章に対する深い理解を要求されますし、研究史との関連を把握しておくことも要求されますので、日々訓練されてるなぁという印象です。
12日(水)
友達たちと鍋を囲んでわいわい騒いだ。今日は鶏と白身魚に、舞茸・シメジ・エノキ・椎茸、白滝・豆腐・葱に白菜と言うように、極めてシンプルな寄せ鍋形式で食べたけど、ここ数日かなり冷え込んできているから、やっぱり鍋は良いですねぇ。普段は、白菜と豚コマとかに醤油と日本酒と僅かばかりの水を加えたり、白菜と椎茸に魚を味噌仕立てでと言うように、手早く作ってしまうけど、何人かで囲むといろんな具を突っ込めるのが利点ですよね。そうそう、鍋と言えば本郷にある「浅瀬川」と言うちゃんこ鍋のお店は、鶏の出汁が良く効いていて、そんなに高くなく、最後のオジヤでお腹がいっぱいになるまで食べれます。両国辺りへちゃんこ鍋食べに行くと、5000円を軽く超えたりしますが、この店だったらそんな心配もないので安心です。
13日(木)
谷本ゼミのあと、軽く忘年会をしてきた。本郷界隈の居酒屋は、ここ最近は平日かなりすいていたんだけど、さすがに忘年会シーズンだけあって混んでいた。でも数年前と比べて、確実に居酒屋メニューが下がっているのは感じるし、そういう居酒屋だけがまだ人を呼んでいると感じる。単に学部生の時と院生になってからのお金の使い方が違うのもあるだろうが、コースで居酒屋に入るような、大規模な飲み会が減ったことが、居酒屋での飲み代を減らしている理由であろうか。コースにすると幹事は楽なんだけど、効率の悪い刺身やらデザートやら出てきて、結局は飲み代は高くなっちゃうから、今の時期には避けた方が無難だよねぇ。つぼ八とか白木屋レベルの居酒屋でも、コースにしなければそれなりに満足できるから、コースのときは本当に場所代と割り切るしか無いと思ってます。明らかにコースの方が品質悪いもの食べさせる居酒屋は多いから、大人数でもコースじゃなく頼める店があると、本当に重宝するんだけどなぁ。あ、魚や一丁とかは、コースでも満足できる数少ない店ですね。あの店お通しも美味しいし、定期的に行きたくなりますね。
14日(金)
小泉構造改革の一環で、日本育英会も分割廃止されることになったのを受け、研究室では貸与事実もチャラにならないかなぁなんて、そんなオバカな会話を繰り広げていました。育英会の貸与基準て良く分からないんだけど、博士課程まで来ると、だいたいみんな奨学金を受けていて、日本育英会の行方はかなり気になる存在です。育英会のポイントは、特別免除規定というところにあります。昔は小学校の先生とかしても、免除されていたらしいですが、昨今はそれで免除という項目は消されてしまいました。ですが、国公私立大学の先生含め、研究者は依然として特別免除の対象者ですから、研究室で奨学金貰っているみんなは、8割方以上、多分完全に免除対象者となります。
一人当たり修士過程時代の(84000円*12ヶ月*2年)201万6千円と、博士過程時代の(119000円*12ヶ月*3年)428万4千円、合わせて630万円が、一人の研究者育てるために与えられている計算になります。初めて計算したんですけど、結構な金額になりますね。この奨学金のおかげで、本買ったり、酒飲んだり、映画見に行ったり、というような現在の消費行動が保障されていますから、もうちょっと受けたサービスを、納税者へ還元する道が考えられても良いかもしれませんね。
一応、研究者となって研究をすることで、社会に対しては還元されると考えられていると思いますが、技術工学や医学とは異なって社会科学や人文学の場合、直接に市民の利益になることは生じづらいので、もう少し別のアプローチによって、納税者へ還元する方法も考えなければ、この先、社会科学や人文学の立場ってどうなっちゃうのでしょうか。大人(タイジン)とした風に、社会科学や人文学へお金を出す、そんな社会は確かに余裕があり、文化的にも進んだ国だと思いますが、お金貰う立場から、そうなるべきだと言っても意味があると思いません。武田晴人先生などは、時々市民講座などへ出かけているようですが、そういう形での社会還付も、今後大学に勤めた時にも意識して、あんまり白い塔の中に座り続けること無いようにしないとなぁって感じてます。他には、どんな方法あるんでしょうね。
