2005年5月

1日(日)
 モーガン・フリーマンの〈コレクター〉見ました。彼が犯罪心理学を専門とする刑事で、著述業によって名も売れているっていう設定のようです。しかし、せっかくのその設定が、あまり役には立っていないようだが、彼の演技というよりは、脚本に難があるような気がします。まぁ、サスペンス物なんですが、この程度のサスペンスではぜんぜん満足できません。モーガン・フリーマンも、ヒロイン役のアシュレイ・ジャッドも良いんですが、如何せん脚本がダメダメすぎる。原作があるようですが、原作が悪いのか、脚本にした時に悪くなったのかはよく分かりませんが、土曜ワイド劇場でなら許せるっていうレベルの脚本です。

 まず、連続行方不明事件→連続殺人事件が始まりなのですが、最終的に犯人がどうやって被害者を選んだのかがよく分かりません。美女を集めるという、邦題にも繋がるこの行為、極めて重要な要素だと思うのですが、犯人の猟奇的なメンタリティが、最初から最後まで伝わってこない。犯罪心理学がまったく役に立っていない。これは決定的にダメです。犯人はカサノヴァと名乗ってくるんですが、世間を騒がせたい愉快犯的な行為と、美女を集めることに執着する側面とは、何か補助線入れてやら無ければ繋がらないはずなのにそれもない。それと、犯人は仮面を被っているのですが、それが何のためなのかがよく分からない。コンプレックスとか、何か精神的な闇があるのかと思ったら、それも出てこないしもう訳分からない。

 良い点を上げろというと、この作品は皮膚を切るというところにとても拘っていたところでしょうか。アシュレイ・ジャッドが誘拐される時に、犯人との格闘シーンで、水槽にぶつかって傷つく、彼女が犯人の元から逃亡しようとする時に、木々の中を駆け回って切れ切れに傷ついていく。そして、最後の格闘シーンでは鋭利な刃物で、気持ち悪いくらい鮮やかに切れる。そこらはよかったかな。後は、アシュレイ・ジュッドの逃げ回るシーンは引き込まれたんですよね。これ、前半は比較的面白いのに、後半へ行けば行くほどつまらなくなっていくと言う、とっても困りものの映画です。モーガン・フリーマンと言えばブラッド・ピットとのコンビで送り出した〈セブン〉という名作があるだけに、こんな作品はちょっと頂けません。出演作は選んで欲しいです。

4日(水)
 ブルース・ウィルスの〈アンブレイカブル〉を見ました。いろんな意味で劇画チックな映画でしたねぇ。ジャパニメーション的な劇画ではなく、スーパーマンとか、スパイダーマンとか、アメリカ漫画的なあの劇画チックさであって、個人的にはちょっと受け付けないタイプの劇画です。ああいう世界観が好きな人だったら、もっと楽しめるのではないでしょうか。怖いくらいに、繊細さと言うものが存在しない映画でもあります。

 何が繊細じゃないかって、これもストーリーに無理があり過ぎなところです。ブルース・ウィルス演じる主人公は、列車事故の唯一の生き残りでして、彼は不死身に近い体質であると言う設定なんですが、彼自身はそれを認識しておらず、そう指摘されて葛藤を繰り広げる。そういうそもそもの設定は上手いと思うのですが、学生時代に交通事故でフットボールの選手を断念している。その記憶が不鮮明で、その交通事故を思い出すのに時間がかかるのですが、自分の人生を変えた事故で、怪我したか怪我していないかすら忘れているなんてありうるのか?しかも、奥さんと一緒に事故して、奥さんも忘れているなんてあり得るのか?そういう無茶苦茶なストーリーにかなり興ざめします。

 しかも、ベンチプレスで、自分でも驚くくらいの怪力を持っていると気付くのだが、自宅にベンチプレスを置いているような人間が、自己ベストがどのくらいか分からない、間違って認識している、そんなことってあり得るのか?どうして昔ベンチプレスを買ったときとかに、自己ベストを調べていないんだ?もう訳分からん。そう言うのが有るから、人生のどこかで不死身さを後天的に得たのかと推察したら、そうではなく先天的なものらしいが、そうすると本当に全く訳分からない矛盾点が出て来まくりで、正視に耐えられなかった。そのくらい脚本がひどい。映画館で見ていたら確実に殺意がわいたな。

