2002年7月

2日(火)
 別に妊娠はしていないが、無性にコハダか酢鯖か何か食べたくなり、閉店間際のスーパーに駆け込んだら、西瓜が半額で売っていたので買ってきた。4分の一切れで200円なので、まぁ良いかと。味はどうでも良いのですが、取り敢えず今年の西瓜をクリアと言うことで、夏に向かって頑張りましょう。でもでも、お目当てのコハダ系が入手できず、ちょっと落胆気味です。

 先日信長の野望を買って、遣り込んでしまった。内政が無いのがつまらないよ〜。戦闘あんまり好きく無いんですよね。地道に内政しているのが好きだったのに。。。はぁ、今作はちょっと僕にはあまり合わない出来かも。残念。

5日(金)
 友達からの指摘によると、妊娠中に酸っぱいものが食べたいとは言うが、コハダとか酢鯖は、生臭くてかえって食べられなくなると言うこと。あまり深い意味はなかったんですが、取り敢えず間違っていたみたいなので訂正です。

 あと忘れていましたが、このHPのタイトルのところが替わっているのですが、これは友達(前の段とは別の)がワザワザ作ってくれたものなんです。あまりにも前のタイトルだと貧相で、みすぼらし過ぎると言うことで^^;僕にはこんなのを作るセンスも、技術もありませんので、とっても感謝ですm(__)m研究室とかも良いのですが、さすがに研究室で飲むのはまずいだろと、書斎にしてもらいましたです。なんか書斎って格好良いよなぁ。響きが。

9日(火)
 台風6号が接近中とのこと、夕方辺りから台風の最外環の雲がかかったのか、風もザワザワ、かなり怪しい雰囲気でした。台風来ると、かなりワクワクドキドキ、そうそう小学校時代に、遠足へ行く直前のワクワク感に近いものがあって、だ〜〜い好きなんですよね。被害に遭われる方は気の毒ですが、やっぱり何かが起こりそうな、そんな楽しい時間です。テレビの台風中継も大好きで、わざとな演出だと分かっていても、水をかぶるリポーターが見逃せない。
 そう言えばこの梅雨の期間に、自転車のベルが錆付いてしまったらしく、ここ数日ジャリジャリ言っていた。それが今日、あまりにも硬く固まってしまっていたので、ちょっと力を入れて動かしたら、ぴょっ〜んと変な針金が飛び出してきてしまった。その後は単に空回り…これだから複雑な機械は嫌いだ。。。(TT)台風が通り過ぎたら、自転車屋さんへ行って直してもらわないとナァ。幾らくらいかかるんだろうか。

 話は変わるけど、ちょい前のニュースで、かなりの人が、ネットの検索機能を使って、自分の名前を検索していると言うのがあった。前に書いたように、僕も当然やっているのだが、それよりも最近面白いのが、昔の友人達の名前を検索するのである。同窓会とかにも顔を出さなかった、中学や高校時代の友人とかが、今何をやっているか分かって面白い。下手すると過去の情報までも入手できてしまうから、ある意味怖いと言う気もするけど。ただ、小学校時代の友人の名前検索すると、さすがに殆どヒットしなかった。やっぱり、ネット情報って大学時代以降のものが多いよなぁっていう気がした。まぁ、世代的な特徴もあるだろうけど。それなりに偏ってる。

12日(金)
 台風一過の昨日に続き、今日も青くすみ渡った空。本当に悲しいくらいのお天気(ちょっと松任谷由美風に。でも別に失恋とかではないですけど、まぁどっかでそのエピソードも)ですね。ボケボケとチャリを漕いでいたら、うしろから蝶が追いかけてきて、顔の後ろに位置取ったため、しばしのツーリング。日常。本当にありふれた初夏が過ぎていきます。そういえば、チャリのベルを修理に行かなきゃと思いつつ、本郷の自転車屋が閉めてたので、どこか他に無かったかなぁっと思案中。そういえば千駄木駅の辺りにあったっけ。そこへ行くか。