17日(月)
先週辺りから年末にもかかわらず、いろいろと課題がたまっていて、映画見に行ったりビデオ見たりする余裕もない。ちょっくらストレスも溜り気味だけど、もう少しで休みに入るから頑張るかぁ。研究報告で詰めてるのは比較的気にならないけど、ひたすら次から次へと論文や本を読んでおく課題が続くと、かなりまいってしまう。なにせ自分の読みたいものを少ししか読めず、史料いじる時間も十分取れず、課題ばかりこなしている事実が嫌になる(論文読むこと自体は良いんだけど、勉強会やゼミが、偶然同じ週に偏ってしまうと、その前後からその週向けの調整期間に入るもの。しかも年末は忘年会がたくさん入っていて、いつもの月以上に忙しい…)。などと言うことを何故唐突に思ったかというと、最近の東大生は本を読まなく、漫画と教科書ばかりだという調査があったらしいから。けど、学部時代のテスト直前などのように、膨大な読み込まなきゃいけない量の本を考えると、日常的に本をたくさん読もうとは思わないものじゃないでしょうか。学部時代の一番多いときで、2週間で10本のレポートし上げたことありましたから、そのレポート書くための本の読み込みはかなり大変でした。当分文字読みたくないと思わせるのに十分な量ですよ、そりゃ。。。
まぁでも、高校時代なんかに比べると、大学に入ってから本を読まなくなったのは事実のような気はする。一番大きな差は、実家の自分の部屋にはテレビがなかったけど、東京では専用テレビが出来たことかなぁ。僕は実家がお店だったこともあって、静かな空間って言うのが苦手なんだけど、見る見ないは別にして、朝起きればすぐテレビのチャンネルはつけるし、家帰ればチャンネルつけるから、家で本を読む時間はほとんどとらないんだよね。実家だと、階下でざわざわしている中で、本読んでいたからなぁ。次に本読まなくなった理由は、電車通学の時間がなくなったこと。中高と6年間、毎日往復1時間電車乗っていたのが、大学から徒歩5分のとこに住んでしまったら、やっぱり読書環境は失われます。。。これが大学院来て、研究室に机と本棚貰って、本読んで研究する空間が出来てから、また読書量増えました。本を読むか読まないかは、やっぱり環境に左右されると思いますよ。
話最初に戻るけど、そんなわけで今の僕の読書量は、学部時代に比べれば全然多いわけですが、人づてに聞いた橋本寿朗先生の言葉がちょっと影響してます。それは、「自分の専門分野以外の論文を、毎日2本以上読むこと」というものです。そんな芸当なかなか僕には出来ませんが、出来るだけ専門外の論文を多く読むように心がけてます。
18日(火)
沖縄の友達から、「サーターアンダギー」っていうお土産をもらった。沖縄版ドーナツで、「砂糖油揚」って書くらしい。普通のドーナツほど砂糖がまぶしてないので、甘いのが苦手な人間でも美味しくいただけます。しかも、友達のお母さんの手作りらしく、紅芋使用のちょっくら高級品でした。美味しかったぁ。しかも、ドーナツって言う割りには油っぽくなく、見た目はけっこうドーナツドーナツしているのに、意外な感じ。沖縄の人は長寿だし、お菓子もけっこう健康的だよなぁなんて思いながらいただいていました。ただ、テロの影響で観光客激減しているらしく、往復で3万強とか言っていましたし、観光が重要産業な県ですから、もっとみんな沖縄行きましょうよ。泡盛も美味しいし、豚の角煮もつまみに良いし、ゴーヤの苦さも幸せです。俺的には最近、沖縄は何げにマイブームなんだけど、ちゅらさんとかに影響されてるのかぁ。あのおばぁちゃん良い味出してましたよね。
