2006年11月 |
6日(月)
高校の世界史の単位が云々で世間は騒がしいのですが、そういえば東海も、始業式や終業式なんかが、体育の授業や音楽の授業にカウントされていたっけ。あれももうやっていないとは思いますが、厳密な意味で言えばルール違反でしょうね。しかし、週休二日制を取り入れてしまった関係で、昔以上に入試科目をキッチリと教える時間っていうのは減っているのに、緊急性の薄い科目をやれっていうのもどうかと思いますけどねぇ。
そもそも高校で世界史が必修になっているのは、中学で日本史はある程度学んでいるから、高校では世界史をという話らしいです。しかし、高校でやる世界史っていうのは、暗記量が多いですからねぇ。受験の邪魔になって迷惑だっていうのは、まぁそうでしょうね。僕みたいに日本史・世界史で受験した人間からすれば、そう多くも無いとは思うんだけど、普通は社会科は1科目だけ学べば良いだけですから、余分なものだと思えば多く感じることでしょう。
個人的には、大学の入学科目を減らすっていうのは反対でして、理系ならば理科は2科目、文系ならば社会は2科目受験して当たり前だと思いますし、大学に入った後のことを考えても、そうあるべきではないでしょうかね。前々からの主張ですが、何でも負担を減らせば良いっていう、文科省のスタンスは、日本国力を削ぐだけの愚かな行為だと思います。数学に関する調査ですが、数学嫌いが多い日本の方が、数学好きが多いアメリカよりも、数学の点数が上だったとか。最低限のレベル上げっていうラインの話ならば、好き嫌いよりもとにかく勉強させた方が良いでしょう。それ以上を語る時は、好きであることが重要になってきますけどね。
しかし今回のに話を戻すとして、自殺する校長先生まで出始め、どう考えてもちょっとヒートアップしすぎですねぇ。どうせ今の高校生より上の世代は、一定程度必修科目数を守っていない人たちが存在するんだから、目くじら立てずに、卒業後の補修とかも含めて、微温的な方法があるだろうに。高校の単位取ることなんて、殆ど何にも意味が無いとまでは言わないが、そんな大騒ぎをするような問題なんだろうか。。。世界史の単位が足りないなら、〈世界遺産〉か〈世界美術館紀行〉でもボーっと見てれば十分でしょ。
7日(火)
そういえば、九大に赴任したということで、秀村選三さんに会う機会があったのですが、お前は何者だという話に当然なるわけですよね。で、分からないだろうなぁって思いつつ、谷本雅之っていうのの弟子ですって説明して、当然分かって貰えなかったので、原朗っていうのの弟子の谷本雅之っていうのの弟子ですって説明したんです。お年を召した研究者には、大体これで説明するようにしています。中村隆英さんとか、三島康雄さんとか、今までは大体これでどんな人にも理解されたので良かったのですが、なんとこれでも秀村さんにはどういう奴か分かって貰えなかったんですね・・・
という事で、安藤良雄っていうのの弟子に原朗っていうのがいて、その弟子に谷本雅之っていうのがいるから、さらにその弟子が自分になりまして、要するに安藤良雄のひ孫弟子っていうことになるんですよって説明したら、おぉお前はそういう奴なのかって、アイデンティファイして貰えました。何よりです。しかし僕を、安藤良雄のひ孫弟子と認識したのは、秀村さんが初めてだな。困惑してひねくり出すまで、自分でも認識していなかった。。。恐るべし。さすが宮本又次の九大時代の弟子だけありますね。
10日(金)
前にも書いたかも知れないけど、好きなジャーナリストの一人に毎日新聞の岩見隆夫がいます。彼がまた核議論に関していいコメントを書いていたのでそれに則りつつつらつらと。北朝鮮の核実験によって、東アジアの核ドミノが懸念されるのは、別に麻生太郎や中川昭一がコメントしようがしまいが関係ない話であって、技術的にも経済的にも可能な日本は、常に核武装の懸念を国際社会から持たれている存在だっていうのは、大前提として踏まえておく必要があるでしょう。だから、議論をするから国際社会に懸念が広まるっていう認識は、根本的に間違っています。
ところで、麻生中川両氏ともに、核武装をすることが目的ではないと最初に述べているように、議論をしたって核武装が落とし所なんて全く考えてもいないでしょう。そうではなく、核を持たないという選択をする日本が、如何にして国防を考えるべきかっていう、そういう問題提起な訳でして、「議論をする=核兵器を保持する」と勝手に変換してしまうような、未熟な議論をする人たちは、もうチョッと冷静になるべきだろうと思います。特に、言論で生きているであろう、与野党やジャーナリストの中に、こんな暴論を述べている人がいるかと思うと情けなくなってきます。
岩見隆夫は石破茂なども引用しつつ、「原則を堅持すると安全につながるという空気は(中略)錯覚だ」と懸念していますが、まさしく此処がポイントでして、核を持たない上でどうやって安全を担保するかという、そういう議論までもを封じてきたことが、戦後日本の無責任の最たるものだと思います。議論をすれば、今の日本が、核兵器を保持すると言う結論には絶対に達し得ないと僕は考えますし、ドシドシ議論をして、核兵器を持つメリットとデメリットを並べて、正々堂々と核は持たないと言う結論に達すべきだと思うんですけどねぇ。議論を封殺する意見を述べる人たちは、いったい何を恐れているんだろ???