 まぁ、何か良い点を挙げてくれと懇願されれば、画面の使い方は上手かったですね。鏡の使い方とか、寝転がってテレビを見ると、逆さにテレビ画面が映されたり等々、そういう小細工的な映像テクニックは良かったかな。ただ、脚本がアレなので、虚しさが増しただけですが。それと、主人公の息子が、父親が不死身のヒーローであることを証明しようと、拳銃を向けるんですね。その時の緊張感は若干見所です。最終的に撃つのか撃たないのかは言いませんが、あそこの場面は特に良かったですねぇ。こんな作品の一部に入れたのが勿体無いくらいです。

 ネタバレ的に話しますと、この作品の監督さんは〈シックス・センス〉のM・ナイト・シャマランでして、最後のどんでん返しのために、長々と話を進めています。ただ、〈シックス・センス〉ほどのどんでん返し感が無いんですよね。それはやはり、劇画チックに作品を作ってしまったあまり、主役であるブルース・ウィルスと、その対極としてのサミュエル・L・ジャクソンとの対比を強調してしまい、オチが読めるという最悪な設定になっているからでしょう。白人と黒人、不死身とガラスのように壊れやすい体、ハゲと多毛、家族と独身、ブルーカラーとホワイトカラー等々、その2項対立は見事なまでですが、そうくるとどうしても善と悪を類推してしまいます。これが最悪なんですよねぇ。。。レンタビデオ代ですら勿体無い。

5日(木)
 ちょっとハズレ作品が続いてしまったので、ストレス解消のために確実にいい映画だと分かっている作品を1つ。という訳で、スティーブン・ダルドリー監督の〈リトル・ダンサー〉を堪能しました。期待に違わず名作でした。満足満足、これで溜まっていたストレスがかなり解消されました。これ、家で1人で見たから嗚咽漏らしながらでも平気だったけど、映画館で見ていたら、周り気にしつつ涙を必死に堪えなきゃいけなかっただろうなぁっと、ちょっと不安になってしまいます。

 時は1980年代、サッチャー政権下、英国病の再末期の設定なんですね。場所は炭坑町。ストライキの真っ最中の炭坑町が舞台です。主人公ジェイミー・ベル演じるビリーの、父も兄もストライキの真っ最中、お母さんは亡くなり、まだらボケのお婆さんとの4人暮らし。こんな家族関係の中で、ボクシングに通っていたビリーが、それへの違和感と、同じ場所で行われていたバレエへの興味から、ダンサーを目指していくっていうお話です。話としてはそれだけなんだす。とっても単純。

 でもね、この登場人物たちが、みんないい暗さを持っているんですよ。妻を亡くし、会社に不満を抱え、人生にいらだち、それを家にも持ち込むゲアリー・ルイス演じる父。ストの指導者の1人で、警察にもマークされているジェイミー・ドラヴェン演じる兄トニー。バレエに対する情熱を失い、夫との関係も冷め切っているジュリー・ウォルターズ(実はハリポタのロンのお母さん)演じる先生。ビリーに恋心を抱くけど、自分の性癖を認められない、スチュアート・ウェルズ演じるゲイの友達役マイケル。そのココロの翳がみんな深遠で、能天気に明るいのはまだらボケのお婆ちゃんだけなのが、さらに翳を増幅させているんですよね。この人間描写の妙は最高です。

 ここはネタバレ。そんな彼らの彼女らの翳が、ビリーのダンスによって晴れていくんですよね。最もお薦めのシーンは雪積もる中、父がビリーがダンスの練習している体育館を見つけるんですよね。そして、ビリーは精一杯父親にダンスを披露するんです。今持てる全てを出し切って。その時にお父さんの気持ちが溶けていくんですよね。本当に溶けていくっていう表現が適切。そしてシーンが変わって彼が取った行動は、スト破り。ビリーを王立バレエ学校に入れるために金を捻出しなきゃいけなく、彼はプライドも何もかも捨て去るんですよ。もうこの辺りから駄目でした。全く涙が止まらない。

