2002年2月 |
1日(金)
ここ数日、緒方貞子氏の名前がたびびた挙がっていたので、学部3年だか4年の頃のエピソードを思い出してしまった。その時期になると、一般的には就職活動なるものが始まるのであるが、我々文学部日本史学の学生達も、リクルート社から、学生意識を調査すると言う名目で、簡単なバイトが行われた。まぁ要するに、東大生というブランドが、どんな業種・企業へ就職したいかを調査し、企業側へ就職したがっている学生を報告する、仲介をすること目的の一つとしているのではないかと、勝手に友人と推測をしてはいたが。その内容は、ペーパーで色々な項目に答えた後に、それをもとにリクルートの社員だかなんだかが、それについて簡単に聞き取りをするというものであった。
で、それが何故緒方氏の名前から思い起こさせたかと言うと、その項目に「あなたが今最も会いたい人物は」と言う項目が有り、それに〈緒方貞子〉と記入したのであるが、聞き取りをしていたまだ30歳弱の社員に、これは誰なのかと逆に聞き返されてしまい、リクルートって言うのは無知な社員を囲っているんだなぁ、ということを強烈に印象付けられたからである。あの頃すでに、国連難民高等弁務官として、世界的に著名な方であったので、そんなに突飛な回答だとは思わず記入したのであるが、彼(聞き役)にとっては想像外の回答だったようである。まぁ、就職する意思があるか無いか分からない学生達を集めて、バイト代払いながら、いろんな意見を集めていたのだから、ご苦労なことだと思うが、今もリクルートはそんなこと続けているのだろうか。
結局は緒方さんは外相を受けなかった。非常に残念だけれども、74にしてわざわざ自分が汚れる必要もないし、まぁ仕方が無いことかもしれない。しかし残念ですねぇ。犬養毅の血を受け、緒方竹虎の家に入った、そして自分は世界で活躍している。本当に緒方外相を見たかった。
3日(日)
一人暮らしも8年近くしていると、ある程度は食事を作るのも上手くなってくる。ただ、たまにしか作らないと言う自炊は、外食したり中食したりするよりも、かえって高くつくことは間々ある。特に魚食べたり、肉食べたりしようと思うと、だいたい外で食べる方が割安である。そこで、必然的に家で食べるときは、パスタや蕎麦・素麺などの麺類か、鍋や野菜煮込み系の一鍋でごった煮出来るものを作る。
近くに安い八百屋さんがあるので、葉物が安い今年などは特に、白菜一玉100円で売っているので、鍋を煮込む回数がかなり増えている。具は、エノキ・椎茸・舞茸・シメジなどのキノコ類が一番好きなのであるが、ガンモやさつま揚げなどの練り物を加えるのも良い。これだけ(あとは昆布くらい)しか入れなくても、十分至福の味が出来上がるので、寒い冬は本当に白菜のお世話になっていますという感じです。前は、キャベツや玉葱・人参・じゃが芋くらいで、トマトベースやコンソメベースの野菜煮込みが多かったけど、皮むくのすら面倒になって、最近は気合を入れた時しか作らない。
まぁ一人暮らしで料理凝っている暇があったら、研究してろって言う感じなのですが、料理しているときの多くは、本を読みながら作っていることが多いです。そのため、数回に1回は鍋を焦がします。。。それが、自炊すると金がかかる原因の一つでもあるのですけどね。
4日(月)
さすがに最近貯金の利率が低いのと、高校時代の貯金が10年満期を迎えていたので、年明けに証券会社へ駆け込んだ。相場に悲観的見方をしていたので、半月余り指値が低すぎる状況が続いていたが、小泉内閣の支持率低下のおかげで、ある程度思い通りの値段で、貯金の半分くらいが株に変わった。まぁ短期で儲けようとは思っていないので、常に資産の半分くらいを株にしておくことで、キャピタルゲインを望みたい。それにしても、あまりにも安く買える株が多くて驚いているが、ジャスダックなどの株が、100株を取引単位としており、10万円前後から参加出来るのが嬉しい。ネット取引にしようかとも思ったが、それだと本業忘れそうな自分が怖いので、窓口取引にしておいたが、手数料の割高感はやはりある。これが解消されれば、もっと個人投資家が快く参加できると思うんですけどね。
