2006年6月 |
1日(木)
ホームページの再開です。って言う事はつまり、博士論文を提出いたしました。申し訳ありません、すべて僕の不徳のいたす所です。ですけどだいたい、皆なんでも良いから課程博士号をとれって言う文部科学省の方針は間違っていますよね。結局は博士号が形骸化して全くの無価値になるだけであって、博士号取得者が増えれば増えるほど、この国の文部行政の失敗を数値化しているようにしか見えませんけどね。理系では、取らないと気持ち悪いが、取っても何の役にも立たないという意味で、博士号を足の裏に貼りついた米粒に例えるようですが、文系もそろそろそんな感じになってきてしまいましたねぇ。って、まだ提出しただけで、審査されていないので、まな板の上のトドではあるのですが(笑)
ところで話は遡りますが、4月1日から九州は福岡へやってまいりました。岐阜から名古屋・東京を経て、全く縁もゆかりも無い福岡に来ることになるとは、人生って分かりませんよねぇ。半年前の僕は予想だにしなかった事態です。宮地が福岡へ行くということで、結構意外だと言う反応をされた方も多いのですが、結局は研究者なんて北は北海道から南は沖縄まで、呼んで貰える所へ行くもんだと思っていたので、自分的にはあまり違和感はありません。確かに12年間を過ごし、悪友たちが渦巻く東京に未練が無いと言えば嘘になりますが、でも所詮は研究者ってそう言う生き物でしょ。運命の赴くままに生きるべきだなぁってね。
ってなわけで、コーナー名は「博多日誌」にリニューアルです。とは言いつつも、明日からは名古屋方面へ資料調査なのですが、それでもまずは「博多日誌」ということで福岡市が起点です。で、まだ2ヶ月しか居ないわけですが、福岡って、博多って、東京とは全く違う世の中です。名古屋とも違う世界です。赴任前に九大出身の某先生から福岡は良い所だとは聞いていたものの、想像以上にいい街です。ってな訳で、既にとっても博多を気に入っていまして、徐々にですが博多での面白い話をupしていきたいですねぇ。
4日(日)
名古屋の方へ調査へ行ってきたのですが、〈ふたりっ子〉の茉奈佳奈ちゃんに遭遇してしまいました。NHK教育の〈ズッコケ三人組vs双子探偵〉のロケをやっていた時以来なので、彼此7年ぶりとかに実物を目撃してしまいました。なんだかんだ言って、もう20歳になってしまったんですねぇ。撮影中って言うこともあって、化粧がかなり濃かったのが印象的です。可愛らしさも残っているものの、どちらかと言うと綺麗な感じになっていました。しかしやっぱり、真面目に史料調査とかやっているといいことってあるね。お天道様は見ているよ。
ところで実は今回が初セントレアでした。東京にいる頃からテレビで特集を組まれているのは見ていたのですが、東京−名古屋間って言うのは近すぎて飛行機が飛んでいないために、福岡へ行ってようやくとセントレア体験が出来ました。もう一日早く名古屋入りをしていれば、シンガポール帰りの村上さんと遭遇出来たかもしれないのですが、とっても落ち着いた空港でした。一時のブーム的な人波は過ぎ去って、普通の空港には近づきつつあるようです。でもまだレストランに行列が出来ていたりして、観光地っぽさを引きずっています。5年もすればもっと落ち着くでしょうから、その頃には行ってみたいものです。
飛行機ネタついでにもう一つ、九州大学への採用が決まって真っ先に行なった事は、ANAのマイレージカードの入会でした。前にも書いたことがあると思いますが、小学校4年の時の御巣鷹山が脳裏に焼きついていますので、僕は断然ANA派でして、福岡ともなれば飛行機利用が激増する事は目に見えていますから、急いで入ったんですよね。あと色々書きたいこともあるけど、今日は眠いのでまた今度。
5日(月)
飛行機ネタを今日も。飛行機に乗るのって、今までは2年か3年に1回くらいしかなかったので、いざ乗るとなると異常に緊張していたものでして、記録資料館の面接で福岡に来たときなどは、面接よりも飛行機の離陸の方がよっぽど緊張したりしていました。しかし、行ったり来たりですでに5往復半もしているため、次第に何も感じなくなりつつあります。新幹線の出発と大して変わらなく、飛行機の離陸に際している自分がいます。
