2007年4月

1日(日)
 福岡へ移住してきて1年が経過しました。早かったような、短かったような、って一緒か。東京で最初1年生活した後って、もっと東京のことを知っていたような気がするから、やっぱり10年以上前と比べて行動力が落ちているんでしょうね。でもまぁ、福岡はコンパクトに纏まっていて住みやすい街なので、それなりに遊びに来た友人・先輩などを案内できるくらいにはなっていますが。人口も名古屋よりも100万人くらい少ないですし、ほんとコンパクトです。

 ところで、3月31日をもって助教授を終わりになり、准教授となりました。内実は何も変わらず、ただただ名前が変更されただけなのですが、色々と書類の書き換えなんかもあって面倒です。でもまぁ反対に言えば、1年間だけですけど助教授を体験できたのは良かったでしょうか。名前だけならば、准教授よりも助教授が格好良く感じるのは、単に慣れの問題だとは思いますが、准とはまた使い慣れない文字を持ってきたものです。准三后とかあとは軍事関係くらいしか普通は見なかった漢字でしょうね。

 より正確にいうならば、小講座制に適合的であった教授を助ける助教授という概念から、大講座制の教授とは独立して研究を行なう教授に准じる立場へと変更されるのですが、実態は遥か昔から教授に准じる助教授だったので、法律と名称を実態に合わせたというだけの話です。全国的に名称変更となっているので、皆さん名刺の変更で大わらわなことでしょう。僕も昨年度末で助教授名刺をほぼ配り終わっていまして、今年度頭から早速准教授名刺を使うことが出来ます。

2日(月)
 新年度っていうのは色んなことが起こりますが、風呂上がりに髪を拭いていたら、バスタオルが左の眼球に直撃して、その弾みでコンタクトレンズがどこかへ飛び去ってしまいました。。。14年間くらいコンタクトを使っているのですが、何かに触れた弾みでレンズが飛び出すというのは初体験でして、こんな事もあるんだなぁっと、レンズを探すのを早々にあきらめました。まぁ、2年以上使っていて、そろそろ淡白が溜まって替え時だなと思っていた矢先だったので、ちょうど良い切っ掛けになりました。と言うわけで、新年度はコンタクトも新たに出発です。

 他には昨日書いた助教授が准教授になったくらいで、後は大した変化はないですねぇ。まぁ、東京から博多へやってくるような劇的変化が毎年あったら大変なので、このくらい何も無い年度替わりの方が落ち着いていていいです。基本的に出不精の引き籠り体質で人見知りなので(汗)それに、東京と名古屋と博多くらいあれば研究するにも遊び歩くにも十二分ですし、意外と乗り物類って乗るだけでストレスが溜まるんですよね。特に乗りなれない路線等に乗ったり、観光地でもない見知らぬ所へ行くと、ストレスが溜まりまくっていけません。。。

3日(火)
 今日も博士号授与式のときの話をもう一つ。経済の授与式の後に、祝賀会という形式で立食パーティーがあるのですが、修士の時もサボっていた宮地的には、最初あの祝賀会場が授与式会場だと思い込んでいました。と言うわけで、授与式にパーティー会場に行こうと思ったら、何やっているんですかとM2に呆れられてしまいました。。。いや、いきなり飲みに行こうと思ったんじゃなく、本当にパーティー会場で酒を前にして授与式だと思っていただけです。しかし、紛らわしいよなぁ。目の前に祝賀会場があれば、普通はそこへまず向かうもんですよね。

 祝賀会では色んな先生方がいらしていたのですが、そこでは当然福岡はどうだっていう話になりまして、福岡は肴がうまいとかそういう話は面白みにかけるので、ちょうど某社経史の編集委員長や、某政治経済学・経済史学会の前事務局長だったので、福岡の良い点は学会の雑用をあまりやらなくていい点ですと、アピールしてきました。東京や大阪にいると、どうしても学会関係の雑務も若手は大量に回ってきますが、福岡だと部会に顔出すくらいしかないですから、これはいいですねぇ。またこれが、全く鄙びた所だと部会も何もなくて寂しいですが、福岡くらいの頻度で部会もあると刺激も得られますし、ちょうどいい塩梅です。

