2018年2月

9日(金)
 経済学部の北澤先生を中心とした北澤満編『軍港都市史研究X佐世保編』清文堂出版がようやく完成しました。2017年度内ということだったのですが、2月26日刊行ということで2月中の刊行という運びになって何よりです。226事件ですね。ちなみに目次は以下のとおりです。
 
 序章 北澤満「産業構造からみる軍港都市佐世保」
 1 章 木庭俊彦「佐世保の「商港」機能」
 2 章 西尾典子「海軍練習兵たちの日常 新兵教育から遠洋航海まで」
 3 章 北澤満「軍港都市佐世保におけるエネルギー需給 石炭を中心として」
 4 章 長志珠絵「せめぎあう「戦後復興」言説 佐世保に見る「旧軍港市転換法」の時代」
 5 章 筒井一伸「旧軍港市の都市公園整備と旧軍要地の転用 佐世保市と横須賀市の事例から」
 6 章 宮地英敏「一九六八:エンタープライズ事件の再定置」

 そしてコラムもありまして、木庭俊彦「『商工資産信用録』からみる佐世保の商工業者」、西尾典子「佐世保鎮守府の東郷平八郎」、北澤満「軍港都市佐世保と菓子」、長志珠絵「米軍住宅」、宮地英敏「針尾島と三川内焼」となっています。

 最近、沖縄のアメリカ軍占領下の様子などを扱っていますと、どうしても佐藤栄作などにクローズアップしてしまうものでして、その関係から佐藤栄作の時代の話などを渉猟していた時に、エンタープライズ事件の話などにも繋がっていくのでした。エンタープライズ事件をめぐっては、九州大学の六本松キャンパスであるとか、博多駅であるとか、東京の飯田橋駅であるとか、佐世保以外にも見知った場所が幾つも登場しますし、なかなか調べていて興味が尽きませんでした。ミーハーな宮地的には1968年の「文春砲」なども扱っています。

 コラムの方は、針尾島というと現在はハウステンボスの島となっていますが、かつては海軍の施設として名を馳せた島でありますし、さらにその昔には三川内焼の原料粘土を採掘していた場所でして、島の移り変わりという視点から見ても面白い対象です。

 カミさんと同時並行で校正に追われていたのですが、カミさんの方が海軍海軍した重厚な文章を書いている横で、宮地の方はサラッと海軍にも絡めつつ、もうちょっとポップな文章を書いています。夫婦の文章のコントラストがよくでているのではないでしょうか。

 あと半月ほどしたら店頭にも並ぶと思いますので、興味がある方は是非とも手にとって見てください。佐世保バーガーを食べに、佐世保の街に遊びに行きたくなりますよ。

18日(日)
 週末はカミさんと一緒に、筑豊の飯塚市にあります伊藤伝右衛門邸へと見学に行ってきました。NHKの朝の連続テレビ小説〈花子とアン〉で注目されたこともありまして、春めいた陽気に誘われて賑わっていました。朝ドラから3年近くも経ているのに、なかなかの知名度です。

 炭鉱王の邸宅でありますから、調度品とかかなり立派なものが揃っています。建物の広さといい、その造りの立派さといい、なかなかあれだけ重厚な家屋というのは見ることが出来ません。庭園も素晴らしい出来でして、筑豊は素晴らしい庭園が多いですが、中でも秀逸な御庭の一つだと思います。邸宅から見る庭園といい、庭園から見る邸宅といい、日本の邸宅建築の代表と言えるのではないでしょうか。

 ただ、やっぱり問題はあります。伊藤伝右衛門と柳原白蓮との関係というのは、没落公家出身の若い柳原白蓮を、炭鉱王であり成金で中年の伊藤伝右衛門が札束で買い叩いて、そういうレベルでの行き違いだと思っていたのですが、伊藤伝右衛門邸へと実際に行って見ると、柳原白蓮の抱いた感想というのがなんとなく分かってきます。

 何と言うか、伊藤伝右衛門邸は間違い探しをする場所みたいな感覚だと話しながら、カミさんと見学してきました。突っ込みどころは数え切れなくあります。例えば、茶室が廊下と面しているのですが、茶室から見た廊下の正面の壁下方に柄杓などが飾られています。ホコリを立てて歩く廊下の下方の壁から柄杓をとるのでしょう。また、茶室の躙り口と呼ばれる狭い間口を知らなかったようで、固定された明り取りの窓として、しかも畳の面から10数センチの段差のところに設置されていたりします。廊下の畳の向きが変でして、畳の縁が進行方向と垂直にある関係で、しかも縁がしっかりと作られているので、ケン、ケン、パというように歩くみたいになっています。

