2005年6月

1日(水)
 オダギリジョー演じる青年サラリーマンが、人生の選択を迫られ、「つ・づ・く!」という最後のフレーズがとっても耳に残るライフカードのCM。カードの切り方が人生だっていう、カード会社としてはなかなか上手いCMなんですが・・・犬山派か猫田派か迫られて「つ・づ・く!」っていう終わり方したものの、次のCMになったらブサ子な専務の娘が出てきて、また「つ・づ・く!」。おいおい、いったい何なんだ?と思っていましたところ、分かりましたよ、分かりました。ライフカードのCMの続きは、ライフカードのサイトで見られるようになっているんですね。

 犬山派か猫田派かの続きも、専務の娘との関係の続きも、ともに4択として、4バージョンともライフカードのサイトで見られます。けっこう重いので、環境の良い所で見た方がいいと思いますが、どこに続いているのか分からせないこのやり方、けっこう上手いですねぇ。口コミでの広がりを期待しているのでしょう。テレビという受動的な広告媒体では、殆ど流されてしまうために、自分の能動的にサイトに来てもらおうというこの試みは上手いですねぇ。入会することはないですが、なんか広告戦略としては好感が持てる。

 ところで6月1日は衣替えなんですが、ことしから政府が旗振ってCoolBiz(クールビズ)なるものが始まっています。要するにノーネクタイ・ノー上着っていうだけなのですが、〈Cool〉をキーワードに入れたのがおしゃれですね。省エネというと、どうしてもあの悪名高き省エネルックを思い出してしまいます。と言いましても、大平正芳時代を知っている訳ではなく、羽田孜が首相をやっていた頃のあの痛々しい省エネルックです。省エネルックの根本的な問題は「恥ずかしい」、これでした。あんなもの、どれだけ美的感覚が欠如していようとも、真っ当な人間ならば着られません。っていうか、人としての尊厳を侵害しています。

 そういう反省の上に立って〈Cool〉がキーワードに上ったんですね。オタクアニメにはまった外人が、日本はクールだとか言ってくるので、訳分からない用語にもなっていますが、基本的には「素敵」とか「格好良い」とか「いかしてる」っていうニュアンスを持っていまして、それを涼しげさとかけた用語法です。それにしても、欧州だと特にドイツ人がジャパニメーションにはまっているようですが、欧州人のコスプレとか似合うだけに恐ろしい。浮世絵でジャポニズムが喚起されたように、ジャパニメーションが流布している様子を見ると、いったい何が他文化圏の人間に称賛されるか本当に分からない。現在の日本におけるアニメの位置も、浮世絵で逆輸入的な評価に乗っているところがあります。

 と話がそれてしまったが、そんな〈Cool〉にしましょっていう掛け声でして、スーツっていうある種のユニフォームが認められない時代に入っていく訳です。学校の制服等で、私服にすると気を使うけど、制服だと面倒じゃないっていう利点があったのですが、それと同じことがスーツとクールビズの間で起きることでしょう。ネクタイをしているかいないかだけで、体感温度が2度違うということでして、CO2排出量を削減するためには、この2度の差は大きいですからねぇ。真夏に28度のエアコン設定で、今までの26度の体感温度を得られるわけですから、ノーネクタイノー上着は必須です。

 でも、沖縄のかりゆしは流石にちょっと恥ずかしいな。あのカラフルな色合いを着るのはちょっとねぇ。もっとシンプルでクールな服装を提示してくれれば、普及するんではないでしょうか。まぁ、僕は大学院時代の延長でして、スーツ着て生活している訳ではないので今はあまり関係無いのですが、将来的にもできるだけ暑い時にスーツなんぞ着たくないですからねぇ。あと、それよりも興味があるのは、今年も羽田孜は恥ずかしい省エネルックに固執するんだろうか、それともクールビズへ移行するんだろうかという点だな。 企業もクールなスタイルを提示できれば、稼ぎ時だと思いますよ。羽田さんは多分まだ悩んでいるでしょうし(笑)

