2012年8月 |
7日(火)
ロンドンオリンピックを見ていると、金メダルこそ少ないものの銀メダル・銅メダルは量産体制に入っていまして、総メダル数でいくとアテネやロサンゼルスに匹敵する、もしくはそれを超えるほどの出来栄えになっています。連日連夜のメダルラッシュというお祭り状態には興奮させられるとともに、悔しい場面も多いですね。様々な種目でのレベルの上昇と、あと一歩の勝負弱さっていうのが今回の日本の特徴なのでしょうか。
ところでなでしこジャパンの際に問題になっていましたが、選手たちのロンドンへの移動が、基本はエコノミークラスで、各競技ごとにアップグレードをした場合に限りビジネスにしたり、プレミアムエコノミーにしているとのことです。それだけなら問題はないのですが、なんとJOCやら各競技団体のお偉いさん達、つまりは競技をしない年寄りたちが優先的にファーストクラスやビジネスクラスに乗っており、そのために体調を管理すべき選手たちがエコノミークラスで移動をしているとか。いったいこの本末転倒ぶりは何なんだかと呆れ果てるばかりです。JOCや競技団体の幹部こそ窮屈に移動させても問題ない立場でして、このような馬鹿げた慣習はとっとと打破しないとダメでしょうね。
10日(金)
消費税増税法案が衆議院に続いて参議院でも可決されたことで、取り敢えずは2014年4月から8%に上がりそうな感じです。翌2015年10月には10%ですか。
竹下登内閣で消費税3%が導入されて1989年に始まってから、1997年の橋本龍太郎内閣による5%への増税以来の増税となっています。3%期間が8年間だったのに対して、5%期間は17年間と、倍以上の期間を過ごしてきたわけです。やはり5%というキリの良さもあって17年間も続いてきたわけですが、8%を1年半挟んで10%に移行した後は、いったい何年間その10%を続けることになるのでしょうか。
橋本龍太郎内閣による消費税増税が、バブル崩壊後の景気悪化から立ち直ろうとしていた日本経済を奈落の底に落としたという評判がもっぱらですが、今回の増税が今の日本経済にどのような悪影響を与えるかが今後の考察対象となっていくことでしょう。
13日(月)
九州大学も百周年ということもありまして、僕が所属しています記録資料館の源流の源流の一つである九州大学産業労働研究所っていう、かつて九州大学内にあった組織について簡単にペーパーを纏めたりなんぞしております。気分は完全に、夏休みの宿題をこなしている小学生のようなものでして、何だか不思議な気分です。小学生の夏休みの宿題といえば、桓武天皇の木簡について何かを書いた記憶があるのですが、何故に小学生時代の自分がそんな事に興味を持っていたのかは今となっては謎ですが、あの頃は長屋王の木簡とかも色々とニュースになっていたからでしょうか。
ところで話はかわりますが、お盆ということで亡くなった方たちへと思いをはせる時期となっています。東日本大震災での1000年に1度といわれる大津波に関して、色々と調査・報告が進んでいるようですが、そのような中で気になるのが、人々が努めて冷静に行動せねばとした結果として起こる正常性バイアスについての話です。
人間は危機に瀕した時に、パニックにならないようにという正常性バイアスがかかってしまい、逃げるべきタイミングで逃げることが出来ず、そのため甚大な被害に巻き込まれてしまうという心理状況に陥るようです。多くの被害を出し、その映像もまたインターネットなどで容易に見られる未来から振り返れば、あのような大災害からは取る物も取らず逃げなければならなかったと、後付けで指摘・理解することができます。しかしその渦中にあっては人は容易には動けないみたいです。
確かに、平々凡々に生きていた自分の人生に、突如として未曾有の惨事が襲いかかってくるなんて言うことを、咄嗟の判断で理解するのは難しいことだと思います。多分、自分の身に降りかかっていたとしても、適切に逃げられるかどうかなんて分かりません。というよりも多分、立ち止まってしまって逃げられない可能性の方が高そうです。それどころか、危険だ、逃げろと叫んで通り過ぎる人を、何をパニックになっているんだと軽蔑してしまいそうな気もします。しかし、それこそが正常性バイアスの罠なんだろうなっと、色々な報告を目にするたびに怖くなる昨今です。