あと、福岡と飛行機といえば何と言っても福岡空港。これが博多駅から地下鉄2駅という絶好の立地をしていまして、この便利さもあって福岡は非常に気に入っています。箱崎から本郷まで最短2時間半くらいあれば行けちゃいます。普通に行っても3時間くらいです。でも最近、福岡空港のキャパが満杯になるらしく、海上に空港をという案があるようですが、もしそれをやってしまうと、福岡の活力は削がれるでしょうねぇ。国際空港と国内空港の分離とか、なんか考えた方がいいと思いますよ。空港にしろ大学にしろ、辺鄙な場所へ行くと大体が色んなもののレベル低下を招きます。
飛行機ついでにもう一つ。空港を使うようになって、空港ラウンジがお気に入りなのですが、福岡空港が6月1日からソフトドリンクフリードリンクorビール1缶無料となりました。5月までは1杯のみ無料というせこいシステムでした。ちなみに羽田がソフトドリンクフリードリンク、セントレアが全てフリードリンクです。福岡空港は博多からの立地が良すぎて、空港で長時間を潰すということが無いので、あまりフリードリンクの有り難味は無いのですが、ちょっと辺鄙な羽田やセントレアは、時間の調整上でフリードリンクシステムは嬉しいところです。
飛行機ネタを続けた後に、今度はJRネタでも。福岡へやってきてのカルチャーショックの一つなのですが、JR九州の職員さんは、朝には「おはようございます」、夕方には「お疲れ様でした」と改札口で挨拶をしてくれるんです。最初は、誰か知り合いでもいるのかな???とキョドってしまいましたが、どうやらサービスで挨拶してくれているようで、名古屋でも東京でもそんな光景を見かけたことが無かったため、チョッと感動です。でも、渋谷にしろ新宿にしろ、オールで飲み明かしたりカラオケした後に、朝日のまぶしさを感じながら「おはようございます」何て言われたら、殺意が湧く事は確実でしょうから、福岡の健全さがよく表れていますよね。
6日(火)
博士論文提出の話に戻るのですが、本来なら3月末日までに提出しているつもりだったんですよね。東大助手の任期が2+1年で、+1は実質的に自動延長みたいなものだったので、本来的には今年も東大助手をやっている心積もりだったのです。で、当然任期付ポストの最終年ということは、まじめに就活をせざるを得ないために、博士号申請中にして就職戦線を戦い抜こうかなぁって言う計画だったのです。
しかし、予定は未定とはよく言ったもので、年度末に急遽九大へ赴任することになってしまいまして、しかも今回は任期無ポストなために、博士号をとらなければと言う切迫感が失われてしまったのです。引越しのドタバタもありましたが、題目届を出してからギリギリの3ヶ月かかった理由はそれもあります。もし、それなりの準備をしていなかったら、福岡へ来て博士号申請を挫折していたかもしれないので、まぁそれはそれで良かったのですが、人生ってなかなか計画通りに行きませんよねぇ。
で、色々とだらだら書き連ねていったたために、本文・脚注・図表で原稿用紙換算約800枚、文献一覧や目次とかを全て込みだと約870枚くらいになってしまいましたが、1000枚を超えなかった自分を誉めてやりたい。本当はもっと文章をブラッシュアップすれば、あと20枚くらいは短くなったかも知れないという気もしますが、まぁ今後の課題といたしましょう。しかし意外と文献一覧って言うのは、頁数を取るものなんですねぇ。これを脚注に組み込んでいたら、もっと長くなったということですよね。
そうそう文献一覧なんですが、取り敢えずはハーバード方式(要するに宮地英敏[2004]みたいなやつ)で書いたのですが、これってあまり歴史の論文では使用しない気もしますよね。前掲論文とかやられると、複数の論文を書いている著者の場合や、遥か前に前掲があったりすると、どの論文だか探さなきゃいけないので、個人的にはあまり好きではありません。文献リストの頁に栞を挟んでおけば、簡単にどの論文か分かるので、僕は最近では専らハーバード方式を愛用していたりします。
7日(水)