14日(日)
 帝京大医学部への政治家の口利きということで、宮路厚労副大臣が辞職への方向とか。このニュースが非常に耳障りなのですが、テレビで「みやじ・みやじ」と騒ぐわけです。僕の場合「宮地=みやち」な訳ですが、同じく「宮地」と書いて「みやじ」と読ませる方もいるらしく、「みやじ」と間違われることも時々あるわけです。ちなみに、丹沢に向かう途中にある、「宮地」という交差点は「みやじ」と読ませます。

 昔、城南電気に「宮路社長」というのがいましたが、彼の「みやじ社長」というフレーズが頻繁に登場するようになって以降、僕も「みやじ」と間違われる機会が増えたような気もします。昔は「みやじ」と呼ばれたときは、いちいち訂正していたのですが、最近(って言っても大学入って以降くらいだから、もうかなり経過してしまったが)は面倒くさくなって、間違って呼ばれてもほぼ訂正することはありません。ただ、間違われたときは、内心かなり不愉快な気分になっている時もあります。まぁ、顔に出さないように気をつけていますが。人の名前っていうのは難しいものです。
 
 今ふと気付いたのですが、「最近」っていう言葉を、自分の話で使うときは、だいたい本郷に来て以降の話で、駒場時代なら「前は」とかですね。ちなみに「昔」は予備校以前の名古屋時代の出来事に使うことが多いでしょうか。でもよくよく考えれば、現在と本郷来た直後との差よりも、駒場時代と名古屋時代の差の方が、単純に時間的な点では小さいんですよね。変な感じ。

 話は変わりますが、耕地整理のT氏より、うどんをいただいてしまいました。香川の観音寺市にある〈十日屋商事〉っていうとこの麺なんですが、釜上げでいただきましたが、すっごい弾力あって、小麦のしっかりした味が出ていて、付属品のタレに絡めて、堪能させていただきました。蕎麦党なのでほとんどうどんを食べる機会は無いのですが、こんなうどんなら、いつでも食べたいなぁって思わせる、そんなうどんでした。ただ、東京でこんな麺は、なかなか入手できないでしょうねぇ。 

15日(月)
 読んだ本の更新はちょいと後回しにして、今日は自転車の修理の話。自転車のベルの修理っていくらかかったと思います?1200円、1000円、800円とどれにしますかって聞かれて、真ん中の1000円を選んでしまった俺。あぁ小市民だぁぁぁぁ。質的には、1200円と1000円の差はそれなりにあったのですが、価格帯の真ん中っていう現実に、有無を言わさず同意してしまった俺がいる。

 で、雑談。友達って何なんでしょうね。昔仲良くって、今は色んな事情で連絡取れない奴らと、昔仲良くって、今も気楽に連絡取れる奴ら。確かに結婚とか出産とか、相手方の事情もあるでしょうが、ふと連絡とりたくなった時に連絡取れる相手、それってやっぱ大切ですよ。そんな気は少しします。人間駄目な時ってあります。どうしようもない時、やるせない時、すべてをぶち壊してしまいたい時。そんな最中愚痴に付き合ってくれる友人っていうのは、得難い友人ですよね。

 はぁぁっぁ、詳しくはいつか話すときも来るでしょうが、酒は美味いです。つまみもそれなりに上手く作れるようになりました。人生って切ないですね。俺ももう27歳。そんな感じです。

18日(木)
 前期が終了しました。10月まで名目的に休みに突入です。と言いましても、学部時代みたく遊んでいられる身分ではなく、手許の史料をエクセルにセコセコ打ち込む毎日がやってきます。出来たら並行的に進められる論文のネタでも探したいものです。あと、結局最近は、自分に直接関係ない分野で、一日2本程度の論文を読むっていう目標は達成できていないので、もちょっと頑張ってみたいとも思ってます。

 でも、それよりも夏の一番の目標は、規則正しく朝起きるっていうことかもしれない。。。^^;

