2007年3月

1日(木)
 もはや東京都民ではないのですが、元都民として都知事選挙が野次馬的に興味があります。まだ決定的ではないようですが、浅野史郎前宮城県知事が出馬するとかしないとか。元々が厚生省出身のお役人さんですから、内務官僚時代の感覚で、全国の知事を歴任して回ることとかに違和感が無いのかも知れません。しかし、現代の感覚からいくとどうなのでしょうかねぇ。また現代という時代性のみならず、他の道府県と、東京都民の感覚というのは別物ですしね。

 宮城県知事を3期務めたということは、政治家としては利点でしょうけど、東京都知事の候補としてみると果たしてそうと言い切れるかどうかは微妙です。磯村尚徳を小沢一郎が担いだ時には、岩手県民が東京都の話に口を突っ込むなと大批判されたように、基本的に東京都民は地方からの干渉を嫌いますからね。前宮城県知事という肩書きがプラスになるのか、マイナスになるのか、それがいまいち分からない。ただ1つだけいえることは、勝手連という名で集まっている人達に、都民では無く全国津々浦々からの面々が見られますが、あれは東京都民が一番嫌うことでしょうね。もし都民以外の人で応援したいならば、基本的には黙っているのがベストかと。余所者が騒げば騒ぐほど、票は減っていくと思われます。

5日(月)
 国語審議会で決まったとか前にニュースでなっていた、敬語の指針なるものが大学から添付ファイルで送られてきたので、ボーっと眺めていたのですが、あまりにも面白くて笑っちゃいました。謙譲語が相手を上げて自分を下げる場合と、単純に自分を下げる場合に分けられていたのと、丁寧語がです・ますと接頭の「お」で分けられていたのと、従来の尊敬語は尊敬語のままで、結局5つになったんですよね。で、ここまではニュースでも聞いていたので大体知ってはいたのですが、面白いのはこっから先です。

 尊敬できない、目上の人にも敬語は必要か?という内容の項目があります。その回答は、人間的に尊敬できなくても、地位やポストに対して敬意を払う必要があるというもので、まぁそりゃそうだが、そんな事を審議会でまじめに話し合っていたかと思うと馬鹿馬鹿しくて笑えます。しかも、敬語は他人に敬意を表すためでなく、敬語が使えるという社会人の常識として使ってくださいって、そんなこと言ったら身も蓋も無いと思うんだが・・・まぁ現実はそうかも知れないけど、尊敬しているから敬語ですっていう建前くらいは守ろうや(苦笑)いったいどれだけ率直な答申やねん!

 続いて、敬語には地域差があるという部分。方言敬語は全国共通後の敬語と比べて多様であるので、留意が必要である、って書いてあるんだけれど、いったいどういう留意をしろって言うんだ?今福岡にいるから、博多弁の敬語を理解しろということなのか、例題が関西弁だが、関西弁の敬語くらいは知っておけという事なのか、日本人たる者、全国津々浦々の敬語に対応すべきということなのかよく分からない。端から見ていると、京都弁は大阪弁の敬語に聞こえるんだが、多分違うだろうし、方言敬語に留意するなんてほぼ不可能だと思うんですけどねぇ。1年いても、博多弁の敬語なんてよく分からないし。

 と、かなり笑えます。そこらのバラエティ番組見ていたり、ギャグ漫画を見ているよりも、よっぽど腹抱えて声に出して笑えます。笑いに飢えている人は、是非とも敬語の指針をご一読を。只ですし、損はさせません。

7日(水)
 記録資料館が箱崎のキャンパス内で微妙な移転をするので、今日は移転のためのダンボール数や棚数の調査を行なっていたのですが、こんな日に限って雪がちらつくほどの寒の戻りでして、本当に寒かった・・・あまりにも暖かい日が続いた関係で、冬物のコートをクリーニングに出してしまっている身としては、春物のコートとクリーニングに出し忘れたセーターとに包まって、ちょっとは厚着しているものの、やはり冬物コートと比べると寒い・・・一度に2着ともクリーニングに出すんじゃなかったと、本当に反省中。でも、セーターまで全部クリーニングに出して、冬物収納とかいう暴挙を考えないで、本当良かった(苦笑)