 あと、この映画の見所の1つは、英国の下層社会というものをかなり意識して作っているところですよね。すごい訛ったアクセントが、否が応でも耳につきますし、最も衝撃的なのは、トニーがウィルキンソン先生に対して、ミドルクラスがって侮蔑するんですよね。彼女自身の夫も炭坑夫で、階層としては下層階級に属しているんですが、バレエを教える彼女をミドルクラスと言って罵倒し、そう罵倒された彼女もショックを受ける、ここまであから様に描き出しているのはやっぱり衝撃です。ロンドンの下層階級とはまた違った、地方の下層階級の姿っていうのがそこにはあって、これが見所の1つでもあります。是非是非未見の方はご堪能あれ。

9日(月)
 〈インディペンデンスデイ〉のローランド・エメリッヒ監督の〈デイ・アフター・トゥモロー〉見ました。地球温暖化で極の氷が解けると、海水の淡水化で海流が変化し、急激に氷河期に突入するという設定です。途中で餌を啄ばんだまま氷河に閉じ込められたマンモスとか出てきて、それなりに現実味を帯びた説になっています。気象変動なんてどうなるか分からないので、直近ではなくても、あってもおかしくないなぁって感じさせられます。京都議定書を無視するチェイニー似た副大統領とか、妙にリアルですしね。

 主演は、〈愛に迷った時〉でジュリア・ロバーツと共演していたデニス・クエイド、あとは〈ロード・オブ・ザ・リング〉の老ホビット役を演じたイアン・ホルムや、ジュリア・ロバーツの〈プリティ・ブライド〉に端役で出ていたセーラ・ウォードとか、〈オペラ座の怪人〉〈ミスティック・リバー〉にも出ていたエミー・ロッサムなど、けっこうどこかで見知った顔がたくさん出てきます。別に彼らの演技を見る映画でもないので、ふっと彼らの映像が横切ると、あぁそう言えばぁっていうくらいの感覚ですが。

 で、やっぱりこの作品の見ごたえはCG美です。多分映画館で見た方が迫力はあったんだろうけど、大氷原が割れていく様子や、竜巻で車やビル等が倒壊していく様子、津波が一気にビル街に襲い掛かる様や、人々が次々と逃げ惑うところなど、災害ものの髄がそこ彼処に散りばめられています。そしてなんと言っても圧巻は、一気に何もかもが凍り付いていく所でしょうか。それ程スピード感がある作品ではないのですが、自然現象での怖さっていうのはよく出ています。〈ボルケーノ〉とかを見たときと、同じような満足感は得られるでしょう。個人的にはトミー・リー・ジョーンズの方が好きですが。

 しかし、やっぱりこの手の作品は、ストーリーが陳腐なのは致し方ないんですかね。主人公が息子を助けに歩いてニューヨーク公立図書館まで行く意味が分からない。自然災害に、一家族のヒューマニティーを絡ませたいという、ハリウッド的なお涙頂戴主義が、如何なく発揮されていまして、ちょっとお腹一杯です。そういう余分なものを削ぎ落として、ひたすら世界各地の都市や地方が、ただただ自然災害にやられていく救いの無い映画の方が、自然の猛威が分かって面白いと思うんだがなぁ。この手の自然災害からハッピーエンドっていうのは、いい加減飽きてきましたよね。っていうかアメリカ人は飽きないのか?