福岡へ来て、福岡の繁華街は中洲・天神・大名・今泉・赤坂とかだよって教えて貰ったのですが、東京の渋谷・新宿・池袋とか言う感覚で最初いたので、ちょっと戸惑ってしまいました。どちらかと言うと、道玄坂・センター街・公園通り・スペイン坂・宮益坂とかそんな感じです。街の名前が違うだけで、基本的には続きのエリアでして、大きくまとめて中洲・天神だと考えた方が良いでしょう。このエリアに基本的には全てまとまっていますので都合が良いです。
この中洲・天神エリアから若干離れたところ、渋谷から言ったら表参道や原宿辺りに、キャナルシティや博多駅エリアがあります。博多駅は再開発に向けて真っ最中でして、もう数年しないとまだまだと言う所でしょうか。名古屋も名古屋駅の再開発が終わって、大きく人の流れが動いたので、博多駅の再開発後は、福岡も名古屋みたくちょっと変わるかもしれませんが、今のところはまだまだです。その他にも、ドームの方へ行くともう一つショッピングエリアがあるという噂なのですが、ちょっと位置的にしばらくは利用しなさそうです。。。まぁ何にせよ、福岡って言う街は、なかなか都市の規模的にも理想的な街でして、大き過ぎず小さ過ぎず、何事も適度です。
8日(木)
今日は福岡へやって来た日の話でも。実は僕が福岡へやって来たのはこれが3度目です。始めて福岡へ来たのは彼此8年も前のことになるのですが、大分県の佐賀関出身の友人がいまして、サークルの先輩後輩らと連れ立って、大挙して佐賀関へ押しかけたことがあるんですね。で、当時の僕は福岡まで新幹線で来て、そこからソニックという、まるで鉄道オタクみたいな行動をしてしまい、その関係もあって福岡でちょっくら遊んでいたんです。とは言っても、キャナルシティあたりをブラブラして、当時は未だ東京へ進出していなかった〈一蘭〉や中洲の屋台を堪能したくらいですが、けっこう楽しかったもんです。
2回目に福岡へ来たのは、もうこのサイトを開始していたので過去ログ辿れば出てきますが、政治経済学・経済史学会(旧土地制度史学会)が北九州で学会を開いた時に、福岡と北九州の距離を知らないままに博多駅前に宿を取ってしまったからです。2003年の10月16日から20日あたりを眺めていると、我ながら福岡を堪能していたのが良く分かりますが、あの頃は未だ大学院生だったんですよね。しかも、東大助手への採用決定直前というかなり情緒不安定な時期だったはずです^^;;;
それに続いての3度目の福岡が、こうやって長居することになるとは不思議なもんですよね。まだ助手任期が残っていた関係上、気楽な気持ちで公募に応募したのですが、あれよあれよという間に福岡へ来てしまったわけです。11月くらいの公募だったのですが、しばらく何の音沙汰も無く、2月くらいに面接に呼ばれました。面接に来て欲しいと言われて、3日後だかには福岡に来ていましたから、シーズンオフの癖して飛行機代も高かったんですよね。全部自腹でしたけど、採用して貰ったんだから良しとしましょう。
あ、3度目で長居とは言っても、その後当然東京へは戻ってます。採用決定の通知を待って、東大へ退職しますと報告し、割愛手続をやって貰い、引越しの準備をし、九大の教員宿舎への入居を決め、東京のアパートの退去を伝え、お世話になった人達への挨拶回りを行い、色んな方からこれでもかこれでもかと送別会をやって貰い、ガス電気水道電話ネット住民票などの移転手続きをし、4月1日の飛行機で無事福岡へやってまいりました。12年もいた東京を離れるって言うのは、何かと色々やることが多いよなぁってちょっと面倒くさくて凹みましたよ。引越しマニアとかいますが、あの気持ちは僕には分からない。葛飾北斎の頃は手続きも大して無かったから良いだろうけど、現在の引越しはほんと大変ですよね。って、ぜんぜん福岡へやってきた日の話じゃないな。それはまた今度ということで・・・
11日(日)
さてさて、漸くとエアコン工事が終わりました。冷蔵庫・洗濯機に続いて、福岡へ来ての3つ目の大きな買い物です。基本的に1994年の上京時に買った家電製品ばっかりだったのと、東京から福岡までの輸送費用って言うのは馬鹿にならないという2点から、テレビ・ビデオ以外は総取換えを目論んでいます。後はオーブンレンジとテーブルを買って、更にはソファーを買い増ししたいなぁって言うところでしょうか。何気にソファー大好き人間でして、就職したらソファーを買おうと意気込んでいたのですが、研究室には備え付けの立派なソファー(って言うかソファーベッド)がありまして、そちらの出費は無くなってしまいました。そこで、家にもソファーをと考えているところです。