短期的に景気回復・株価回復するとは思いませんが、小泉改革のおかげで、不採算企業が順調に淘汰されていっているようなので、数年先には景気循環から、キャピタルゲインは得られることでしょう。長期で貯金しておくんだったら、株式市場へ参戦した方が、得るものは大きいと思うんですけどね。まぁ、僕のモットーはローリスクローリターンですけど。あ、何を買い込んだかは内緒ですよ。
6日(水)
中国緑茶といえば龍井(ロンジン)茶であるが、これの飲み方が分からないという人がけっこういる。確かに、緑茶だからぬるめのお湯で入れようとすると、かなり出が悪く単なるお湯っぽい。あと、中国茶だからって烏龍茶なんかをイメージして、熱湯を注ぎ込むと渋くて美味しくない。これ実は適温80度くらいって言う、かなり中途半端なお茶なんです(笑)しかも単に80度のお湯を注ぎ込むだけじゃ駄目です。まずお茶っ葉に、少しばかりのお湯を注いで蒸らします。そして、良い香りが抽出されてきたら、どっと急須一杯お湯を注いでやります。中国本土では、耐熱グラスに直接茶葉を入れ、茶葉の色合いまでも楽しむそうですが、そこまで風流人ではないので、僕は味だけ楽しんでます。
あ、そう言えば前の書き込みを少し訂正。レディーグレーって、てっきりアールグレーにミント系を加味していると思っていたんだけど、どうやら記憶違いで、レモンやオレンジピールを入れているらしい。という事は、僕がしているのはオリジナルブランドなのかな。でも、あれ美味しいんだけどなぁ。
7日(木)
今日谷本ゼミが終わり、D1のゼミも全て終了した。大学院のゼミって何なんだろうと、時々考えることがある。公式の理由は、自分が教職についたとき、どんな時代のどんな分野(って言っても産業か金融か貿易かetcというレベルだが)に関しても、ある程度学生に教授でき、さらに研究者として議論に参加できる、そのための下準備であろう。2・3年前に内藤さんが、学生が関心持ってくれるから、セブンイレブンの本とかをゼミで扱っていて、院生時代のが役に立ったという話をしていたのを、偶然にもふと思い出し、先日読んだのもそんな理由からである。
僕の専門は戦前の小零細企業であるから、でかい会社のことを考えたいって言う経済学部の学生や、大蔵省がどうだ通産省がどうだということを意識する経済学部の学生と対峙する為には、やはり今のうちから意識してアンテナ張り巡らせておかないと、いざって言うときにうろたえてしまうのだろう。
大学の先生なんてサービス業に過ぎない、なんて言うと怒られるかもしれないが、やはり消費者のニーズに合ったサービスをして、消費者にこのサービスを受けて良かったと思われ、その上でやっと給料貰えるのではないのかと思う。東大って言うのはある種特異な空間で、先生たちはけっこう好き勝手な研究をし、それを講義やゼミで述べていく中で、研究者になろうと思っている学生は研究水準・研究方法を学び、就職や国Tしようとしている学生は、上手に単位をこなしていくと言う構図が描かれている。しかし多くの大学の学生は研究者を目指すわけではないし、目先の意義が薄い講義の単位を、上手くこなすことが苦も無く出来るわけでもない。ましてや私大に勤めれば、より直接的に学生からお金を貰っていることになる。
自分が今いる空間としては、一般性は無いけど居心地が良いのであるが、より多くの顧客のことを考えたときに、生まれが商人って言うことからなのだろうか、上記のことが非常に気になってしまう。友達や知り合い見ていても、サービス業として、あと40年ほど大学が成り立っていく確信がもてないので、少々不安な面も大きい。