3日(金)
 21世紀のスパイ映画という宣伝文句だった〈ボーンアイデンティティ〉を見ました。主演はマット・デイモン、ヒロインがフランカ・ポテンテ、ブライアン・コックスやクリス・クーパーなんかも共演しています。監督はダグ・ライマン。で、レンタビデオ屋で片仮名タイトルだけ見たから、てっきり〈born〉だと思っていたら、記憶喪失になるマット・デイモンの役柄名が〈bourne〉だった。。。そんなん有りなんだろうか。最近邦題で騙されることが多くて、ちょっと感じ悪い。

 ところで、この作品はパリを舞台にして繰り広げられるカーチェイスが見所です。絶対に20世紀じゃこの撮影許可は下りなかっただろうな、っていうくらい映画の華となっています。オシャレな街並みをオースティンミニが疾走していく姿は、かなり小粋です。この撮影許可を取り付けたところが、この映画の最大の功績でしょう。そういえば、石原都知事の数少ない善政の1つとして、東京都区内での撮影許可を緩くしたっていうのがありますが、21世紀的な映画撮影の先頭集団に位置する作品であることは間違いないでしょう。本当にパリがいいです。

 ストーリーのありきたりさは、スパイ映画だからこんなもんなんだろうとも思うが、もう過去のシナリオの焼き回し的にしか成り立たない分野なのかな。とっても定型的で、なんだかなぁっていう感じなんですよね。マット・デイモンが隆々な筋骨を作り上げて、アクションも頑張っているし、最初に書いたようにカーチェイスも良いし、全編欧州ロケの背景も素晴らしいのに、でもやっぱり脚本に難があり。でももうここまで来ると、ほんと観客の方が色々知り過ぎてしまっているからなのかも知れない。〈007シリーズ〉や〈スパイ大作戦シリーズ〉で出尽くしている。

 こっからネタバレ。身近なペンとかを武器にするのも、野鳥を騒がせて自分の音を消すのも、倒した奴の無線奪って傍受するのも、壁を伝って下に降りるのも、螺旋階段での銃撃戦も、スイス銀行の秘密口座でのIDチェックも、皮膚にチップを埋め込むのも、使ったホテルの指紋を消し去るのも、任務を失敗した奴が殺されるのも、もう全部どこかで見たものばかり。そういう意味では、スパイ映画の基本に忠実に、忠実に、忠実にやっているんですよね。そのプラスアルファがパリの街並みでのカーチェイスだけでは、ちょっとねぇ。あんなにスピーディーに展開するのに、〈水戸黄門〉を見ているような安心感を覚える時点で、スパイ映画としては失敗だろうな。ただし、カーチェイスだけはマジで見ておいて損はない。

 さて、これからバーレーン戦。小野は怪我をしてしまった。ストレスの溜まる90分にならないことを願っている。

8日(水)
 ドイツ行き決定です。テレビでは色々と煽っているのですが、北朝鮮戦ですし、引き分け以上か負けてもイランが引き分け以上の場合はドイツ行き決定でしたので、実はそれほど興奮は無かったりします。人とはなんと贅沢な生き物なんでしょうか。柳沢と大黒のFWが2点も入れてしまうという、日本サッカーらしからぬ得点での決定ですし、無観客試合で会場も落ち着いているし、色々と異例尽くめの決定でした。しかし、スパチャラサイ競技場の外で声援を送っていた皆さんはお疲れ様です。本当に頭が下がります。

 ところで今日の試合で特徴的だったのは、後半戦の初っ端から鈴木隆行に変えて大黒を投入したんですよね。ジーコは前々から選手交代が遅いと非難を浴び続けていましたが、今日は先手を打っていい選手交代だったと思います。ジーコ自体が監督として進化していっているのか、それとも単なる神様の気まぐれか。大黒投入で明らかに流れが変わりましたからねぇ。ジョホールバルの時のあの奇跡的な喜びはありませんが、蒸し暑いスパチャラサイの雰囲気が画面を通じて伝わってくるかのようでした。あと、スコールが来なかったのは何よりですね。最後のイラク戦はお互い気楽にプレーするとして、ドイツが待ち遠しいですねぇ。