 話は戻りますが、キャンパス内での微妙な移転によって、ようやくと近世資料を扱う九州文化史部門と、近代資料を扱う産業経済資料部門が、同一の建物に入れるようになるので、利便性はアップしていくと思います。けっこう九州文化史部門にも近代史の書籍はあるし、産業経済資料部門にも近世経済史の書籍があるので、お互いの図書・雑誌が一括されるのは特に便利ですね。でも利便性が増して利用者が増加すると、人員不足感が強まるであろう事が予想されるので、それはそれで良し悪しなところもありますが。。。

11日(日)
 たまには教員らしい話でも。昨今の大学事情では、セクハラ問題だとかアカハラ問題には非常に気をつけなければいけないのは周知の話でしょうが、それではどうやって対策を採るかとなるとなかなか難しい。僕の研究室は昭和の頭に立てられた建物なので、当然の如くガラス張りなんていうオシャレな構造にはなっておらず、扉も木の頑丈なもの。と言うわけで、院生の指導をする時などは、扉を開けて、ソファーとソファーの間にテーブルも置いて、極力接近しないようにという配慮もしてやっています。しかし、春秋は良いですけど、廊下が夏は灼熱ですし、冬は厳寒なので、扉を開けっ放しというのはなかなか辛いんですよね。。。でも他に対策が思いつかないしなぁ。

 さらには、お酒の席で暴言はいたり、セクハラを起したりしても大問題なので、基本的に院生がいる場では、焼酎をかなり薄く水割りにして飲んでいます。焼酎ロックや日本酒を飲むと酔う可能性が高いですからねぇ。学生時代にはそんな事を考えたことも無かったですが、何か不祥事を起してしまったら、すぐにニュースにされてしまうでしょうから、どんなに気をつけても、気をつけ過ぎって言うことは無いと、けっこう戦々恐々としています(苦笑)今になって思うんだけど、大学院生の共通科目とかで、将来研究者になった時のためのアカハラ・セクハラ講座とかを必須にした方がいいよなぁ。とりあえず、研究室と酒宴は気をつけているけど、あとはもう感覚で対応する世界ですからねぇ。

12日(月)
 本日、東京大学大学院経済学研究科から、2月21日付で博士(経済学)の学位を授与するとの通知を頂きました。前もって谷本さんには聞いていたのですが、文書で送られてくると感慨深いものがあります。と言うわけで、3月22日の学位授与式では東京へ行くことに。まぁ、学位授与式だけじゃなくて、記録資料館用に資料蒐集も兼ねて行くんですが、年度末なので当然東京まで行く経費が残っているわけもなく、こんな機会ですから貯まったマイルを吐き出しての東京行きです。ANAがちょうど2割引でマイルを使える期間中でして、12000マイルで福岡-東京を往復できるのが嬉しい限りです。とってもラッキー♪

 ところで、学位を貰ってしまったのでプロフィールを書き加えたのですが、これでもう学歴の欄は書き足すことは無いんだなぁって思うと、ちょっとセンチメンタルになります。助手は勿論、福岡へ来てさえも、なんとなくまだ駒場の門をくぐった侭だったような気がしますけど、何だかひと段落付いてしまった寂しさがあります。そもそも、卒業式も修士の修了式も、総長のツマラナイであろう長話がかったるくて面倒くさいので、式典の後の飲み会だけ参加していた身としては、しかも他の学年の時も残ったビールを漁っていた身としては、13年間なんの区切りも無かったんですけどね。そんな中、授与式に出るのはこっ恥ずかしい気もしますが、僕よりも両親の方が喜んでいるので、親孝行かなぁっと思って恥を忍んで安田講堂から参加予定です。

