2008年2月 |
5日(火)
昨日は嫁が挽肉を魔女っぽくフライパンで炒めていまして、いったい何が出来るのかと聞いたらガパオが出来るっていう返答。ガパオ?ガパオ?ガパオ?カバディ、カバディ、カバディと、いったい何のことか良く分からず、それはどんな食べ物なんだって聞いても、挽肉の東南アジアの料理としか教えてくれず、若干不安な気分に・・・おい、キャベツも切ってるぞ、バジルも振りかけているぞ、ターメリックにガラムマサラにウコン???生卵まで取り出してきた、とさらに増していく不安感。
ところが出来上がりを見てみると、どこかで見たことがある食べ物。そう、沖縄料理のタコライスにキャベツとレタスの違いはあるもののそっくりでして、どうやらタコライスの由来となった食べ物とのことです。そうやって説明されたら、何となく安心感が出てきました。そして肝心の味の方なんですが、挽肉がエスニックになっていまして、しかも卵の黄身と交じり合ってマイルドになっていました。これがキャベツとよく合って、ライスとの相性も抜群です。
ついさっきまで暗闇の塔で秘薬を調合する魔女のように見えていたのが、真っ青の空と海のリゾート地で腕を振るうシェフのように見えてくるから不思議なもんです。しかし、タイ料理とかインドネシア料理とかベトナム料理とか時々食べに行っていましたが、ガパオっていう料理は知らなかったなぁ。メニューにあっても頼まなかっただけなのかも知れませんが、世の中まだまだ知らない食べ物はあるもんです。ところでふと計算をした所、我が家のエンゲル係数が40パーセント近いことが判明。この前読書会で読んだ、戦前の筑豊の鉱夫と同じくらいでして、ちょっと食費を抑えなければと話しているところです・・・
そういえば読書会の話をしばらく書きそびれていましたが、前回は西成田豊『近代日本労働史』有斐閣、前々回は石井寛治『経済発展と両替商金融』有斐閣、その前は廣田誠『近代日本の日用品小売市場』清文堂、さらにその前が橋野知子『経済発展と産地・市場・制度』ミネルヴァ書房という流れです。ちなみに次回は島田昌和『渋沢栄一の企業者活動の研究』日本経済評論社の予定です。
10日(日)
先日来気になっていた箱崎宮庭園の梅と福寿草を、嫁と一緒に見に行ってきました。盆栽などで咲いている福寿草や、映像での福寿草っていうのは見たことがあったのですが、地表から咲いている福寿草っていうのは初めてでした。本当に地面からひょっこりと黄色い花だけが顔を出していまして、なかなか驚きのシーンでした。盆栽とかで見るのは、観賞用に手を加えられているのかと思っていましたが、本当に福寿草ってあぁやって直接顔を出しているんですねぇ。不思議な植物です。
あとは紅梅・白梅・ろう梅などが見頃になっていまして、梅の香りが庭園中に漂っていました。茶店で甘酒に舌鼓を打ちながら、ぼぉ〜〜っと庭をまったりと眺めているのは幸せなもんです。福岡市内で梅が見頃になってきたということは、もうすぐ大宰府の梅も見頃になるのでしょうか。九国博では京都五山展もやっていますし、時間を取れたら是非とも大宰府へ行きたいところですが、お天気とも相談したいですしどうなることやら。。。
13日(水)
先日は〈モナリザ〉のモデルが従来から言われていたフィレンツェ商人の妻リザ説(モナは婦人を意味するらしく、リザ婦人となりますね)が、古文書欄外の書き込みから確定されたというニュースが入って、なかなか感心していたのですが、今度はナポレオンの死因を巡って面白いニュースが飛び交っていました。モナリザのモデルが古文書から確定されたのに対して、ナポレオンの死因は科学的に検証されたようです。
ナポレオンの遺体の毛髪から、砒素が多量に発見されていたために、元々はナポレオン砒素毒殺説がまことしやかに語られていました。確かにエルバ島から脱出してワーテルローの戦いで破れるまでの復活劇は、もう一度を感じさせる所も多く、毒殺説に真実味を持たせていたんですよね。それが、イタリアの国立核物理学研究所がナポレオンの少年時代から晩年までの毛髪を少しづつ集め、分析したところ、少年時代から砒素の蓄積が見られたということなんですね。