 この辺は代表的なところですが、立派な家なのにも関わらず間違いだらけ、しかもそれが今にまで伝わるということは、柳原白蓮もアドバイスをしたであろうにすべて無視されたであろうことが推測されます。成金っていうのは札束を見せびらかすところが嫌われると思っていたのですが、どうやらそうではなく、大金をかけて間違ったことをしている上に、それを指摘されても修正できないところにあるんだろうなぁっと思った次第でした。

 邸宅のつくりや庭園の立派さと、その細部の出鱈目さという、このちぐはぐな感じこそが、叩き上げの炭鉱王らしさを出していまして、そんな駄目なところまでを含めて伊藤伝右衛門の人間的な魅力なのかも知れません。

22日(木)
 大杉漣の突然の訃報ですか。櫛の歯が抜け落ちるように、だんだんと寂しくなって行くことは想定していたとはいえ、現在進行形で元気に色々と活躍をしていた大杉漣の急死というニュースは、やはり遣り切れないものを感じざるを得ません。テレビ東京系で〈バイプレーヤーズ〉なんていう番組にも出演中でしたが、名脇役の評価を欲しいままにした晩年でした。

 食後にホテルの部屋で腹痛を訴え、松重豊がタクシーに乗せて病院に連れて行く。病院のベッドの横へと駆けつける、遠藤憲一、田口トモロヲ、光石研。まるでそのシーンが瞼に浮んでくるようでして、最期の瞬間まで名シーンで去っていきましたね。

 不遇な40代前半までと、北野映画に出演して以降の目を見張るような活躍とのコントラスト、そして最晩年の怒涛のスポットライトを浴びる状況と、面白い俳優人生だったことでしょう。しかしまだ66歳ということで、これから老境に入っていく大杉漣を見たかったなぁ。どんな好々爺や偏屈爺を演じてくれたんだろう。どんな悲哀に満ちた老人や恵まれ尽くした老人を演じてくれたんだろう。それらをもう見られなくなってしまったことが悲しくてなりません。

 〈ゴチになります〉で2連続のピタリ賞を当てたのは、残り少ない寿命への最期のプレゼントだったのかも知れません。御冥福を。

25日(日)
 冬場はおでんの回数が増えますが、今年は色々と野菜類の価格が高くて、おでんは食べたいものの野菜を入れると高コスト料理になってしまうという、なかなか悩ましいジレンマのシーズンでした。この前スーパーで、ちょっとした中型かそれより少々小さいくらいの大根が1本250円、悩んで取り敢えずは1本は買いましたが、次の日に買い足そうと思ったらそれより更に小さい半分位の大根が1本198円。こんな価格ではおでんが高級料理になってしまいます。

 そんなこんなでスーパーマーケットで悩んでいたところ、近くに熊本県産の黒人参っていうのがあるじゃないですか。まぁ人参もおでんに良いかと言うことでカミさんにリクエストしまして、高千穂のがんもどき、筑豊の焼豆腐、博多一番鶏の手羽元、玖珠の蒟蒻、鹿児島の卵、アメ牛のアキレス腱などと一緒におでんにブッ混んだのでした。そうしたらこの黒人参、思っていた以上に黒い、黒い。ビックリするくらい黒い。おでん鍋に見惚れてしまいます。

 しかもただ黒人参が黒いだけではなく、黒色の色素を放出していくという野菜でして、鍋の中一帯が黒くなっていきます。鶏肉も黒くなる、がんもどきも黒くなる、卵の表面さえもが黒くなっていきます。この、何でもかんでも黒くしていく謎の食材である黒人参によりまして、真っ黒なおでんが出来上がったのでした。不思議料理です。ただ、味わってみますと黒を思わせるような味は全くせず、とっても美味しい。ネットで検索してみると黒人参というのはポリフェノールを含んでいるようでして、要するに赤ワインと同じですから、黒人参おでんの汁は赤ワインと同じか!?という驚きですが、最近は謎な食材も沢山あるものですね。