 博士の学位に関しては、そのうち〈研究者を目指す人へ〉に書き足すつもりですが、先輩方が作り上げてきた経済史の学位の価値を、落としてしまったのではないかと既に反省しきりです。図書館でバイトをしていた関係で、暇な時間に色んな人たちの博士論文を眺めてはいましたが、あそこに並べられると明らかに見劣りするので、そのうち潜り込んで焼却したい気分で一杯ですが、博士論文は国会図書館にまで収蔵されてしまいますから、東大を放火しても無駄なんですよね。しかし何はともあれ、嬉しいと言うよりもホッとしたという安堵感で一杯です。こういう気持ちになるとは、ちょっと予期していなかったのですが、これで一つプレッシャーから解放されました。

18日(日)
 岡本幸雄〈士族授産と経営〉は無事に終わり、次の読書会では佐々木淳〈アジアの工業化と日本〉を取り上げることに決定。せっかく織物だから、その次は織物繋がりで橋野知子〈経済発展と産地・市場・制度〉を取り上げようと早くも内定。年度末は出版が相次ぎますので、取り上げる本には困らないのですが、他にも取り上げたい本が幾つかあって、それはそれで大変だなぁなんて話していました。
 
 しかし岡本さんの本を読みつつ、松方正義は歳出カットとは言っても、意外とまだまだ多額に、困窮士族対策の資金のばら撒きは黙認していたんだなぁと、地方官→内務官僚と歩んできた松方正義という政治家の、苦渋の判断みたいなものを勝手に行外に読み取っていました。困窮士族って、明治政府のメンバーにとってみれば、やはり色々と思いはあったんでしょうねぇ。薩摩藩の士族とかだと、かなり下層までも警察官などで採用されていますけど、それ以外の藩の藩士に対し、同情なのか不満解消なのかは微妙な所ですが、まぁあれですねぇ。

 そういえば、ちょうど20日から東京国立博物館にダ・ヴィンチの〈受胎告知〉が来ているんですねぇ。でもとっても混んでいそうなのでなんなんですが、行けたら行きたいなぁっと思案中。

20日(火)
 先日新聞を見ていたら、経済財政諮問会議が国立大学の運営費交付金の配分に、競争原理を持ち込めとか言い出したらしいのですが、運営費交付金というのは学生数+施設等に対して出ているお金であって、研究費とかとは何の関係も無いのですが・・・地方国立大学廃止が目的であって、その手段として主張されているんでしょう。九大は多分ですけど、潰されることは無いとは思いますが、というよりも新聞によると配分額が増えていましたが、九大が残ればいいっていう問題でも無いと思うんですよね。

 そもそも地方の国立大学っていうのは、その地域の製造業なんかへ技術者を送り込むための重要な役割を持っていますし、主婦を生み出すにしても地方における文化水準を底上げするために、必要不可欠なインフラ機能を果たしています。教育は国家百年の計と言いますが、若者を地域から引き剥がして、すべて大都市へと集中させてしまったら、地域格差は広がっていく一方になると思われます。大学進学で、地方から東京へ出て行った人間が言うのも何なんですが、それが果たして本当に美しい国なんでしょうかねぇ。

 勿論、さすがに47都道府県にすべて、かつ医学や県立やも含めて必要なのかという議論は当然で、少子高齢化社会に即した国公立大学の統廃合は視野に入れるべきだとは思いますが、それでもやっぱり大学ってインフラですよ。教育インフラを破壊してしまったら、人づくりも国づくりも後退するでしょうに。あまりにものビジョンの無さに泣けてきます。

 ではではしばし東京へ。

29日(木)
 東京へ行った際のホテルが乾燥していたために、のどにウィルスを貰ってしまったらしく、チョッと苦しんでいます。最初は大したものでも無かったので、普段通りに友人たち等と飲食を繰り返しているうちに、次第次第に悪化してしまいまして、最悪時は唾を飲み込むのにも痛みが走るほどの状態で、観念して病院へ行ってきました。のどが痛いから、正露丸を喉に貼り付けたんですが、これがいけなかったらしく、一気に悪化してしまいました(涙)正露丸は喉に入り込んだウィルス退治には、全く効き目が無いみたいです(号泣)皆さんも気を付けてくださいね。