 さて、〈バットマン〉のティム・バートンが監督をする〈スリーピー・ホロウ〉を見ました。主演は言わずと知れたジョニー・デップ。ヒロインには〈アダムス・ファミリー〉のクリスティーナ・リッチ。でっかくなりました。これは時はまだ安永の頃、ニューヨークから馬車で北へ3日ほど行った寒村を襲う、ホラーストーリーです。ホラーって言っても、無茶苦茶オドロオドロしいのではなく、本当は怖いグリム童話的な、そういうホラーですね。おとぎ話的なホラーストーリーでして、助産婦の家の子が魔女の装飾があるランタンに見入るシーンがあるのですが、全編そんな雰囲気が漂っています。

 アカデミー賞の美術賞を貰っているようですが、それも納得の18世紀的な世界が広がっています。とても不気味な世界観です。ジョニー・デップの役柄は、18世紀的な迷信の世界から、19世紀的な近代科学主義の世界への転換を先駆的に志す捜査官なんですが、やはり18世紀的な迷信世界を引きずっていつつ、それでも科学的に、科学的にというスタンスで捜査を繰り広げていきます。勿論ホラー映画なので科学では説明が付かない事態になるのですが、そういう不可解なものに対する科学的態度っていうのを好演しています。単純に強い男ではなく、臆病な側面も持ち合わせつつも、科学的なスタンスで捜査に当たっているのが微笑ましい。

 しかし、これだけ首無し死体をオンパレードされると、けっこう凹みます。クリスティーナ・リッチは〈アダムス・ファミリー〉的な明るいホラーの方がいいな。ちょっとオドロオドロしさが増してしまう。個人的にホラー映画は戦争映画と同じくらい好きではないというのがあるが、この辺のグロテスクさで一杯一杯です。多分ホラー好きな人にはぜんぜん物足りないことでしょうが、僕としてはクリスティーナ・リッチが深刻な顔するだけでけっこうきますから^^;

11日(土)
 北朝鮮戦視聴率は43.4%だったとかで、ドーハやジョホールバルに比べると明らかに低いですね。やっぱりドラマ性が少なかったからでしょう。ところで、サッカー日本代表の試合が盛り上がるのに比べて、Jリーグが一向に人気が出ないこともあり、サッカーとナショナリズムを並べて議論する見方をちょくちょく見かけます。確かにサッカーはナショナリズムが高まるコンテンツだとは思いますが、日本の場合にはそれだけですべてを語ってしまうのは違うのではないでしょうか。実はサッカー中継の視聴率を見ていくと、1位は堂々の66.1%で2002年WCの日本−ロシア戦ですが、2位に来ているのは65.6%の2002年WC決勝ドイツ−ブラジル戦なんですね。日本−ベルギー戦、日本−チュニジア戦を抑えての2位です。

 これを見ると、単純に日本人はナショナリズムでサッカーを見ているのではないと分かります。またよく言われるような、長い間日本サッカーのレベルが低かったために、海外の好試合を観戦するという、世界でも独特の習慣が根付いた説だけでは、あまりにも視聴率が高すぎるでしょう。多分、雰囲気に呑まれて全国的なお祭り気分で応援しているんですよね。踊る阿呆に見る阿呆じゃありませんが、お祭りっていうのは中心部に近ければ近いほど楽しい訳でして、ナショナリズムというよりもノリと勢いで皆で騒いでいると言う要素の方が強いのではないでしょうか。

 関西・名古屋・福岡のように、人気の地元プロ野球球団がある地域は、プロ野球人気がない関東よりも視聴率は低いようでして、お祭り騒ぎへの飢餓感が高まっている関東が一番、この日本代表騒ぎやWC騒ぎに積極的なような気がします。ジャイアンツは全国球団を昔目指してましたし、スワローズはマスコミもあまり取り上げない。23区内には土地価格の関係でJリーグチームも存在しない。東京や東京へ通っている人たちって、殆ど皆で騒げる物が無くなってしまっているんですよね。オリンピックやWCはこの飢餓感を抱く空白地帯に上手く入り込んでいる。その様に見えますよねぇ。

 ナショナリズムで思い出した。先日某省の40前後のキャリアの人と飲んでいたのですが、国旗国歌法案を作ろうという流れは、アルベールオリンピックのノルディック複合で、荻原兄が日の丸を掲げてゴール入りしたシーンが大きく影響しているようです。寄せ書きをした日の丸を振っているという、ある意味戦時中の出征兵士をイメージさせかねない状況に、朝日新聞ですら非難しなかったことから、国旗国歌法案を作っても大丈夫だろうという空気が生まれていったとのことです。霞ヶ関の一部や自民党で。飲みながらの話ですし、現実の国旗国歌法案までには時間があるので、事実かどうかは知りませんが、確かに荻原兄は自民から参議院議員にもなっているし、なかなか興味深い話でした。