 あぁ、世界各地で思い出した、千代田区にも弁当箱みたいな大きさの雹が降ってくるのですが、あれは東京というよりも1930年代くらいの上海みたいな感じだった。あの日本観っていうのがどこから湧き出ているのかは非常に興味があるが、日本人が描くアメリカ人像とかだと、マックの5倍くらいあるハンバーガーを頬張って、3リットルくらいのコーラを飲みながら、必死にダイエットに励む姿だし、まぁお互い様なんだろうけど。

 でもまぁ、なんだかんだ言って映像は綺麗でしたし、それが目的で見た作品でもあるので、それなりに満足です。

10日(火)
 そういえば昨日プロフィールに若干追記したのですが、GW頭に社経史で行った報告をベースとして、そこで頂いたコメントへの回答を加えた論文を、経済の紀要の方に載せることとなりました。GWはちんたらとそんな事していました。しかし一応色んな人に見て貰っているとは言え、レフリーの無い論文っていうのは非常に怖いですね。何気に6本目にして、ノンレフリー論文は初めてだったりするんですよね。書評は言いたいことをブツクサ書くだけだから、それ程は気にならなかったのですが、論文で査読者がいないっていうのは、もうこれで完成形だという訳ですし、どうもしっくり来ないですね。全責任が自分に降りかかるのは、どうにもこうにも。。。って、査読論文も最終的には全責任は自分に降りかかりますが、それとは違った何かがありますよね。

 話は変わりますが、最近とっても調子が悪いんですよね。何ていうか、やる気が出ないというか、集中力が高まらないというか、妙な焦燥感の塊になっています。気分だけはとっても焦っているのに、何にも進まないんですよね。博論を仕上げなければっていうのが、我ながらかなりのプレッシャーになっているのがよく分かります。谷本さんが1年間ロンドンへ行っているのですが、帰ってくる3月までに博論仕上げておくようにという指導をされたので、色々と逆算すると10月には第1稿を間に合わせることになるんですよね。となると、600枚になると仮定した場合120日=4ヶ月、800枚になると仮定すると160日=5.3ヶ月かかるから、そろそろ書き始めなければいけませんよね。

 実証部分は、過去の論文を手直ししつつ、肉付けしつつ、1日5枚ペースで淡々と進むとは思うのですが、大きな話をどうするかなんですよね。なんかもう何もかも忘れて、ただただただただ只管に、死んじゃうくらい酒だけ飲み続けていたくなってくる。とは思いつつも、でも最近、次の日にお酒を残すのが嫌で、お酒の量やら割り方を考えて飲んでるし、疲れるからオールの飲みはしなくなって来ているし、昨日なんて家でまったりしているところを飲み友に誘われたもんだから、やる気が出なくて断っちゃったし、もうけっこうだめだめモード。こういう何にもやる気が出ない時は、次の実証研究でもやってるしかないですね。

11日(水)
 妹からいきなり電話かかってきたから、ついにオリビアが駄目かと身が引き締まったんだけど、そうじゃなかった。一安心。っていうか、最近ボケ気味で、食欲が旺盛になってきているとか。。。さらに発情期とか。。。いつまでもあがらないんだって、みんなで驚いている最中らしいです。しかし、余命3ヶ月といわれてから、早1年半くらい経つんだけど、薬と病犬食だけでよくもっているもんだと感心します。ただ、画像送ってくれたんだけど、お正月と比べても更にやつれてはいるんだけどね。毛のツヤが無くなって来ているのが如実に分かるんですよね。

 で、電話の内容だけど、妹の友人が、隣人から迷惑行為を受けているので、弁護士の友達を誰か紹介しろという話でした。商売やっているらしいんだけど、隣人が恒常的に商品を傷つけて行くらしいんですよね。この前布団叩きのばぁさんをテレビでやっていましたが、程度の差こそあれ、何処にでも隣人トラブルっていうのは転がっているんですねぇ。しかも警察も民事不介入であまり真剣に取り合ってくれなかったらしく、ホトホト困っていたらしいです。まぁ、又聞きですし、一方の話しか知らないので何とも断定できませんが、妹の友人ですし勝って貰いたいものです。でも弁護士の友人って、何人か持っておくと心強いですね。

12日(木)
 イラクで事件に巻き込まれた日本人は、今回の彼で11人目ですか。外交官、ボランティア、左翼活動家、ジャーナリスト、旅行者、元傭兵、それにしても千差万別、色んな人々がイラクに入っているものです。外交官だったお二人を除いて、どんな被害に遭おうとも、それは自己責任の範疇であるという僕のスタンスは変わりません。特に今回のケースでは、先に亡くなられた橋田氏と同じように、危険を十二分に認識した上で、それでも一攫千金を狙って危険地帯に入ったようですし、敢えて自己責任などと言われなくても、彼自身が最もそれを強く認識していることでしょう。

