2010年9月 |
9日(木)
9月も上旬が終わろうとしていまして、筥崎宮は放生会の準備が真最中であります。秋祭りが近付いてきたんだなぁっと、心もふわふわとしているところなのですが、その祭りの準備をボーっと見ていたためではありませんが少々ここの更新が止まっていましたね。先週は新宿の明治安田生命ホールでの歴史民俗博物館のフォーラムに参加していたのですが、ホールが新宿駅西口の地下のあんな場所にあったとはつゆ知らず、もっと上の階かどこかにあるとの先入観でいました。新宿駅からのあの行き易さで結構使い勝手も良いというお話を聞きましたけど、これまであの前の通路を何回も何回も往復しながら知らなかった自分にもびっくりな話ではあります。
そして東京から福岡へとは直帰しませんでして、新幹線を名古屋で途中下車して、10月頭に札幌で開かれる経営史学会のパネル報告の打ち合わせなんぞをしていました。陶磁器業を題材としながら、産地におけるリーディング企業っていうのを考えてみようというパネル報告でして、そういう意味ではこれまでで最も経営史っぽい報告になるかも知れません。ただ、報告時間がパネルっていうこともあって30分と限られていますので、その報告時間との兼ね合いもあって色々と悩んでいるところでもあります。
美味しい北海道の幸を堪能するためには、打合せを踏まえてどうやって報告内容をいじろうかなぁっというところですが、頭の中はカニやらシシャモやらウニやら乱舞している状態でして、レジュメに蟹とか海胆とかいう単語が混じらないように気をつけるのに精一杯なところです。
13日(月)
放生会も無事に始まりまして、筥崎宮はかなりの人でにぎわいを見せています。というわけで屋台で買い食いなどをしたのですが、昨年まで一串が500円していた大豚バラを始めとする焼鳥屋のラインナップが、今年はどの屋台も400円に統一されていまして、2割も価格下落が起こっているんだなぁっと少々考えられる事態になっています。ただ、たこ焼とかお好み焼きといった粉物、かき氷、唐揚げやフランクフルト、サーターアンダギーに肉巻きおにぎりと、その他の商品はあまり値段は変わっていないように見えるのですが、焼き鳥の大きな串だけ値段が下落しているようでして、その辺はよく分からないところがあります。
時々ランチを食べに行く大学前の中華料理屋さんも出張で屋台を出していまして、そこのお兄ちゃんに挨拶をしながら焼き餃子などを買い込んでしまいましたが、最近はリタイアしてしまって店に出てこなくなっていたオーナーのお婆ちゃんにも久々に会えまして、徐々に祭りらしさが高まっています。お店は〈帰郷〉というところなのですが、1986年といいますから彼これ四半世紀ほど前に残留孤児だったオーナーのお婆ちゃんが日本に帰って来まして、1989年に日本に帰って来たということで〈帰郷〉というネーミングのお店を開いたのでした。留学生に聞いたら、てっきり中国へ帰ることをイメージして帰郷と名付けたと思っていたとか。そのくらいに中国東北部へと里帰りしたような味を、日本人向けにアレンジしてありまして、なかなか好きな味の店なんですよね。
このお店、先日お客さん感謝祭をやっていたのですが、食べ物も飲み物もオール半額ということでして、そんなことを全く知らずに入ってしまった経済の先生たちと4人で、驚きの価格で堪能したのでした。もともと学生街の中華料理屋さんなので、けっこう普通の値段でもリーズナブルにやっているのですが、それが半額ということでさすがに驚き驚きでした。古い九大関係者に聞くと、薄暗いイメージで語られるのですが、創業時とは店舗も移転した上に、昨年には内装をさらにきれいに改装しまして、かなり綺麗なお店になっていっています。にもかかわらず学生街値段を続けているのはうれしい限りです。
22日(水)
軍艦島のことを書きました論文の〈社会経済史学〉への掲載号が決定しましたが、隔月刊行から季刊増頁へと変更された初年度の2冊目ということでして、これまでと同じ感じなのか違うのかも校正原稿が届くまで分からずドキドキです。軍艦島という名称を論文タイトルに入れるかどうか悩んだものの、結局は外して三菱端島とだけにしてしまいましたが、軍艦島関係ということでまた佐倉の歴史民俗博物館の共同研究にも参加することになりまして、ブームで結構人気なんだなぁっと感心してしまいます。加えまして、九大経済の方に掲載してもらった資料復刻のリポジトリ登録も終わったということで、少々プロフィールを更新しておきました。
29日(水)
久しぶりに博多駅周辺をぶらっと歩いたのですが、博多駅の駅ビルが着々と出来上がっている最中でして、駅ビルの右上方には〈阪急〉という文字もでかでかと入ってサマになってきました。駅ビル壁面のど真ん中を占めます時計が、まだ長針も短針も12時のところでピタッと止まっていまして、まだ新たな一歩を踏み出す前の駅ビルを象徴しているかのようでした。ちなみに1890(明治23)年の博多駅舎というのが、直方駅に移築されているとのことでして、直方に行く機会でもあれば実質初代駅舎の博多駅というものを観察したいなぁっとも思っているのですが、なかなか直方まで足を延ばす機会っていうのもないもので、未だに見ないままになっています。
僕が福岡に来る前年から既に博多駅の改修工事は始まっていまして、実はまで一度も工事中ではない博多駅というものを見たことがないのですが、もう少しで工事も終わるのかと思うと待ち遠しいものがあります。この工事は、現在は熊本県の新八代から鹿児島中央の間でだけ走っているという奇妙な九州新幹線が、博多駅までつながることに合わせての開業を目指しているものでして、九州新幹線を迎えるための駅舎でもあるようです。博多―熊本間とかで先に新幹線を作ってしまうと、そこから先へは予算上の都合で伸びない可能性を心配した結果、南から先にできるという摩訶不思議な方式で作られている九州新幹線ですが、ようやくと完成形に辿り着けそうです。
先日、鹿児島大学の先生とお話をしていたのですが、九州新幹線の終着駅でもあります鹿児島中央駅っていうのは、実は一昔前は西鹿児島駅と呼ばれていたというお話を聞きまして仰天してしまいました。そういえば古く中学生だかの時代に西村京太郎のミステリーで終着駅として西鹿児島駅っていうのが登場していたよなぁっと思いだしていまして、西鹿児島駅といえば終着駅というイメージだったのですが、鹿児島中央駅という名前になっていたために全く記憶の彼方に行ってしまっていたのでした。そうと知っていれば、前に鹿児島へ行った時にもうちょっと終着駅っていう旅情を楽しめたのになぁっと残念でなりません。
さてさて、経営史学会のレジュメの準備も終わりましたし、シシャモの美味しい店でも本腰を入れて探すとするか。