2018年6月

5日(火)
 しばらく更新していない間に色々とありましたが、一言言わずにはいられないのが日本ガイシの検査偽装についてです。前に猪苗代水力電気の論文に書きましたが、もともと日本の特別高圧碍子はアメリカからの輸入品を用いていました。ところが、このアメリカからの輸入品が高価であるにも関わらずカタログスペックを持ち合わせていなかったのです。この時は、仲介役になったアメリカ人学者の言い分が出鱈目で、ちゃんとした検査も無く低スペックの碍子を売りつけられていたのでした。。

 このため日本側では、高価でカタログスペックの無いアメリカ製の特別高圧碍子を輸入するのではなく、国産化してしまった方が良いということになって、現在の日本ガイシが発展していく切っ掛けになっていった訳です。仮に今回、日本ガイシがカタログスペックを持ち合わせていない碍子を高額で売り付けていたとしたならば、より安値で同程度の品質の碍子が作られる企業に負けてしまう切っ掛けになったことでしょう。今回の日本ガイシ側の説明では、検査はしていないけれども品質は満たしているということですが、このまま検査をしないでいけば品質が担保されないところまで後一歩だったのではないでしょうか。

 ギリギリのラインを超えたのか、超える一歩手前だったのか、今のところは判断が難しいところですが、一刻も早く健全化してくれることを願うばかりです。

 ところで、カミさんが無事に博士の学位を取得しましたので、カミさんのプロフィールを更新です。

12日(火)
 よく授業で話すのですが、田中角栄の日本列島改造論というプロジェクトはそれを計画していた時代においては正しく、日本列島の開発が太平洋ベルト地帯に偏らないよう、日本海側や北海道・中四国・九州に至るまで、等しく豊かになっていこうという素晴らしいものだったわけです。ところが田中角栄が首相に就任した際には、すでに高度経済成長は最末期、さらにドルショックに続いてオイルショックも発生していくという時代情勢で、狂乱物価を招いてしまったわけです。

 そのタイミングの悪さが田中角栄の温めていたプロジェクトが潰えてしまった大きな理由でした。そういう意味で、計画の是非というのはタイミング次第でどうとでも転じてしまうものです。それ以後も、国土強靭化という名目で地方開発の話は浮んでは消え手を繰り返していますが、人口の一極集中化が進んでいて、さらに長期不況からも脱出してきている現在こそ、田中角栄的な日本列島改造の大プロジェクトっていうのは必要なんじゃないですかね。

 北海道新幹線が実現し、四国新幹線の話はそれなりにありましたが、山陰新幹線の話も大きく動き始めているようです。山陰は海の幸が豊富ですし、出雲大社に萩、鳥取砂丘に宍道湖、余部鉄橋に天の橋立というように名所もかなりありますし、実現したら楽しそうなルートです。個人的には玉造温泉や三朝温泉をはじめ、山陰もまた九州に負けず劣らずの温泉エリアですから、そういう意味でも楽しみです。

 ところで九州の方は長崎新幹線が予算的な点で揉めています。佐賀県が費用対効果の点でフル規格新幹線を拒否しているためです。武雄温泉や嬉野温泉などへの観光客誘致という点でも、佐賀県にもメリットは大きいと思うのですが、佐賀市への利益が少ないと云うことでしょうかね。しかしまぁ貧乏県なのは分かりますので、あまり強くも言えないところでしょう。

 長崎新幹線の話を聞いていて思うのですが、新鳥栖から長崎へというルートなので話題になっていませんが、当然ながら長崎新幹線の基点の1つは博多駅です。長崎新幹線が出来れば、福岡もまた大きな利益を享受することになるのですから、福岡市なり福岡県にもある程度は工事費を負担させても良いんじゃないですかね。

 福岡市民・福岡県民の立場からして、長崎新幹線ができて福岡がさらに潤うならば、ある程度の工事費負担をしても良いと思うんですよね。当然、福岡をスルーして長崎なり佐賀へ行ってしまう人も多いでしょうが、福岡を拠点にして長崎なり佐賀なりへと行く人も一定数いると思うんですよね。それに、長崎新幹線が出来て一番便利になるのは福岡の人達のような気がします。そういう意味からも、あまりにも佐賀県の負担が大きくて予算が割けないならば、福岡に請求してみたらどうでしょうと思うのでした。

22日(金)
 『エネルギー史研究』の論文がネット上で閲覧できるようになりましたので、プロフィールのところからリンクを張っておきました。今回の会津製碍子の話は、会津本郷焼の碍子が官需受注をよくしているのは何故なのだろうかという出発点から調べた論文です。カミさんに引っ張られて軍事史の勉強をさせられている関係もありまして、日清戦争時のエピソードなども挟みながらの論文となっています。

 この論文は科研費の一部でして、萩焼の後に、三川内焼、会津本郷焼、さらには京焼の資料紹介などもしまして、国の税金から貰っている科研費の使途としましては、それなりに出揃ったのではないでしょうか。昨今、科研費の配分先について国家のためになっているか否かという議論がありますが、研究者っていうのは千差万別いろいろな人たちがいまして、国民の幅広い思想をそれぞれがそれぞれの立場で代弁しているかと思います。

 その中には気に入らない研究、気に入る研究、それぞれあるでしょうけれども、別の立場からしてみれば、誰かが気に入らない研究を気に入る人がおり、誰かが気に入る研究を気に入らない人がいたりします。学術研究っていうのは、幅広いバリエーションで様々なものがあってこそ、その多様性の中から必要なものは生み出されていくのになぁっと思うのでした。

 ただまぁ、なんでこの研究が科研費を取っているんだよという、謎というか、胡散臭いものっていうのは確かにありますけどね。。。それは世間で批判されている意味ではなく、絶対にこの人こんな研究していなかっただろうし、実現可能性も無い研究だろっていうのに多額の研究費が配分されていたりします。研究成果も出ていなかったりして、本当、謎です。研究費を貰って研究が出せていない人の科研費は、返還させるメカニズムを構築した方が良いと思いますけどね。こういうのは研究者の側から声を上げることはありませんから、国が処断すべきだと思いますよ。