この福岡も、津波は起こりづらい場所だと言われていますが、それでも大災害が起こった時にはどこに逃げようかなぁっということを、おぼろげながらですが考えるようにしています。正常性バイアスにかからないためには、日常から、惨事が襲いかかった時の対処法を考えておくのが一番じゃないかなぁっと最近は考えたりしているところです。
17日(金)
福岡市の人口が149万人を超えまして、150万人の大台まであと一歩のところまで来ています。1年に1万5千人ほど、つまりは年に1%程度の人口増加ペースですから、来年の4月くらいには150万人に乗せることができるでしょうか。福岡市は平成の市町村合併に全く加わることなく、1975年に現早良区の南部辺りを吸収したのが最後ですから、ドーピングをせずして人口を増やしているのはなかなかです。
しかし、もうすぐ150万人都市というわりには、まだまだ街は開発の余地があるのになぁっと思わされまして、特に街を散歩している時の高揚感がイマイチなのが難点です。その最大の理由は、福岡の人ってあまり外をぶらぶらと歩かないことになるような気がします。この辺が負の相乗効果なんでしょうが、人が外を歩かないから、歩いていて楽しくなるような街づくりが行われず、だから人々が外を歩かないといったところです。
博多から中州を経て天神へなんていうルートは、本来は格好のウィンドーショッピングルートになり得るはずなのに、ビルの谷間を歩いているだけのような無味乾燥な区間が多々あります。天神から赤坂大濠唐人町を経て西新へっていうルートも、お洒落な店がもっと並べばいいのにと思うのに、閑散とした車がスピードを上げていくだけの地下鉄の上の道になってしまっています。やはり街の魅力っていうのは、多くの人が歩いて行き交う活気の中に生れて来るものじゃないかなぁっと思いますし、150万都市になろうというんだから、福岡はもっともっと魅力的な街に脱皮していけるはずだと思うんですよね。
最近はちょっと前と比べて、地上をテクテク歩いている福岡人らしくないライフスタイルの人も増えているようでして、もっと洒落た街づくりへと一歩踏み出すにはいいタイミングではないでしょうか。
20日(月)
僕の専門は日本経済史という分野でして、大学の科目で行くと経済学部に属する授業科目の分野になります。しかし、大学の教員として学問分野を見渡していくときには、どうしても近隣の学問分野への目配りっていうのも重要になりますから、昨今は文学部に属する日本史ですとか、理系に属する化学史などとも交流を持ったりしています。そうすると、日本経済史という学問分野の中では常識だと思っていた事柄が、他の分野に行くと別の慣習やルールに直面することがありまして驚きます。
例えば、経済史分野では、書評っていうのは依頼された人が出してきた原稿をそのまま掲載するのですが、歴史系では必ずしもそうではないようです。歴史科学評議会の『歴史評論』などでは、依頼原稿の書評であっても文章を内容にまで踏み込み、雑誌の編集方針と合致するか否かの審査を経て、編集方針と合致していない場合には審査コメントを送って訂正して貰うという、論文と全く同じシステムを採っているようです。
経済史系の雑誌というのは、昔に関しては良く知らないところも多いのですが、少なくとも昨今では雑誌の編集方針とかいうことが前面に出てくることは少ないかと思われます。しかし歴史系の雑誌の場合は、今でも結構なところそういう機微を読むような文章を求められているんだなぁっと感心してしまい、『歴史評論』の編集長である早稲田の大橋幸泰先生に尋ねたところ、「書評にコメントするのは普通にやっていますよ」と言われ、自分の分野の常識というのは他分野の非常識なんだなぁっと知ったのでした。