17日(金)
 珍しく悪夢で目覚めてしまった。どこかのクラブで踊っているシーン、突然友人が拳銃を取り出し、自分の脳天から弾を発射して死亡。驚いて周りの人々が逃げ惑う中、別の友人が拳銃を取り上げ、自分も自殺をしようとする。しかし、ふと思い止まり、拳銃を僕とさらに別の友人に向け、順番に射殺していくところで目が覚める。そしたら、目覚めた直後に震度1くらいの微妙な地震が起きて、揺れていました。。。とっても嫌な目覚めです。。。一体なんだったんだろうか、痛みの感覚とかは当然無いし、ほんとうに映画のラストワンシーンみたいだった。

19日(日)
 さぁお給料も入った、っということで〈ミリオンダラー・ベイビー〉を見てきました。っていうか、今月からついに住民税が取られることになってしまいました。飲み会1回行ってもお釣りが来る金額を天引きされていて切ないです。取られる事は理解していましたが、いざ追加で取られるとけっこう切ないものです。映画に話を戻しますが、クリント・イーストウッドの主演男優賞こそは逃したものの、作品賞、クリント・イーストウッドの監督賞、ヒラリー・スワンクの主演女優賞、モーガン・フリーマンの助演男優賞と、アカデミー賞の主要どころを掻っ攫っていった作品です。見たい見たいと思ってはいたのですが、ついに見てきました。

 こんなに救われない映画って、〈ダンサー・イン・ザ・ダーク〉以来じゃないですかねぇ。皆が皆弱い存在なんですよ。人間の弱いところが、個々の登場人物に凝縮されて滲み出ているのですが、やりきれない作品、後を引きずる作品です。友達何人かに声かけても、暗いのは嫌とか、痛いのは嫌とか、もう見たけどつらかったとか、涙が止まらなかったとか断られ、結局1人で見てきたのですが、観ていられないシーンも多数でした。帰り道ふらふら魂が抜けたように歩きつつも、時々思い出したように電気が走って身震いをする状況、そういうのに襲われることになる作品です。

 さて、ストーリーの始まりはヒラリー・スワンク演じる貧しい女性が、名トレーナーであるクリント・イーストウッドのジムで鍛え上げ、ボクシングのファイトマネーと栄誉を求めて戦う話です。モーガン・フリーマンはジムで働いている男であり、ナレーションも担当しています。ボクシングだから殴るシーンも多々ありまして、基本的にこれが痛いので僕はかなり目を背けていたのですが、ボクシングとか暴力的なシーンが好きな人には物足りないでしょう。僕には十二分過ぎるほど痛々しいシーンの連発でしたが。あぁ、なんか同じような説明をしたなぁと思ったら、〈スリーピー・ホロー〉のホラーシーンでも同じようなコメントしましたね。ホンと苦手なんですよホラーも格闘技も。〈もののけ姫〉でのあしたかの弓矢のシーンですら嫌なくらいなので。。。

 話がズレましたが、ボクシングをテーマに選んでいるものの、この作品動きが少ないです。スピード感も高揚感も余りありません。元々そういうものを追求するつもりもないでしょうし。カメラワークの影響なんですが、全体を通して登場人物のアップシーンが多用されているのです。普通ならば遠景・近景から撮りそうなシーンも、軒並みアップシーンを多用することで作品を作り上げています。これが作品の本来的なメッセージ的には非常にマッチしています。だから、〈ロッキー〉シリーズのようなボクシング映画好きでそれを期待すると、大きく外れてしまうことでしょう。役者の顔の動きを堪能する映画です。本当は続いて色々書きたいのですが、ネタバレしかねないのでストーリーに関してはこのくらいに。