しかし引越しのときに衝撃だったのは、18000円で買ったお気に入りの本棚があったのですが、これを福岡へ輸送すると14000円かかると言われたときでした。引越しはクロネコのBOXを基本的に利用したのですが、本棚は背が高すぎてBOXに入らなかったんですね。で、単品で輸送するとなると、この価格になってしまうとのこと。。。いやぁ、ほんと驚き呆れて言葉を失うとは、こういう事なんだなぁって言うのが良く分かりました。
何人かの引越し事例を前々から耳にしていて、JR貨物が安いという話は聞いていたのですが、独身ですからそれほど大量の荷物がある訳でもないので、研究室は日通のBOX、家はクロネコのBOXと、岐阜から東京へ出て行ったときと、大して違わない手間で福岡へ引越ししてきてしまいました。後は東京で捨ててしまった古い家電他の処分代がかかったくらいでしょうか。冷蔵庫・電子レンジ・エアコン・本棚2・コタツ・机・椅子etcこれらを綺麗さっぱり捨ててきてしまったので、けっこう福岡の部屋は雑風景なんですよね。まだあんまり生活感の無い部屋です。ちょっとづつ買い足していきましょう。
13日(火)
はぁ、ドイツには行かなかった事にしましょう。ところで引越しの話が未だでした。4月1日付で九大へ赴任でしたが、九大宿舎へ入居する関係で、宿舎への引越し手続きや荷物搬入がありまして、3月中に管理人さんとコンタクトを取ったんですね。そしたら、入居手続きをして貰って、鍵を渡す必要があるのですがと言われ、東京にいるので3月中は難しいのですがと伝えたところ、じゃぁ入居手続きは4月になってからで良いですよと言われたんですね。
ところが、鍵を取りに来てくださいと言われてしまいまして、いやいやだから東京なんですがと伝えたところ、本人じゃなくても誰でも良いですけどと言われたのですが、基本的に福岡に知り合いなどいない身としては、そう簡単に言われてもどうしようもなく。。。で、福岡で鍵を態々取りに行って貰うような知り合いはいないと伝えたところ、何とか郵送で鍵だけ東京へ送って貰えることとなりました。しかし、前例が無くてかなり特殊な事例だと言われたのですが、普通はみな取りに行っているのか、福岡近辺の出身者しか入ってこなかったのか、良く分かりませんねぇ。
と言うわけで、何とか鍵だけは事前にゲットして、4月1日に福岡の地へ降り立つこととなりました。しかし全くの地理不案内でして、空港で捕まえたタクシーに住宅の地図を見せて、ここへ行ってくれと訳も分からぬままにお願いする。ネット検索で、それほど空港から遠くないとは分かっていたものの、知らぬ土地でのタクシーは緊張しました。まぁ1,500円ほどで着きましたが。最寄駅から宿舎までの道の複雑さを踏まえると、我ながらいい選択をしたもんだと今となっては思いますね。駅から歩いていたら、確実に迷子になっていた自信があります。
さてそして初めて開けるわが新居。築36年と言う、僕よりも長い人生を歩んでいるが、取り敢えずは新居です。まぁ、汚さは覚悟しつつもドアを開けると、まぁ予想された範囲内の古さと雑風景さで、こんなもんだよなぁっと思いながら腰を落ち着ける。で、さて電気でも点けようかとスイッチを探したところ、玄関とキッチンのスイッチはあるものの、部屋のスイッチがどこにあるのか良く分からない。で、ふと上を見上げると・・・無いんです。そこにあるはずのものが。蛍光灯がないとか、電球がないとか言うレベルではなく、電気の傘が無いんです。はっはっはっはっ、如何に自分が公務員宿舎と言うものを舐めていたのか思い知らされました。こうして日が暮れていくに従って、暗闇へとなっていく中で僕の福岡生活は始まったのです。
14日(水)
福岡初日の話の続きはちょっと脇へ置き、今日は日銀総裁の話でも。数年前になりますが、MOF担の話題で盛り上がっていた頃、ノーパンしゃぶしゃぶ屋なるものが話題になっていましたが、そこの常連客として名前を連ねていたメンバーに福井俊彦日銀副総裁(当時)がいました。ノーパンしゃぶしゃぶ関連の引責で辞任したのに、復権をした総裁だったわけです。ですから今回、福井日銀総裁が村上ファンドに出資というニュースを聞いても、あぁあの人ならやるだろうな、というのが第一の感想でした。