15日(水)
先日の土曜日には、再び熊本へ行って参りました。今回は社経史の部会だったのですが、それを利用して前回回らなかった熊本城観光も。こちらも15年前の高校の修学旅行で訪れているのですが、意外とこちらの記憶はあまり残っていないんですね。稲川淳二と細川隆一郎が何かの取材でいたことばかりが印象に残って、せっかくの城の記憶が薄いとは(苦笑)ちなみに細川隆一郎は、廃嫡された細川忠隆、つまりは細川ガラシャの血脈を受け継ぐ子孫ですが、妻の千世(前田利家とまつの娘)との間には子どもができず、側室との間の子孫なのが残念なところです。
話を戻しますが、前に来た時には見られなかったのですが、宇土櫓と呼ばれる西南戦争時の火災で焼け残った櫓が、修復を終えて中に入って見学できるようになっていたのは良いですねぇ。天守閣なんかよりも、こっちの方がよっぽど見応えがあります。熊本は地理的な関係で、常に風は西から東に向かって吹いているようで、天守閣の西に残るこの櫓は、当時の城が如何にして外敵と戦おうとしていたのかを、まざまざと見せ付けてくれます。チョッと武者震いしてしまいますよ。
あと、築城400年を記念して本丸御殿大広間を復元中でした。広大な畳張りの大広間がどのように復元されるか、また襖や欄間などがどう復元されるのか、非常に興味があるところですが、また来年以降も熊本なら部会や何やらで何度も行くことになるでしょうから、楽しみにしたいところです。でもまぁ、水前寺公園と熊本城という2大スポットを回ったから、次からはもうチョッとマニアックな所を観光することになるでしょうね。
そういえば来月は小倉で所用があるから、久しぶりに小倉見学かな。
20日(月)
昨日は福岡市長選挙だったわけですが、現職の山崎広太郎市長の落選という、いたって平凡な結果に終わりました。市民の7割が反対するオリンピック招致なんかに1人で嬉々として邁進し、しかも5億円も無駄金使ったりする。それに合わせて須崎埠頭っていうところの大規模土建工事を主張してみたりする(しかも市財政の大赤字が問題にされているにもかかわらず)。記憶に新しい市職員による幼児3人死亡の飲酒運転事故の時には、副市長にまかせっきりで、自分は趣味と実益のオリンピック招致に奔走する。
こんな状況で再選できたら、ある意味凄いと思うくらいの暴走っぷりでして、自民党と公明党もよくもまぁ推薦を出したもんだと、そちらの方に驚き呆れたくらいです。最初、自民党や公明党が逡巡していたところを、山崎拓・古賀誠などが推薦を出すように主張して、それで推薦という運びになったようですが、自民党内での彼らの影響力もより弱体化することでしょう。しかし、それでも思った以上に山崎票が入っていたので、意外と福岡っていうのは保守バネが働くところなんだなぁっと、イメージとの違いに驚いています。
勝った民主党の吉田宏新市長の方は、最初は候補者乱立で反山崎広太郎票が分散していた所を、民主党推薦を全面に出して、山崎広太郎の対立候補は自分なんだっていうアピールが上手く、それで反山崎広太郎票を集めることができたのが勝因でしょうね。途中までは、いったい誰に投票したら死に票にならないのか、混沌として曖昧模糊な状況でしたし、作戦勝ちです。しかし、福岡の選挙っていうのは静かでしたねぇ。文京区や東京都なんかと比べて、ほんと騒音が撒き散らかされず良かったのですが、運が良かったのかこんなもんなのかは未だよく分かりません。
21日(火)
大石嘉一郎氏がお亡くなりになりました。8月中から体調をかなりお悪くされていたと言うことは、小耳に挟んでいたのですが、昨今の寒暖の変化もあったのでしょうか、残念です。地主制史研究、産業革命期研究、戦間期研究、自由民権研究、地方史研究などなど、日本経済史における大石さんの影響力っていうのは、測り知れないほどです。山田盛太郎以来の講座派の伝統を受け継ぎつつ、それを労農派・宇野派との議論を踏まえて、より実態に即した一段上のレベルへと引き上げたのが大石さんの役割でして、まだまだ教えを請いたいことはたくさんあったのですけどねぇ。