7日(土)
 4月8日が統一地方選前半で、福岡の場合には知事選、県議選、市議選がすべて8日に集中しているため、まさに選挙戦最終盤の様相を呈していました。ですが、福岡市って、岐阜・名古屋・東京と比べて、明らかに選挙カーのデシベル数が異常です。こんなに騒々しい選挙カーを聞いたことが無かったので、かなり辟易としているのですが、それも誰か特定の候補者が五月蝿いんじゃなく、どの候補もこの候補もとにかく騒々しい。しかも、かつて噂では聞いた事があった、とにかく名前だけの連呼を続ける、意味不明の選挙カー。もはや死滅していたと思っていたのに、福岡にはそんな物が残存しています。

 僕の基本的なスタンスとしては、選挙カーで五月蝿く騒ぐ奴には投票しないって言うものなのですが、なんと自民・民主・公明・共産、すべての選挙カーからとんでもない騒音を聞いちゃいました。政党関係なく、福岡ではとにかく意味も無く怒鳴り散らすというのが一般的なようで、もはやお手上げ。市長選の時はこんなこと無かったのに、そして知事選はあまり見かけないのに、県議選と市議選はもう異常です。しかも東京だと、どんなに五月蝿くても大学や病院の近くではヴォリュームを下げるのが一般的だったのに、福岡ではそれさえなく怒鳴り散らしていきました。一体全体どうなんっているんだ???

 法的規制を行なって、選挙カーで怒鳴り散らすのを防止して欲しい。本当に公害です。反対にネット上での選挙活動は今回も認められなかったらしく、政見放送も禁止のようですし、選挙期間中のサイト更新も禁止のようです。完全に10年は時代遅れの公職選挙法自体が問題でして、とっととネットでの選挙活動をメインにして、騒音を撒き散らす公害車の規制をやって欲しいものだと切望中。箱崎は飛行機が五月蝿い五月蝿い言いますが、それの比じゃないくらい馬鹿でかい音で選挙カーは通り過ぎていきます。もうこれが終わると思うと嬉しくて嬉しくて(感涙)

9日(月)
統一地方選の前半戦が終わりました。全体的な総評としては、4年前と比べて民主党の地方組織がだんだん整備されてきているなぁっていうのが1点。そして景気回復を反映して、首長選挙は前職が何処もかしこも強かったなぁっていうのが1点。あとは、自民党が小泉政権下の反動を食らっているのと、社民が順調に先細り、公明・共産は手堅くまとめたって言うところでしょうか。

 注目の都知事選は、全市区町村で石原勝利というパーフェクトゲームを演じたようですが、それよりもNHKでやっていた出口調査が興味深かったです。出口調査なので必ずしも正しいかは分かりませんが、石原−浅野の投票行動を見ると、石原投票が多い順に70代、20代、60代、30代、40代、50代となっていたようです。20代、特に投票行動に出るような20代が保守化しているのは前々から周知の事実ですが、60代を飛び越えて70代に近似しているのには笑いました。今後団塊世代が60代に入っていきますので、5年後とかに調査したら、ちゃんと70代、20代、30代、40代、50代、60代と言う並びになるのでしょうか。それにしてもアンビバレントな30代。

 あと地元の福岡県は、東京以上に結果が前もってハッキリしていた知事選だったのですが、やっぱり30代は知事候補としては若すぎるなぁって言う印象でした。年下の僕ですらそう感じるのですから、30代後半以上の人はなおさらそう感じたことでしょう。やっぱりある程度のポストには、ある程度の年齢の人が就いた方が座りがいいんですよね。国会議員とかの方はフレッシュさのある議員も大切ですが、1人しか就かない首長さんは、若さが経験不足になるんじゃないかと言う懸念がどうしても出てしまいます。せめて40代にはなっていて貰いたいなぁっていうのが感想でした。