 病院では、血液検査やらエコー検査までされて、リンパ腺にウィルスが入っていますが、癌とかではないので安心して、抗生物質を飲んで大人しくしていろという御指示が…とは言いましても、季節柄送別会等も多いので、あまり気にせずアルコールは入れていますが、アルコールを入れると抗生物質を飲めなくなるので、回復は徐々にっていう感じです。しかしそれでも、最悪事に比べると痛みは減ってきまして、唾を飲み込んだくらいで喉が痛いということはなくなりました。刺激物以外は、もう大体大丈夫です。

 それにしても、ホテルっていうのはどうしてあぁも乾燥しているのでしょうか。ホテル全体が空調を入れ過ぎているんでしょうかねぇ。加湿器とか態々頼むのも面倒なので、あまり気にしたことは無かったのですが、今年度で結局2回喉を痛めているので、出張でホテルを使うことが多い身としては、加湿器をお願いするようにした方が良いかなぁっと思い始めています。他の皆さんはホテルに泊まるときは、いったいどうしているんでしょうかねぇ。1回目に喉を痛めた時はすぐに治ったので、今回はあまりにも気に止めなさ過ぎたと大反省です。

30日(金)
 さて、そういえば東京での話でも1つ。全体での学位授与式の時に、古田元夫さんが学事報告なんかを行なっていたのですが、そこで、OBOG意識って言うのを持って欲しいという感じで、ホームカミングデーのアピールや、寄付金なんていうのも受け付けていますだとか、けっこう私学っぽい事を話していたのが印象的でした。東大出身者って、あまり東大出身であることにアイデンティティを感じない人が多かったはずなのですが、国立大学法人になって変わっていくのでしょうか。まぁ、佐々木さんが変なガウンを始めた辺りから、なんだか陳腐化していっていますが、それでも3割くらいは着ていたので、一定の需用はあるんですねぇ。僕みたいなひねた人間には、どうもあぁいうのは。。。

 学位授与式といえばもう一つ、小宮山さんの祝辞もちょっと笑ったのですが、最初は研究を登山に例えて、一歩一歩コツコツと上って行けと祝辞らしい祝辞だなぁって思いながら聞いていたのですが、たまにはヘリコプターで登山してみるのも必要だとか言い始めた辺りから、なんだか摩訶不思議な祝辞になってしまいました。蛸壺化すること無く、大局を見ろという願意なのですが、ヘリコプター登山はあまりにも比喩が下手糞すぎるだろという感じでして、比喩が下手糞な人は無理に例え話をすること無く、直接物事を伝えた方が良いよなぁっていう、いい教訓になりました。そういう意味で総長にまでなる人の祝辞はやはり意義深いもんです。

 続いて経済の授与式では、植田さんから、金銭的に満たされることを捨てて研究者の道に入る人たちはと、ぶっちゃけたメッセージから入ったのが何よりでした。博士の学位と修士の学位が、同じ会場で授与式だったのですが、切実感があまり無い修士約60人と、身につまされる博士11人(1人欠席)との、空気の違いがさらに笑いを誘いました。あと名誉教授からの祝辞っていうことで諸井勝之助さんが来ていたのですが、この年になってもLEC大学院で働かせて貰っていますということで、おいおい大丈夫なのか?と皆で心配をしていました。変なことに巻き込まれないことを祈念するばかりです。

 まぁ、だいたい学位授与式はそんな感じで、いたって普通だったのですが、翌日は上野へ〈受胎告知〉をメインとしたダ・ヴィンチ点を見に行ってきました。意外と空いていましたねぇ。今回の展示のテーマは、画家としてではなく、科学者としてではなく、ダ・ヴィンチという天才の思考の体系を味わおうというものでして、写実性や運動の法則、筋肉や遠近感などのすべてと、それが体現されている絵画という位置付けでの展覧会でした。そういう意味では、体系が解説されている第2会場で学び、〈受胎告知〉の第1会場でそれを堪能するというのがベストな観覧の仕方でしょうか。