2011年10月

6日(木)
 経営史学会の大会も近づいてきまして、北澤先生の指示に従って、皆でいろいろと準備やらに追われていたりします。宮地セレクションの焼酎などもありますが、あまり量は多くありませんので、懇親会では早めに目を付けて堪能して下さい。懇親会が始まる頃までには初日の後片付けを終えたいところですが、たとえ間に合ったとしても、流石にホスト校の片隅にいる身でありますから手を付けないつもりでいます。ゲストの皆さまでお楽しみください。

 ところで先日、福岡にあります宮地嶽神社というところに行って参りました。日本一の大注連縄で有名でして、お正月の初詣客などでは賑わうところなのですが、そういえば同じ「宮地」なのに行っていなかったなぁっと思い立ったのでした。ちなみに宮地嶽神社の方は「みやじ」でして、あちらの地名には「宮司」と書いて「みやじ」と呼ばせるところもありますし、なかなか不思議なものであります。参道の階段を上った頂上で、ふっと後ろを振り返った時に見えます景色は絶景です。海岸への一本道があまりにも美しく、階段の下へと吸い込まれていきそうになるくらいでした。

 ここの名物は松ヶ枝餅でして、太宰府の梅ヶ枝餅と張り合っているのですが、松と梅とどちらが先に始まったのかはよく分かっていないようです。ただ、せっかくだから箱崎でも香椎でもどこでもいいので、竹ヶ枝餅っていうのを売り込んで、松竹梅で餅合戦をやれば面白かったのになぁっと思うのですが、残念ながらどこも竹ヶ枝餅をつくる気配もなさそうです。

 ただまぁ、この宮地嶽神社は少々福岡からは距離が有りますから、全国大会へ来た人たちがお参りするにはあまり適していないかも知れませんねぇ。やはり、福岡へ来てそれなりにふらっと行けるところといいますと、近場だと「敵国降伏」の縁で有名な筥崎宮ですとか、西区の方にある(箱崎は碑だけなので・・・)元寇の防塁跡ですとか、あとは少し足を延ばして大宰府でしょうかね。ちなみに〈漢委奴国王〉の金印は太宰府の九州国立博物館ではなく、西区の福岡市博物館にありますのでお間違えなく。

13日(木)
 経営史学会の全国大会の準備も大詰めを迎えているところです。そんな中、経済の北澤先生の命を受けまして、会員控室用のお茶菓子などを買い漁ってまいりました。せっかく福岡まで来て貰うので、関東や関西ではあまり売っていない、福岡もしくは九州内のお菓子メーカー限定でお茶菓子を買い集めましたので、口に合うかどうかは食べて貰うまで分かりませんが、取り敢えずは堪能して貰いたいなぁなどと思っているところです。

 と言いましてもお茶菓子程度なのですが、本来は福岡などは美味しいお菓子が沢山あるところでして、予算の都合で豪華なものは用意できなかったのは残念です。そこのところは、皆さんが福岡から各地へ戻られる際に、是非とも空港でも駅でもですが、色々なお菓子やらお土産類やらを売っていますので、味見などもしつつ買って行って貰いたいものです。福岡のお土産というと明太子が真っ先に思い浮かぶところでしょうが、九州は菓子どころでもありますから、千差万別なお菓子の中からお気に入りを見つけて貰えればなぁなどと思っているのです。ご家族にも喜ばれることでしょう。

 あと、大会前にこんなことを書くのも何なんですが、せっかく福岡へ来たのだから屋台で飲みたいという方もたくさんいることでしょう。屋台は、長浜エリア、中洲エリア、天神エリアが3大エリアになっています。懇親会場からは、中洲が一番近く、天神、長浜の順に遠くなっていきます。中洲は川沿いですから天気が良ければ吹き抜ける夜風を浴びながら楽しめるのではないでしょうか。中洲・長浜は観光客が多いですが、地元の人がよく行く屋台ならば天神エリアがお勧めです。西鉄ターミナルを取り囲むように、至る所に屋台が出店されています。金曜や土曜ですと、どこも人気店はいっぱいかも知れませんが、どちらにしろ前日に飲み倒れることなく、大会会場に辿りついて貰いたいものです。

