2019年4月

5日(木)
 5月1日から〈令和〉という新元号へと変わるということです。万葉集の大伴旅人の梅の花をみる宴の際の記述に基づいているらしいですが、その舞台となるのは太宰府です。今はすでに政庁跡は広大な芝生みたいになっていますが、往時はなかなか巨大な建物があったことでしょう。

 そういえば、平成が決まった際にはインターネットなどありませんから、字の表記で平成(ヘナリ)地区があったことが事後的に分かりましたが、今回は字名までも検索をかけて避けた上での決定なのでしょう。そういう意味では、宴の催されたの太宰府が令和の里みたいなものでしょうか。

 偶然ですが、時代が昭和から平成に変わる頃には、平成地区は岐阜県関市でして、そこからちょっと離れた同じ岐阜県内の多治見市にいたのですが、今度の平成から令和に変わる頃には、令和の語源が生まれた太宰府からちょっと離れた同じ福岡県内の福岡市にいることとなります。

 平成の時に岐阜にいて、令和の時に福岡にいる人っていうのは、何人くらいいるんだろうか?世の中には、平成に変わるときには関市にいて、令和に変わるときには太宰府にいるなんていう人もいるのでしょうかね。

10日(水)
 令和への改元の発表につづいて、今度は紙幣の顔を一新するということで、またまた慌しいニュースになっています。渋沢栄一は、多くの企業の創業にたずさわった人物でして、それら企業も大歓迎でしょう。日本経済がよくなるためにというメッセージでしょうから、景気の良い令和年間となることが期待されます。津田梅子は女性参画社会の、北里柴三郎はノーベル賞級の研究の推進というように、渋沢栄一と合わせて極めてメッセージ性の強い人選になっているようです。

 まぁ、樋口一葉は文化人としてはともかく、貧困に苦しんだ女性でした。それをお札の顔にして、景気の悪い時代を迎えたというジンクスが出来上がってしまいましたら、貧しく亡くなった偉人関係は、今後あまりお札には使いづらいのではないでしょうかね。石川啄木とか、臥雲辰致とか、お札の候補から外れそうな人たちが何人か頭に浮びます。

 ところで、沖縄へ行くとお釣でしばしば貰える2000円札は、守礼門と源氏物語絵巻のまま続行のようですかね。消費税増税によってクレジットカードや電子マネーなどでの決済が進んでいくようになると、自然と高額紙幣を財布に入れておくのが減ることとなるはずですから、2000円札の普及がはかられる可能性もあります。勿論、クレジットカードや電子マネーが普及しても、それでも1万円札を何枚も持ち歩く可能性もありますし、人々の行動パターンが変化するのか否かも未知数ですね。

16日(火)
 先日、中洲川端から天神あたりをぶらっと歩いていましたら、アクロス福岡の裏の公園で〈ナマステ福岡2019〉なるイベントをやっていました。カレー県の鳥取出身のカミさんとしては、これは行かなきゃということで、本場のカレーを堪能することとなったのです。

 壇上で大使館だか領事館だかの人が挨拶をしているのを横目に、一目散にまずはインドビールを流しこみ、どのカレーにするのかと物色。まずは近場、水鏡天満宮のところの横丁にある〈スラージ〉というカレー屋さんのをいただく。バターチキンカレー。美味しい。美味しいがパンチは弱め。辛さを比較的おさえ目にしてあって、アッサリといただく。お店では辛さを選べらしいんだけど、屋台だと辛さのリクエストを聞くのは難しいよねと思いつつ、次の屋台を探す。

 するとカミさんが、春日の有名店〈インディアンスパイスファクトリー〉を発見。しかも、米に注目してバスマティライスだと興奮している。僕はインディカ米は長粒種の香り米ということくらいしか知らなかったのだが、カミさん曰く、バスマティはインディカ米の中でも特に美味しい品種だとか。そこまで説明されたら食べるしかない。

 はじめてバスマティライスなるものをみたのだが、普通のインディカ米よりも長く感じる。そして、香り米という臭いはぜんぜんなく、とても爽やか。たぶん炊き方にもポイントがあるのだろうけど、普通に日本の食卓にも合います。これにマトンカレーを頼んだところ、こちらは客の好みに全く対応しない感じで、激辛でした。あまりにも辛いので、インドビールの追加に走り、汗をかきながらカレーとビールを交互にいただく。しかしこれがまた、バスマティライスとの相性も抜群でして、激辛で食べさせたかったシェフの気持ちも分かるのでした。

 2種類のカレーを食べて僕は満足して帰宅したのですが、カミさんはカレー欲に火が点いてしまったみたいでして、。色々と輸入レトルトやらを買って帰る。さらに物足りないらしく、次の日には近所のネパール食材店へも走ったのでした。まぁ、カレーは続いても嫌じゃないからいいけど。

22日(月)
 学者なんていうのをやっているくらいですから、基本的に昔から読書は大好きでして、乱読につぐ乱読をしていた頃が懐かしいです。しかしながらいつからか、次第に読書量は減ってしまいました。その理由は大きく2つあります。

 1つは、研究のための読書が増えて、専門外の読書をする時間が勿体無く思えること。これはもう、論文のための生産性と、気分転換の読書の時間との兼ね合いでして、まぁ自分の心の内の問題です。

 それに加えてもう1つが、本を買うと場所をとるという物理的なスペースの問題です。ただでさえ、家も研究室も研究用の本で溢れているところに、気分転換で乱読するような趣味的な本を置いていくと、もう大混乱の発生です。我が家の場合には、僕とカミさんと二人の本読みがいますから、尚更のことで両者とも本を買うのが減っていました。