投資ファンドへの出資は日銀にしろ、官僚にしろ、一切禁止されていないようですが、株式の取引を禁止乃至は制限されているような人々は、規則の理念からすれば当然の如く、投資ファンドへの出資も禁止乃至は制限されていると考えるのが当然です。李下に冠を正さずとは言いますが、村上ファンドは日銀の福井総裁が購入する確実なファンドと言う宣伝まで行っていたようですし、市場に携わる立場としては完全に失格ですね。
量的緩和によって大量の資金が証券市場などへ流れ込んできたわけですが、もしかしたら、福井日銀総裁は村上ファンドの運用を助け、自分の資産を増やすことだけを目的とした、私利私欲によって政策を決定していた可能性もあります。それを否定する材料は今のところ見当たらず、村上ファンドで儲けた日銀総裁という事実だけが横たわっています。ちなみに、国会答弁などでも福井総裁は村上ファンドを評価する発言を繰り返してきたようです。そりゃ自分の金を1000万円を預けているわけだから、否定的な発言をするわけが無いですよね。利害関係者ですから。
と、さすがにそんな事は考えたくも無いのですが、ただでさえ不信感から不安定化している日本の証券市場にとって、このような疑いを持たれる人物が日銀総裁をやって来た、そのことがすでに悲劇です。村上ファンドで儲けた多額の資産をどこかへ寄付し、とっとと引退されるのが日本のためだと思います。同義的罪に対する潔い決断こそ、後人の同じような過ちを防ぐことができる、最後のお仕事だと思うのですが。
と、ここまで先程書き込んだんだが、テレビを見ていたら、筑紫哲也が李下に云々といっている。俺もボキャ貧だな。反省しなきゃ。
15日(木)
色んな人に触れ回っているのですが、福岡の食材の安さは驚きです。来るまで知らなかったのですが、福岡って意外に農業県です。そして漁業県でもあります。加えて、長崎・佐賀・熊本・大分辺りも農業県・漁業県ですから、驚くほどに食材が安く入手できます。そういえば、夏野菜だなぁなんてすっかり忘れていたトマトは、6個で100円とかで売っています。時期の違いはあるとはいえ、つい3月までは1個100円のトマトを見慣れた身としては、かなり驚愕です。そして夏野菜と言えばキュウリ。4本で60円とかで売ってます。夏本番に向けて、もっと安くなっていくでしょう。しかし東京のあのキュウリ達は、いったい何だったんだろうか。。。トマトとかキュウリとか、好きですけど割高であまり食べなかった東京時代を考えると、ちょっと別世界です。
あと安さに驚くのは魚です。アジの開きとか、サバのミリン干しとか、ブリの刺身や、イカ素麺とか、タコの塩辛とか、とか、とか、東京と比べて半値〜3割安くらいで売っています。しかも鮮度は東京よりも遥かにいい。面白いことに、この辺りだと養殖物と天然物の価格差があまりありません。天然物が溢れ過ぎていて、あんまり希少価値が無くなってしまっているんですね。却って、商品のラインナップを揃えるための養殖物の方が、高いなんていう事態も生じてしまいます。変な世界です。地産地消とはよく言いますが、食生活の人間性は東京時代と比べてかなりアップしまして、かなり御満悦状態。スーパーで買い物するのが楽しくて仕方ないですよ。
そんな福岡へ来て、一番最初に良く分からなかった魚。それが「ヤズ」です。長崎産のヤズでした。これ、家に帰って来てから調べたところ、どうやら「イナダ」の事らしいんですね。って言う事は、ブリ-ハマチラインに連なる出世魚ですね。地方によって呼び名が違うなんて知りませんでした。で、このヤズですが、けっこうハマチに近いぐらいの大きさのものもいまして、これが安値でよく入手できるんですねぇ。ってな訳で福岡へ来てから、宮地の夕食にはこのヤズがよく登場しています。東京でスーパーで刺身を買ってとか、あまり採らない行動だったのですが、こっちではぜんぜんお手ごろ価格で夕食にお刺身ですよ♪
ちなみに、各地のブリ系の出世の仕方。もうバラバラですね。
関東:ワカシ → イナダ → ワラサ → ブリ
関西:ツバス → ハマチ → メジロ(イナダ) → ブリ
