2012年2月

6日(月)
 ふっと思い付いて九州大学の蔵書数なんていうのを見ていたのですが、2009年3月時点のランキングなので少々古いのですが、大学の蔵書数ランキング(週刊朝日調査)によりますと、東京大学(880)、京都大学(636)、日本大学(577)、早稲田大学(508)、慶應大学(458)に次いで第6位(396万冊)にランキングされているとのことです。1911年に京大医学部の分校から出発したこともあって、理系の分野が人数なども多いという傾向があるにもかかわらず、第6位の蔵書数っていうのはなかなかのものです。

 ちなみに2011年3月末現在では、蔵書数は和書約228万冊、洋書約177万冊で、合計は約405万冊(ただし、雑誌は別)になっています。週刊朝日の調査時点よりも9万冊ほど増加しておりまして、収蔵スペース泣かせの増加を続けています。文部科学省では大学の設置する図書の最低の基準というのはありますが、大学も100年を超えて来ますと最低基準どころではなく、溢れる図書の大群をどうするのかというのが重要課題になってきています。伊都キャンパスへの移転を控えまして、書庫も、開架書庫から集密書架、さらには自動化書庫というように色々と計画がなされています。

 先日プロフィールのところを更新しておきました『化学史研究』に掲載される電力用の碍子に関する論文では、日本国内では九州大学にしかないという洋書を偶然ですが発見してしまいまして、この全国1冊の本を利用することにより完成できたのでした。過去の九州大学の教員たちが図書館に偶然入れた本で、現在の教員をしている僕が論文をかけるっていうのは、何やら時空を超えた九州大学としての流れを感じさせられます。本来はどの図書を使っても同じなのでしょうけど、日本全国にただ1冊っていうのが、より一層それを強く意識させます。こういう事を体験すると、九大愛も更に高まりますよね。

 まぁそんな訳で、今の九州大学の教員をしている僕としては、50年後、100年後の九大関係者達のためにも、せっせと貴重な図書類をリクエストするのでした。

14日(火)
 ホイットニー・ヒューストンが無くなったというニュースはあまりにも突然でした。まだ48歳だったということで、あまりにも早すぎる死が惜しまれます。〈ボディガード〉が上演されていたのは僕の高校時代のことですが、最近は母娘ともどもドラッグに苦しみ、声も往時のものが出なくなっているような状況でして、なかなか大変だったであろうことは想像できますが、それにしても早すぎますよね。マイケル・ジャクソンの時は世代的に上の世代が愛した歌手というイメージでしたが、ホイットニー・ヒューストンはまさに同時代人でして、感慨もひとしおです。

 彼女の苦しみの一つは、CDなどが売れなくなった事だとも言われていますが、それは彼女の歌声とは何の関係もない、音楽のビジネススタイルが変わっただけなんでしょうが、当事者にしてみれば深刻な悩みになってしまったのでしょうか。ホイットニー・ヒューストンが握手してまわる訳にもいかないですからねぇ。。。youtubeで〈IWill Always Love You〉を聴きながらこんなことを言うのもなんですが、彼女の歌声は楽曲の売り上げとは関係なく世界中の人々に愛されていましたし、これからも聴かれ続けていくことでしょう。黙祷。

22日(水)
 そろそろ冬も終わりに近づいていますが、春といえば、カミさんの実家が持っている山ではタケノコが芽を出し始めますから少々気になるところです。いや、福岡がそろそろ暖かくなり始めただけで、カミさんちの方はまだまだ雪が残る季節なのですが、前に体験したタケノコ掘りがあまりにも驚きの連続だったために、タケノコ掘りがしたくて仕方がなくなって疼いてきます。

 山道の関係で竹藪に竹が生えすぎると困りますから、春には山道の整備も兼ねてタケノコの収穫を毎年行っています。前にちょうどそれにタイミングが良かったこともあり、義弟とともに3人でタケノコ掘りに行ったのでした。そうしたら、カミさんと義弟で、鎌やら鍬やらをぶんぶん投げて遣り取りしていまして、街っ子の僕としては、完全に体が凝固。動いたら鎌にヤラレルのではという焦りで、主道から出来るだけ外れない範囲で、僕だけは細々とタケノコ掘りを楽しんでいました。山道っていうのは道があるようでないようであるみたいでして、なかなかの衝撃体験でした。

 最初にタケノコ掘りと聞いた時の僕のイメージとしては、平坦な草原の中に小高いくらいの竹林があって、その林の中のタケノコを掘るっていうものでした。ところが現実は、まさに山。秋になると松茸なんかも奥の方で採れる山のようですが、とにかく登るのが大変なんですね。日頃の運動不足と体重を反省させられる山に分け入って行きまして、義弟などはとっても身軽にひょいひょいと崖をよじ登って、大量のタケノコを収穫してくるんです。子どもの頃からの慣れなのでしょうが、豊かな山の幸の為には鍛錬が必要だなぁっと感心をしたのでした。しかし、採れたてのタケノコっていうのは本当に美味しくて、もう少しで楽しめるタケノコが夢にも出るくらいです。

29日(水)
 今年は29日があったことに気づき、あぁ、閏年なんだぁっと妙な関心をしています。ということは、今年は夏のオリンピックの年なんですね。アメリカ大統領選挙の予備選挙を大騒ぎでやっているんだから、閏年だと気付くべきだったのですが、すっかり忘れていました。1年のうちで1日多いだけで、GDPは確実に0.3%ほど上昇しますし、一日多いにもかかわらず月給は変わりませんし、まぁ366分の1ですが悲喜こもごもです。

 ところで話は変わりますが、先日、尾張の清洲城にぶらっと登ってまいりました。前にも何度も行ったことはあるのですが、今回は行って驚愕です。なんと、内部があまりにも豪華になっていたのです。巨大な液晶テレビが何台も据え付けられ、それら一台一台で、桶狭間の戦いや、清洲会議や、なんやらといったシーンを再現した映像が流れていたのです。しかも、ナレーションは松平定知。あの、〈その時歴史が動いた〉の口調そのものに、織田家の名シーンを淡々と語っていくのです。清須が、名古屋が、天下を動かしていたことをヒシヒシと感じることができるのです。僕がそのように強い感動を覚えているその横で、カミさんは理由は分かりませんが、ゲラゲラと爆笑をしていたのでした。何にウケていたのかは不明です。

 昨年度の大河ドラマの〈江〉は、あまり評判の良い大河ドラマではありませんでしたが、それに便乗した清洲城商法は大当たりだったようです。どれだけ儲かったのかは分かりませんが、妙にリアルな人形も何体も作られ、今まさに敵に石を落とさんとしていたり、夫婦で語らっていたりとテンコ盛りでした。カミさんは人形を凝視して大笑いしていました。多分、清須と名古屋の素晴らしさが伝わったことでしょう。さらに、清洲城の裏側では遺跡の発掘が行われていまして、新しく何か建物を建てる臭いがしていました。お土産物売り場か、食べ物屋か、何か清洲城らしいものが出来るんじゃないかなぁっと期待に胸が膨らむばかりです。