2009年12月 |
2日(水)
平山郁夫氏が亡くなったということで、小学校時代に家族旅行をしたつくばの科学万博をつらつらと思いだしていました。国連平和館で平山郁夫作の〈平和のキャラバン〉を壁画にして掲げようと、寄付金的なお金を払って壁画の一コマに参加するというイベントがありましたが、僕もそれに参加したのを懐かしく思い出します。〈太陽〉の方だったか、〈月〉の方だったか、それをはっきりとは思いだせないのですが、僕の名前も未だにそこに刻みつけられているはずです。今は広島平和記念館にかかっているらしいですが、この前に広島に行って平和祈念館に行った時も、すっかり忘れきっていました。ちなみにそちらは〈太陽〉の方で、〈月〉の方は広島国際会議場の1階ロビーに飾っているらしいです。ご冥福を。
7日(月)
南アフリカでのサッカーワールドカップは、世界第3位のオランダ、ヨーロッパ勢で最初に出場を決めたデンマーク、地元アフリカ勢のトップカメルーンと同組になったとかでして、何処をどう贔屓目に見ても3強1弱になっているような気がします。日本に勝ち点を取りこぼしたチームが、決勝リーグへ行けないと見るのが妥当なところでして、何というかかんというか、くじ運が悪かったよなぁっていう結果に終わりました。まぁ、南アフリカの治安の悪さを考えると、それはそれで良かったかなっていう気がしないでもありません。次にまた頑張りましょう。
しかし、鳩山由紀夫事務所っていうのは、母親からの12億円ともいわれる子ども手当をはじめとして、故人献金に、何にと、次から次へと裏金がワッサワッサ出てくる状況でして、こんな金にルーズで汚い人間は生理的に受け付けません。しかも、沖縄の米軍基地に関する二転三転する発言によって、日米関係の信頼関係はきれいさっぱり失せてしまっており、アメリカからは日本の盧武鉉として相手にせずという姿勢を明確にされてしまっているようです。
小沢一郎民主党幹事長は、神輿は軽くてパーがいい、という発言をしたと巷間で言われていますが、鳩山由紀夫首相の場合にはあまりにもあんまりな酷さではないでしょうか。経済は鳩山不況、外交は日米関係疎遠化、裏金まみれの汚い体。
14日(月)
サミュエルソンが亡くなったというニュースを目にして、ケネディ政権時代に活躍した彼ですから、まだ存命だったのかぁっという印象の方が強かったのですが、94歳での大往生とのことです。サブプライム以降のアメリカ経済の状況をみていると、今こそまさに彼の登場する舞台の様な気もしますが、どうやらオバマ政権へ口は出していたようですね。というか、クリントン政権のサマーズ財務長官は、オバマ政権でも経済の要職にありまして、彼がサミュエルソンの甥だとかでして、やはり民主党政権では欠くことができない人材のようです。しかしまぁ、巨星落つ、という感じですね。ご冥福を。
ところで今度は、天皇の政治利用という単語が踊っていますが、次から次へと大失態のオンパレードの内閣だと呆れるばかりです。右派からしてみれば、小沢一郎なり鳩山由紀夫なりによって、天皇が政治道具として好き勝手に使われる非常に無礼だという話になります。左派からしてみれば、天皇の政治的な権威を高めるために一役買っているという、国民主権から逸脱した行動だという話になります。微妙なバランスの上に乗っている現代の天皇制を、自分たちの政治活動を利するためだけに使って、当事者たち以外はだれも得をしないという極めて独善的でバカバカしい行動には、脱税に、日米関係悪化に、経済政策の失敗に、学術・文化政策の破綻にと、よく3ヶ月でここまで破壊していくもんだと感動します。これ以上傷口を広げないためにも、民主党は早い決断をした方がいいと思いますけどね。
16日(水)
久しぶりに投稿用の論文を書き上げてしまいまして、書式やら添付書類やらを一式揃え、あとは書留で郵送するだけになりました。かれこれ5年ほどレフリー論文を書いていませんでして、博論執筆から本の原稿への訂正という中で、かなりの時間を使っていたんだなぁって改めて噛み締めています。コンスタントにレフリー論文を書いていないと、他人の論文指導をしたり論文審査をしたりというのも心許なくなってしまいますので、毎年書く必要はありませんが、就職してからもコンスタントには執筆する必要はあるよなぁって実感しています。