あ、書いていて今感じたのであるが、間違っても独立行政法人がどうのという話をしているのではない。学問とは国家というパトロンが、そのプライドと栄誉の為に保護するものだと思っているから、国家としてコストがかかるのは当然だと思っている。しかし、現代における国家は一応民主主義で、納税者の利益を考えざるを得ないわけであるから、その子弟に納得できる教育を受させることで、間接的に学問の一端を還付し、その了解の上で国家が負担すべきであろう。ただ、その主張をするためには、今のままのサービスでは、さすがに気が引ける。
東大だと、専門課程はある程度、研究者養成を意識しており、仕方無い面もあるであろうが、教養課程の状況を見ると、あれがサービス業かと目を覆いたくなる。はっきり言ってつまらない講義が多々続き、ただ、進学の為にいろんな単位を取らざるを得ないという悲劇に襲われた(シケプリで対応して、出席していないことが多いけど)。今思い出して面白かったのは、蓮実(後に総長)の映画論とか、義江さんの日本中世史とか、安藤なんちゃらの心理学とか、そのくらいしかない。最初の2・3回出て、大半は苦痛でそれ以後は出なかった記憶がある。
まぁ、一浪したおかげで、一度予備校の授業を聞いてしまったため、人に聞かせる授業に慣れたというのも有るが、学生が聞こうが聞くまいが関係ないという授業は辛かった。予備校の授業自体は、授業内容と全く関係ない話題で、学生を受けさせることのみを主眼とするという、また違った問題点もあるが、少なくとも今の大学の講義は、もう少し改善の余地は大きそうである。やっぱりそのためには、学生のニーズに合うようなネタを、今のうちからセコセコ集めておいて、対応するのが重要なんだろうなぁ。
あ、結局公式の理由で落ち着いちまった。。。
10日(日)
今年の大河ドラマは前田利家とその妻の話であるが、視聴率低迷したときの戦国時代という側面は確かに強い。そして役者は反町隆史(織田信長)に竹野内豊(利家の弟)という、民放が発掘した人材を上手く利用しながら、ヒロインは朝ドラ〈ひまわり〉で育てた松嶋菜々子を使い、さらにお市の方には〈あぐり〉の田中美里というように、妙なNHKらしいこだわりも見られる。また脇役人もさすが大河、的場浩司(利家の家来)、加賀まり子(利家の母)、草笛光子(秀吉の母)、八千草薫(ねねの母)、松平健(柴田勝家)など、これでもかと言うくらいのキャストを並べている。
しかし、一つ分からないのは主人公の利家が唐沢寿明なのである。これがこの番組の一番分からないところである。唐沢寿明といえば、演技が上手いわけでもないし、視聴率が取れる人気があるわけでもないし、山口智子の旦那という以外に、なんら特徴の無い俳優である。やはり、CMでしか最近芸能活動をしていない山口智子を、何とかしてドラマに復帰させたいNHKが、バーターで行った人選という噂が、とても真実っぽく感じられる。
まぁ今人気がある女優と言えば松嶋菜々子なんだろうけど、やはり少し前の山口智子のあの勢いある演技、あれだけの人をひき付ける演技は、松嶋菜々子含めて、最近の女優さんの中では見ないですよね。それよりもう一世代前だと浅野温子の演技が、コミカルな演技もシリアスな演技も両方素晴らしいって言う意味で、山口智子以上なんですけどね。
で、話が逸れてしまったんだけど、最近の大河ドラマって、戦闘シーンとかは毛利元就辺りから、昔と比べて非常にリアルになっているし、今回は前田家が、兵農分離前で実際に農作業にも携わっていたりと、面白いくらい細部まで拘っている。また、これも毛利元就からだと思うが、奥方達の動向が、かなり意識的にウェイトを高めており、そこに現代的で不似合いなところもあるが、ストーリーに厚みを出しているような感じがする。まぁ多くの人が、どんなストーリーを描くのか、その大枠を知っている中で、話を展開するのはやはり大変なのであろう。
