2002年1月 |
1日(火)
あけましておめでとうございます。昨年同様、本年もよろしくお願いいたします。
今日は母親の実家へ年始の挨拶へ行き、その後小学校時代からの友人達と新年会をした。年始の挨拶の先では、祖父母から未だにお年玉を貰ってしまったが(っておいおい^^;)、看護婦してる22のいとこが、反対にお年玉を渡してて、親戚一同から暗黙の視線というプレッシャーを頂いてしまった。新年会では、国交省の北海道で働く奴いたり、豊田織機で働く奴いたり、高校の先生している奴いたり、東急ホテルで働く奴いたりと、皆いろいろの生活をおくっていて、面白い限りであるが、カラオケへ行って、リンダリンダ歌いながら、グラスを割ってゴミ箱に隠して帰ってくるあたりは、昔とあんまり変わってなく安心したりもした。
せっかく1月1日の記述であるし、新年の抱負でも述べるべきであろうから、何か一つ誓おうと思ったが、昨年に今世紀の抱負だか、昨年のみの抱負だかを、何をしたのか忘れてしまっているので、どうせ年末までは覚えちゃ無いだろうからやめておく。まぁ、昨年通りボケボケと自然体で、チョッピリ頑張って、楽しく人生生きる事としましょう。何事も〈中庸〉が一番です。そう言えば昔は、座右の銘って聞かれたときの答えは、〈人事を尽くして天命を待つ〉だったけど、いつからか〈中庸〉に座右の銘が変わってしまった。自分が頑張りすぎることは、必ずしも自分のプラスになるだけでなく、反動の部分も大きいって、不幸なことに知ってしまったから、それから少し性格変わりましたよね。やっぱ。手を引くって言うことを、止めぎわって言うことを、何事をするときも、考えてるような気がします。って、新年早々しみっちい話題してても仕方が無いですが。今年も〈中庸〉の精神で頑張ります。あ、研究は未だに〈人事を尽くして天命を待つ〉の精神でやってます!
2日(水)
今日は中高の同学年の同窓会で、名古屋へ行って来ました。学年で500数十人いるけど、来てたのは120人くらいで、出席率2割強って言うところでした。変わらない奴、変わった奴いろいろだったけど、うちの学校だけあって結婚してる奴は、未だに1割強くらいしかいなくて、少しホッとしたりもしました。でも、母体が500人も超えているから、集まっている奴らに、かなり偏りもあって、来年以降もするみたいだけど、発展するのか、縮小していくのかなどは、今後次第かなぁって言うとこです。でも何故か、幹事周辺が多い中で、それ以外のグループとして、僕の知っている辺りも、けっこうたくさん来ていたので、居心地はよく安心していました。うちらは中央線沿線グループだったんですけど、毎日毎日通学を一緒にしていたってのは、遊ぶのも多かったって言うことですからね。
で、大変なのはその後でした。1次会が終わった頃には、ドリカムのSNOW DANCEのように、雪が舞い降りてきていたのですが、2次会が終わる頃には、少し吹雪き始めって言う感じになっていたのです。そこで急いで下戸で飲まない奴の車に乗り、御器所の友達を一人下ろして、帰り路につくことになったわけです。その辺りで運転手していた友達が、ちょっと大府の寮に寄りたいって言う話で、みんな周りの雪景色見ながら冗談だろうと思っていたら、気付いたら国道1号線の渋滞の中。5人で(御器所まで6人乗っていたんです…)どうしたものかと。まぁ何とかなるだろうと車を進めても、北海道へ行っている奴が、北海道でも珍しいくらいと言うくらいの降り方、桶狭間を越える辺りでは、もうかなりみんな疲れてきていました。