20日(木)
僕はネットを利用するようになってから、新聞をとるのを止めてしまいまして、ニュースはすべてネット上で見ることとしてます。そうすると、日課として、朝日、読売、毎日、産経、日経の各新聞社は、欠かさず見るようにしているんだけど、ネットに力を入れている社といない社は明確に現れていますね。一番ネットに気を使っているのは毎日です。社説からコラム、特集から、論壇、記者の目に至るまで、細かくネット上で紹介されていまして、ネットを見るのは最も楽しい新聞社です。(ただ反対に、ここまでネットを充実させてしまって、紙媒体で稼いでいるのに大丈夫かとも思わなくもありませんが。。。)反対に、産経は社説などは有料配信になっている一方で、話題になった教科書問題などを充実し、独自色を出していて面白いと言えます。一方で、朝日、読売、日経の三紙は、内容面で各社の特色は見てとれますが、ネット的には画一的だなぁと言うのが印象です。大手は紙が主流で、ネットは簡易版とでも考えているのでしょうか。この先紙媒体が残るのか廃れるのか分かりませんが、現時点における五紙の差って言うのは、かなり興味深いものがありますねぇ。
21日(金)
今日は武田読書会のあと、武田先生を囲んで、簡単にチムニーで忘年会でした。昨日はクリスマスパーティーに参加していたので、2日連続の飲み会。こんなのは久しぶりですが、二日酔いに悩む季節ですね。二日酔いって言うのは、明らかにアセトアルデヒドが俺の中で悪さをしてるって言うのが感じられ、気持の良いものではありませんが、昨日飲んだのが蒸留酒系だったので、比較的二日酔いが緩やかであったのが幸いでした。お酒の種類によって、二日酔いの性格が違うのは何故なのかはよく分かりませんが、日本酒や赤ワインで酔った次の日は、かなりつらいことになってしまいます。昔に比べて、お酒を分解できるキャパも減少していますし、本当に悲しい限りです。でも、お酒の量が飲めなくなるって言うことは、ある意味安上がりになって来ているという事でもありますから、歓迎すべきことなのかもしれません。ただ昔に比べ、お酒で失敗することが少なくなってきたのは、老人力がついた証でしょうか。今でも時々後悔する飲み方することはありますけど、まぁ、よほど心を許せる相手がいないと、つぶれるほど飲むなんて出来ませんしね。
22日(土)
昨日の武田読書会の話の続き。いきなり忘年会の話をしてしまったが、その前に今回から武田読書会の会場が、新館へと移動しました。国立大学の施設を改善するという名目で落ちたお金で、経済学部は14階建てのきれいな箱を作ったわけですが、そこへの引越しが徐々に進んでいるためです。(噂によると、蔵書に溢れる総合図書館からの玉突きで、社研や教育学部が動くので、面積的に広くなるのは総合図書館が一番ではないでしょうか。)で、引越しといいましても、経済では院生と経済学部図書館のみ、旧館においてけぼりを食うこととなりましたので、事務所以外に潜入するのは初めてだった次第です。これがまた素晴らしくきれいな箱で、企業の会議室とかそんな雰囲気をしていまして、少し落ち着かない気もしますが、ふかーい肘掛付のソファー椅子に座って、勉強会というのも一興かなって感じでした。
そう、その引越しで、農学部の総合研究棟から経済が撤退するので、そこにいた院生が経済の旧棟へ引っ越してくるんですが、それを受けて先日、院生の部屋割りが話し合われたそうです。そこで、旧来から旧棟にいる日本経済史は部屋が増えることはないという結論でした。現在の日本経済史は、一人一つの机と本棚を原則としてますけど、来年度の新M1が4人もいるっていう話ですから、どこか他の自主ゼミに部屋を借りない限り、彼らの研究条件を確保するのは困難な状況で、今から頭の痛い限りです。。。先輩方の就活に期待してます!