 浦沢直樹の漫画はけっこう好きでして、〈パイナップルARMY〉〈MASTER KEATON〉などは読んでいるために、傭兵というものに関しては何となく知ってはいたのですが、現実に日本人で傭兵として活躍している人がけっこういることに、改めて世の中の広さを考えさせられました。40過ぎて、結婚するためと言い残してフランス外人部隊を除隊した歴戦の彼が、日本に戻ってくる前に、結婚資金をイラクで稼いでいて被害に遭ったのかと思うと、運命の悪戯を感じますよねぇ。多分、体力の衰えを感じて、最後の任務のつもりだったのではないかとか想像してしまいます。

13日(金)
 いろいろ書いていなかった話が溜まっているのでまとめて。まずはドイツWC予選で、北朝鮮は想定された無観客試合だけでなく、第3国開催なんていう重いペナルティも食らいましたね。平壌のサッカー場は日本国内でプロが使うことはまず無い人工芝でして、それを避けられたのが最も日本にとっての利点となるでしょう。今回の予選は世界的に観客が暴れている傾向があるので、今後の暴動を抑制するためにも、軒並み厳しいペナルティが課されていますね。代替地はタイのスパチャラサイ競技場らしいです。6月8日なんですね。タイは先輩が大使館勤務しているのでそのうち遊びに行きたいのですが、無観客試合じゃなぁ。。。

 続いてJR西日本脱線事故のその後について。事故当初に予想したとおり、かなり安全軽視している会社の体質っていうのが明らかになってきて、やっぱりなぁっていう虚しさが漂ってきます。100人以上亡くなってしまってから、今更会社の体質が明らかにされてもただただ虚しいだけ。今頃になって会社の問題点訴えている人たちとか、もはや時すでに遅しなんですけど。道義的な罪から必死で逃れようとする姿が見苦しい。しかし、この事故を巡って最も腹立たしいのは、会社幹部でも、会社の問題点を黙っていた社員でも、事故を起こした運転手でも、会社そのものでもなく、JR西日本を叩いてやれという下卑た根性丸出しの記者たち。

 だいたい、関係無い部署の人間が宴会やってちゃいけないのか?毎日新聞記者が爆弾爆発させたときに、自分たちは酒も飲まなかったのか?日本テレビの視聴率買収事件のときには、全社一丸となって謹慎態度を取っていたのか?オウムに加担したTBSは、盗作でまたまた死んだが、社員たちはカラオケもボーリングも行っていないか?所沢農薬はじめ数多くある誤報や身内の犯罪のときに、朝日新聞記者やテレビ朝日関係者は隠忍自重の日々を送ったのか?日経社員の買春が明らかになったけど、ただ今謹慎中ですか?まったくいったい君ら何様?あぁ虫唾が走る。どんな権利があって、君らはJR西日本を恫喝しているんだ?改めて、この国の自称報道機関たちが、権力に胡坐をかいて、好き勝手やっている姿が露わになってますね。ほんと最低。というか、何か集団ヒステリーにでも陥ったような、狂気の姿がそこにある。

 それと、4月29日が「みどりの日」から「昭和の日」へと変更されるようです。ちなみに「みどりの日」はこれまで祝日と祝日に挟まれた単なる国民の休日だった5月4日に移動とか。恐慌・戦争・復興・高度成長、昭和という時代を生き抜いてきた人々が、昭和にノスタルジックを感じるのは理解できるが、それをわざわざ祝日名とする必要があるのか?またその裏では、教育基本法に愛国心を盛り込むような改正がなされている。両者の改正主体がダブっていることもあり、その復古的な政策には少々違和感を感じる。国を愛することは結果であって、それが目的化した教育など行うべきではないし、国を愛する基準として昭和的なものを出されるのは気味が悪い。もちろん国を憎む教育は論外だが、そういう愛するとか憎むとかいう結果に来るべきものが、目的化してしまうのには危機感を感じる。