そんな中、運転手の奴が、ラーメンを食いたいと言い出して遠回りしたからブーイング。でも、このラーメン屋、藤一番って言って、高校時代に千種駅の近くにあったのを、よくみんなで食べに行っていたのですが、僕が東京行っている間に、異様に大きくチェーン展開していて、どこでもあるような感じな店になっていたので、雪の降り方が気になりつつも、大府近くの店に入ったのでした。そしたら、味は高校時代の記憶の引き出しから、優しく取り出したように同じ味。変なメニューは増えていたけど、昔ながらの塩ラーメンの味がメチャ幸せ。僕は基本的にラーメンは好きじゃないんだけど、思い出の味だけは別格です。藤一番が東京に来てくれないかなぁ、なんて言う感想抱きながら、再出発しました。
で、友達の寮につく頃になって、寮で一夜を明かすか、それとも帰宅路につくかでちょっと議論。僕は、明日の朝は路面が凍結しているだろうし、ドライバーが眠くないなら帰った方が良いって言う意見っだったけど、2時も過ぎてたし、休んだ方が良いって言う意見もあり微妙。なんとなく多数決で帰ることになったけど、怪しげな空気のまま出発でした。大府からは長久手から瀬戸を抜けて多治見への道で、国道1号とは反対にほとんど車が通らない道。山道では、ノーマルタイヤなのか乗り捨ててある車や、見事に溝なんかにハマって怪しげな車、アイドリング効かせながら夜を越そうという車もあって、かなりサバイバルな道を時速20〜35kmくらいでノロノロ帰りましたが、スタッドレスとは言え時々滑る感じが気持悪く、吹雪が強くなって視界が悪くなった時などは、間違った提案しちゃったなぁって冷や冷やでした。でも、何とかドライバーの運転テクニックもあって4時半過ぎには帰宅。待ちわびていた愛犬との再開も済んで、風呂入って即効二人で布団に駆け込んだのでした。
3日(木)
今日は妹が映画の割引券持っていたので、2人で一緒に『バニラスカイ』見てきました。多治見でバニラスカイなんてみんな見ないらしく、隣のハリーポッターは立ち見でしたが、8人くらいの客しかいない中ゆったりと見てきました。始まりのシーンから、かなり期待をさせるカメラ回し。この映画全体を通じてだけど、短いカットを巧みに織り込ませていて、それがすっごく繊細に繋がっているので、かなり集中力と判断力が要求される映画ですが、映像の巧みさには圧倒されます。ストーリー自体は、伏線があまりにも強調されすぎていて、途中で最後の落ちが分かってしまっい、いまいちだったのですが、映像はかなり卓越しています。さすがキャメロン・クロウだなぁって言う作品です。演技もキャメロン・ディアスのファナティックな演技は、期待通りのものでしたし、ペネロペ・クルスの純粋さと小悪魔が共存すような演技も楽しかったです。トム・クルーズはあんな物でしょう。
共演の精神科医さんも良い味出していたよなぁ。最近のハリウッド映画を見ていると、精神科医の役割って言うのがどこでも重要に位置付けられていて、アメリカ社会のある部分って言うのを垣間見ることが出来るけど、この作品もそれを十分認識した上で、過去と夢と幻想がどの様に織り交ぜられているかを、注意深く見抜くことが楽しい映画だった。ただ何度も繰り返すが、ストーリー的には感動できるわけでもないし、感心させられるわけでもないし、映画技術と演技力を楽しむ映画なので、それもどうかなぁって言う気もした。映画技術も含めて映画好きな人は、見ておいて損はない映画だとは思いますよ。
5日(土)
まだ雪が積もり残る中、父の代理として新羅神社の恵比寿講へ出席した。昨年に続き2度目であるが、今年は祭礼の途中からは雪が再び降り始め、心底冷え込む中でのひと時であった。商売繁盛を願うと言っても、どの氏子さんとこも後継者難で、うちも僕が継がない事は確実であるから、話を聞いていてなかなか辛いものはあった。昨今は町神輿も、アルバイト料を払って大学生を呼んでいるらしいし、恵比寿講自体の氏子さんも減ってきているようである。名古屋のベットタウン化が著しい多治見の人口配置も、旧市街から次第に、外縁部へ広がって来ており、ダイエーを始めとした大規模店舗も住宅街のほうには幾つかある。祭礼後の集まりの話題が、神社の経営に関しても及んでいたが、このような新市域(って言うと語弊が有るけど、取り敢えずそう呼んでおく)の住民が、旧市域に属する神社へと足を運ぶことは、どうすれば可能かという点であった。半ば部外者として聞いていたが、旧市域の人口が減っている割りには、七五三などは減っていないらしく、情報発信さえすれば、新市域からの移動も可能では無いかという事であった。