11日(月)
今日は友達に誘われて、銀座まで歌舞伎を見に行って来た。演目は菅原伝授手習鑑の夜の部、車引・賀の祝・寺子屋の3幕であった。市川団十郎・中村吉右衛門・坂東玉三郎・市川左團次・中村福助・中村梅玉・中村富十郎など錚々たるメンバーで、なかなか楽しかった。昼の部の賀茂堤・筆法伝授・道明寺の方が、ストーリー的にはメジャーだろうけど、後半もどうしてどうして、寺子屋などスリリングな展開が面白かった。
ただ、車引の桜丸(梅玉)と梅王丸(団十郎)の絡みは、いまいち息がずれていたような気がして、少し不満足感が残ったが、どちらかというと梅玉がいまいちだったという感じが強い。せっかく歌舞伎の荒々しい部分を詰めた車引なんだから、もっと何とかしてもらいたかったが、個々の演技は美しかったので、単に相性が悪いのであろうか。
それにしても、普段歌舞伎の演目って、通しでやらないことが多々あり、菅原伝授手習鑑を1日かけてするなんて稀だから、この機会に見ておくのは良いだろう。どうやら今年は、菅原道真没後1100年ということで、この梅の季節2月は、27日まで通しでやっているので、これを逃すと次はいつか分からないという意味でも、見ておいて損はないでしょう。
幕間にちょっと売店を覗いていたら、道明寺桜餅があったので、昼の部に思いを馳せながらいただいた。コンビニで買い込んだプーアル茶を飲みながらだったけど、今年初めての桜餅は、なかなか粋にいただいてしまいました。
13日(水)
カテキョー先の子に、辞書は何が良いのかと聞かれてしまった。新高1だから、高1〜大学受験くらいまで使える辞書が良いんだろうけど、最近の受験事情となると、かなり分からない世界になってしまうので、取りあえず自分が高校時代に人気のあった辞書を紹介しておいた。そう言えば、そもそも辞書の良し悪しって、数年単位で変わるものかどうか自信がないが、画期的辞書でも現れない限り、悪くなる事は無いであろうと思ったんですけど、大丈夫ですよねぇ。
紹介したのはジーニアスなんだけど、僕の高校時代はジーニアスかライトハウスくらいしか駄目だって言う感じだった。中3の時の担任が村上さんって言うんだけど、この人がとてもジーニアスを推奨していて、生徒に人気のある先生だったから、みんな信奉者のようにジーニアスを買ったのを懐かしく思い出している。ジーニアスって白ジーニアスと黒ジーニアスがあったんだけど、簡単な和英が添付されてるって言う意味で、白ジーニアスの方が使いやすかったよなぁ。
英語辞書の良し悪しは、載っている例文が、どんなのかによると思いますが、所詮違う言語が全く同じ意味になる事は、具体的なモノならともかく、抽象的概念や動詞なんかでは有り得ませんから、それを明確に認識しないにしても、そういう構成になっている辞書を手元に置いておくのが良いでしょうねぇ。う〜ん、高校時代そこまで考えていたら、もっと英語は得意になっていたでしょうか(苦笑)
そのジーニアスも、大学進学後は、高校2年になった妹に奪われてしまったのと、より直接的には、引越し便に乗せるのを忘れたので、所有権を失ってしまったのが、愛着という点で残念です。大学入ってから使ったのはリーダースなんですけどね。これは今でも利用させてもらってますが、ジーニアスよりもマニアックな用語が解説されてありますし、専門用語の英訳にもなかなか便利です。ただ、目に入るものの、理系の専門用語を使う事はありませんが。。。
16日(土)