17日(火)
 今年度は〈日本におけるドイツ年〉という事で、全国各地で色々な催し物が開催されていますが、上野の国立博物館で行われている〈ベルリン至宝展〉に行ってまいりました。問答無用に素晴らしい。エジプト・メソポタミア・ギリシア・コインコレクション・ルネサンス・ロココ・近代絵画に至るまで、そのラインナップの充実ぶりには、ただただ驚かされるばかりでした。っていうか、こんなに色々と日本に持ってきてしまって、ベルリンは大丈夫なのか?というくらい、有名どころもやって来ています。

 まずは何と言っても〈ネフェルティティ〉。昨今の研究ではネフェルティティ王妃でない可能性も高いらしいのですが、とりあえずネフェルティティ。あの有名なネフェルティティの胸像ではないのですが、頭部の彫像がやって来ていました。これがメっさ美しいんです。すらっとした目鼻立ちと、程よい厚さの唇。ただただ見惚れるばかりの美形です。これはまずは欠かせない。そして次なるお薦めはボッティチェリの〈ヴィーナス〉。これもあの有名な〈ヴィーナスの誕生〉と間違えてはいけません。そちらはフィレンツェにあります。そうではなく、闇の中に1人たたずむヴィーナスを描いているのですが、これがまたフィレンツェのあれとは違った神々しさが宿っています。

 さらにお薦めしたいのはマネの〈温室にて〉。初期印象派を代表する名作ですが、当時は温室というのが不倫の舞台になることが多かったらしく、インモラルな絵画だとして、美術館が購入する是非に論争が起こったとか。いやぁ、これは見ておかないと絶対に損失です。レンブラントの〈天使と格闘するヤコブ〉もそれなりに良かったです。心逸るほどの名作ではないものの、手堅くまとめてきているのが流石レンブラントです。あと、エジプトのヒエログリフやデモティック、メソポタミアの楔形文字、ギリシア文字なども刻まれたレリーフの数々は圧巻です。地域ごとの微妙な差が、これだけ多様な地域時代を並べると一目瞭然でして、とってもいい企画です。

 しかし、不満足なのが1つ。ラファエロの〈聖母子〉。ダヴィンチ、ミケランジェロと並び称されるイタリアルネッサンスの巨匠なんですが、ダヴィンチやミケランジェロと比べて、明らかに劣っています。もっと迫り来るものを期待していたのに、物足りなさが憤懣やる方ない。2人と並べるなど、ジャロに訴えてやりたくなるくらい、誇大広告だと思います。いや、勿論それなりには良いんですけど、俺の期待に膨らんだ胸を萎ませた責任を取って欲しいというくらいには、誇大宣伝でしょう。

 ところで、そろそろ後半に入ってすいているのかと思ったのですが、まだまだ混んでいますねぇ。多分このくらいの入りで、最終まで行きそうなので、これ以上待っても今より減るということは無さそうです。あと、外人のお客さん多かったですね。特徴的なのは、日本人は女性客が圧倒的なんだけど、外国人はカップルが多いところでしょうか。ちなみに、本館とかへ流れていくのは専ら外国人でして、至宝展だけで帰っちゃうオバちゃんの群れは、ちょっと勿体無いですよねぇ。他の館でも常設展だけでなく色々と企画展もやっているんですけどね。

21日(土)
 〈依頼人〉〈ザ・ファーム法律事務所〉などでおなじみのジョン・グリシャム原作〈相続人〉を見ました。監督はロバート・アルトマン、主演は〈ハムレット〉〈ヘンリー5世〉のケネス・ブラナーが弁護士役で、ヒロインにエンベス・デイヴィッツ、ヒロインの父にロバート・ドゥバル、ケネスの部下にダリル・ハンナという、それなりにいい役者を揃えた作品です。ケネスが雇っている探偵のロバート・ダウニー・Jrもなかなか良かったです。っていうか、アメリカで見た人はそれなりに楽しめたのではないかと思います。それは何故か・・・

 元々のタイトル、要するに原題は〈THE GINGERBREADMAN〉でして、安っぽい男と言いましょうか、いい加減な男と言いましょうか、サバナのような南部の街にあって、ちょっとしたプレーボーイ気取りの弁護士が、難事に巻き込まれて行くという、それなりに面白い話のはずです。ですが、このミステリーにして最大のスリリングな点であるオチ、これが邦題だとタイトルになっているんですけど・・・。あんた馬鹿?何処の世界に、タイトルにオチを掲げる馬鹿やろーがいるんだ?もう興ざめ。タイトルつけたのは東北新社か?