しかし、商店街の展開として面白いのは、離れたところにある大規模店舗には、旧市街の老人達は遠くて買い物へ行けないのである。そのおかげで、うちのコンビニもいろいろと利用してもらっているが、高齢者も車に頼るアメリカ型へ、日本が今後進展するとはなかなか思えないので、旧商店街の活路は、老人ターゲットの旧来のコミュニティーなのではないかと、石井淳蔵さんの本など思い出しながら感じた。
6日(日)
年末年始って言うのは、普段以上にテレビを見る機会が増えるのであるが、今日はNHK教育の『しゃべり場』って言う番組が気になって見入ってしまった。この番組、簡単に言えば、10代の子達がいろいろと主張するって言う今日的な企画なんだけど、今晩(前ちょっと見通り過ぎた気がするから再放送かもしれない)のテーマはフリーター的な生き方だった。有名私大の附属に通うって言う高校生が、自由を与えられた高校生活に悩み、いろんな職業を点々とすることを望み、職人的な生き方に憧れる10代が、それを我侭だと言ったり、なんやりで反対するという構図である。27の僕から見ると、両者ともとっても微笑ましく見えてしまって、未来予想図が全く描けていない10代って言うもの、可能性と危うさがとっても可愛らしかった。
ただそれと同時に、自分の10代っていうものを、(この前同窓会に出かけたせいも有るであろうが)久しぶりに思い出してみた。僕の10代っていうのは、何も考えていない日々であった。高校が東海高校って言う、みんな何となく金持っていて、みんな何となく進学して、みんな何となく生きている(そうでない人々もいるでしょうから、あくまで俺の印象ですが)、そんな仲間に囲まれて中学高校生活送ったため、将来の深いことなど全く考えない10代であったのは間違いありません。
10代に見通しの効かなさに対して、一般的にはそれを否定的に捉える傾向が強いと感じますが、僕はそれは疑問に感じます。確かに昔の人間と対比して、10代の人間の不甲斐無さは有るでしょうが、人生が長くなった現在において、自分の人生を決定するまでの期間は、もう少し遅く設定されても良いのではないでしょうか。僕の周りにも、10代からしっかりと目標を持って、それを目指して達成しつつある奴、挫折してしまった奴などいますが、目標の無いまま20代へ突入することは、必ずしも否定されるものだとは思いません。そして、その目標の無さを補填するのが、学歴であるというのもある意味事実でしょう。学歴は、ある程度までは人生を支えてくれますから、選択肢を増やすという意味での、学歴の獲得は必要だと思います。ただ一方で、学歴って言うものは能力ではない訳ですから、それに伴う能力が存在しないときには、全く役に立たなくなっていくというのも、またある側面だとは思います。学歴を必要とするような職種に付く可能性がある場合には、10代の迷走は当然ではないでしょうか。