今日は西行忌。僕の最も好きな和歌は、〈願わくば 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ〉という一首です。勿論陰暦ですから、歌自体はあと一ヵ月後のものですし、別に辞世の句でもなんでもないのですが、とても美しい情景が目の前に浮かんでくるようで、1年中いつでもボソッと口ずさんでいる時があります。
そう言えば、この歌のどこにも桜の文字は無いのですが、誰しもが桜が満開で、そして満月が輝いて星が少ない夜空、その下に一人たたずむ、そんな光景が浮かんできます。そこに存在する、日本人としての了解事項、共通の美的感覚というものが、いつ形成されたのかと言うのは興味があるところですが、近代になってから造られた概念では無い気がします。如何なものでしょうか。
国民というものは作り上げるものですが、どういうカテゴリーを国民とするのかは、何らかのパスディペンデンスが存在するはずです。その辺の議論は国民国家論では為されているのでしょうか。
17日(日)
沖縄土産に〈ちんすこう〉って言うお菓子があるんですけど、それをいただきました。小麦粉と砂糖の焼き菓子で、クッキー系の食べ物なんだけど、ラードが使われてるとこが、沖縄のお土産って言う感じですね。ミルクとか、チョコチップとか、バナナとか、ココナッツとか、いろんな味が楽しめるのが面白いです。
で、ボーっと包装見てたんですけど、このお菓子、嘉手納町でつくられているようです。基地の町って言うイメージしかなかったんだけど、こんなものも作っていたんですね。どうやら〈ちんすこう〉って言うのは、一般名詞みたいなので、たまたま僕のいただいた〈ちんすこう〉が嘉手納町産だっただけなんですが、いろいろ考えさせられますねぇ。
話戻しまして、このお菓子、クッキー系でけっこう甘いので、紅茶か緑茶を飲みながら、お茶受けにいただくのがベストだと思います。間違っても泡盛飲みながら、いくつかつまもうと思ってはいけません。あまり合いませんでした。。。(大汗)
18日(月)
涙に種類ってありませんが、泣くという行為にはいろんな種類があります。まぁ一つ目に上げられるのは悲しくて泣く、次は嬉しくて泣く、それに感動して泣く、そんなのが一般的でしょうか。ただ、今回珍しい泣くという行為を体験してしまいました。
不安感や緊張感、悲しみに直面している最中は、あまり泣くという事はしない人なんですが、張り詰めていた緊張感・不安感がふっと緩んで、少し安心感が広がってきた。その気の緩みの中で、やっぱり完全に不安感は消し去ったわけではない。そういう安心感と不安感の交錯という、単細胞な僕には珍しいシチュエーションが出来てしまい、自分がどうして泣くのか良く理解できないまま、図らずも泣いてしまいました。
周りにいた人たちも、何故僕が泣いているのか良くわからなくて、非常に困ったでしょうが、今客観的に分析するとそんなところでしょうか。ご迷惑おかけしました。お酒飲んでると、1年か2年に1回くらい、突然泣き出すことがあるという、困った性格ですが、今回がそんな感じでした。そういう気分の時にお酒飲んじゃいけませんね。ふぅ。
18日(月)
今日目覚めてネットニュースをボケボケ見ていたら、宮崎駿監督の〈千と千尋の神隠し〉が、ベルリン映画祭で金熊賞を貰ったとの事、日本のアニメが芸術性で評価されるって言うのは、やはり痛快な出来事でないでしょうか。ただ、メッセージ性や映画としての厚みという点でいえば、〈風の谷のナウシカ〉や〈もののけ姫〉辺りの方がありますし、おとぎ話としての繊細さは、〈天空の城ラピュタ〉や〈となりのトトロ〉の方が素敵だと思いますけどね。
前例になく、アニメが芸術的に評価されるためには、日本における圧倒的な人気と興行というのが、バックにあるとは思います。経済的には弱っている日本ですが、かつて浮世絵などのジャポニズムで与えたインパクトが、再びアニメーションという世界を通して見られるならば、それはとても面白い出来事ですよね。そう言えば、アジア各国の対日観を好転させるのに、アニメが果たした役割は大きいとよく言われるのですが、実際どうなんでしょうかね。