20日(土)
 最近東大構内で不審者が多いらしく、そこかしこにビデオカメラを設置するらしい。歌舞伎町じゃないんだからとか思いつつ、深夜の大学っていうのは、まぁそれなりに怪しい雰囲気は漂う。変質者が僕を襲うことは無いだろうからどうでもいいが、一番警戒した方が良いのは窃盗であろう。院生スペースなんて、先生たちのエリアよりも容易に入れるんだけれども、けっこう高価な本が無造作に置かれていたりもするから、大学構内の警備をしっかりしてもらうのは賛成でもある。

 まぁカメラ設置の一義的な意味は、学内に現れる変質者らしいのだが、そう言えば最近、経済のそこかしこにも、不審者や付き纏いをする人見つけたらご一報を、みたいなのが張られている。深夜でも普通に研究してる人もいますし、病院も構内にありますから、大学ってしっかりしている様に見えて、いくらでも外から進入できる構造になっているんですよね。入ろうと意図さえすれば、非常に容易なんですね。今まで皆がそんなこと考えなかっただけで。

 昼間なんかでも、修学旅行生や観光客、散歩に来た近所の人や、写生をしている人々、けっこう大学に関係ない人もたくさんいますしね。そう言えば、観光客用なのか何なのか、赤門のまわりを綺麗に整備していて、それまでレンガで囲ってあった辺りが一部分、なぜか白壁の大名屋敷風に変えられていた。地表もコンクリートから玉砂利風コンクリートへ。そこまでやるなら、やはりとことんやるとこまでやって、隣で東大饅頭、東大ドラ焼、東大スカーフを売る売店作んなきゃ。さらに東大煎餅や東大キャラメルもつくるか?

 そんなとこに金使うなら、研究に金まわせよとも思うが、文部省所管の公共工事の一環だから仕方ないのであろう。前に国交省の先輩と話していた(ってこれ昔書いた気もする、重複だったらどうもすんまそん)のだが、公共工事を減らそうと、重点分野とかで文部省や厚生省予算を増やしたら、文部省や厚生省関係の公共工事が盛んに行われたと。結局やるのは公共工事で、どこが所管するかだけの、縄張り争いでシェアを減らしたと。しかも独立行政法人目前にして、大学側もその前に設備は整えておきたいわけで、東大病院なんて豪快に工事工事工事をしている。まぁ、一番稼げる部門ですからねぇ。今のうちに国のお金で設備を整え、独立後に頑張って稼いでくれることでしょう。

22日(月)
 そろそろ話す時かもしれませんね。谷本さんとか京都のJ、サークルの先輩のFさん、サークルの同期のT氏辺りには話していたんですが、実は僕の実家が倒産したんですよね。つい2週間ほど前。融資枠が有るにもかかわらず、更なる保証人を要求されて黒字倒産ですね。世間で言う。まぁ、それは、景気悪い時には、ある程度肯定されるべき事象であると思うので、銀行に対する不満とかは無いですが。具体的には東濃信用金庫に対してですけど。(まぁ僕が何らかの立場にあれば、全力を尽くしてでも彼の銀行を清算させますけど)精神不安定的最近の発言は、その辺を背景にしています。ちょっとゴメンなさい。

 ぶっちゃけた話として心臓やられている父の具合も悪いですし、後継者の問題もありますし、遅かれ早かれ清算せざるを得なかったとも思います。ただ、実家が倒産して思うのは諸々の無情ですね。まぁ、中小企業ですから、当然の如く両親が連帯保証人になっていて、両親共に自己破産な訳です。で、そもそも自己破産っていう制度は、破産した人物の再起を用意する手段な訳でありますが、そうもいかない点も有ります。

 ここで障害になっているのが切ないことに親族な訳ですよね。もともとが父が姉の連帯保証人をしていたために、その借金で倒産したっていう側面もあるのですが、今回は母の親族が直接的には障害になっているわけです。母の自己破産に対して、悲しいことに親族は、それは犯罪者であるとか、人間として恥ずべき行為であるとか、そのような誹謗中傷を投げかけた上で、今後人として最低限の生活も為すべきでは無いと言いがかりを付け、家族を分裂へ導こうとしているわけです。