九州:ワカナゴ → ヤズ → ハマチ → メジロ → ブリ → オオウオ
あと飲食店ではこれと別分類で、養殖物をハマチ、天然物をブリと呼ぶ習慣もあるようです。確かにハマチと言われると養殖というイメージがありますよね。
16日(木)
そういえば年頭の今年の予想のところで書きましたが、福田元官房長官が総理になる可能性は限りなく0に近いと思っています。その考えは今でも変わっていません。マスコミなんかでは盛んに福田氏を推薦していますが、彼に総理をやる意欲があるとは見えないんですよね。理由は色々とありますが、まずは小泉後の総理と言うのは、多かれ少なかれ小泉的な国民からの支持を背景とした総理にならざるを得なく、福田氏の場合にはそれがほぼ見込まれない点。個人的にはあのシニカルな性格は好きですが、一般受けはしないでしょう。
しかし永田町村と言うところは変なところですから、先祖帰りしたように調整型の人物がトップになる可能性がある。ところが福田氏の場合は、自民党内で自分の子分を抱えたり、竹下登張りの決め細やかな気の使い方をしてきた人物でもなく、和を以て尊しとなすというタイプの政治家でもない。更には福田氏のキャリアは官房長官だけで、対抗する安倍官房長官と比べて抜きん出ていないばかりか、党職では幹事長を経験した安倍氏の後塵を拝しているんですね。マスコミがプッシュしている以外に、福田氏の利点と言うのが皆無と言う奇妙な状況に陥っているのです。
そして最も重要な点は、福田氏も安倍氏も共に森派であるという点です。安倍氏が総理総裁候補のトップであることは誰しもが認める中で、対抗馬として福田氏を担いで自分が甘い汁を吸おうとしている人達は、このまま福田氏に肩透かしを食らってしまった時には、他の御輿を担いでいる時間がなくなってしまうということです。つまりは、森派から3代続けて総理総裁を誕生させることを至上の命題として見てみると、福田氏は安倍氏の総理総裁就任を応援するために、はっきりしない態度で他の候補を牽制しているだけということになります。
上手い具合にマスコミが飛びつき、安倍氏嫌いのマスコミが福田氏一点に賭けて応援をしているおかげで、麻生・谷垣・与謝野などの他に総理総裁になりそうな人々に、殆ど焦点が当たらないと言う効果を挙げています。このまま福田氏が総裁選に出なければ、森派の描いた筋書き通りに安倍氏の実質不戦勝という空気が漂ってくることになるでしょう。ミモレットを片手に干乾びたチーズを演じた森派の面々ですから、3代続けて森派からと言う困難な総理総裁擁立に向けて、その位の準備をしていると思えるのですがねぇ。
19日(月)
先週末は経営史学会の関東部会で報告してきました。福岡へ赴任するなんて思いもよらなかったので、あまり深く考えないで報告を引き受けたために、関東部会で報告したわけですね。会場が南北線東大前駅から目と鼻の先の文京学院大学でして、東大の助手をしていたならばチャリで5分も走れば会場だったはずなのは笑えました。地理感があるとか無いとかの騒ぎではなく、駒場から本郷へ上がってから、10年近くを毎日のように通った道すがらですからね(苦笑)
でも福岡へ来て3ヶ月目も後半に入ってきたわけでして、4月5月に東京へ行った時には、まだ東京へ行くとホッとした安堵感に包まれていましたが、今回はそういう感覚は消えていました。だんだん福岡での生活に慣れているんでしょうね。でもまだ、福岡空港に降り立った時に、帰って来たぁっていう安心感みたいなものは沸いてきませんから、ちょうど東京生活をする自分と博多生活をする自分の、中間点みたいな位置にあるのかも知れません。と言うか、思っていた以上に環境への適応能力があるらしい自分に驚いています。10代の頃とは違うしと思っていましたが、環境に慣れるのは10代の頃とあまり変わっていないようで安心です。
慣れるで一つ、どうしてもまだ慣れない物があるのですが、それがテレビのチャンネルです。これがどうしようもなく不便不便で・・・12年間も東京に住んでいたおかげで、名古屋のチャンネル設定はほぼ消え去り、東京のチャンネル設定が基準になっていたので、東京から福岡の設定に切り替えればいいなくらいの感覚でいたんですよね。ところがところが、東京のを切り替えようとすると、なんと何処から沸いてくるのか、名古屋のチャンネルが頭の中から甦り、名古屋と東京と福岡のチャンネルがゴッチャゴッチャになってしまっています。たぶん問題は、NHKが福岡で3チャンネルになるんですよ。これが名古屋と一緒だから、酔っ払っていたりするともう混乱の極みになるんですよね。何とからならないもんだろうか・・・
