2017年8月

7日(月)
 マルクス経済学の概念の一つに、上部構造と下部構造という考え方があります。マルクス経済学自体が廃れてしまったので、最近ではあまり意識される事もありませんが、かつては一世を風靡して経済学部人気の一役を担っていたこともありました。何故にそんな話をいきなり始めたのかというと、カミさんが少々奇妙な話を耳にしてきたからでした。居酒屋談義で、政治が上で、経済が下だから、政治をするのが偉くて、経済より上なんだとしたり顔で語っている年配の人がいたようでして、カミさんは、半可通の半端者がいい加減な話をしているなぁと横目で聞いていたらしいのです。

 しかしながら、下部構造である経済体制が、上部構造である政治体制などを規定するため、経済構造を学問的に明らかにする事に意味があったというマルクス経済学の考え方を、居酒屋談義をしている年配の人が真逆で間違って理解をしていたのは御愛嬌でしょう。学問的に学んだことの無くとも、象徴的なフレーズというのは人々の記憶に残るものです。また、今はすでに中国が資本主義体制になっている時代ですから、時代の流れというのを感じさせられます。

 政治が上だ、経済が下だと、上部構造や下部構造の意味を取り違えて理解している人が大学業界にいたら滑稽ですし、大問題ですが、居酒屋談義をしている町の年配者でも、そんなフレーズを耳にした事があったというのは、なかなか感慨深く過去におけるその影響力の大きさを知らされるのです。

12日(土)
 尖閣諸島沖の海底油田に関する2本目の論文がネット公開されましたので、プロフィールのところからリンクを貼っておきました。今回は、琉球政府の通産局長をしていました砂川恵勝の旗振りによる沖縄石油資源開発株式会社という企業の設立構想と、それが実現せずに挫折していく様子を分析しています。1本目の論文の主人公的な立場にいたのは大見謝恒寿でしたが、2本目の今回は砂川恵勝に主人公的なスポットライトを当てつつの論文です。砂川恵勝は琉球大学法文学部から琉球政府に抜擢されるのですが、行政官として色々と巻き込まれていく状況でして、学者行政官の悲哀をみることができます。

 さて、8月12日といえば日航機の御巣鷹山への墜落の日です。坂本九の〈上を向いて歩こう〉を作詞した永六輔も昨年亡くなってしまっておりまして、昭和は遠くになりにけりというのを感じさせられます。2機が衝突したテネリフェ事故を除けば、御巣鷹山の事故っていうのは単独の飛行機事故としては最も被害が大きかった事故でして、それを超える飛行機事故がその後に発生していないのが幸いです。飛行機の修理や整備など、日航機事故を教訓として様々な場所で改善が加えられているんだと思われます。カミさんの論文からの受け売りですが、修理や整備で気を抜くと、また日航機事故のような大災害になるかも知れないと恐ろしい限りです。

17日(木)
 今年のお盆も墓参りをする事もなく原稿の校正やらに追われていましたが、うちの父方の祖父が亡くなってから彼是30数年も経過しております。シベリア抑留の生き残り組みでして、父はその後に生まれていますから、祖父がシベリア抑留で死んでいたら自分は存在していないのだと思うと、なかなか感慨深いものがあります。

 うちの祖父はシベリアから帰国後にも商売でそれなりに上手くやりまして、当時の岐阜2区の代議士をしていました渡辺栄一の後援会などにいたのですが、中選挙区制度から小選挙区制度になった時に、渡辺栄一の後継であった藤井孝男は隣の新岐阜4区となってしまいまして、うちの実家の新岐阜5区は渡辺栄一のライバルだった古屋亨の甥である古屋圭司の地盤となりましたから、我が家も御役御免となって雲散霧消したのでした。ちなみに中選挙区から小選挙区への移行はカミさんの実家の方にも影響がありまして、カミさんの御爺さんも中選挙区時代の鳥取全県区の時に活躍されたらしいですが、新鳥取1区となった際に御役御免となっているのでした。

 まぁうちの実家にしても、多分カミさんの実家にしても同じだと思いますが、自分を政治家にして貰いたい野心家や、美味しいポストに推して貰いたい人などがいつまで経っても寄って来たりしまして、御役御免となってからもう何年経っているのやらと思います。祖父の世代というのは孫の世代には関係の無い話でして、そんな事よりも街の賑やかしでもやっている方がよっぽど楽しいのです。などと思いながら、先祖の霊に思いを馳せたのでした。

24日(木)
 中央自動車道の瑞浪−恵那間で流れ崩れた陶磁器原料の話を見ていると思うのですが、多治見の中心部を流れている土岐川っていうのは白く濁っているのが普通の状態でして、川の水が白いのは陶磁器生産が盛んな証みたいな感じであまり気にする事もなく子どもの頃はいましたが、確かによくよく考えると変な話ですよね。公害問題とかの話での排煙や排水の話は意識しますが、陶磁器の粘土が川を流れていたからといって何かあるわけでもありませんし、多分昔からそうなんだろうなぁって言うくらいの意識でした。どんなに白かろうと川に入ったものです。

 しかしまぁ、川にしろ山にしろ、粘土の不法投棄はいけませんね。先代から代々40年来の不法投棄ということらしく、まぁ、ありそうな話といえばありそうな話ですが、よく今までバレずにやって来たものです。佐賀の有田などでは川が白く濁っていたりしませんので、多治見とかでももっと意識を高くすれば改善されると思うのですが、子どもの頃から川が白いのは当然と思って育っていますから、なかなかコミュニティの内側にいると気付きませんよね。

 下手したら300年来、多治見の土岐川は白い可能性がありますが、清流の土岐川というのがあっても良いのじゃないかと少々夢想した夏休みでした。鮎は木曽川と思い込んでいましたが、土岐川も川が白くなる前は鮎もいたんじゃないかと思うのです・・・