 まぁ、最近は僕と妹の会話で、家族の纏まりを維持しようと頑張っているのですが、母は祖父や祖母の娘であり、叔父の姉であり、親戚の意見を尊重しようという傾向も見られるので、もしかすると母との決別も覚悟しなければならないかもしれません。

 ここで客観的には面白いのですが、親族との仲違いの直接的な論点になっているのがうちの犬=オリビアなんですよね。親族はそもそも犬が大嫌いで、普段から犬なんて飼うなって言っていたのですが、ここぞとばかり犬を殺せと言ってきたわけです。しかし、僕や妹としてみれば、祖父や祖母・叔父よりも、うちのオリビアの方が家族な訳で、祖父母を殺してでも、オリビアを守ってやりたい状況にあるわけです。(まぁ、無理やりにでもオリビアが殺された場合は、僕は将来を投げうって、犯罪者になる覚悟もあります。人生の一部を共有した家族として。何かあった時の証拠として、これが採用されてもかまいません)

 そんなことになる可能性は、極めて低いでしょうから、話半分として聞いて頂ければ良いのですが、両親の離婚の可能性も消えていませんし、これからの実家の有り方も訳分かりませんし、東京にいるっていう制約もあり、うちの実家はちょいザワザワなわけですね。母の実家は信用できると思っていたのが、実は一番うちら家族の邪魔になったっていうのは、ある意味面白い側面でもありますし、ある意味悲しい側面でもありますけどね。

 幸か不幸か、奨学金とバイト代で、ある程度の研究生活を維持することは、今の僕だけなら可能です。ただ、家族であるオリビアを飼えるかどうかは分からないですし、もしもの時家族が一緒に暮らせるかも不明です。でも、却って考えてみれば、もし僕が学部の頃に実家が倒産していれば、研究者としての僕は存在しないですし、僕が就職してからの倒産ならば、僕は保証人になっていた可能性もあります。そう考えれば、良い時期の倒産であったのかもしれません。

 人生色々あります。事実は事実なんですから、そこから何が出来るか、まぁ考えてみましょうよ。この書き込みは、ここ27年ぐらいで、最も切ない告白の場面では有りますね。でも、地元の両親と妹の立場の方がつらいでしょうけど。

 はぁ、ここからは愚痴。実家が倒産する直前、母から宅急便が送られたんですね。そこに入っているのは素麺と蕎麦の乾麺の束。もう今にも実家を逃げ出さなければいけない状況下で、東京にいる息子のこと考えて、乾麺を少しでも多く詰め込みたいと考えている母、メッチャやるせないですよ。もうこの感覚を味わうことはないでしょう。ははっ、その滑稽さを、笑い飛ばしましょうよ。最後なんですから。自分の明日の生活が不安定な中で、やっぱ息子の飯の心配するんですね、母親って。なんか不思議。

23日(火)
 最近お奨めのドラマの話でも。松下由樹の〈ナースのお仕事〉はまぁ置いておくとして、NHKの夜にやっている、真中瞳主演の〈恋セヨ乙女〉です。15分のショートストーリーなので、再放送で纏めて見る方が便利なのですが、これがなかなか良いんですよ。真中瞳って本当に芸達者ですが、小野武彦・佐藤藍子あたりを周りに配置し、かなり楽しめるコメディーになっています。

 小野武彦って最も好きなバイプレイヤーの一人ですが、〈王様のレストラン〉〈踊る大捜査線〉〈サトラレ〉などなど、数々の名作の無くてはならない脇役として、ひときわその存在感が感じられます。特に〈踊る大捜査線〉の第何話かで、織田裕二が血を流している中、電話をしてきた柳葉敏郎に怒鳴りつけるシーン。あれは彼の演技の中でも最たるものでしょう。

 その小野武彦が真中瞳の父親役で、真中瞳が失恋するのを嬉しそうに迎える姿が、とっても味わい深いんですよ。おにぎりも作ってるお米屋さんなんですけど、娘に店を手伝わせたりする時の、その真中瞳との掛け合いも秀逸。まだ2週間くらい有りますから、一度見てみることをお奨めしますよ。ぜひぜひ!

