2019年6月 |
3日(月)
雲仙普賢岳の大火砕流から28年というニュースが流れていました。ということは、僕の高校の修学旅行から28年ということですね。前にも書いたと思いますが、大火砕流の直後でしたが修学旅行は敢行され、宿泊先の雲仙では町長さんまでもが出迎えて挨拶してくれたという、物々しい旅行でした。その後、市町村合併によって雲仙市になってしまっていまして、何町に泊まったのかも覚えていませんが、修学旅行生たちの夕食の場で必死に挨拶をしていた町長さんの姿は、今でも鮮明に覚えています。
修学旅行生なんて、地元にとってみれば、大してお金も落とさないですし、面倒なお客さんだと思います。しかし、中学とか高校とかの修学旅行の印象っていうのは、けっこう終生にわたりついて回ったりします。
高校じゃなく中学校の修学旅行の時の話ですが、まだ瀬戸大橋の坂出ルートが出来たばかりの頃でして、瀬戸大橋の見学のために近くのホテルに1泊する日がありました。そのホテル、もう名前も忘れてしまいましたが、そこの仲井さんや女将さんたちの態度が、修学旅行生の僕らにとっても悪かったんですよね。
まぁ、中学生の修学旅行ですから、他のお客さんたちへの迷惑になっていたのかも知れません。ホテルでお土産を買うでもないですし、カネにもならない客だったことでしょう。しかしだからと言って、修学旅行の宿泊先で邪険に扱われるのは、あまり愉快な思い出じゃないわけです。
そんなこんなもあって、倉敷も、瀬戸大橋も、大人になってからもあまり行きたいとは思えないんですよね。そのとばっちりで、対岸の香川や徳島なんていうのも未体験なのでした。まぁ、大人になって金を落とす客になっていますから、いま行けば歓待されるのでしょうけど、中学生を冷笑した人たちの笑顔かと思うと、まぁ楽しめないでしょうねぇ。
4日(火)
元農林水産事務次官が息子を刺殺した事件ですけど、息子さんの年齢は僕と同じ年なんですよね。同情に堪えません。
息子による家庭内暴力などに耐えかねて、っていう殺害の動機らしいです。しかしよくよくニュースを見ていくと、小学生だか中学生の頃に、大切にしていたプラモデルだかなんだかを母親に壊されたとか。大切にしていたプラモデルを壊したとか、それが象徴的な出来事として表面化しているだけで、実際にはもっと執拗な攻撃や口撃などが元事務次官の妻から繰り返されていたことは、容易に想像ができます。また不確かな情報ではありますが、小さい頃に父親には暴力を振るわれていたという話もあります。
大切にしていたものを母親から壊されるということは、自分の大切じゃない物は、他人が大切にしていようとお構い無しに壊して良いと言うメッセージを与える教育でしょう。もし父親からの暴力の話が事実ならば、それは、強い者は弱い者に暴行しても構わないというメッセージを与える教育でしょう。世間体のための自称教育、まわりと比べながらの自称教育、そういうのに息子は追い込まれていったのでしょう。
そして、息子の体がある程度大きくなってきた時に、攻守逆転、息子から親への日常的な暴行へと繋がって行ったようです。この中学2年生からはじまった家庭内暴力について、元農林水産事務次官に同情する声があるようですが、それはおかしい。あきらかに毒親であった元農水事務次官とその妻の責任じゃないでしょうかね。子どもを虐待していたら、成長した息子に殴られるようになった、ただただそれだけの話です。
そして、子どもがひきこもりになり、家庭内暴力という発露をしたときにも、適切な対応を採らなかったのでしょう。事務次官レースに全力投球したことでしょう。事務次官レースなんていう人生ゲームにウツツを抜かさず、なぜに真正面から子どもに向き合わなかったのでしょうか。まさに典型的な毒親。
それにしても、天下りを繰り返して、巨額の退職金を貰っていたのですから、ひきこもりの息子が死ぬまで遊んで暮らすくらいの資金はあったはずです。自分たち夫婦が子育てに失敗した結果なのですから、ネットゲームに月に30万円課金されようとも、それを甘んじて受け入れるしかなかったんじゃないですかね。
