2007年6月 |
5日(水)
先週末に少々名古屋へ調査へ行っていたのですが、中部国際空港に降りて実家に向かい、痴呆症にかかってもう何がなんだか分からなくなっているオリビアと格闘していたところ、ついついジーンズの腿の付け根の部分の後ろ側が、ビリッと破れてしまう事に・・・お尻にあたる部分なのであまり目立たないのですが、明らかに穴が空いているとおかしい場所でして、実家では福岡と違い替えのズボン系は短パンのみという悲惨な状態で、調査も始まっていないのにと少々パニックに。
衣替えをしたとはいえ、まだまだ6月に短パンで調査というわけにもいかず、だからといってジーンズを買いに行くような時間でもないために、母親に頼み込んで応急処置的にデザイン風に縫い目を入れて貰うことになりました。色合い的にもなかなか良く、場所がもうチョッと良かったらこのまま穿き続けられるじゃん、っていう程度でした。
しかしまぁ2年近く穿いていて、生地自体が弱くなっている関係もあって、次の日の調査の最中にまた若干の裂け目が入る事に・・・で、再び帰宅後また母親に頼み込もうとしたら、もう同じ色の糸がないとトンでもない色の糸で縫われて凹みまくりでしたが、博多に帰るまではこれでいくしかないと、エレベーターに乗ったミニスカートの子のように、お尻を鞄で押さえつけながら歩くけったいな状態になっていました。セントレアや名鉄で、お尻を隠して歩く艶かしい宮地の図が見られたことでしょう。。。
しかし本当にマーフィーの法則状態でして、よりによって実家で深夜にジーンズが破れるかなぁ。
8日(金)
時々自分のサイトを読み返すことはあるのですが、〈研究者を目指す人へ〉のところを見ていてはたと気付きました。こんなこと書いていたんですねぇ。それで謎が解けました。先日の社経史のときに、後輩たちが何やら頻りに、僕に色んな先生を紹介しろと催促をするので、面倒くさいなぁっと思いつつも、いろいろと紹介して回っていたんですね。就職してしまうと、目の届く範囲の知っている先生方への挨拶が終わったら、あとは友達と飲んだくれて駄弁っていたいところなのですが、それをグッと堪えて指名の先生を探して右往左往していました。。。
岡崎さんや粕谷さんもいるし、他の先輩達もいるだろうにと思っていたのですが、僕が自分で自分のサイトに、先生や先輩に頼んで挨拶回りをしろと書いていたようで・・・それでわざわざ僕のところへ、紹介しろとやって来たのかと気付く。まぁ、紹介しろといわれれば紹介しますが、紹介していると飲める酒の量が減るので、それがイマイチ納得できないんですよね。お酒を堪能する時間は確保したいところです。結局あの日は、何だかんだでビールだけ飲んで終わってしまいました。来年の社経史は広島大で美味しい日本酒を懇親会に用意するっていう話ですし、日本酒飲むのを妨害されたら、暴れ出すかもしれないですよ。
話は変わりますが、IWCとはそもそも鯨という水産資源の、永続的な利用を目的として、過度の捕鯨を規制するために設立されたはずの組織です。そのためには、鯨の生存数が約何頭であり、どの種の鯨が絶滅危惧種で捕鯨禁止対象であり、どの種の鯨が捕鯨可能なのかというのは最も枢要なデータであるはずです。また、鯨が増えすぎる事はその食料である、鰯等の激減を呼び起こしてしまいますので、水産資源の統括的・永続的な利用という視点からも、捕鯨を適切に管理しなければいけないという性格を持っています。
ところが周知のように、IWCはもはや機能不全を起してしまっていまして、鯨の個体数などには何にも関心が無いような、単なる反捕鯨国が票数だけはたくさん持っている状態で、死んだ組織になっています。個体数が増加している種類の鯨に関しても、その増加データを認めないのみならず、個体数の調査すらも禁止しようという、もはや宗教的な狂信集団化してしまっており、議論自体が成り立たなくなってしまっています。