26日(金)
 ネットで個々の論文や書籍や報告に関して、評価や批評をすることに対して、それが良いのか悪いのかという話があります。まぁ、論点の一つは、そもそも論文の批評をするのが良いのかどうかという点、次に、活字化されていない報告などの批評が良いのかどうかという点で有ります。

 どの批評に対しても、僕は署名の上で発言をしているものであり、批評が愚かであれば僕が笑われるだけですし、適切な批評であれば、学問上意義のあることであると思っています。ただ、活字化されていない報告に関しては、歴史ではあまり意識することは無いのですが、個々の論文のアイデアや何やら、微妙な点もあるのかもしれません。まぁ、学会や学会の部会の報告であれば、ある程度の公式性がありますし、それにコメントすることはなんら問題は無いと思いますが、準備報告などをベースにコメントすることは、やはりやりすぎなのかもしれません。若干反省もしています。

 今後の基準は、部会報告以上の発表に関して、コメントしたいと思います。まぁ、書評を書いているわけではないですし、専門で無い文章も多々有りますから、簡略に気になった点を述べるだけですが、その点はご容赦ください。ただ、やはり学問って、褒め上げるだけでは進歩しないと思うんですよね。論文紹介という形で、良い点だけをクローズアップして、週に何本か紹介するという方法もあると思いますが、そのような守りの姿勢とるほど、まだ研究者としてこなれていないので、再批判をされるものであると覚悟した上で、やはり批判的なコメントはしたいと思います。

 って言うっか、お前の論文批判は、どこどこの点を踏まえていなく、愚かであると指摘していただいた方が、僕の個人的なメリットでもありますので、おかしな所は容赦なく叩いてください。直接面接がない方の批評も受け付けていますよ〜。再勉強をした上で、是非とも頑張って反論してみますから、楽しみにしていてください。ではでは。

27日(土)
 ネットサーフィンをしていたら、古畑任三郎シリーズの中で、大地真央の回だけを見ていなかったのが発覚したので、ちょいと借りてきた。そう言えば、ワールドカップに気をとられていたのと、その後は実家の話題で、最近はレンタルビデオを見る余裕も無かった事に気付いたりもしたけど。

 大地真央の回は、まぁ普通の古畑任三郎で、なるほどなぁとそれなりに楽しめた。ただ、レンタルビデオだと3話分が入っているので、津川雅彦の回と市村正親の回も入っていたので、ついでにそれら2話も見直したりした。本放送の時にも感じたが、津川雅彦の回は本当に名作ですね。〈再会(古い友人に会う)〉なんですが、オチを知っているにもかかわらず、かなり惹き込まれてしまいました。

 ネタバレになってしまうので、あまり詳しくカキコはしませんが、田村正和がメインの中で、彼を食う演技をするっていうのはなかなか大変でしょうが、津川雅彦の追い詰められた演技と、緒方拳の飄々とした演技、この2者がシリーズ中の双璧として位置するんじゃないですかね。まぁ、作品としての出来がいいという、そういう要素もあるんですけどね。

 ちなみに、市村正親の回で気になったのは、僕は右利きですし、楽器も演奏しないのですが、鍵は左ポケットに入れているんですよね。右利きだと右ポケットに鍵というのは、一般的な事象なんでしょうか。ドアを開ける時も、左手で開けてるような気がするんですよね。あんまり意識してはいないですが、持ち替えて鍵回すのは不自然なので、やはり左手で全てやっているはずです。まぁ、本筋とはあまり関係ない話なんですが。

29日(月)
 昨日は古い友人たちと一緒に、職安通り沿いにある、〈柳屋〉という韓国料理の店へ行ってきました。歌舞伎町の裏側など、未体験ゾーンであったのですが、町並みにハングル文字と韓国語、それに若干の中国語も混じり、かなり面白いエリアでありました。お店もだいたい日本語も韓国語も両方とも通じる感じで、語学力の無い人間でも気軽に楽しめます。