個人的にはどうやってナポレオンの少年時代からの毛髪を集めたのだろうという方に興味がありますが、何はともあれ、現代人と比べて当時の人々が砒素を体内に入れてしまう事が非常に多かったということらしいです。ジョセフィーヌや息子も砒素を体内に含んでいたらしく、生活環境に問題があったのでしょうか。砒素中毒で衰弱していたとしても、毒殺ではないらしいという事で、ミステリー的には面白くないですが、事実は事実でこれまた不思議な結果ですよね。当時のフランスはどうしてそんなに砒素いっぱいな暮らしだったのでしょうか。。。
15日(金)
先週半ばに、大学の出入りの業者さんのひとつに、自宅用の新しいパソコンを1台自費でお願いしていたんですが、メーカーの倉庫にしかないということで連休明けの12日到着予定だったんですね。ところが12日になっても到着しない。午前も午後も・・・お昼過ぎに業者に連絡を入れて担当者からの電話待ちをして、夕方くらいに連絡が来たのですが、メーカー側の担当者が不在でどうなっているのか良く分からないとのこと^^;;;
業者も発注をし終えているし、メーカーも発送をし終えているみたいという事で、ちょうど雪だったし、東か北の倉庫にしかなくて、輸送ルートが切断されてしまったのかなぁなんて話していました。しかし、連休後だからって有給使ってメーカーの担当部署が集団でいないなんて・・・で、翌13日になって業者さんからメーカーとの連絡が取れましたと電話が入ったんですよね。やっと待ち兼ねていたパソコンを入手できるかと思ったら、今度は製品が広島にありますとの返答。
おいおい、と突っ込みたくなくなったところで、業者さんの記録資料館担当者と同姓同名の人が、同じ業者内で広島支店にもいるらしく、メーカー側がその人と間違えて広島に送ってしまっていたみたいです。確かに全国で最も多い名字の人で、よくある下の名前だったのですが、同じ業者内で福岡と広島に同姓同名がいるとは恐るべし。札幌支店とかニューヨーク支店に同姓同名がいなくて良かったです。そもそも宮地なんていう名字が珍しいので、そう言う間違いっていうのは経験ありませんが、多い名字の人は大変なんだろうなぁっと、パソコンの到着が遅れたよりもそちらが気になってしまいました(苦笑)
18日(月)
コソボの独立を日本も認める方向でいるみたいですね。ロシアやセルビアあたりは不承認でしばらく行くようですが、日本は欧米各国と足並みをそろえるようです。これまでロシアやセルビアにも理解を示して、欧米諸国とは若干温度差がありましたから、スタンスを若干変更したという所でしょうか。ユーゴスラビアの紛争が始まった1991年から数えて、もう17年も経過していることに愕然としますが、これで火薬庫が漸くとすべて落ち着くことになるのでしょうか。
ところで週末は大宰府の梅を見に、嫁とブラブラ遊びに行ってきました。御神木の飛梅(菅原道真が流された時に、東風吹かば・・・って読んだ梅が飛来した伝説に基づくらしい)が満開でして、それ以外も早咲きの梅が満開、普通の梅がチラホラっていうところでして、梅の芳しい香りを堪能してきました。梅が枝餅も抹茶と共に頂いてきたのですが、こちらに来る前は梅が枝餅には梅が入っていると錯覚していたのは懐かしい思いでです。塩味がきいたアンコの入った焼餅でして、梅は焼印で押し付けてあるだけです。。。
太宰府まで足を伸ばした理由はもう一つあって、九州国立博物館で京都五山展をやっていたんですね。教科書なんかでもよく見る足利義満の肖像画から、一山一寧、春屋妙葩、絶海中津、夢窓疎石などなど、大学受験時代の丸暗記を思い出させる五山の僧たちと再会しました。中でも夢窓疎石は僕の出身地である多治見市の永保寺の開山もしているのですが、永保寺の菩薩像も遠路大宰府まで来ていまして、なかなか感慨深いものがありました。多治見でもなかなか公開していないんじゃないかな。