ただ、世の中学歴が必要の無い職種はたくさん有ります。そして、大学に行くということが、単にモラトリアムの獲得にのみ利用されている場面も多々見かけます。それでは、その様な人たちは、中学なり高校なりを卒業してすぐに、実質的な技術なり業界の常識を身につけた方が、人生にとってプラスなのでしょうか。残念ながら、今の僕には、それへの確信を持っての答えを提示することは出来ません。しかし、研究職を考えない人間が、専門知識を必要としない人間が、大学という場へ踊り出ることは、一般教養という意味で捨て置けないことだと思います。また、専門分野のある方法論と言うのは、それを習得した人間の、人生のある部分を変えてくれるものだと思っています。大学の高等学校化が最近見られますが、それには大きく反対です。大学は教えられる場ではなく、自分を探す場、結果がどうであろうとも、中退しようとも、退学させられようとも、大学の空気って言うものは、個々人の人生にとって意味ある結果をもたらすと思います(もうちょっと一般教養に力を入れるべきだとは思いますが)。
僕が大学へ入ったのは、あくまでも惰性であり、将来の目標など全く持ってなかったわけですが、大学生活を送る中で、いろいろと考えさせられ、今のこの場所にあると思います。確かに人生設計が遅すぎるって言う批判は有るでしょうが、80年をめどに作り上げる人生計画において、大学入学後の人生設計がそれほど遅すぎるという気はしません。生き急いでも仕方が無いんじゃないのかなぁ、って言うのが僕の感想なんですが、如何なもんでしょうねぇ。明日から東京へ戻りますから、日常へ回帰してしまいますが、久しぶりの帰省って言うのは、いろいろ考えさせられるものが多いものです。それではまた。
9日(水)
明日の谷本ゼミの準備で、12時間以上レジュメ作ってた。25時過ぎにしてようやく完成。久々に異様に疲れている。。。PC画面見すぎで目がツライよぉ(><)
11日(金)
たまには色気のある話でもしましょう。僕が普段使っている香水はGIVENCHYの〈ULTRAMARINE〉ですが、気分によってBURBERRYの〈Week
end〉も使います。さすがに研究室行く時に、香りを漂わせて行くのは迷惑ですから使いませんが、休日なんかはつけてます。香水を使い始めた理由は、良い香りさせてる子って、何割増しか魅力的に感じてしまうので、ちょっと免疫付けようってことだったんですけど、自分で使い始めたらけっこう気に入ってしまい、今ではそんなこと関係なく使っています。ただ今でもやはり、良い香りをさせている子は、より魅力的に感じてしまいますから、使い始めた目的は達成できていないんですけどね。
12日(土)
鍋をした。最後のほうはあんまり楽しくなかった。
14日(月)
僕が紅茶好きと自称していながら、喫茶店などでお茶するときに、ほとんど紅茶を頼まないため、訝しげに思われることが時々ある。ただ説明は舌足らずな点があり、紅茶が好きだと言ってもダージリンはそれ程でもないのである。紅茶に凝っているお店ならともかく、普通にポンとそこらにある喫茶店で、〈紅茶〉って言うメニューのときは、大概ダージリンを出されてしまうので、それなら珈琲飲んだほうが良いやって言うだけの話である。好んで飲むのは、茶葉だったらウバが一番飲みやすいし、フレーバーだったらレディーグレー(ベルガモット香のアールグレーに、ミントの香りをプラスした奴)です。でもあまりレディーグレー売っている店が無いので、研究室では勝手にアールグレーにミント葉添加して、オリジナルブレンドで楽しんでいますが。
せっかくだから昔ちょっと失敗した話でも。紅茶好きの先輩と打ち合わせで喫茶店へ行ったとき、メニューに〈ダージリン○○円、ウバ・アッサム××円、ロイヤルミルクティー△△円〉って言う感じに書いてあったので、まだアールグレーくらいしかこだわっていなかった僕は、「ウバアッサムお願いします」ってやってしまった(爆)。店員さんが困っており、先輩が呆れ顔だったので、自分の間違いに気づいて、穴があったら入りたいくらい恥ずかしかった。今から考えると、ウバとアッサムをブレンドする店なんて無いだろうし、ウバもアッサムも文字数が少なくて、同じ価格だから並べてあるだけとすぐ気づくが、ホント無知って恥ずかしいと痛感した。しかもちょっと紅茶好きな格好し出した時だったから、尚更だったんですよねぇ。今も時々思い出す、しょうも無い失敗エピソードでした。