それを今さらになって、世間の普通の人たちみたいにしろとか、絶対に無理なことをいったのでしょう。自分たちの過去の毒親ライフを棚に上げ、子どもには普通でいろっていったところで、そんなことが可能なわけ無いじゃないでしょうか。毒親に育てられたのですから、子どもの方としては世間の普通とは違う、異常な暮らしぶりをしながらバランスを取るしかなかったのですよ。
毒親だった過去を責めたてられ、最終的にはその報復で殺される。それが嫌だったから、先に殺したっていうだけの犯罪です。事務次官まで登り詰めたキャリア官僚といっても、家庭生活はハチャメチャの人格破綻者だったからこそ、このような結末になっただけでして、それに同情を寄せるような声は、それ自体が害悪だと思うんですよね。
6日(木)
息子を殺した元事務次官は、僕と同じ岐阜県出身ということで、さらにその身勝手さに腹が立ってきます。
息子が中学2年生で引きこもりを始めた時には、砂糖類課の課長さんだったのが、息子にちゃんと向き合わなかった結果として2年後には大臣官房の秘書課長へと栄転。息子が引きこもりの高校生活を送るなかで、それに対応せずに経済局の国際部部長へと昇進。
息子が大学進学に挫折して専門学校へと通うなか、大臣官房の総務審議官をへて畜産局局長へと昇進。子どもが無職になって家に引きこもっているなか、経済局局長としてノーパンしゃぶしゃぶ事件として有名になった楼蘭の顧客名簿に名前があることが週刊誌などに流れる。そして今はネット上にノーパンしゃぶしゃぶ官僚として名前が晒される日々。
農水事務次官としては、引きこもりの息子に何も対応をしなかったのと同じように、BSE問題での対応が後手後手に回って引責辞任。しかし満額の退職金。天下りを繰り返して、その都度、その都度、退職金をガッパガッポと荒稼ぎ。そのうちの1つは、引きこもりで無職の息子を放置してチェコ大使として夫婦で優雅な外交官生活3年間。
いやー、外面だけはとっても良かったんでしょうね。元農水事務次官のことを悪く言う人なんて、まったく出て来ませんもの。今回も、自分と妻が暴行されたたうえで、川崎の事件に触発された事件を懸念しての殺害だと?世間の同情をひきつけることが出来る、とっても外面が良い供述ですこと。情状酌量による減刑を勝ち取りたい殺人犯たちへの、模範解答としてマニュアル化されるレベルだわ。
でも、同居をはじめてからわずか1週間だか10日だか、しかも「護身」ための刃物を何本も買い込んでいたとか。その暴力をうけている間、警察へも、社会福祉施設へも、誰にも相談することもなかったとか。ほぼほぼ息子からの毒親への反撃に耐えることもなく、殺す気満々で準備をしていたように見えますけどね。外面を取り繕うことにかけては、日本最高峰のエキスパートですから、こんな無責任な犯人のいうことを信用しちゃ駄目ですよ。
失敗作の息子に金を湯水の如く使われるのが耐えられない。自分達の老後、娘家族への相続、そういうのに財産を回すためには、息子が邪魔になったから処分した、そういう冷静な判断だと思いますよ。あとは、情状酌量を狙って自分は出来るだけ短い刑期ででてくる。事務次官まで登りつめた知的エリートなんて、そういう計算が出来るに決まっているじゃないですか。出世ゲームを楽しんできたようなキャリア官僚の、損得利害計算を舐めちゃ駄目ですよ。
11日(火)
昨今の情勢を見ていると、世の中には2つのタイプの人間が居るんだなぁっていうことを、強く感じます。1つ目のタイプは普通の人で、「捕まるような事をしては駄目だ」と言われたら、法的・道徳的に悪いことはしちゃ駄目だと判断するタイプです。あたり前の話です。「捕まるような事」=「捕まるような行為」だと理解します。これが多数派でしょう。
それに対して2つ目のタイプは、犯罪気質な人たちです。「捕まるような事をしては駄目だ」と言われたら、法的に逮捕されちゃ駄目だと判断するタイプです。1つ目と似ているようで、まったく違います。このタイプにとっては、「捕まるような事」=「捕まるようなヘマ」だと理解します。