11日(水)
 最近のお気に入りを1つ。テレビをBGMに付けていたら、大阪のUSJのCMが流れていたのですが、そこでドリカムの〈大阪LOVER〉が流れていたんですね。この前東京へ行ったときに、ANAの楽曲で3回くらい聴いていたのですが、なかなかこれはいい曲です。函館生まれで東京生活が長い吉田美和ですから、大阪弁は下手糞なのですが(って、僕が大阪弁が流暢かどうかなんて、そんなに分かるわけもないですが、何となく)、その下手糞さ加減が、必死に大阪弁をマスターしようとしている感じがしてなかなか良い。

 〈やさしいキスをして〉〈もしも雪なら〉などとはうって変わって、かなり快活な楽曲でして、幸せになれるいい曲です。最近ドリカムでこれはって言うアップテンポな曲が少なかったので、久々にアゲアゲなドリカムで満足中。って言うような話をこの前していたら、けっこう上の人がドリカム好きですよねと言われてしまい、30代ってけっこう上かぁっと何気に凹みました。確かにドリカム好きな20代前半とか、あんまり存在しないんだろうなぁ。〈大阪LOVER〉も確かに昭和な感じが若干するメロディなので、致し方なしか。

14日(土)
 国民投票法案が衆議院を通過したって言うので、チョッと気になっているのですが、他の法律との整合性からすぐには難しいですが、将来的に投票資格を18歳に引き下げると明記されました。またそれに伴って、その他の選挙権も軒並み18歳へと引き下げるよう、関係各法を順次改正して行くよう視野に入れているようでして、戦後の20歳男女という時代から、一つ前へと進むことになりそうです。戦前は投票資格は男子普通選挙に至るまでにコロコロと変わっていたのですが、戦後の改正はこれが初になるわけでして、歴史的な法改正だよなぁっとチョッと感動しています。

 自民党が従来通りの20歳を主張していたのに対して、民主党が18歳を主張し、自民党が民主党の要求を入れる形で、18歳という合意に至ったものです。現在の高校進学率が全国平均で97.7%という状況でして、勿論卒業はもうチョッと減るでしょうけど、基本的には高校3年〜卒業という18歳って言うのは、区切りとしては分かりやすいと思うんですよね。20歳の方が10の倍数って言う単純さはありますが、高校を卒業してから2年、大学生になるか社会人になるか2浪中かは知りませんが、中途半端な時に成人扱いされ始めているのは間違いありません。高校卒業と同時に成人と言うのが、現代の社会ではより適合的なんじゃないでしょうかね。

 それに、高校3年か大学1年くらいの若い時に選挙を体験した方が、選挙権の行使に対して、より真摯に考えるんじゃないかと思います。今の20歳からですと、最長で大学卒業まで選挙が無いって言うこともあり得ます。日本人としてだけじゃなく、人間として、選挙権(制限選挙から男女普通選挙まで)を獲得するまでの先人達の苦労っていうのは並大抵じゃないわけですから、公民か何かで学んだそれを忘れないうちに、実際に投票した方が、今後の人生を生きて行く上での社会に対する参加意識って言うのも高まると思うんですよね。というわけでこれを切っ掛けにして、選挙権が18歳へと順次改訂されていくのは大賛成です。

18日(水)
 バージニア工科大学での32人大量射殺と、長崎での市長射殺と、いっきに2つも銃による事件が起きてしまっていまして、今日の空模様のように憂鬱です。多くの被害者のご冥福をまず。。。大量殺害といえば、附属池田小事件なども思い出しますが、日本でも銃が容易に入手できるような状況ならば、もっと大量殺人が頻繁に起きているんだろうなぁっと、薄ら寒く感じてしまいます。しかし、1人の人間が短時間に32人もの人間を殺していけるとは、しかも戦地ではなく日常の中にそれが行なわれ、しかも最後は笑いながら射殺していったという話に、なんだか理解の範疇を越えるものがあります。

 殺された学生達の中には、並ばされて順に撃たれて行ったと言うのもあるようですが、並ばされている中で前の方の奴が打たれても、まさか全員を撃つとは思わなかったんだろうなぁっと、被害者側の日常さが、このような異常時にも抜け切らない所がさらに悲しさを誘います。前に何かの番組で検証をしていたのですが、大事件や大事故が生じた時にも、人間って言うのはそれを非常時だと咄嗟に判断できなく、馬鹿みたいに冷静に落ち着いてしまうようです。パニックになって危険な行動を採らないための防衛本能のようですが、かえってそれが徒になってしまうのが哀しいところです。

