2017年9月

11日(月)
 今年は例年よりも夏・秋休みの調査を早めに決行し、残りの期間は研究室でゆっくりとというスケジュールになっています。そのため、調査から戻ってきてゆっくりと箱崎宮の放生会の準備の様子を眺めながら、収穫祭の喜びを心待ちにしているのです。放生会は生姜が名物ですし、箱崎ではチャンポンと呼ばれます所謂ホッピンも可愛らしいですし、多種多様な屋台の数々も心を躍らせる要因です。迫力満点ですので、明日からの放生会を堪能しないではいられません。

 さて、過日は少々研究会があった関係で広島へといって来たのですが、〈牡蠣喰えば、鹿が鳴くなり、厳島〉いうことで、広島といえば牡蠣が名物なのは有名ですが、今回はアナゴ飯に挑戦してきました。いや正確に言いますと、アナゴ飯と、アナゴの白焼きと、アナゴの刺身にも挑戦してきました。瀬戸内海でアナゴが名産だとは知らなかったのですが、カミさんがアナゴ飯は広島駅で途中下車をしてでも買うという好物でして、そこに教えられてのアナゴでした。〈うえの〉のアナゴ飯も確かに絶品でしたし、懇親会でリクエストをしていたアナゴの刺身や白焼きも絶品でして、〈ざっそうあん せと〉さんにも感謝なのでした。

 それと沖縄へも少々資料調査へと行っていたのですが、夏の沖縄はモヒートが最高です。僕が初めて美味しいモヒートを飲んだのが国際通りの〈ヘリオスパブ〉のヘリオスラムで作ったモヒートでして、他でも色々とモヒートを頼むことがありますが、やはりMyMojito Lifeの原点であるヘリオスパブさんのモヒートは格別です。沖縄へ戻って来たんだなという、ホッとする空間を作り出してくれるのです。

 今回は、沖縄の調査へ行った際には絶対に訪れる、穴場の名店を御紹介。牧志市場をさらに奥へ奥へと進んでいった場所、太平通りの出口、もう少しで今は工事中で新設間近の農連市場へ行く手前に、〈上原パーラー〉という天ぷら屋さんがあります。ここの天麩羅が絶品でして、僕の一推しはヨモギの天麩羅(50円)、続いて豆腐の厚揚げ(120円で大型)、三番目にモズクの天麩羅(50円、ちなみにカミさんの一番推し)です。与儀の図書館からの帰り道とかに、ここの美味しい天麩羅を食べながらモグモグと食べ歩きをするのが最高の贅沢でして、沖縄の天麩羅は元祖ファストフードだなと思っております。

 ところで話は変わりますが、JASRACのことを僕もカスラックだと思っているので相手にしてくれなくて良いのですが、疑問を1つ。音楽に関しての著作権保護のために、JASRACが様々な音楽使用の場から著作権料を聴取するというメカニズムは理解できます。しかしその際に、JASRACは大きな点を見落としています。それは、無料で楽曲を使用していたような、イベントや商店における音楽の駄々流しが、音楽自体の宣伝効果を持っていたという点です。イベントや商店で音楽をタダで流している人達は、それによって音楽の宣伝という重要な機能を担っていたのです。

 昨今、JASRACへの著作権使用料を払うのが面倒だったりコストに見合わなかったりして、人々は音楽使用を止めてきました。それにより、多くのアーティストの音楽作品を宣伝する場所が皆無になってしまい、結局は音楽という商品というもの自体が価値を失ってきたという昨今なのです。JASRACが著作権料を徴収すればするほど、音楽市場は縮小し、アーティスト達の取り分は縮小して行くという負の構造を作り上げています。イベントや商店での駄々流しの楽曲使用と同じだけの宣伝効果を、JASRACは作り上げることに成功していません。新しい宣伝方法が無いにも関わらず、JASRACは既存の宣伝手段を潰して歩いているのです。

 こういう訳で、JASRACはビジネスの下手糞さという点からカスラック以外の何者でもないと思うのです。

18日(月)
 台風一過の晴天の中、3連休の最終日は放生会の最終日でもありまして、盛大な賑わいを見せております。昨日は、台風が過ぎ去るや否やの屋台の再設営の慌しさでして、参拝客が徐々に増えていく中を、お祭り中は入れない車が参道に入り、参拝客の隣で再設営をしているという、なかなか見られないシチュエーションが広がっていました。普段は、放生会中の神社の賽銭箱前での参拝はあきらめるのですが、昨日は台風後に全く待つこともなくお参りが出来たりしたのでした。貴重な体験。

 放生会の初日に買った生姜は、生姜本体の一部とハジカミ部分は甘酢漬に。これは恒例になっていまして、鹿児島の黒酢と沖縄のモロミ酢に、黒砂糖を混ぜ、長崎の昆布とアゴ出汁を入れて漬け込むだけ。柔らかいハジカミがお勧めでして、放生会の生姜は鮮度のいい新生姜でして、このハジカミ部分を必至に剥き続けるのが宮地の分担です。

 今年は加えて、カミさんがジンジャーシロップも作ってくれました。水分を加えることなく、生姜はミキサーで粉々に。この粉砕された生姜と生姜汁を、先んじて作っておいたハチミツと黒砂糖の汁に入れ、再加熱してシロップへ。レモン汁を加えて味を調えて出来上がりです。なぜならば、先日、西新のハニーコーヒーへ行った時に、ショップのお姉さんからジンジャーシロップの牛乳割りが美味しいという話を聞きまして(お店で売っていたジンジャーシロップの解説でしたが、こっちは買ってません。すいません。)、放生会で生姜を買って作ろうと待っていたのでした。そして、確かにジンジャーシロップの牛乳割りは絶品。嘘みたいに美味しいのです。

