2012年5月 |
7日(月)
皆さんはGWはいかがお過ごしだったでしょうか。僕はカミさんの実家に行っていたのですが、そこで人生初の体験を二つもしてしまいました。一つは、風呂に入っていて、浴槽から連なるタイルに背中を付けたところチクッとしまして、痛いなぁ、なんだ、と思っても痛みが取れないので、手で触ったら、なんと5cmほどのムカデがひょっと出て来まして、ムカデに刺されてしまったと真っ青になったのです。カミさんに加えて、既に就寝中の面々まで階下に降りて来て、もう大騒動になってしまったのです。
ネットで検索して貰ったところ、まずは43℃以上の熱湯につけておくといいということで、もう一度風呂場に連れ戻されて、背中を湯につけ、カミさんが蛇口から熱湯を入れ続けるという処置を受けまして、汗もダクダクになりながら、なんとか次第に痛みは弱くなっていったのでした。ただ、熱湯で無毒化できるという情報の前に、ムカデの毒が回らないようにカミさんが思いっきり背中の肉を絞り上げてくれまして、ムカデに刺されていたいのか、カミさんに抓まれたところが痛いのか、それすらも良く分からなく数日を過ごしたのです。
もう一つの初体験は、人生で初めて天の川を見ました。5月の空なので深夜も深まった時間帯でしたが、夜空を見上げると確かに星が密集したラインがあるんですね。さらには琴座のベガに白鳥座のデネブも見えまして、夏の大三角形が見える時間帯までは起きていませんでしたが、しっかりと織姫と彦星が天の川を境に対峙している姿を確認することができたのでした。日本海側は曇りがちのお天気でして、天体観測に向いた日は1日しかなかったのですが、降り注ぐような満点の星空を満喫できたGWなのでした。
18(金)
星の廻り合わせが悪いのか、色々とバタバタしておりますが、なんと携帯電話の調子までもが悪くなってしまいまして、修理をするか買い換えるかと思案中なのです。ご機嫌具合によっては、ちゃんと機能をする時もあるから悩みどころでして、取り敢えず土日のうちには決断しようかなぁっと思いつつも、会議や授業に追われて放置中です。ということもありまして、何か喫緊の用事がある方は、メールに連絡をいただけば、普段より頻繁にチェックはしております。
ところで、過日沖縄へ行った時のことですが、沖縄そばを食べに行ったところにヨモギジュースっていうのがありまして、どんな味だろうなぁって思って店のオヤジさんに尋ねたところ、ヨモギは体の中の老廃物を排出してくれて若返り効果があるとのこと、自分はジュースを作っている時に味見をしているんだが何歳に見えるかって、逆に質問をされてしまったのです。色々な先生方の顔を思い浮かべながら、だいたい50歳くらいかなぁっと思ったのですが、なんと還暦を超えているとのこと!ヨモギの若返り効果っていうのに俄然興味を持ったのでした。
沖縄ではヨモギをフーチバと言っていまして、ガレッジセールが物真似をしているフーチバ親方が有名ですが、フーチバがかなり身近な食べ物のようです。このフーチバの天麩羅もまた美味しくて、沖縄料理のバイキングをやっている店で、フーチバの天麩羅をばくばくと食べたのでした。そして、ヨモギジュースも美味で、本土のヨモギよりも味が濃いこともあり、ヨモギ茶などもお勧めです。ヨモギ茶をいくらか買い込んで来まして、カミさんがそれを乳鉢ですり下ろして色んなのとブレンドしてくれるので、それを飲んだりしているのです。皆さんも若返りのためにはヨモギに挑戦してはいかがでしょうか。
23日(水)
この前、東海道新幹線を乗っていてふと昔のことを思い出してしまったのですが、小学校の頃っていうのはその地方地方の方針によって、地域の歴史っていうのを学ぶ時間があるんですよね。岐阜県出身ですから、僕も小学校時代に岐阜県にちなんだ郷土の歴史を学んだわけです。と言いますと、岐阜県も多治見だから焼き物の話を学んだのではとか、戦国時代の斉藤道三について学んだのではとか、そういうところを普通は思い描くわけです。
ところが、岐阜県も東濃地方の多治見の小学生たちが学んだ郷土の歴史は、なんと輪中だったのです。上流から流れてきた土砂の堆積によって、自然と川底が高くなっていき、流域の平地よりも川や堤防がはるかに上に来てしまう輪中は、木曽川、揖斐川、長良川という大きな河川が合流する岐阜−愛知の特徴の一つとして有名です。そんなわけで、岐阜県の郷土の人々の暮らしと歴史ということで、今はどうだか知りませんが、当時の岐阜県では小学生がそれらを学んでいたわけです。
ところがこれ、岐阜県も西濃の方では確かに郷土の暮らしと歴史でしょうが、東濃の人間にしてみると何が何だか分からない代物でして、一番近い木曽川だってかなり離れていますから、そもそも木曽三川っていうのが分からないところから出発です。多治見を流れているのは庄内川ですから、木曽川と庄内川の違いすらよくわからない小学生に、木曽三川の輪中はなかなか難易度が高すぎます。そもそも、僕なんて未だに岐阜市に行ったことすら片手の指で足りるくらいですから、輪中っていうのは無理があったよなぁっとボケぇっと考えていたのでした。
確かに、大人になって輪中の話を聞いていますと、自然と、それに処する人間との関係っていうのは面白いと思うのですが、当時は本当に何が何だか分からなかったことだけが思い出されるのです。
30日(水)
九州大学における経済史分野の盛況をもたらして下さいましたお一人の、森本芳樹先生が亡くなられました。福岡を離れる送別会の時には、東京でお孫さん達に囲まれてこれからは暮らすと楽しそうに仰っていたのが印象的です。残念でなりません。御冥福をお祈りいたします。