ある世代以上だと、就職した後には、個別の査読論文を書くというよりは、紀要で論文を重ねて本にしてみたり、共同研究会で論文を積み重ねたりっていうのが一般的でした。しかし現在の大学や研究者を取り巻く情勢を見ていると、我々よりも若い世代っていうのは確実に、就職した後にもコンスタントにレフリー論文が求められる世の中になっていくことでしょう。ただ、昔のような牧歌的時代を羨むかといいますと、競争に明け暮れる団塊ジュニア世代としては、けっこうそういう競争社会だよなぁっていう納得があったりしまして、どちらかというと当然視してしまったりしています。
もちろん以前までの論文投稿とは大きく違っているところもありまして、博士論文や就職に向けた査読論文数稼ぎっていうある種の嫌らしさが抜けまして、純粋に他人に論文を評価され、審査されたいっていう意図で書いていたりします。大学院生や任期付きの助手の頃には感じなかったのですが、論文っていうのは査読を経ないとどうしても癖が出てしまうものでして、そういう癖は自分らしさという側面もありますが、当然悪しき側面も持ち合わせていたりします。それを微修正するためにも、正式にレフリーにかけたいっていう欲求が起こってくるものなんですね。
まぁそういうわけで投稿してしまいますが、久しぶりなので結構緊張していたりします。最初はC判定で返ってくるでしょうから、その審査コメントを見ながら論文のブラッシュアップは考えることとしましょう。D判定だったら意気消沈してしばらく立ち直れないでしょうが。。。
24日(木)
クリスマスイブですね。それとはまったく関係ない話題ですが、『日本歴史』に頼まれた雑文が740号、新年1月号に掲載されていますので、お暇な時にはご笑覧を。日本経済史に関するデータベースについて何か書いてくれないかと季武嘉也さんから依頼されまして、僕が日本経済史を担当するっていうのも何なんですが、同世代も結構執筆をするっていうことで引き受けてしまいました。適当に思いついたことだけをつらつらと書き連ねたものなのでお恥ずかしい限りですが、経済史関係の史料は企業とかが所有している分はなかなかインターネット上で閲覧とはいきませんからねぇ。まぁ、あんなところではないでしょうか。
しかし年末年始は校正漬けの日々になりそうでして、次の研究に取り掛かりたいのですが、なかなかそうとばかりも言っていられないのが胸が痛むところです。しばらくは研究から離れて雑務ばかりになりそうな予感がしまして、穏やかな冬の陽気とは裏腹に、少々憂鬱な気持ちでいっぱいです。ふと冷静になってみると、資料叢書、エネルギー史研究の論文、福岡市史の論文、荻野論集の論文と一度に4つも校正を抱えることとなってしまいまして、これはいったいどういう事態なんだと頭を抱えるばかりです。あと助教選考もありますし、こう仕事が詰まってくると、現実逃避に走りたくなってしまいますねぇ。。。しかし、無査読論文とはいえ、論文を同時並行で3本も校正というのはタイミングが悪いって言ったらありゃしないな。
31日(大晦日)
大忙しの2009年もそろそろ終わろうとしています。色々あって今年は給料を貰うようになってから最も忙しかった一年の様な気がします。貧乏暇なしとは言いますが、来年も忙しい一年になりそうな気配です。そんな2009年の幕切れは、粉雪が舞うようなお天気になってしまいましたが、冬が寒いことはまぁいいことでしょう。冬らしい装いで多数が新年を迎えることで、景気にも若干プラスには働いてくれるのではないでしょうか。
景気といえば日本航空ですが、法的整理へと向かっていっているようです。採算の悪い国際線を全日空に押し付けようなんていう案が浮かび上がっているようですが、僕のお気に入りの全日空に余分なものを押し付けないでもらいたいところです。よく、高齢者は日本航空が好きだといいますが、若い世代にはそんな思い入れは日本航空にはありませんので、一企業としての整理なり再建なりに向かって貰いたいものです。全日空の競争相手として存在している分には別に文句を言う気もありませんので。
しかし来年は、増税、増税、また増税と、この不況下に何をやるんだろうかという迷走気味の話ばかり入ってきます。貯金の半額くらいをどっか外貨に替えた方がいいのかなぁっと今のところ思案中ですが、今の鳩山内閣の政策だと財政がどうなってしまうのか訳分からないくらいの迷走した歳出になっていますから、国民は防衛としての何らかの対策を迫られることになるでしょう。世界経済が回復傾向な中で、日本経済だけが独歩安のこの状況は、まぁ国民が選挙で選んでしまった結果とはいえ惨憺たるものです。ここまで悲惨な事態になるとはねぇ。
新年に向けて余り明るい話題もありませんが、年明けは何か明るいネタでも書きたいなと思いつつ、今年一年の感謝の気持ちを込めながら、それでは良い年末年始を。