 そんなこんなで大量の葉付き新生姜を捌いたのですが、大量の生姜の葉に呆然としつつ、ふと閃いてしまいました。菖蒲湯があるのならば、生姜の葉湯があっても良いじゃないかと。しかし、生姜の葉や繊維クズを風呂へ直接入れるのはカミさんからストップの指令が。。。しかしながら100円ショップで買ってきて古くなっている洗濯用のネットが貰えまして、そこにハジカミも採り尽くした生姜の葉をブッ込んで、風呂へと投入したのです。すると・・・驚くほどに体が温まるじゃないですか。ポカポカと、昨年まで無駄に生姜の葉を捨てていたことを、今更ながらに後悔するくらいには気持ちいい。デトックス効果も抜群ですし、まだ生姜の葉が残っている人には、また今年は捨ててしまった人も来年には、生姜の葉湯を試して貰いたいものです。

26日(火)
 小池百合子都知事とその周囲の新党にまつわる動向を見ていますと、細川護煕元熊本県知事(当時)による日本新党ブームの再来を狙っている様子が良く分かります。日本新党が発足した直後の参議院選挙で小池百合子らが当選し、その後の衆議院選挙後に一挙に党首の細川護煕が首班指名を受けるまで、1992〜1993年にかけての激動の様子が思い起こされます。

 ところが日本新党ブームの際とは大きな違いがあります。当時は、自民党の中で小沢一郎・羽田孜らが党を割って新生党を作り、さらには社会党や民社党が未だ大きな影響力を持っていた時代で、非自民非共産で過半数をとりやすい状況でした。また、中選挙区制が腐敗の温床だという小沢一郎らの問題提起が説得力を持ち、中選挙区制から小選挙区制へという大変革が全ての問題を解決してくれるという夢と錯覚を日本人に見させることに成功しました。

 一方今回は、小池新党はブレイクスルーして日本を一段高みに乗せる夢や錯覚を、国民に見させることには成功しないでしょう。それどころか、ブームに乗って選挙に当選したい有象無象が集ってきていまして、かなり眉唾な気配も漂っています。特に酷いのは細野豪志議員でして、彼は女性ニュースキャスターとの不倫スキャンダルを抱えている問題人物です。しかも、子どもの運動会の日に不倫旅行をしていたという酷い行為をしていた人物でして、そのような人物が復権を目論んで小池新党へと近づいている状況です。

 弁護士との不倫スキャンダルで失脚した山尾志桜里議員も、今回は無所属で当選できたら小池新党に合流していくのではないかと見られています。いうなれば、不倫スキャンダルまみれの有象無象が、スキャンダルを揉み消すために小池新党のイメージを利用したく集っている状況でして、この状況は余りにも酷すぎます。ネット社会になり、過去のスキャンダルは永遠に追及される時代へと転換しました。そのような時代に、不倫スキャンダルを抱えた議員さんの寄り合い所帯では、到底、国民の支持なんて得ることはできないでしょう。

 不倫スキャンダル議員や金銭スキャンダル議員を切り捨て、クリーンでかつ実行力もある小池新党ができない限りには、日本新党の時のようなブームは来ないだろうなぁっと思わせる昨今の慌しい動きなのでした。

29日(金)
 小池百合子都知事の希望の党に、不倫で有権者から嫌われている細野豪志に加え、有象無象が参加を希望しているという話は先日書きまして、この辺が小池新党の隘路だろうなという話はしたところです。しかしそれに加えまして、小池百合子都知事が日本初の女性首相を目指すにあたっては、もう一つ重要な問題を孕んでいます。それは、現在の役職が都知事であるという点です。

 東京が繁栄するメカニズムは、地方から如何にして富を集中させるかというところにありまして、潜在的には東京と地方というのは対立関係にあります。しかし、東京の発展が日本全体の発展に寄与する側面も大きいため、潜在的な対立関係ではあっても問題はそれ程には大きくなりません。あくまでも潜在的なものに終わります。しかしながら、東京都知事という立場は、東京の利益の最大化を追求すべき存在です。都民ファーストという名が東京都民に大きな指示を受けたのもそれが理由でしょう。

 しかし日本国民全体から見たときには、東京の富ばかりを追及する都知事というのは、明らかに国政のトップには相応しく在りません。今なお田中角栄が多かれ少なかれ評価されるのは、一極集中を是正して均衡ある国土の発展のための道筋をつけたからです。小池百合子都知事は、都知事である限りにおいては東京のために日本全体が損をすることも主張せざるを得ません。しかし、東京都のために動けば動くほど、東京と地方の対立を顕在化させてしまい、国政のトップとして相応しくないと多くの人々に思われてしまいます。

 例えば、今回の23区内での大学の制限について、小池百合子都知事は反対を表明しています。東京都知事としては当然の主張ですが、日本国全体からすれば、地方の疲弊を推進する敵役です。オリンピックの経費でも、東京都の負担を減らすという事は国民全員の税金にたかるということになりますから、地方の金を使って東京で放蕩する不良娘の出来上がりです。

 そういう意味では、今回の安倍首相による解散の時期というのはバッチリでして、小池百合子都知事が都知事としての成果を残しても、残さなくても、どちらの結果が出ても小池百合子都知事は首相には相応しくないという論理が成立するようになっています。大儀が無いとかいう批判がありますが、東京都知事である小池百合子は首相に相応しく成り得ないということを、安倍首相が国民に問いかけている選挙じゃないですかね。