 ここまでくると悪意を感じる。ジョン・グリシャムで法律物、スーザン・サランドンとトミー・リー・ジョーンズの〈依頼人〉が非常に良かったものだから、それに乗っかろうと思って、〈相続人〉と邦題をつけたであろう商業主義は、容易すぎるほど容易に想像が付く。しかし、もはやこれは犯罪的な悪行である。

23日(月)
 ニューズウィークのコーラン冒涜記事が真実であったのか否か、ニューズウィーク側が否定した後までも、アメリカ政府の圧力ではないのかなど、世界各地でその一つの記事をめぐって大揺れに揺れています。僕がそんなニュースの真否を知ろう筈もないので、ニュース自体については良く分かりません。しかし、秘匿された情報源からの情報によって、個々の記者は自分の良心に従って記事を書く、というのが大前提でもありまして、一応世界は長らくそういう建前でやってきました。報道に携わる人間を信頼するという、そういう事になっていたんです。

 ところが、このサイトでも色々と取り上げていますが、記者っていうのは基本的に信頼できる存在ではない。思い込んで勝手に突っ走って誤報をする時もあれば、情報源に騙されて誤報を流す時もあれば、恣意的に記事を捏造することもある。テレビであろうと、新聞であろうと、雑誌であろうと、マスメディアなる物は、そこらのオバちゃんの井戸端会議や、そこらの助手の酔っ払った愚痴と大して差はない。客観的という建前に立ってやってきたのですが、そんな建前は成り立たないという事が、洋の東西問わず明らかになって来ているような気がします。情報の確認作業がされているという前提はありますが、そんなものは今時誰も信用していないでしょうし、基本的には記者達の日記帳みたいなものでしょう。

 その種の記者達の日記帳によって、真実かどうか知りませんが、曖昧な情報が世界を駆け巡り、被害者達が生み出されていく。コーランを巡っての死者に限らず、報道被害者というのは松本サリン事件の家族とか、嫌っていうほど日々生み出され続けていく。

 だからと言って、既存のマスメディアを規制すれば良いとは全く思いませんけど、既存のマスメディアの存在はちょっと社会の困りもの。何か新しいルールを構築してくれないと、いつ自分が、自分の家族が、友人が、被害者にならないとも言い切れなくて恐ろしい限りなんですよね。市井の弱者には、権力の横暴を阻止する手段も、被害を減らす手段も与えられていないんですよね。被害者救済のお茶を濁したような機関がありますが、あんなもの何の役にもたちゃしないだろ。少なくとも、誤報の場合には、誤報に使ったと同じ分量の紙面・放映時間を使って、誤報であることを周知徹底させる。さらには人権侵害に対する大幅な罰則金と賠償金を課す。この2点を行ってくれないと、中途半端な取材に基づいたいい加減な記事・番組は無くならないだろう。

 話は全く違うが、今日ブラブラ歩いていたら、構内で福島瑞穂がテクテク闊歩していたんだが、警護も付けずに良いんだろうか?っていうか、むちゃくちゃ似ているだけの別人なのかなぁ。でも、携帯かけていて、声も彼女だったしなぁ。。。

24日(火)
 高村編の書評の掲載号が決まったらしいので、プロフィールを若干修正。あぁもう一つの方の、紀要の原稿に校正段階でたくさんペンを入れると、嫌な顔をされるだろうなぁ。原稿出した後に、武田さんから原稿チェックして貰ったのをいただき、それを踏まえて色々と書き足したいんだが、困ったもんだ・・・企業家研究の方の校正は、元原稿から1行飛ばされている部分が2ヶ所もあって、不可抗力としてけっこうペンを入れてしまったが、こっちは自分の責任で書き足しだからなぁ。編集段階でミスしてくれていると、こちらも気楽に追加訂正できるんだが・・・