またその中には、畜産が盛んであり、日本に肉牛を輸出しているために、日本人の肉牛消費量が減少する事を危惧し、政治的に捕鯨に反対を唱えている国まであります。水産資源の適切な利用という側面を離れ、ホウェールウォッチングのための観光資源として、鯨の増えすぎ=食料となる小魚類の減少を無視するような国まであります。海が無いのに反捕鯨国の金で会員になっている国もあります。代表に、全く関係ない別の国の、反捕鯨団体員が参加している国もあります。票数合わせのために。だいたいスイスの捕鯨代表って、いったい何なんだ?レマン湖で捕鯨でもするのか?さらにはハンガリーやオーストリア、サンマリノやルクセンブルクまで加入しているんですよ。。。
このような状況を見ていて思うのですが、IWCという組織にこれ以上加入している必要性が果たしてあるのでしょうか。捕鯨国のみが集まって新組織を設立し、鯨という水産資源の保護と、永続的な利用という、本来的な目的に立ち返った行動を採るべき時だと思うんですよね。勿論、捕獲しすぎないようにという監視は重要ですので、それを十二分に配慮しつつ、食料資源の有効活用が出来るように進むべきだと、焼酎のあてに鯨ベーコンをつまみつつ。
12日(火)
オリビアが腫瘍の摘出手術をしました。半年ほど前に腫瘍が発見されていたのですが、高齢だし、悪性であってもそんなに早くは大きくならないでしょ、って言う話だったので、放置してあったんですよ。それが予想外に早く腫瘍が大きくなってしまい、胃やら腸やらを圧迫してしまう事になってしまいました。そのため、僕が名古屋から帰って暫く経った後、食も便も止まってしまうという緊急事態になってしまい、もっても2ヶ月早ければ1週間ということで、それならばリスクを覚悟してでも手術へという運びに。
心臓にトラブルを抱えているので、手術に堪えられるかどうかが懸念されたのですが、意外と心臓は順調に動いていてくれたようで、2時間近くに及ぶ手術も無事に終わりました。卵巣からこぶし大の腫瘍が摘出されまして、8kgの犬でこぶし大の腫瘍だから、人間にしたらどのくらいなんだろうかというくらい大きな腫瘍を摘出しました。レントゲンで見えるような転移はそれでも無いみたいで、送られてくる画像によるとグッタリと病院で寝ています。胃や腸じゃなくて卵巣と子宮を取っただけなので、体力が回復すればまだ暫く大丈夫との事。
手術に当たっての切除以外での一番の問題は、麻酔の後遺症でボケが始まるケースが多いということですが、その点はうちのオリビアは何の問題もありませんで、もう既に完全にボケているので安心です。しかし、腎臓の数値がチョッと上がっているみたいなので、そちらも早く落ち着いて貰いたいものです。
19日(火)
オリビアの食欲も回復してきまして、来週には抜糸が順調にできる予定のようです。高齢の割りには回復が早いと獣医さんに誉められちゃいまして、チョッピリ自慢です。ただ、大嫌いだった注射を毎日打たれないといけないのは、とっても気の毒ですが・・・でも、人間だと癌をしたらどのくらい入院が必要なのかはよく分からないのですが、動物の回復力って言うのはなかなか凄いもんだなぁっと、老犬の姿を見つつ感動してしまいます。
ところで、松涛でスパが爆発とか。いや、駒場時代にしょっちゅうブラブラ歩いていたあたりで、思いっきり映像を見ていて土地勘があるんですが…あと10年早かったら、僕が通行人で巻き込まれていたかもしれません。あそこからちょっと駒場側に抜けたところに、鍋島松涛公園っていうチョッとした公園があるのですが、まだ学部も1年の頃に友人たちとコンビニで酒買って、夜空の下でワイワイ騒ぎながら飲んでいたのが昨日のことのように思い出されます。井の頭線の2駅は、鹿児島線の2駅と違ってあっという間ですからね。ほんとよく深夜やらに歩いていたエリアです。。。