あと、知らずに出かけて行って感動したのが、馬蝗絆が東京国立博物館から来ていたことでしょうか。上野では何回か見たのですが、久しぶりの再開です。宋代の龍泉寺窯で焼かれた青磁を平重盛が買い上げ、それが転々として、足利義政の所有の時にうっかりヒビ割らせてしまい、中国に同じものをと発注したら、かすがいを付けて送り返してきたというエピソードのあの馬蝗絆です。確かにアレだけ薄手の青磁を、宋代に焼き上げていたっていうのは驚きですよね。
22日(金)
実家から連絡が入りまして、オリビアがもう立ち上がれない寝たきり状態にまでなってしまったとのことです。食事も固形物は食べられず、流動食を食べても、無理をすると吐いてしまうとのことで、点滴が最後の生命線になっています。病院では点滴だけになっても、1ヶ月くらいは頑張れるという話ということですが、もうそろそろ別れの時間が近づいているのは確かなようです。余命を告げられてからもかなり耐え抜いてきたので、何度か直接お別れをしてきたのですが、正月の別れが今度こそ本当に最期になってしまうかも知れません。
幸いといえば、痴呆のおかげもあり、あまり苦しみが無いところでしょうか。気管等には余り問題がないので、睡眠はしっかりと取れているみたいで、一日の多くは眠っている状態のようです。人間で言うともう80歳を越えてしまっていますから、覚悟は頭では出来ているのですけど、実際に生きた長さは僕よりも遥かに短いわけですし、ペットを飼うっていうことは辛いなぁっていうのを深々と感じています。人間と同じくらい生きてくれればいいのですが、彼女らに流れる時は早すぎますよね。
医療技術が発達したとはいっても、犬の平均寿命は11歳と数ヶ月のようでして、それから比べれば遥かに長い時を生きてくれたオリビアには感謝の念がつのるばかりですが、でもまだまだ短いよなぁ。黒猫のナナが死んだ時も、お正月に年を取って日向ぼっこばかりしてボケているねぇって話をし、1週間ちょっとでしたから、やはり冬の寒さっていうのは動物にとっても老体にきついのでしょう。そうそう、オリビアって眠りながら足をばたつかせるんですよ。多分あれは、昔駆け回った川原を夢見ていると思うんですよねぇ。
25日(月)
週末ふとI wishの〈明日への扉〉が聴きたくなったので聴いていたのですが、2月のANAの機内音楽の特集は川島あいでして、もちろん〈明日への扉〉も流れていました。なぜ急に〈明日への扉〉が聴きたくなったのか不思議な気分です。と言うわけで、急に実家へひとっ飛びしてきました。土曜の最終便は、セントレアが雪と強風で不安定なため、名古屋上空で着陸できないかもという時間を過ごしつつの、なんとかしての名古屋行きでした。
土曜日にオリビアを病院に連れて行ったら、急速に体力が低下してきていて、あと2−3日だろうとの連絡でした。ちょうど3月11日に名古屋に行かなければいけない予定があったので、オリビアとはそこで対面するはずだったのを、ちょっくら早めて会いに行ってきました。盛時は10kgを越えていた体重ももう5.7kgでして、白内障で目は見えていなかったのを左目は眼球も傷め、耳は遠くて何も聞こえず、嗅覚はあるかないかよく分からないのですが、後ろ足をはじめとした下半身の感覚も無く、歯の噛み合わせが悪くて自分の口も噛んでしまっているので、ちょっと重体です。しかし、歯が1本も抜けなかったのは自慢です。
固形物を食べられたうちは、抗生物質を飲んでいたために、なんだかんだで心臓や腎臓も動いてきたのですが、固形物を食べられない=薬が飲めなくなってしまったために、臓器の数値も急激に悪化しているとみえ、お口臭い状態にもなっていました。顆粒にすると食物全体に臭いがするため、食べてくれないから無いのでしょう。ただ、オリビアみたいにボケていれば臭いは誤魔化せますので、今後は動物用の無味無臭で顆粒の抗生物質も開発して貰いたいところです。