と言いましても僕にとっては、基本的には武田ゼミで大石本をテキストに学んだっていう、間接的な影響っていう部分が大半なんですが、一度だけ勉強会で御一緒する機会がありました。大石さんに、高村直助、石井寛治、中村政則なんかが大内力『日本経済論上』の新版を読書会する時の、末席に連なって議論を聞いていたのですが、産業革命の研究の時もこんな研究会だったのかぁっと、興味深く見ていました。本当は、それを本格的な勉強会にするはずだったようですが、直後に病に倒れられてしまい頓挫してしまったのは、僕としては甚だ貴重な機会を逃したもんだと悔しかった覚えがあります。
そういえば、『UP』の10月号に石井さんが大石嘉一郎『日本資本主義百年の歩み』をテクストに、若き研究者へと色々と語って貰ったのをベースに、加筆修正された文章が出ていますが、この時は日程的な都合でどうしても福岡を離れられず、後から録音CD-Rだけを聞いたのですが(早稲田の斉藤さんが文章を起こしてくれまして、それで石井さんの文章へと連なっているんですね)、石井さんの文章は大石さんにも届ける事が出来たようでして、石井さん経由ではありますが、それは若い世代からのお見舞いにもなったでしょうか。大石さんの研究自身も当然時代的制約がありますから、我々が乗り越えなければならない部分っていうのはあるでしょうが、今はただただ御冥福をお祈りするばかりです。黙祷。
27日(月)
東京は寒かったですねぇ。どうも風邪ひいてしまいました。最高気温が14度とかで、東京の秋はこんなに寒かったんだろうかと、もはや異邦人状態でした。ホテルの部屋が乾燥していたのも良くなかったなぁ。浴槽に水を張って、湿度を維持するんだったと反省中・・・福岡に戻って、19度、20度の世界に浸かると、コートを着たときの暑さに驚いてしまいます。しかし、意外と東京の銀杏は色付いていなかったので、あれでも例年よりは暖かいんだっけ?もうよく分かんなくなって来てしまいました。。。人間の体感なんてそんなもんなんだな。
ところで遥か前に書いたネタの続きなんですが、最高裁判決でついに入学辞退者が払ったお金の取り扱いが決まったようです。で、前々から僕が主張していたように、入学金は入学の権利に対する支払いであって、辞退しても返金はされない。授業料は入学後のサービスに対する支払いであって、辞退した場合には返金される、って言うことになったようです。いたって当たり前の判決でして、各大学はもう対応も終わらせていることでしょう。しかしそうすると、入学金の増額+1年目の授業料の割引っていうことで、法の穴を潜る対応をする所も出たりするのかな?チョッと観察に値しますね。
30日(木)
今日は資料館らしい話でも1つ。先日受け入れたとある資料群を整理している時に、まぁ何処にでもあるものだからと、あまり力を入れずに整理していたのであるが、数十年前に梱包されたまま、全く手付かずの資料が・・・で、新品同様のものが登場したものの、やっぱりそれも綺麗なだけで、まぁ行く所に行けばあるだろうっていう代物だったんですね。近代の資料整理なんて、大半はそんなものです。
ところが、ふとその梱包されていた紙類を見たところ・・・九州大学新聞とか書いてあって、へぇでもそれって大学文書館の範疇だよなぁとか思いつつ、捨ててしまうのも何なので、大学文書館の方へ問い合わせをすることに。すると、ちょうどその頃の年度の物が無いとかで、糊付けされているから汚いものだったのですが、持って来て欲しいと言うことで助手さんにお願いして届けて貰うことに。中世とか近世の文書だと、襖の裏がどーだこーだとか、商品を包んでいた紙があーだこーだとか、耳にしたことは何度もあるのですが、近代文書でもそんな体験が出来るとはちょっと感動でした。