16日(水)
今日は橋本寿朗先生の訃報という、残念なニュースに接してしまいました。まだ50台半ばの早すぎる死です。直接ゼミに参加させていただいた事はないのですが、法政大学に移る前の教え子である先輩方などは、特に衝撃を受けていらっしゃいました。僕も引越しのお手伝いしたり、何度かお話もさせて頂いたので、未だ信じられない気分です。ご冥福をお祈り申し上げます。
17日(木)
ジュリア・ロバーツの『エリン・ブロコビッチ』を見た。何故見逃したかは記憶に無いが、取り敢えず初見。この次の『ザ・メキシカン』が、彼女の演技はスピーディーで楽しかったが、作品自体は悲しいくらいの駄作だったので、しばらく彼女の作品から遠ざかっていたのを、久しぶりに見てみた。作品に入る前に、感動したことを一つ。エリンを雇う弁護士役に、いつかどこかで見た事のあるオッチャンがいたので調べたら、『オリエント急行殺人事件』で、小説のイメージと全く違うポアロ役をやっていた、アルヴァート・フィニーだった。この作品は、イングリット・バーグマンの名演技や、ショーン・コネリー、アンソニー・パーキンスなど、英国系の名優がわんさかと出ていたが、あの作品のポアロ役だったのです。
で、具体的な作品の話となるが、全編を通してセピア色とは言わないまでも、少し古ぼけた感じのフィルムの色が、まるでルポルタージュのような、ドキュメントのような雰囲気を醸し出し、作品の趣に統一感を持たせている。ストーリーは事実に基づいた公害訴訟。映画の意図は言わずもがなであろう。ジュリア・ロバーツの演技は個人的には、卑しさと気高さがうまく同居していた『プリティ・ウーマン』や、強気と弱気が交錯しながら可愛らしかった『ノッティングヒルの恋人』の方がお勧めです。どちらかって言うと、オスカー取るために演技して、オスカー取るだろうってみんな思って、やっぱりオスカー取った作品です。悪い意味じゃなく、コメディーをあまり評価しないオスカー受けする、そんな演技も出来るって言う証明を、彼女がしたんだよなぁって言う感じです。
でもでも、ストーリーは何度も泣きました。癌で寝込んでる子に再び学校行きたいって言われて、メインの原告が乳癌と子宮癌を併発して両方切除しなきゃいけなくなって、訴訟を希望する原告たちに、早期解決のためには調停を勧めなきゃいけないシーンで、悔しくってやるせなくて、悔しくってやるせなくて、やっぱり悔しくって、ジュリアの物憂げな表情につられて涙ぐんでしまいました。子役の子がジュリア・ロバーツの仕事を少し理解するシーンに遭遇して、ちょっぴり感涙もありましたけど。
21日(月)
コタツってどう思われます?大学来てから8年間、コタツ用の台は使っていたものの、それに布団とカヴァーをかけて、コタツとして使うって言う事はしてなかったんです。それが昨年の今ごろ、〈2001年の男運〉っていう菅野美穂主演ドラマがあって、そこでコタツ虫〜って彼女がしていたのが、妙にツボにはまってしまって、それを思い出したのもあり今年からは、うちにもコタツが導入されたわけです。今までは冬場は布団の中じゃないとかなり寒く、飲み会なども回数減っていたのですが、学部時代からコタツ常備しておけば、また変わったかもなぁなどとも思ってます。(だからって今さら、冬場(夏場もだけど)に家で飲み会多発させる気も無いですけどね。)コタツに入ってテレビ見ながら、蜜柑でも食べてると、あぁ俺って日本人だよなぁって言う安っぽい満足感を抱けますが、なかなかオツなもんですよ。
22日(火)
