2015年7月 |
6日(月)
戦後の日本は、日本国憲法の18条において「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」と決められていますので、国の指示によって国民が何か特定の場所で働かされるということは禁止されています。しかし、大日本帝国憲法下ではそうではありませんでしたので、国家総動員法が制定され、国民徴用令などもその枠内で法制化されていったわけです。
だからこそ、朝鮮人だけではなく、台湾人も、日本人も、皆が法律に基づいて労働を強制された時代だといえます。日本人自身も労働を強制されていたからこそ、現憲法の18条が生み出されていくことになる訳でして、現憲法の制定過程で岐阜県出身の法学者であります牧野英一がこだわった事でも有名です。ちなみに牧野英一は貴族院議員として憲法18条にこだわりを見せるわけですが、議会での質問が大学の講義のようであったと不興を買ったのは御愛嬌でしょうか。。。
そういう訳で、産業革命遺産の戦時の話題というのは、本来的には外交問題として受身で対応するようなことではなく、日本人自身が労働の強制性、国家に強制される労働、そういうものを2度と引き起こされないために考えるべきトピックだと思うんですけどね。現代社会においても、外国人に対しても日本人に対しても、個々人の意に反するような移動や労働が強制されないよう、常に考えていかなければならない問題です。
まぁ何はともあれ、世界遺産への登録が決まったことは観光客誘致にも繋がりますし、めでたい話で何よりです。
16日(木)
中華料理のメニューにトマトと卵の炒め物がありまして、うちのカミさんは大好物なのですが、僕は普通っていう感じのメニューです。そこで、カミさんが少々改変を加えてくれまして、トマトと卵に、ミョウガと青紫蘇を加えた、アクセントがきいた味になったのでした。これに改変したところ、段違いに美味しくなりまして、僕の好きなメニューへと変わったのでした。
ところで、福岡に来てはや9年だか10年だか経っているのですが、初めて壱岐へといってきました。言わずと知れた、松永安左ヱ門の生家を見るためでして、なかなか立派な生家が記念館の一角に残っていました。またそれと共に、福岡を走っていた市電が、そのバス道の底石とともに移植・展示されていまして、なかなかの一品です。印通寺港から程近い場所でして、福岡からの便は芦辺港か郷ノ浦港へ往来しているため、ちょっと足を伸ばしてやる必要はありますが、是非とも行ってみて欲しいスポットです。ちなみに、壱岐の夏はウニのシーズンです。尿酸値を気にしながらでも食べる価値のあるウニです。