21日(水)
そういえば13日の続きを。暗闇の中で福岡生活は始まったは良いとして、取り敢えずは何かが食べたい。ところが、右も左も分からない状況で、タクシーで直行してしまったために、コンビニが何処にあるかさえ全く不明だったんですね。ですけど現代って言うのは便利な世の中でして、郵便受けに宅配ピザの案内が入っていて、これで飢えを凌げることになりました。何とか空腹で外を彷徨うという事態は回避でき、暗い部屋の中でしたが食事は終了と相成りました。しかし、こうも明かりが無いと陰鬱としてくるので、仕方なく玄関の電気の傘と電球を取り外して、応急避難的に部屋の明かりとする。まぁ初日だから仕方なかろう。
と言うわけで、疲れたからシャワーでも浴びるかと風呂に向かったところ・・・冷たい。何処をどうひねってもガスがつかない。ってな訳で屋外のガスメーターを見たところ、新しく入居したときは、勝手にガス栓をひねらずに連絡をよこせとの通知が。マジ凹みましたけど、幸いに4月ですから、無茶苦茶汗をかいているのでも、心底体が冷えているのでもないので、致し方無しと言うことで、汚いまま夜を迎えることになってしまいました。しかも、宅急便の到着を4月2日指定にしか出来なかったために、布団も毛布も無く、空港で入手した新聞紙を被って夜を明かすことになったのです。侘しかった。。。
翌朝はカーテンが無いので、日光を直接受けながら目を覚ましましたが、まずはガス会社に電話。当然電話線も未だなので携帯から電話ですが、携帯が無い時代だったらどうなっていたんだろうと身震いをしながら。で、電話をかけたところ・・・4月2日は日曜日でした。留守番電話です(呆然)もうあきらめて、水を絞ったタオルで体を拭く。髪も水で濡れたタオルで拭く。ちょっと泣けてきた。
でもまぁ凹み続けている訳にもいかないので、腹ごしらえをしにお店探しに出かけたところ、ちょっと行った所にセブンイレブンを発見。これで食は確保される。で、続いて難問は駅探しなのですが、一応は貰っていた地図があるので、それを片手に散策に出かける。そうしたら、迷い迷いですが何とか最寄り駅といわれる駅へたどり着くが、これが宿舎から遠い遠い。でもまぁ覚悟を決めて箱崎までの定期券を買う。で買ったついでに博多駅までちょっくら行くことにする。何をするためかって?そりゃ勿論、電気の傘を買うために(苦笑)博多駅のアナウンスのお姉さんに聞いたら、なんと駅前にヨドバシカメラがあるとのこと。もう直行して、電気の傘を3つも買っちゃいました。当然宅配を頼んだので、2日目の夜も暗いことになるのですが・・・とこの続きはまた後日。
23日(金)
九大に来て戸惑っていることが一つあるのですが、それは先生と呼ばれることです・・・古い友人などが「先生」と呼んで来るときは、基本的にふざけて馬鹿にしているだけだから良いのですが、真顔で「先生」と呼びかけられるようになってしまいました。「先生と、呼ばれるほどの、馬鹿でなし」とはよく言ったものですが、この環境を普通に感じるようになってしまったら人間おしまいですね。この違和感を、いつまでも忘れずにいたいものだと思っています。
ところで「先生」をキーワードに古い話を思い出してしまったのですが、本郷に上がって最初の頃に、日本史では合宿があるのですが、そこで日本史研究室の様子を4年生や院生の方々からレクチャーされつつ、親睦を深めると言う場があるんですね。そこでの飲み会か移動かの時なんですが、今は某女子大に就職されたC大先輩から、○○先生という表現の仕方は良くないと諭されたんです。本人はもう覚えていないでしょうが。