 あと、学生達を逃げさせるために扉の前に立ち、犠牲になった76歳の老教授がいるようです。しかも、ナチスによるホロコーストの生き残りだったようでして、生き延びた自分の命を、最期の最期で若い学生達を救うために投げ出されたということなのでしょう。ほかにも女子学生を庇おうとして犠牲になった青年とか、脳性麻痺の患者を救うために研究を続けていた生体工学の専門家とか、なんだか、沈鬱な気持ちでいっぱいで、もうこれ以上は。。。銃社会とか暴力による言論封殺とか、そういう陳腐で表層的なことは書く気にもならないくらいただただ凄惨で哀しい。

22日(日)
 何やらボーっとメールチェックをしていたら、谷本ゼミの学部4年生から、ゼミのサイトを作りたいんだけど、僕が書いた文章を引用させてくれって依頼が来ていて、最初は「何を言っているんだ、こいつ?」と思ったのですが、よくよく考えたら、自分で引用等はご遠慮くださいって書いていたんですね。それで、わざわざ許可を取りに来てくれたようで、ご苦労様ですm(__)mまぁsince2001.11.8となっていることからも分かるように、もう5年半も前におおよそのスタイルを決めてしまって、あとは微修正を繰り返しているだけなので、そんな注意書きを書いていたことすら忘れてしまっていました^^;;;

 谷本さんが東大経済へ移ってきて、学部ゼミを持った最初の時、僕はまだ文学部にいたのですが潜り込ませて貰っていましたので、実質的には初期メンバーの一人って言うことになります。そんなわけで、ネットでググっていたら面白い奴を見つけたので、新しく開設するサイトに載せてやろうっていう感じみたいです。どんな谷本ゼミサイトになるのか、けっこう楽しみにしています。

 ゼミサイトを開設しているところは、経済史関係でも色々と見るのですが、先生の方が開設しているサイトはまぁ程々に成り立っていても、学生の側でつくったゼミサイトは、担当者の卒業と共に上手く引き継がれないケースを間々見ますので、その辺の引継ぎが上手くいくかどうかが、ゼミサイト成功の鍵なのではないでしょうか。大した情報量を更新する訳ではなくても、ある程度の習慣が身についていないと、なかなか更新って面倒なんですよね。世界にある個人サイトの9割くらいは、1週間以上更新されておらず、1ヶ月以上更新が見られないって言うサイトもかなりの量ネット空間には落ちているようです。

24日(火)
 ボリス・エリツィンが亡くなりました。76歳とのことです。国葬が東方正教会の救世主キリスト聖堂で行なわれると言うことで、ソ連崩壊後の宗教の自由を担保したエリツィンに相応しい送られ方だなぁっと、なんだか感心してしまいます。よく考えたら、伊豆川奈で会談して意気投合した橋本龍太郎は既に過去の人になっていますから、そろそろそんな順番なんですねぇ。でもまぁ、ゴルバチョフも中曽根もサッチャーも生きていますが。

 エリツィンといえば、1991年8月のクーデター未遂で、ソ連共産党守旧派に颯爽と反旗を翻し、ソ連版ホワイトハウスといわれるロシア共和国最高会議ビルに立てこもり、多くのモスクワ市民とうねりの中で戦っていた姿が忘れられません。エリツィン!ロシア!エリツィン!と叫ぶ市民の声が今にも蘇って来そうですが、あれがソ連の崩壊かと思うと感慨深いものがあります。まさにフルシチョフ失脚と同じストーリーを演じかねなかった状況を、エリツィン達の奮起で阻止できたからこそ、歴史が一歩前に進んだのは間違いありません。しかし、国際的にあれだけのスター的扱いをされていたゴルバチョフが、一気に権力を失墜させていった状況もまた印象深く残っています。

 しかし、ソ連崩壊後の世界の混乱を象徴する役割もまた果たしてしまいました。チェチェンへの進行では、民族紛争や石油利権というまさに21世紀的への移行を臭わせる行動に出ています。湾岸戦争と共に、ポスト冷戦がどういう時代なのかを、象徴してしまったのが残念でもあります。しかし何だかんだ言って、憎めない酔っ払いではありましたよね。肝硬変や肝癌じゃなく、心臓で亡くなったのがある意味意外ですが、前々から心臓が悪かったんですね。哀悼の一献を。