 料理の味の方は、サンゲタン・ダッカルビ・チジミ・パジョンなどを頂いて来ただけですが、かなり割安で、味の方も美味しく、なかなか注目かもしれません。ダッカルビが甘さと辛さが共に際立っていて、ちょっと他と異なった味付けだったのが美味しかったです。このエリアだと、ケジャンなんかも食べられるようなので、冬場にまた行くのも良いかもしれませんねぇ。

 サンゲタンは要予約なのですが、他は適当に行ってから注文すれば良いので、サンゲタンを食べたいとき以外は、ふらっと行っても大丈夫でしょう。ただ、人気のお店のようで、時間帯悪いと待ち時間あるかもしれません。日曜だったので比較的すいていましたが、それでも帰る21時前頃には待っている人いましたし、その辺は注意した方が良いかもしれません。

 次回は皆で新蕎麦食べる頃集まろうということになっていますが、どっかお勧めの蕎麦屋さんありますかねえ。一度藪蕎麦へ行ってみたいので、そこらでも良いのですが、次回幹事の手腕に期待。

31日(水)
 夏の高校野球の出場校が揃ったとかで、テレビでは盛んに雰囲気を盛り上げようと頑張っているが、半期毎に思う如く、やはり高校野球っていうのは気持ち悪い。何が気持ち悪いかって、皆が坊主頭で、決まった格好をしているのが気持ち悪い。スポーツして汗をかくのだから、短く刈り上げた髪が便利なのは理解できるし、行進などで皆で揃って行動するのがある程度必要なのも理解できる。しかし、不快感を受けてでも髪を坊主にしたくない奴もいるだろうし、ちょっとぐらいの長さならたいして不快感も無いだろう。また、不自然に足を同じ高さにあげて歩く必要も、全く存在しないであろう。それらを許さない空気が存在するのが怖いし、取り敢えずあの光景を見かけると、悪寒が走るので急いでチャンネルを換える。

 中初等教育っていうのは、端から見てると本当に気持ち悪いのであるが、取り敢えず馬鹿養成課程になりつつあった「ゆとり」教育が是正されるのは良い知らせであろう。ただ一方で、強制的にボランティアをさせようという、これまた訳わかんない方向に向かっているのが怖い。教育を語る人間っていうのは、右であれ左であれ、取り敢えず皆に同じ事をやらせたい傾向があるらしいが、さてさて困ったものである。

 まず右であるが、学校が勉強だけでなく、団体生活などを学ぶ場である点は肯んずるが、どうしてそれが画一的な道徳や倫理観を植え付ける場へと行き着くのかが理解できない。国家観や宗教観など、個々人およびそれぞれの家庭などの方針が有ろうに、それを自分達の好ましい方向へと導こうという姿勢が胡散臭い。こういう人たちに限って、精神世界ですべてが解決出来るような言説を為すが、21世紀にもなって何をしたいのかが理解できない。ネジが緩んでいるのであろうか。

 左は左で理解不能である。一時期話題になったが、運動会での着順の廃止に始まって「ゆとり」教育に行き着くところの、全てを低きに合わせようという思想。自分達は優秀な指導者であり、ノーメンクラツーラであると認識した上で、養成した馬鹿な者達を搾取しようとしているとしか考えられない。こういう人たちは、個性を伸ばすと言いつつ、実は人の優秀な側面を押さえつけているのは、昨今声高に批判されている通りであろう。理想と現実のギャップが解消できない、又は理解できない人々。

 取り敢えず、最低限やることを決めておき、それ以外に関しては個々に任せるという、苦し紛れの文部省の判断が、実は災い転じて福と為すのではないかというのが、僕の見解です。最低限の知的水準を保ちつつ、それ以上に関しては、勉強したい奴は勉強する、芸術したい奴は芸術する、スポーツしたい奴はスポーツする、(ボランティアもその一環で存在)、器用な奴は複数こなす、それで良いんで無いかと思いますけどね。右も左も、どうしてこうも極端な人々ばかりなんでしょう。大切なのは中庸ですよ中庸。