ネットサーフィンしていたら自分の名前が出ていたので、少しコメント。そのHPは加藤(野島)陽子先生のHPなんですが、東大文学部日本史学の先生です。3年生・4年生・4年生2回目の3年間お世話になりましたが、専門は外交史・軍事史です。ただゼミのテキストはそれぞれ木戸幸一日記・畑俊六日記・松本剛吉日記でして、ここで史料の使い方ですとか、史料批判の仕方ですとか、歴史学に携わる際の方法論を叩き込まれた気がします。僕が「歴史学とは」っていうテーマで大風呂敷広げるときは、だいたい彼女の指導が念頭にあると感じます。好き嫌いはあると思いますが、日を追うような政治史における分析は、やはりその緻密さという点で刺激されるものは多々あり、現在も出来うる限り緻密に実証しようと考えています。外務省外交資料館・防衛庁戦史部・国立国会図書館憲政資料室など、ゼミのプラスアルファで連れて行って貰った経験は、自分が史料を探す際に、大きな指針になっています。実を言うとこのHP作ったきっかけも、彼女のHPからなんですけどね。
彼女のゼミは前にも書きましたが、先生がメモ作ってゼミに挑むこともあり、かなり質の高い報告しなきゃっ、的外れでないコメントをしなきゃて言う野心をもって臨んでいたのですが、ゼミの出席者がかなり多かったので、好きなときに発言できないって言う欠点もありました。現在は少し改善されているのですかね?あの頃のゼミは高村ゼミの重厚さ・研究の厚みと、野島ゼミの溌剌さ・刺激的な議論と報告が、うまく噛み合ってたなぁって言う感じが今となってはします。(当時はそこまで考えて無かったですけど)
23日(水)
近くに24時間営業のスーパーがある。そのお店の深夜の時間帯は、レジが40過ぎぐらいのおじさん達になるっていうお店なんだけど、若い正社員みたいな人にいろいろ指示を受けていて、少し気の毒なのを含め、いろんな人生背負っているんだろうなという気にさせる。それとコンビニでも深夜の時間帯に、学生ではなくおじさん達を使う店舗も、ちらほら登場してきているような感じも受ける。確かにだらだらと働く学生などよりも、必死で働くおじさん達のほうが、雇用者の側にしてみれば良いような気もした。
ただ、そのスーパー、「スーパー」って言うくらいだから食品を扱っているのだが、レジのおじさんの一人からタバコの臭いがするのが非常に不快だった。さすがに食料品店の店員が、タバコやら香水やら何にしても、強烈な臭いさせているのはどうかと思います。タバコもほのかに香るくらいなら僕は(あくまで最近の僕はだが)気にならないけど、明らかについさっき休み時間にも吸っただろって言うような、そんな不衛生な状態は勘弁してもらいたく感じた。気の毒なリストラのケースはあるだろうが、反面、当然のリストラって言うのも、確実に存在するだろうなぁという印象を受けてしまった。
24日(木)
今日は『ショコラ』を見た。上質のおとぎ話である。ただその背後にあるのは、家族と共同体、秩序と異質というかなり興味深い題材を取り扱っている。取り合えず舞台は1959年のフランスの片田舎、題材はチョコレートであり、この2点にアメリカ人の心性を理解する鍵はありそうである。奇しくもこの前年のアカデミー賞は『アメリカン・ビューティー』がとっているが、やはりアメリカ人にとって落ち着く、原風景としての共同体の一部は、欧州にこそ存在するのであるということを示しているように感じる。
また、チョコレートという物質は面白いのであるが、その原材料であるカカオは、当然のごとく欧州ではとれない。しかし、日本人がチョコレートで思い出すイメージは、ベルギー(そう言えばエルキュール・ポアロの好物はホットチョコレートでしたっけ)であり、ウィーンであるよるように、アメリカ人にとっても同様のイメージを受けるのであろう。あと、ジュリエット・ピノシュの役柄でもあるのであるが、放浪する女性というのは、ある種ジプシーのイメージを持っているのであろう。そして彼女達の行為が、魔法のような不可思議さで、まるで媚薬でも作り出すかのようなイメージ、まさにその様な元ヨーロッパ人としての原風景こそが、この映画におとぎ話としての、幾ばくかの真実味を与えていると思われる。