どういう意味かと言うと、例えその人が高名で優秀な研究者であろうとも、そして自分が1学生であろうとも、研究という土俵に立てば議論を戦わせる相手なんだと。それなのに、先生と常日頃呼んでいたら、研究上の対等な会話が出来なくなるという叱咤でした。○○さんと呼べ、○○さんとということです。今となってはもはやそうするのが癖になってしまいましたが、駒場から本郷へ上がった直後にこれを聞いた時は、本郷って言うのは学問に対してなんて厳粛で真摯な場なんだろうかと、チョッと感動した記憶が残っています。
ちなみに面と向かって会話している時を含んでいたのか、いないのかまでの記憶はありません。しかしまぁ面と向かっての会話のときすらも良くないという人もいますが、研究上の立ち居振る舞いと礼節とのバランスで、僕は直接話すときは敬意を表すべきだと思っています。でも、自分は宮地先生じゃなく宮地さんと言われたいから、矛盾をしているかもしれないですが。。。
24日(土)
九大というか福岡へ来て戸惑っていることがもう一つありまして、それは日の出日の入りの時刻です。いや、東京にいた頃は殆ど意識したことは無かったのですが、日本って言うのは思っている以上に東西に長いんですね。名古屋−東京間の移動の時には殆どこの東西の差というのを意識したことが無かったのですが、福岡まで来てしまうとこの東西の差が意外なほど大きいんですよ。
で、誰に聞いたかは忘れてしまいましたが、福岡と東京ではだいたい3−40分ほど、日の出日の入りの時間がヅレて来るとのことです。ちなみに東京の京の日の出日の入はそれぞれ4時26分と19時01分ですが、福岡の日の出日の入りはそれぞれ5時09分と19時32分になります。日の出で43分、日の入で31分遅いんですね。で勿論、日の出の後まで淡い空色が続き、日の入の前に夕焼けが広がっていきますから、実際に生活している時間でもけっこうこの差って言うのが感じられます。
朝ちょっと早めに目覚めてしまうと、まだ空が薄っすらとしていて、飲み明かして帰ってくる酔っ払いみたいな気分になりますが、朝はまだいいんですよ朝は。問題は夕方でして、18時とかに飲み屋に向かっていても、東京だとそれなりに夕方っぽくなっているのですが、福岡だとまだ昼の日差しが残っています。これがどうもいけない。
確かに飲みに行くのは好きなんですが、東京にいる頃には自制をしているラインと言うのがありまして、基本的には明るい時にはアルコールを入れない、って言うのが目安だったんですね。ところがところが、福岡では普通に明るい時間から飲み会が設定されてしまう事になりまして、何か特別な事があった訳でもないのに、お天道様を横目でにらみながら乾杯するなんてしょっちゅうです。18時過ぎているんだから、時刻的にはそうなんだけど、体感的にどうも違和感が抜けないんですよね。
27日(火)
福岡へ来て3ヶ月も経っているので、そろそろ福岡のお勧めの店の紹介でも。お勧め第1号は「うわのそら」というお店です。住所は春吉3丁目12-24-2-1でして、天神の方から国体道路を三越を背にして大丸エルガーラ→三光橋→福銀と歩いて5分ほどです。とどろき酒店という酒屋さんが経営しているお店でして、美味しい酒をいかに美味しく飲ませるかというこだわりを持ったお店です。価格帯は飲んだくれ1人5000円〜7000円くらいでしょうか。お酒は普通の価格ですが、こだわりの肴がチョイ高めです。
そこでこだわりの肴の話となるのですが、僕が行った時には五島列島で採れたクジラが美味しかったぁ。名古屋・東京ではあまり味わうことが無かったクジラですが、福岡ではけっこう頻繁に目にするもので、ちょくちょく食しています。しかしここのクジラは格別でした。脂の旨味などは他の水準を遥かに凌駕しており、是非とも此処でクジラを食べて貰いたいものです。しかも、さえずりのような一般的な部位から、胃やノドといったちょっと変わった部位まで、色々と賞味できるのも嬉しいところです。
その他にも、コノワタの塩辛や、鰆の塩焼き、マナガツオやコチの刺身などなど、お酒が美味しくなるための肴を色々と頂きまして、お店側のこだわりもかなり感じ入りました。今のところ、誰か遊びに来たら連れて行ってみたいお店の筆頭でしょうか。ただ、お酒の方には少々不満が残りまして、20種類ほどしか日本酒が置いていないんですね。まぁ、最近は焼酎と両方置くから、どうしても銘柄数が少なくなりがちですが、酒屋の直営って言うんですから、もうちょっと酒の数にもこだわって貰いたいところです。