23日(日)
テレビをぼ〜っと見ていたら、日テレ(製作は静岡第一放送だったかな)の深夜に面白い番組をやっていた。場所は浜松、バブル期にホンダやらヤマハの関連で人手不足になり、日系ブラジル人を大量に移入した地域。そこで、この不景気下の街中に暖をとる浮浪者たちに、日系ブラジル人たちがボランティアで週1回食事を配るというもの。ちなみにナレーターは斎藤由貴でした。だからって、思ったのは別に斎藤由貴の卒業ってキュンとするよなぁとか、オラシオンが流れてた優駿を見たのは中学時代だよなとか、白い炎のスケバンデカは再放送しても良いよなとか、悲しみよこんにちはは高橋留美子のめぞん一刻だぞとかではないです。
日系ブラジルの人たちだって、いつ自分が不景気から解雇されてしまうかわからない身。特に中の一人は派遣会社の契約社員で、実際に途中で解雇されてしまいます。また、おにぎりを一人で全部毎週つくっていた、三角には握れないから四角く握っていたおばさんの家族は、ブラジルへ帰国することになってしまいます。そんな自分達が恵まれない中でのボランティア活動でした。ボランティア活動って何でしょうね。そこに出ていた解雇されちゃったお兄さんは、他人に必要とされることで、生きてるって気がすると言ってました。
その言葉・考え方自体を僕は評価しようとは思いません。ただ、決して十分ではない自分の生活の中から、その幾ばくかを他者に奉仕すると言う思想、それは崇高なものだと思います。多分キリスト教の思想が彼らには息づいているのでしょうが、宗教とは関係の無いレベルででも、市民社会として考えなければならないものの一つだと思われます。
<市民社会って言うと、少しバイアスがかかってしまう使われ方をしていますから、あまり適切では無いのかもしれませんが、国家って言う枠組みが機能しなくなってきているのが顕在化した現代の、補完機能であると思います。日本経済史なんか研究していると、まだまだ国家(ここでは国民国家ですけどね)って言う仕組みはかなり意味を持つんです。でも、友達の東欧建築史を研究してる奴と話していると、僕が国民国家を無前提に使うって、いっつも議論になるところです。民族・宗教・言語などに基づいた国民国家は、僕は、まだまだ21世紀も有効的な枠組み足り得ると思います。でも、それの不足する部分を埋めることを、我々は求められているのだと思います。>
話がそれちゃったので少し戻すとして、これからの世の中、お互いの文化だとか、思想だとか、慣習だとかを尊重しながらも、共通する部分と言うのは持ち得るような気がします。それが、市井の人々が日常的に交流する中で、お互いに思いやることで、そしてその思いやりを形にすることで、無思想な現代に規範がもたらされるのではないのでしょうか。決して言いたいことは、労働力の自由移動をさせろとか、「国境の無い世界を創造してごらん」とかではなく、本当に今までの日常に、ちょっとスパイスを加える感じで、国家の手が届かないことをに時間を割く、これが重要なのではないかと思います。
クリスマスイブを迎えた今夜、柄にも無くそんなことを考えるのも良いのかなってことで。おやすみなさい。
25日(火)
もうすっかり冬休みモードになってしまいましたが、昨年の今ごろは修論の最終稿に向かって、最後の知恵を絞っていた頃です。そんな中、いつものように研究室に入り、ポットのお湯を沸かして紅茶を入れ、ネットでニュースを見ながらそろそろ研究に移ろうかとしていたら、携帯電話に公衆電話という通知でコールが入った。それは母からで、父が倒れてICUに入り、どうなるかわからないという知らせ…。言っている意味が全く理解できず、聞きなおすと覚悟も必要かもということ。気が動転してしまった僕は、取り敢えずアパートに戻り、簡単な気がえと修論だけ抱えて、速攻実家に帰ることとなった。今から思えば笑い話だが、その時は本当に我を忘れていて、アパートから駅に向かう道すがら、喪服を忘れたけど戻るべきか、それとも実家へ急ぐべきかを悩んでいた。