僕が高校1年生の時にやってきてから随分経ってしまったのですが、もはや19回目の桜は無理そうです。多分これが最後ですから2日間横に一緒に寝てきたんですが、高校と浪人の4年間を一緒に眠っていたのが思い出されて駄目ですねぇ。東京に出てもいつも帰ればオリビアがいたのになぁ。もう次からは出迎えて貰えなくなっちゃいますね。僕の携帯の待ち受け画面はずーっとオリビアなので、いっつも身近にいたんですけどね。
基本的には1日中寝ているのですが、時々歩きたい、立ち上がりたいと前足をばたつかせます。オムツが濡れている時なんかもばたつきます。見えない、聞こえない、臭わない、下半身の感覚が無いので、寂しく不安になる時があるらしく、そういう時もばたつきます。頭や耳の付け根を触ってやると落ち着くことが多いですが、歩きたそうな時は、後ろ足が動かないので支えてあげると、ちょこっとだけまわり、また眠りにつきます。昼間はそうなんですが、夜は隣にいても僕も眠っているので擦ってやるだけだと、満足せず苦しそうな声で夜泣きをしたりします。でも、1日目の夜泣きよりも、2日目の夜泣きの方が、声も弱くなっているんですよ。日一日と衰弱しているのが、素人目にも分かる状況でした。
話はお正月に遡りますが、お正月はまだオリビアも立ち上がれており、歩いたり、でんぐり返しをした後、寝転んでいるオリビアに「オリちゃんもうすぐ死んじゃうんだねぇ」ってしみじみ言ったら、ボケているから理解しているはずは無いのに、いきなり涙を流してしまったんですよね。このままだと、なんだかオリビアを泣かしたままの別れになってしまう気がして、なんだか会わないと後悔をしそうで別れに行ってきたのですが、再会したらしたで、やっぱりつらさは増してくるんですよね。ずーっと隣にいたんですけど、いつまでも実家に居続けるわけにもいかず、なんだか現実感が無いまま福岡へ戻ってきてしまいました。
29日(金)
余命3ヶ月といわれて4年、余命1ヶ月といわれて7ヶ月、余命2-3日といわれて7日目ですが、オリビアは今日も頑張って生きています。動物の生命力っていうのはすごいなぁって感動させられます。オリビアの強靭なところは、人間でいうともう90歳近いのに、歯が1本も抜けていないところでして、これは動物病院の先生も感心してくれています。長生きをする為には、歯が丈夫じゃなければいけないようです。そういえば、ナナも歯が抜けずに長生きをしていました。
ところで、海上自衛隊のイージス艦が漁船と衝突して、漁船側を沈めてしまった事件がありましたが、次々とイージス艦側の法令違反が出てきています。沈められた漁船側も、危険を犯して直進するなど怪しい行動をとっているので、何らかのトラブルはあったのでしょうが、より巨大なイージス艦側のミスの連鎖が大きく影響しているようです。手動操舵になっていなければならないところを自動操舵だったり、見張りが漁船の確認を伝えていなかったり、事故が生じても救出活動をしなかったり、更には乗組員の飲酒もニュースに上がってきているようです。
イージス艦といえば、攻撃を受けたときの防空能力が優れている艦でして、一方で攻撃する能力はあまり持ち合わせていないために、まさに憲法9条の精神に合致した、日本らしい防衛のための船です。ギリシア神話の女神アテナは、知恵の女神なので我々大学人も統括していますが、同時に戦いの女神であります。その女神アテナが父ゼウスから授けられた盾にちなんでイージス艦って命名されたくらいです。その憲法9条の精神を具現化したイージス艦が、乗組員の不注意の連鎖によってこのような状態になっているのを見るのは、本当に忍びないですよね。