 あ、映画を楽しむためのポイントとしては、彼女のファミリーネーム、フィッツジェラルドにあります。JFKのFにあたるフィッツジェラルドでして、〈グレート・ギャツビー〉や〈雨の朝パリに死す〉の原作者のフィッツジェラルドも思い出されますが、彼女はアイリッシュ系の設定なんですね。んで、クリント・イーストウッドもゲール語の書籍を読みつつ、教えに疑問を抱きつつも熱心に教会へ通うカトリック教徒です。さらにはゲール語のリングネームを彼女に付け、各地のアイリッシュたちから熱狂的な応援・声援を受けて戦います。ドイツ人の対戦相手が悪役に描かれているのも印象的です。〈モ・クシュラ〉っていうリングネームを、貧しくて浅学な彼女は理解できないのですが、アイリッシュたちは遠い祖国を思い出して心を1つにするんですよ。

 そしてアイルランドと言えば、2002年のワールドカップで見た、あの名勝負。アイルランドvsドイツ戦を思い出さざるを得ない。ロスタイムの劇的な同点ゴールシーン。日本人に愛されながらもスペイン戦でのPKで散っていったあの名チームの、あのユニフォームの色であり、ナショナルカラーでもあるアイリッシュグリーン、そのマントを羽織って彼女はリングに上がるんですね。無学な彼女がそんなこと知るわけもなく、クリント・イーストウッドからの贈り物なんですが。自分の祖国の知識なんて何にも無いのに、彼女の気迫はまさしくアイリッシュ魂そのものだった。そこもアカデミー主演女優の栄冠を勝ち取った所以でしょうねぇ。

20日(月)
 中田がいて、前園がいて、城がいて、川口がいて、松田がいて、田中誠がいた。1996年アトランタオリンピックでマイアミの奇跡と言われた瞬間があった。川口の神懸り的なセーブの連発から、ちょっとした隙を付いての伊東輝悦のシュートが入り、ブラジルのシュート28本、日本側のシュート僅か4本というように、守り続けることで激闘を制し、あの王者ブラジルに勝利した瞬間があった。U24のオリンピックとはいえ、予選リーグの初戦だったとは言え、日本がブラジルに勝利するという、正しく奇跡奇跡奇跡。あの胃がキリキリし続けた後の開放感という、感動的な時を思い起こさずにはいられない。

 不調のヨーロッパ王者ギリシャを倒し、ブラジルが北中米王者メキシコに敗れてしまったために、再びガチンコ勝負での日本×ブラジル戦がやってきます。マイアミの奇跡をピッチ上で体験したのは中田英寿、川口能活、田中誠の3人のみ。あれから9年、多分今回は1−3で日本の負けだと予想しているのですが、それでもなんかこの高揚感が嬉しい。日本とブラジルのガチンコ勝負が見られるなんて、それだけで望外の幸せじゃないですか。決勝リーグには進めないでしょうが、2006ドイツWCに向けて良い経験の場となったことに感謝です。これを良き糧にして次は頑張って欲しいですよねぇ。

 でもジーコジャパンがブラジルとガチンコ勝負か。こりゃ、間違って勝ってしまったら、末代まで語り継げるな。

24日(金)
 さてさて、〈シックス・センス〉以来の衝撃的なスリラーという宣伝文句の〈フォーガットン〉を見てきました。結論から先に述べれば、いわゆる駄作です。あまり人にお勧めできる作品ではありません。主演はジュリアン・ムーアなんだが、監督は〈愛がこわれるときの〉のジョゼフ・ルーベンなので、あたりかハズレか五分五分だなと思いながら見に行ったが、悪い方に出ましたねぇ。前半はなかなか面白いつくりをしていて、それなりに引き込まれていくのですが、オチがダメダメです。って言うかふざけ過ぎです。〈シックス・センス〉のあの見事な落とし方を体験した人には耐え難いつらさが待っています。

 ところで、ジュリアン・ムーアがベッドに横たわりながら不安に苛まれているシーンは、どうみても〈めぐり合う時間たち〉とシンクロしていけませんねぇ。音楽もそれなりに似ていて微妙です。これは監督のいたずらなのかも知れませんが、〈めぐり合う時間たち〉が別ベクトルの名作であったために、全く裏目に出てしまっているのではないでしょうか。全体的にジュリアン・ムーア自体はなかなか良い演技しているんですが、ストーリーの陳腐さと映像の滑稽さは演技では補えないものがありますねぇ。っていうか、ジュリアン・ムーアももうちょっと仕事選びなよと言いたくなる。