で話戻しますと、宮崎アニメって最初は、ナウシカとラピュタと言う、現実とは極めて無関係な世界、少なくとも日本的でない世界を描いていたわけですが、それがトトロや〈おもひでぽろぽろ〉〈耳をすませば〉辺りになると、日常と軽い異世界の狭間を描き出すことに興味が移っています。それはある種、ノスタルジーの世界でもあったわけですが、そのノスタルジーにナウシカのメッセージ性を加味しながら、〈平成狸合戦ポンポコ〉〈もののけ姫〉と、日本がかつて失ってしまったモノを美化する方向で、急激にメッセージ性が強まっていきます。(〈紅の豚〉だけとても異質なんですが、バックで流れるシャンソンはとてもノスタルジックですけど)
〈千と千尋の神隠し〉は、その路線を若干修正し、トトロまで戻ったような気がします。勿論八百万の神を扱うと言う点で、ポンポコやもののけ姫との連続性はありますが、メッセージ性が弱まっているために、娯楽として家族で、友人と、恋人と、みんなで楽しめる作品になっています。ただ、僕はラピュタが一番好きでして、宮沢賢治が〈銀河鉄道の夜〉で描いたような、そんな純粋な夢が語れる作品が、もう一度見たい気がします。
20日(水)
今日は友達に誘われて、築地の場内市場まで行ってきた。今晩アンコウ鍋をするのだけれど、友達の友人が築地場内で働いていて、直接卸しからアンコウ一匹購入と言う、ちょっと小気味良い行動をするのでそのお手伝いでした。魚たちを運ぶ、場内移動用のバイク(?)の荷台に乗せてもらって、ここは冷凍マグロで反対側が近海モノとか、ここら辺は鯛やヒラメとか高級モノ、こっちはサザエなんかの特殊モノとか、ここは養殖のブリやハマチと言うように、社会科見学のように案内してもらえて、とっても楽しかったです。
築地行くの久しぶりだったんですが、普段は場外市場でセコセコ買い物しているだけで、活気のある場内市場って初めてだったんで、ドキドキでした。と言っても、邪魔にならないようにお昼くらいだったので、これが朝方だともっとすごいんでしょうけどね。でも、場内市場の中って広いですねぇ。場外ブラブラ歩いていて想像するのとは、桁違いに大きい場所です。東大内でもいまだに迷子になることがある僕は、ちょっと一人では出歩けないとこですね、てやんでぃ邪魔だ!と、どっかから声がかかりそうです。
さてと6時過ぎくらいから鍋なので、続きは今晩か明日にでも書き込みましょう。アンコウ鍋☆アンコウ鍋☆
21日(木)
昨晩は友達とアンコウ鍋だったのですが、一匹丸ごとのヌメヌメしたアンコウを、友達が捌いているのを感動的に見ていた。6sモノのアンコウだったのですが、箱から出すと、窮屈なところから羽を伸ばしたように、だら〜んと広がって、炊事場の流しいっぱいアンコウでした。水を溜めると飼いアンコウみたいで少し不気味。でも、目はけっこう可愛かったですよ。
で、お尻に包丁ぶっ込んで、腹にかけて開いたのですが、でっかいアンキモ君が登場して、始める前から期待大の状況。アンコウって骨以外はだいたい食べられると言うことですが、頭のほうはなかなか捌けないのと、身も十分大きかったので、口の周辺は捌くのを挫折して、ホホ肉辺りまでいただきました。
茨城風は味噌仕立て、東京風は水炊きと言うことですが、明け方まで海にいたアンコウですから、水炊きでいただこうと言うことで、ポン酢だけでいただきました。取りあえずアンキモはかなり豊潤な味わいでして、それに対して身は白身のアッサリとしたモノで、そのコントラストが美味しかったです。また、アンコウの皮ってスーパーのにはあまり入っていませんが、これけっこう肉厚で、コラーゲンたっぷりと言う弾力性で、絶妙な食感でした。そんなのが一匹分あるんですから、贅沢でしたよぉ。