28日(土)
 先日の長崎市長に対する暴力団員の暗殺事件について、週刊朝日が安倍首相がその暴力団と懇意であるかのような表現をして、謝罪に追い込まれていましたが、週刊誌は根も葉もないものを面白おかしく伝えるだけの媒体とはいえ、いささかやり過ぎの感があります。またこれも少し前ですが、TBSが不二家事件に絡んで、いい加減な証言をもとに不二家バッシングの番組を作り上げていたとかで、こちらもまた謝罪に追い込まれています。ワイドショーなんだから、嘘と誇張ばかりで成り立っているのは当然とはいえ、こちらもやはりやり過ぎでしょうねぇ。

 このようなマスメディアの傍若無人ぶりに対して、菅総務大臣がマスメディア規制を打ち出してきています。これだけ好き勝手やりたい放題のメディアを見ていると、僕も感情的には総務大臣を応援したくはなりますが、しかしやはり国家によるメディア規制というのは好ましくはありません。大切なのは、ありもしない事をでっち上げたりする今のマスメディアの体質であって、メディアによる権力監視機能が失われてしまったら、一番被害を蒙るのは国民です。

 しかし何でもかんでもやりたい放題っていうのは困り物なので、政府等が関与しない何らかのルールって言うのは必要だとは思います。現状では、好き勝手やり放題で、誤報や捏造があっても、片隅でひっそりと謝罪するという構図になっています。これがいけない。テレビであれば誤報を報道したのと同じ曜日の同じ時間を使って、新聞であれば同じ頁の同じ分量を使って、社内広告であれば同じ位置の同じ枚数を使って、間違いと訂正を必ず同じ分量にすることを義務付けるのが良いのではないでしょうかね。そうすれば、間違いが多発するメディアは、当然間違いだらけということが視聴者読者にも通じますし、被害者の権利も回復されます。そして、権力がそこに介在する余地はなくなります。これ、なかなか良いんではないでしょうかね?

29日(日)
 いまさらなんですが、YUIの〈CHE.R.RY〉が可愛くていいですね。CMで何度か耳にしていたのですが、この前初めてフルに聴いてしまいました。もう初夏っていうのにほんといまさらなのですが、春っぽい桜のイメージに乗って、普通の女の子らしいメロディと歌声がとっても清々しくて良いですね。女性シングルでいうと、確かに浜崎とか倖田とかの路線も、絢香とか中島美嘉とかの路線も嫌いじゃないですけど、こういう可愛らしい歌声を聴いているとホッとします。

 系統的には大塚愛の〈さくらんぼ〉とかIWiSHの〈明日への扉〉を聴いているときの様な楽しさがあるので、多分aikoの路線に位置づけるべきなんでしょうねぇ。っていうか、IWiSHの川島あいもそうですが、このYUIも福岡出身なんですね。いやさ、こっち来てから酔っ払って天神あたりをフラフラしていると、確かに西鉄福岡の駅前とかでストリートライブが繰り広げられていて、しかもけっこうみんな立ち止まって聴いていっているんですよね。僕も時々気が向けばぼ〜っと聴いている時もありますが、あの空間からメジャーへ行っているのも少なくないと思うと、みんな必死で歌っているのも何となく納得できます。

 でも、あぁいう空間で歌っていていいなぁって思っても、なかなかCD買いに行くのはこっ恥ずかしいですよね。別に誰が見ているわけでもないんだろうけど、妙に恥ずかしいのは何でなんでしょうか。確かに渋谷にしろ下北にしろ新宿にしろ、東京ってあんまりストリートライブ見ませんでしたよね。ゆずとかも桜木町でしたし。やっぱり東京は生活空間としては大きすぎるのかな。酔いどれたオジちゃんが、500円玉握りしめて応援がてらにCDを買っていく姿を見ていると、アットホームな街だよなぁっていうのはいつも感じさせられます。僕もそのうち慣れるんかな。