26日(日)
 あぁ、そう言えば朝っぱらから五月蝿いなぁと思っていましたが、どうやら東京都議選挙が始まったんですね。とりあえず名前の連呼だけは無意味なのでやめてくれ。本当に五月蝿い。ところでわが文京区は、何気に都議選の大激戦区だったりします。議席数2つに対して、4名が立候補をしていますが、4名のうちどの組み合わせで2人が当選してもおかしくは無い、っていうくらいの激戦区です。かなり面白いのでちょっと顔ぶれを見ておきましょう。

 1人目は現職都議の中屋文孝でして、元通産大臣深谷隆司の秘書から前回2001年に初当選しました。唯一の自民党公認候補で、前回は2位に1万票以上差をつけたぶっちぎり当選で見事なまでの圧勝したが、今回は小泉ブームも無いし、鳩山太郎との自民票奪い合いもあるでしょう。
 2人目は増子博樹でして民主党唯一の公認候補。都市型選挙区で民主党支持は多いし、しかも元は鳩山邦夫秘書の保守系でもあり、前回の総選挙から見ても本来は当確間違いなしのはずです。が、文京区は前回の都議選で民主党候補が選挙違反で当選取り消しになった曰く付きの地なんですね。保守票を鳩山に、革新票を小竹に奪われるかも。
 3人目は小竹紘子で共産党の公認候補で元職です。共産党の退潮傾向が全国的にはありますが、前回も約800票差という僅差での落選。しかも候補者中唯一の革新系です。2001年は浮動的な革新票が民主党に流れましたが、今回は唯一の革新が武器になると思われます。票がキレイに割れると固定票があるのは強い。
 4人目は鳩山太郎、無所属ですが鳩山邦夫の息子でして、所謂ひとつの5世議員です。民主党候補の選挙違反後の再選挙で当選して現職都議です。C.W.ニコルと対談したりして、パフォーマンスいっぱいですし、知名度だけはかなり図抜けています。

 ほら、4人誰がどの組み合わせで当選してもおかしくないくらい激戦でしょ。過去最低の投票率更新がほぼ確実視されているように、焦点は殆ど何もありませんが、細かいことは気にせず散歩がてらに投票へ行きましょう。選挙権はぐるなびクーポン券みたいなものですので、使わないと損ですよ。

27日(月)
 今日のニュースによると、総務省がネットの匿名性を排除する方向に動こうとしているようです。自殺サイトや、爆弾作成法などのアングラサイトなどの有害情報を減らすことが目的とか。しかしちょっと待って欲しいのだが、自殺サイトや爆弾作成サイトのような有害サイトそのものを取り締まればいいわけであって、ネットの匿名性そのものを防止するのは違うんじゃないだろうか。個人的には実名ですべて書いているので、匿名性を規制しようが、放置されておこうが大差は無いのであるが、国家が個々人の行為を隅々まで監視するかのような、実名公開の強制は、断固として抵抗すべきだと考えている。

 実名で情報発信したい人は実名で、匿名で情報発信したい人は匿名で、そのどちらもが可能であり、匿名であっても情報の内容如何によっては、実名であるよりも信頼性が高まる点にこそ、ネット社会の面白さが溢れているのではないだろうか。それを実名強制にして、現実社会と近似させてしまったら、ネット社会の魅力なんて無くなってしまうと思われる。実名と実名の関係では、社会的地位や門地によって省みられなかったような意見が、匿名性ゆえに信頼されるという側面もある。このネット社会のメリットを封圧するような国家的政策には、恐怖感すら感じざるを得ない。

 繰り返しになるが、有害サイトは有害であるからこそ規制されるべきであって、匿名性をもって規制されるべきではない。自殺や自殺の隠語、アングラ販売サイト、それらは個別に取り締まるべし。僕は友達に誘われたものの面倒でやっていませんがmixiだとか、簡易なblogだとか、あぁやって皆が皆、好き勝手に情報発信している社会は健全だと思いますよ。何だかんだで、勿論このサイトも含めてですが、実名だと本音をすべて書き込んでしまうわけでもなく、また建前を語っている部分も出てくるものでして、それが書くほうでも読む方でも嫌だという場合には、匿名性っていうのは非常に重要です。