 話は全く違いますが、東京電力もついにカード払いを行えるようにするみたいです。昨年の秋口に東電の友達が、ガスがやったら電気もそのうちやるからと言っていたが、本当に1年もしないで電気の方もやることになりましたねぇ。官僚的体質に笑いを禁じえない。っていうか、ガスを見て電気が動くという先例主義は、いったいいつ頃から始まったのかは興味深いところですね。7月から手続開始で、9月検針分から適用されるみたいです。ポイント貯めて皆さん遊びにでも行きましょう。

27日(金)
 横井庄一さんがグァムから帰国したのが1971年、小野田寛郎さんがフィリピンのルバング島から帰国したのが1974年3月、ともに30歳の僕が生まれる前の話でして、エピソードとしては知っているものの、まったく実感も何もない話だったんですよね。小野田さんの帰国は奇跡だとまで言われたらしいです。それが今回、フィリピンミンダナオ島から旧日本兵が、帰国を希望しているとか。。。すでに80代後半から90代の方々が、共産ゲリラなどの指導で糧を得ていたのを、そろそろ引退しようかっていうことで帰国希望のようです^^;ただ、帰国後に軍法会議にかけられることを恐れているようです。。。

 いやはや、しかし不思議すぎてなんとも言えない。こんな事ってあるもんなんですねぇ。80後半とかでの生き残りがいるっていうことは、一緒にいて亡くなってしまった方々も当然いたでしょうし、人知れず亡くなっていった、取り残された人々っていうのも当然いたんでしょうね。人間の生命力とか、運命とか、なんか色んなものがグンルグンル渦巻いて、何て言ったら良いか分からない状況です。そのぐらいに不思議だよなぁ。無事に日本に戻って、残りの人生を穏やかに過ごしてもらいたい。今はただただそれだけを願うのみです。しかし不思議だ。あまりにも不思議すぎて、今日はここで思考停止している。

 ところで今日は友達たちに誘われ、アフター6でTDLなんぞに遊びに行ってきました。金曜のアフター6で遊ぶなんて、なんかサラリーマンみたい(笑)でも久々のTDLで楽しかったぁ。マウンテン系には並ぶの面倒で行かなかったけど、けっこう満足して帰ってきました。たまに行くといいよね、あぁいう空間も。

31日(火)
 東大の文学部の方からお手紙がきたから、なんじゃらほい?と開封してみたら、社会心理学研究室からのアンケート調査のお願いだった。しかも文京区の選挙人名簿から、無作為に抽出した結果とかで、えらい偶然だなぁっと関心。こういう質問って、ひじょうに設問および選択肢によって答えづらいんですよね。現在気分が良いか?という設問と、現在気分が重いか?っていう設問とかは、多分逆の答えを書くのが正しいのだろうが、色々と博論やら抱えていて気分が重いものの、今晩の酒は何にしようかとワクワクする気分の良さは同居しているわけで、困ったもんだよなぁ。

 あと、家族といつも一緒にいるかとか、悩んだ時には家族に相談するかとか、1人暮らし11年もしている人間に聞かれてもなぁ。。。家族にわざわざ相談しなきゃいけない悩みを抱えたら、もうそれはかなりの重大事態になっているだろうにという気がする。それに1人暮らしで家族といつも一緒にいるのは物理的に無理だな。家族構成とかを調査した上での分析で無いと、かなり偏った分析結果が生まれそうなんだが、果たして大丈夫なんだろうかと他人事ながらに心配してしまう。

 ところで、フィリピンの日本兵は壮大な詐欺未遂事件なのか、何なのか、まだ分からない状況ですが、山下財宝とかの噂も絶えないお国柄、真実はもうしばらく闇の仲でしょうか。しかに仲介者の日本人っていうのも、なんだかアレですねぇ。一番気になるのは、振り回されている旧日本兵のご家族の方たちが気の毒なところでしょうか。