サイコパスという定義よりも、単なる倫理観の無さだと思いますが、この単なる倫理観の無さをサイコパスという特別なものという「美化」でオブラートに包むから、実態が見えなくなるんじゃないでしょうか。世の中には、認知が歪んでいて倫理観の無い人間っていうのが一定数います。それは、偏差値が高かろうが、偏差値が低かろうが、どんな職種にいようが関係ありません。
詐欺をしている半グレ集団の忘年会に出て、ギャラを貰ったとしても、それはすぐに「逮捕されるようなヘマ」ではないでしょう。だから、2つ目のタイプの人たちにしてみれば、何が悪いのかも分からないと思います。しかし、1つ目のタイプの人たちからしてみれば、詐欺集団の宴会に出ている人たちは、そのグループの信用を担保する存在だと考えます。倫理的に許される行為ではないでしょう。
この1つ目のタイプの考え方に対して、2つ目のタイプの考え方をする人が如何に犯罪ではならないかを力説しても、意味がありません。求められているのは、高倫理化社会における模範的な行動なんですから。芸能人でも、政治家でも、官僚でも、経済人でも、学者でもですが、ネット社会は高倫理化を要求するのですよ。
そんないろいろな騒動を見ていると、すべて歴史法廷でのいい資料データだなぁっと思うのでした。
20日(木)
先日、長崎へと行ってきました。長崎港のあたりで十分すぎるほどに風光明媚ですよね。博多は〈ゆめタウン〉ですが、長崎には〈夢彩都〉という商業施設があって、これでユメサイトと読ませるとか。この夢彩都から、長崎出島ワーフを通って、長崎県立美術館へといたるエリアは、とってもお洒落スポットです。夕刻時には、湾内の対岸の三菱造船所の山側に、夕陽が沈んでいく光景が見られます。岐阜には海が無いので、港町が広がっているだけで感動をしてしまうのですが、その中でも長崎の港町は特にいいですよね。
前に1回だけ、酔っぱらった勢いでタクシーの運転手さんにお願いをし、稲佐山の展望台へとカミさんと二人、夜景を見下ろしに運んで貰ったことがありますが、街中からフラッと見るだけでも夜景も綺麗です。港町っていうのは夜景が綺麗に見えるトリックが何かあるのか分かりませんが、光の屈折率なのか、情緒なのか、とにかく綺麗に見えます。
昔の修学旅行で茂木ビワを食べて以来、長崎の茂木ビワが大好物でして、街の果物屋さんでふらっとビワを買ってきて、ホテルでむぐむぐと食べるのもまた楽しい。そろそろビワのシーズンも終わりに近づいていますが、みずみずしくて最高ですよね。いやぁ、博多から長崎へと少し足を延ばすだけで、ほんと旅情気分満載になるのでした。
25日(火)
吉本興業などの芸人さんたちの無期限謹慎へと繋がった問題ですが、個人的にとても謎なことがあります。当初、当時者たちも、吉本興業も、テレビ局の多くさえも、問題を闇営業という点にあると考えていた部分です。吉本興業を通した仕事なのか、そうじゃない仕事なのか、そんなどうでもいいことを大問題だととらえ、闇営業を仲間内でかばう空気作りに尽力をあげていたようです。
NHKをはじめ一部では、振り込め詐欺集団との近しい関係性についてこそが問題だと理解されていたようですが、最初はそれが少数派なように見えました。この点がほんと、謎なんですよね。どういう経緯で、誰の勘違いで、こんな間違った理解が同心円的に出来上がってしまい、その間違った理解に基づいて、対応策に奔走していったのか。不思議で不思議で仕方ありません。
最初から、闇営業なんて誰も大して問題にしておらず、振り込め詐欺集団との関係性こそが焦点だと理解されていたとしたら、良いか悪いかはさて置くとして、全く違った推移を辿ったような気がします。しかし覆水盆に返らず。闇営業を否定するために各所で話した弁解が、すべて?だったということで、ベッキー騒動の二の舞となっているように見えます。金銭の授受で?をついていた面々が、詐欺集団との関係では真実を話しているなんて、もう誰も思わないんじゃないでしょうかね。