しかしこの「魔法」が旧秩序を破壊して、新しい価値観をもたらすという視点は、いかにも20世紀後半的であり、恐ろしいくらいの予定調和が、結局は疲労感をもたらす。ストーリーも何もかも、教科書的な作り上げであり、僕には満足できないものであった。ただ音楽は素晴らしい。フォルクローレを基調としつつ、引き込まれる編成となっており、聞く価値は高い。それに、キリスト教の知識がもう少しあれば、もっと深く映画を見られたのにと残念でもあった。
25日(金)
今日は新年会ということで、H女史の家に招かれて、自動車のY氏、コンピューターのI氏、企業金融のK氏、石油化学のH氏、耕地整理のT氏などと飲んだ。
28日(月)
橘川ゼミ1年間お疲れ様ということで、3限に軽く打ち上げをした。経営史に関するアプローチに関しての、経営学を出自とする立場と、経済史(経済学・歴史学)を出自とする立場が、かなり異なっていると言う話は興味深かった。経営学からアプローチをした経営史は、企業が金を儲け、拡大し、成功することに大きな興味関心を抱く。それに対して後者の立場からは、企業が拡大しないことも面白いし、失敗する要因も(それを回避するために研究するのではない研究だが)面白い論点である、というものである。今まで、経済史が経済学なのか歴史学なのかと言う論点は、何度と無く繰り広げて来た話題であったが、経営学と言う第3者を登場させた時に、経済史の枠内での経済学を重視するのか、歴史学を重視するのかと言う議論が、かなり相対化されたように感じた。
あと、橘川先生にフランスのリモージュなんかとの比較で、自分の研究を今後進める考えはないのかと聞かれた。比較史によって、日本の経験を相対化する事は、今後不可欠となっていくだろうと思われ、特に在来産業論のような研究も、西欧における産業革命の相対化の動きを踏まえつつ、議論をすることが求められるようになっていくであろう。重いコメントを貰ってしまった。。。
30日(水)
昨夜からの田中真紀子外相を巡る問題で、足寄のダニや石川のサメ脳がほくそ笑むのが、心の底から不快で、怒りが込み上げてくるので、少しキレイナ気分になりたくて、田中麗奈の〈「はつ恋」〉を見た。なっちゃん、ウィークリーマンションなどのCMで、その可愛らしさと女性への成長を存分に楽しませてくれる、彼女が主演した映画である。若手女優の中で最も期待していた奥菜恵が、いまいち伸び悩んでいるような気がするが、田中麗奈は変な安売りをせず、とても気品を感じる成長の仕方をしている。キリっとした勝気な瞳が美しく、もう少し妖艶な演技も出来るようになれば、もっと魅力的な女優になっていくであろう。とても楽しみである。
さてこの映画の話であるが、田中麗奈の可愛らしさは言うまでもないが、真田広之・原田美枝子という今の日本映画界では、代表格たる演技力を持つ2人と共演して、全くくわれていない演技をしているのには感動した。麗奈と真田の鮨屋でのかけ合いは秀逸(二人の指の先の動きまで感心する)であるし、タクシーの中の麗奈と原田の会話も見所であるし、さらに2人きりの時の10代のような真田と原田はさすがである(平田満も良かったですけど)。というように出演者の演技力に惚れ込んでしまいがちであるが、田中麗奈の衣装がシーンごとに可愛らしく替わっているのも面白い。そして、この映画の一番の見所は、豊富な色彩を用いながら、淡い青色が基調となる画像構成である。で出しはそうであるが、途中雨の中田中麗奈が桜並木の下を走るシーンは、かなり印象的で幻想的である。クライマックスは伊那谷の桜、確かに桜ははかなくそしてせつない、でも幸せなんですよね。