22日(金)
今日は新宿で〈ソウル〉を見てきた。ストーリーと言うか脚本は、陳腐でくだらなく、〈踊る大捜査線〉の方がよっぽど良質な作品である。あまりにも伏線が多すぎて、馬鹿でもオチが分かるくらいくだらない出来でした。しかも、途中で長瀬智也のモノローグが入るんだけど、これも外務省か朝日新聞がセリフを書いたんじゃないかと言うくらい浅層で、押し付けがましい正義感で辟易した。
ただ、礼節に対する両国の認識の違いや、何のコメントもなく日本語を流暢に日本語を話す老人の扱いや、スマートに両国の問題を語っているところもある。一部の押し付けがましさを除けば、日韓問題に対する真摯な態度は感じられ、何故わざわざあのくだらないモノローグが挿入されたかが分からない。なおさらその部分が余計で、せっかくの良質な問題提起が、色褪せることとなってしまった。
そのようにつまらない脚本に包まれた作品であるが、俳優の演技は素晴らしかった。特に、韓国側の刑事役のチェ・ミンス、彼の迫力はすごい。その存在感は他を圧倒しているし、役柄の複雑な背景も、体全体で表現しているのがよく分かった。彼の表情の微妙な動きだけで、怒り・苦悩・信頼・安堵などが手に取るように分かり、本当に演技って言うものの素晴らしさを感じた。
長瀬智也は、桜庭裕一郎した時にも感じたが、熱血漢の役をやらせると、けっこうはまっている。普段はコミカルなんだけど、いざっていう時は情熱的って言う役柄ね。あと、ユン・キョンヒ役のキム・ジョンがとっても可愛らしかったですよね。
23日(土)
沈丁花の甘い香りが漂い、そろそろ春の到来を感じさせる。この香りが僕はとても好きなのであるが、母親が家の横で育てており、我が家の春はいつもこの香りに包まれていたからであろうか。ところでこの花、うちら辺(少なくともうち)ではチンチョウゲと呼ぶが、どうやらジンチョウゲと言うのが一般的な呼び方らしい。漢字を素直に読みすぎるとチンチョウゲだから、ホントはジンチョウゲの方が正しいのかなぁ。漢字変換もジンチョウゲでしか出来ないし。
春の沈丁花と秋の金木犀、この二つが僕の好きな香りなんですが、なんかトイレの芳香剤っぽいですね(汗)でもゆっくりと香りを味わうと、芳香剤の化学的な香りとは異なり、強烈な中にも優しさがある香りをしています(そりゃ当然だが)。梅や桜の淡い香りも良いですが、春の鮮烈さはやはりチンチョウゲの強い香りで迎えた方が、季節感を存分に味わえるのではないでしょうか。梅や桜はお酒とセットで、ほろ酔い気分でいただきましょう。
24日(日)
飯田橋まで出て行く予定があったので、帰りに小石川後楽園によって来た。梅林にはいろんな梅があるらしいが、取り敢えず今一番美しかった梅は5分咲き位で、見ごろにはもう1週間後だったかなという感じですが、庭園に程よく植えられた木々は、大人しくて予定調和の美しさをしていました。ただ、後楽園と言えば水戸藩中屋敷跡ですが、どうやら水戸偕楽園から、観光案内かねて物産展が来ていて、水戸黄門祭りのノボリをたてていたのは、どうもいただけませんでした。
そんな人ごみはいそいそと避けて、ぼぉ〜っと梅や針葉樹を見ていましたが。
東京都内にあれだけの庭園が残っているのは貴重で、居心地のいい空間ではあるのですが、岐阜の山ん中と比べると、やはり荒々しさがたらず、物足りない感じがするのですが、それは欲張りな見解と言うものでしょうか。故事に則った作り物が多いのですが、中国の庭園のように人口的な香りが強い場所です。まぁ大名庭園一般的にそうなのでしょうが、寺院の庭園の方が僕は落ち着きますね。
3月下旬になると、枝垂桜が鮮やかに咲きますから、また遊びに行くこととしましょう。