2015年1月

15日(木)
 成人の日が1月15日から1月の第2月曜日に動いてしばらく経ちますが、未だに慣れないものがあります。1月15日が第2月曜日になることは有り得ないので、なかなか寂しい限りなのですが、まぁハッピーマンデーによる消費喚起的には致し方ないことなのでしょう。この連休を利用して温泉にでも行こうと計画を立てていたのですが、年末の思い付きではどこの温泉地も超満員でして、経済効果の程を実感した次第です。

 年度末〆までに刊行されるものへの原稿を幾つか抱えていたのですが、それも無事に全て書きあがってホッと一息といったところです。校正以外には新しい研究に取り掛かれそうです。しかしそれと並行して、来年度はまた新しい形態の授業を割り当てられてしまいまして、そちらの新しい授業ノートを作らなければなぁっと言うのは頭が痛いところです。どのテキストをタネ本として組み合わせていこうかと思案中ですが、新しい授業ノートって意外と時間をとられる作業なんですよね。。。

20日(火)
 1994年のペナントレースは、8月の連敗によって中日はリーグ優勝の芽が潰えたのかと思われていましたが、9月に入ってからの連勝連勝ということで、なんと首位を走っていたジャイアンツに並び、10月8日の決戦へとなったのでした。惜しくも中日は最終戦、同率首位同士による最終戦を制することは出来ませんで、2位ということになってしまったのですが、あの緊張と無念さと、中日史上に残る1年を繰り広げてくれた1人が大豊でした。本塁打王と打点王の2冠に輝いた大豊、首位打者のパウエル、そして最多勝の山本昌、そして守護神の郭源治、忘れられない1年でした。落合がFA制度を利用してジャイアンツに移籍した、そのジャイアンツ相手の10月8日でした。

 大豊は2009年に白血病となった後、回復して元気に戻ってきていたのですが、残念ながら昨年11月から再び病状が悪化して治療と療養となっていたとの事で、残念ながら51歳で亡くなってしまいました。1990年代の中日ドラゴンズを輝かしてくれた大豊選手の御冥福をお祈りいたします。

29日(木)
 スカイマークが民事再生法を申請ということです。以前に書き込んだことがありますが、福岡空港へと着陸態勢に入った飛行機が、突然機首を上げ、一気に上昇態勢に入っていって呆気に取られたのですが、あれがまさしくスカイマーク機でした。しかも、1回目ほどの急角度ではなかったものの、その後ももう1回、着陸態勢に入ってから転じて機首を上げたスカイマーク機を見たことがありまして、常々大丈夫かなぁっとは思っていたところでした。

 福岡で僕が空を見上げている時だけで2回やらかしているということは、色々なトラブルやトラブルもどきを頻発させていたことでしょう。そして、そのような状況では、自然と利用者も減っていったのではないでしょうか。新型機への投資の失敗だとかが語られていますが、そういうレベルの話ではなく、利用者が望むサービスをちゃんと提供できるのか否か、そういうレベルの話題だったのではないかと思うニュースでした。

 民事再生法によって再建へと入っていくことになりますが、航空会社としての社会的な責任に鑑み、利用者が安心して搭乗できる航空会社へと生まれ変わって貰いたいなぁっと期待しているところです。

 ちなみに今日の書き込みですが、最初は「飛行機会社」として書いていたのですが、飛行機会社ではなくて、正しくは「航空会社」だとカミさんに訂正され、ちゃんと修正したのでした。。。