実家に戻ると、ICUの面会は時間も人数も限られていて、指定されていた時間に母と妹と病院へ急ぎ、生まれて始めて救命治療室に入った。心筋梗塞の治療は時間が勝負らしく、幸い血管を通す処置が済み、心臓の3分の1の機能を失っただけで助かった。しかし手術後の父は、いくつものチューブを通され、弱々しい声で、見ているのすらかなり痛々しかったものだ。ただうちは家がコンビニ兼酒屋で、店を休むわけにはいかないので、お得意様や銀行をまわり、疲労と心労で倒れそうな母を、妹と一緒に助けざるをえなかった。
そんなわけで昨年の年の瀬からお正月は、なんだか明けたのか暮れたのか分からないまま過ぎ、21世紀になったんだっていう実感は、タイムリーに感じなかった。父がかろうじて一般病棟へ移るのと入れ替わりに、僕は修論を提出しに東京へ戻らざるをえなかったし、慌しく始まった2001年、この一年は本当にいろいろあった。それに引き換え、あまりにも平穏無事に今年が暮れようとしているのが不気味だ。父が昨年倒れたのが27日なので、今年は27日に帰省して、幸せを実感しようと思っている。
28日(金)
実家に帰ってきたら、店の商品補充や、配達の手伝いばかりに追われてる。まぁ盆暮れくらいしか帰らないから、わずかばかりの孝行と思う。しかしお得意さんをまわっていて、焼肉屋さんが3分の1以下の売上になっていたり、その反動で回転すし屋さんの売上が伸びたり、インド人が経営してネパール人が使われてるインド料理屋が加わっていたり、田舎のしがない酒屋にも、結構いろいろな国内情勢が反映されているもんだと感心した。バブル期に設備投資した高級すし屋が、不良債権化したなんて言う笑えない話もついてくる。
しかし、実家に帰ると祖母や両親が年とったなぁって感じるし、うちの愛犬オリビアも老犬の域に差し掛かってしまった。ちゃんと年に2回以上帰省しているはずなんだけど、僕の記憶で実家を思い出すときは、いつも大学1年の東京上京の時の記憶にまで戻ってしまうらしい。常に40代の働き盛りの両親と高校生の妹、70代前半の社交的な祖母と、まだ4歳の機敏な愛犬、それが僕の理想的な実家像になっている。あれから既に8年かぁなんて、酒飲みながら感傷的になって、ここでパソコン叩いてるんだから、確実に僕自身が変化しているんだけどね。
30日(日)
最近流行の『ハリーポッター賢者の石』を見てきた。下町の商店街の感じ、銀行への感覚や、寄宿舎制度とか、学校というものの捉え方、とってもイギリスらしさが出ていて、あぁイギリスだよなぁって言う映画でした。上質なおとぎ話っていうとこでしょうか。とってもto
be continuedって言う主張が強くて、一話完結の作品として考えると、もう一つの出来と言ってよいでしょう。ただ、今後への導入編として、あくまでもシリーズの1作目として捉えるならば、興味を今後にも抱かせてくれて、営業的にも、なかなか良いと思います。千と千尋やA.I.よりも、映画の質が高いと思いますしね。魔法っていうものの捉え方も、あぁ日本人とは違う感覚にいるんだなぁっていう気がして、整然と科学的に取り入れられていく側面もあって、その科学的な部分と、やはり魔術ゆえの非科学的部分が、微妙に融合しているのが面白かったです。あと、子ども向け映画だって言うこともあって、英語が非常に美しく、とっても聞き取りやすかったのが印象的でした。