というか、騒いじゃだめな閑静な住宅街でして、ちょっと先へ行くと東京都知事公邸やら観世能楽堂があるくらいの清閑な場所です。渋谷から酔っ払って歌いながら帰ると、ジロッと通行人に睨まれて警察を呼ばれかねないくらいの場所です。でも、あの頃はスパなんて無かったですから、いつの間にやら出来上がっていたんですねぇ。後楽園のラクーアもそうですが、東京はかなり都市直下温泉の開発が進みましたもんね。温泉があるということは、天然ガス成分も眠っているらしく、東京直下はいつ引火してもおかしくない天然ガスが、そこらじゅうに眠っているらしいです。気を付けて下さいね。
21日(木)
オリビアの話でドタバタとしていたので書くのを忘れてしまっていましたが、先日、浜崎あゆみの〈ASIA TOUR 2007 A FINAL in 福岡〉へ行ってきました。普段は東京がツアーのファイナルになることが多いみたいなんですけど、今回は福岡だったので偶然ファイナルにめぐり合うことになりました。まぁ、貰い物のチケットなので、場所はちょっと上の方だったのですが、年齢層的に10-40代位まで幅広いものの、30代が多めで居心地も良かったです。母娘で来ている客もチラホラと。
一応、〈Secret〉のツアーだと思って行ったのですが、過去のヒット曲がかなりたくさん混ざっていまして、そう言えばベストアルバムも出していますから、2つをミックスした感じになっていたんですかね。おかげで、知ってて楽しめる曲が多くてよかったです。〈Boys&Girls〉とか〈Seasons〉とか〈appears〉とか〈evolution〉とか、どちらかというともう懐かしい部類の懐メロに属しているかもしれません。特に〈M〉が流れてきた時は、もう身悶えるくらいの感動もの。
MARIA〜愛すべき人がいて、キズを負った全ての者達♪
1999年〜2000年にかけて発売されている20世紀最後のラインナップですよね。ちょうど僕がマスターの頃に流れていた曲ばかりで、ノスタルジックに感動。でも、〈momentum〉や〈JEWEL〉なんかを歌ってくれなかったのはチョッと不満かな。〈BLUE BIRD〉〈Secret〉〈Startin'〉などなど半分以上は歌ったんだけど、どうして僕の好きな2曲を抜かすかなぁ。まぁ、痩せてチョッと男前になった、野村のヨッチャンが生で見えたから、それはそれで楽しかったけどさ。
28日(木)
オリビアの抜糸もうまくいった&これといった転移も見られないということで、老犬な身としては、まぁ別の原因で死ぬまで、もう癌は大丈夫だと思います。一安心。抜糸の際は、今際の際の踏ん張りかのような頑強な抵抗を見せたようですが、襟にカラーを付けられて噛み付くのを防止され、あえなく抜糸となったようです。自分が治療されている意識というのが無いから、なんでもかんでも抵抗しようとするのには困ったものです。
ところで宮沢喜一元首相が亡くなったとか。1919年の生まれで享年87歳。これで、サンフランシスコ講和会議に出席したメンバーはすべて鬼籍に入ったことになるのでしょうか。2001年の講和50周年の時には、日米あわせて唯一の会議出席生存者としてスピーチを行なっていますから、それから6年間も頑張ったということになります。また池田勇人の下で所得倍増計画の立役者の1人であったのも有名な話です。それ以降は結局あまり活躍は出来ませんでしたね。
東大から大蔵省へ入り、大臣秘書官をしながら池田勇人や大平正芳と懇意に。参議院議員に転身して経済企画庁長官、衆議院に移って通産大臣、外務大臣、総務会長、大蔵大臣、宏池会を継承して派閥の会長になり、副総理、そして総理大臣へ。そして緊急時には再び請われて最後の大蔵大臣かつ最初の財務大臣も。なんだか書いているだけでも嫌になってしまうエリートっぷりで、しかも本人もそれを鼻にかけていたのも有名な話で、基本的に好きな人物ではないのですが、日本の戦後史をまさに体現した人物であることは間違いないですね。ご冥福を。