26日(水)
 何やらドタバタしているうちに10月も終盤に入ってしまいました。経営史学会では〈丸ぼうろ〉が大人気だったようでして、子ども心に戻ってくつろいで頂いたようで何よりでした。しかし金曜日の6限まで教室が埋まっていた関係で、前日の21時半くらいまで準備をしていましたし、当日は朝の8時には集合っていう感じで、開催校っていうのは本当に大変だなっと実感した日々でした。お金を管理していた鷲崎さんや、全体統括をしていた北澤さんの方が気が休まらなかったでしょうけど、まぁ取り敢えず嵐は過ぎ去ってホッとしているところです。

 しかし、そんな慌ただしい日々の中で、少々体調を崩してしました。特に喉がやられてしまいまして、ゲホゲホとしてしまうのがツライところです。授業中にも話していると喉にからむ状況でして、聞き苦しいだろうなぁっと思いつつ、だからと言って話さない訳にもいかないので話しているのですが、講義で喉を使っているのもなかなか治らない原因でしょうか。秋風邪は長引くといいますが、そんなに症状はひどくないのに、ずるずると続いているのが苦しいところです。

 そんな秋風邪の真っ最中でありましたが、先週には37歳の誕生日を迎えまして、そろそろ30代も後半に突入してしまったのでした。大学業界っていうのは37歳はまだ若手扱いして貰える年齢ですが、そろそろ若手といっても中堅に足を突っ込みかけているところになりまして、今まで以上に精進が必要だなぁっと感じているところです。若手研究者が求められている役割と、中堅研究者が求められている役割っていうものは、延長にある部分と新しく付け足される部分とそれぞれでしょうから、なかなか考えさせられるところです。

 という堅苦しい話はさておきまして、誕生日にはカミさんにオムライスを作って貰いました。オムライスっていうのは卵のふわふわ感っていうのも素敵なんですが、それ以上にケチャップライスが秀逸ですよね。近くのスーパーが博多地鶏ではなく桜島どりにこだわっているスーパーなので、桜島どりの胸肉を使ったケチャップライスでした。少々子ども舌なディナーですが、風邪気味なこともあって久しぶりに堪能いたしました。オムライスを発明した日本の洋食屋さんっていうのは、本当にすごい発想力だと思うのです。オムレツよりもオムライスの方が満足感プライスレスですよね。

31日(月)
 プロフィールに追加しておきましたが、有斐閣の『書斎の窓』の方から頼まれまして「福島が関東への電力供給地になった時」というエッセイを書きました。もともとは震災の前から猪苗代湖での水力発電事業をめぐる碍子の話などを調べておりまして、それがペーパーになるのは年明けになってしまうのですが、その論文を執筆した後に書いたエッセイの方が先に出てしまうという事になったのです。なんで宮地が猪苗代湖の話を書いているんだと言われそうですが、碍子を調べていた延長で色々と執筆している中での1つなのでした。

 しかし、すべての歴史は同時代史であるとはよく言ったものでして、福島の原発がいまだに収まらない状況下、どうしても電力業という産業へ注目は行ってしまいます。学部の頃に藤田覚さんのゼミに出ていたころは、なぜに鳴物停止令なんかに興味を持っていたのかあまり気にもしていませんでしたが、僕も長らくやっていた陶磁器業の歴史以外のところへ手をつけ始めて、そういう同時代史的な関心っていうのを強く感じるようになっています。まぁ、猪苗代水力電気へと手をつけ始めたのは3.11以前なので偶然なのですが、陶磁器製の碍子を経由して電力業へも興味関心が広がっていたところに、福島の原発爆発っていう流れでして、色々と思うところはあるわけです。。。