 こうして、本を置く場所が無いから本を買わないという、ある種本末転倒的な行動パターンに出てしまうのです。乱読用の本を読まなくても、必要に迫られて読むべき本も論文も大量に転がっています。そのため、それで知識欲を満たしてくれるような本も、娯楽本も、何もかも読んだような錯覚に陥り、趣味的な本っていうのからは遠ざかるばかりなりになっていのたのでした。

 ところが電子書籍っていうのは場所をとりませんので、もう嵌りに嵌っています。電子媒体によってページが変わってくるので、電子書籍からの引用は難しく、学術的な文章を読むには難があります。ただ、娯楽用の趣味の本、つまり引用する可能性がほぼゼロの本を読むには、この電子書籍で十二分すぎるほどに完成されています。

 こうして僕は、最近、まるで中学生か高校生に戻ったかのように、趣味の本を読みまくっていまして、出版不況に逆行する行動パターンをとっているのでした。エンゲル係数ならぬ、読書係数があがっています。。。

 ところで、岡村孝子が急性白血病ですか。岡村孝子をよく聞いていたのは、それこそ乱読しまくっていた中学生から高校生の頃でして、つらいなぁ。あれから四半世紀が過ぎて不惑になっているとはいえ、事実は淡々とつらいものですね。

26日(金)
 先日、柳川市の東端にある中山の大藤へと行ってきました。2回目でして、もう勝手知ったるもの。鹿児島本線でゆっくり行くと1時間くらいかかりますから、少々奮発して九州新幹線に乗りまして、筑後船小屋駅までひとっ飛びでした。なんと日帰り2枚切符という割引券が発売されていまして、これを使うとけっこうお得感が満載です。

 中山の大藤は樹齢300年を超えていまして、1本の藤の幹から枝が四方八方に伸びていき、たわわに藤の花が咲き乱れる様子は圧巻です。頭上を見上げると、薄紫色をした藤の花があたり一面に広がるという景色は、桜の花見とはまた違った趣があります。

 屋台も何件か出ていたのですが、かなりレベルが高くて驚く。大串の豚バラや鳥皮など、臭みが全くないのは肉の産地だからなのだろうか。箱崎宮の放生会の屋台とかだと、どこの屋台が美味しいかと探し歩いて行く感じになるのだけれど、中山の大藤に来ていた屋台は買った店すべてで美味しかったのです。ドンピシャで美味しい店だけを引き当てるほど、僕やカミさんが幸運だとは思い難いので、たぶんの並びの他のお店も美味しかったことでしょう。やはり屋台でも、素材の産地に近いほうが、鮮度の問題などから美味しくなるのでしょうかね。でも、たこ焼まで絶品だったからなぁ。

 藤の花を堪能した後は、こちらも2回目の樋口軒の日帰り温泉へ。矢部川の中洲にあるクスノキの巨木たちが借景になっていまして、最高の贅沢です。矢部川というと暴れ川ですが、長閑な気候の時には本当にゆったりと流れていまして、晩春というか初夏というか、そんな季節の風も心地好く流れていきます。

 風呂あがりには、〈恋ぼたる〉という道の駅ならぬ川の駅がありまして、そこの物産館を物色するために向かったのでした。すると、〈樟の香コンサート〉なる催しをやっていまして、風に吹かれながら聞き入っていたのですが、温泉をあがったばかりですから体の力が抜けていきますし、初夏の筑後はほんといいですよ。最高のリフレッシュになります。

 ただ一つ問題があるとすれば、帰りの新幹線が、温泉でデトックスした反動で、とにかく体がだるいこと。ほぼほぼ放心状態になります。筑後まで行って温泉に入るのならば、日帰りじゃなく宿泊しなきゃいけないと、前回も思ったはずなのに、今回もまた日帰りをしてしまったと反省しきりだったのです。

29日(月)
 今上天皇から新天皇への代替わりによる超大型GWのはじまりは、基山の大興善寺のツツジを見に行ってまいりました。ここは〈契園〉と呼ばれる、山肌の勾配ある広大な庭園が素晴らしく、そこがお目当てでした。新緑の青紅葉とツツジのコントラストも目に鮮やかでして、清々しいですよね。

 大興善寺からJR基山駅くらいまでの距離が、ちょうどウォーキングをする距離には最適でして、しかもお寺から駅までは緩やかな下り坂ということもあって最高です。行きに歩いてしまうと、契園の勾配を登りきる自信がありませんので、いつも帰りだけウォーキングをするのでした。横を、往復ウォーキングしている人たちがいまして、元気な人は元気だよなぁっと感心するのでした。

 そんな平成の終わりを楽しんでおりますが、30年続いた平成の世が終わるというのは少々しんみりもします。昭和の終わりは、昭和天皇の病状のニュースばかりでしたので、今上天皇はあの状況を避けたかったのだろうなぁっというのが分かります。そのおかげで、昭和を回顧したときとはまた違った形での、平成の回顧しながらの改元を迎えたのでした。

 平成で僕が一番記憶に残っているのは何だろう。高校の修学旅行の直前に起きた雲仙普賢岳の火砕流、成人式の直後におきた阪神淡路大震災、サークルの合宿の当日におきたオウム地下鉄サリン事件、大学院生の時に本郷の研究室で知った秋葉原の無差別殺傷事件、福岡から東京へ出張していた時に国立国会図書館で遭遇した東日本大震災、福岡も大きく揺れた熊本地震、なんだか色々とニアミスをした平成でした。

 自然災害も、事件も、事故も、できるだけ無い世の中がいいですよね。令和が穏やかな時代になることを望むばかりです。