2019年9月

13日(金)
 しばらく沖縄に調査に行っていたのですが、箱崎宮の放生会がはじまるので、生姜を買うために帰ってきました。今年は、ジンジャーシロップの割合を多めに、生姜の酢漬けの割合を少なめに、という感じです。まぁ、ハジカミの部分だけでもかなりの量でして、これがそっくりそのまま酢漬けへ行くので、少ないといっても結構な量ですが。

 ハジカミは、どこまで剥いたら良いのかの加減が難しい。ただ、だいたい2年間くらい漬けることを考えれば、あまり剥かないで太いハジカミにしても大丈夫です。これが、1年以内に食べるとなると、かなり細いものか、芯の部分までナイフで削るか、色々と対応が必要ですが、2年漬けるならば大雑把でOKです。このハジカミが出てくるまで、葉を剥く係りが僕なので、けっこう重要な問題です。生姜の汁が爪の間に入って、本当に痛いんですよね。。。

17日(火)
 沖縄から戻って以来、毎日、放生会を周回する忙しい日々が続いていますが、増税前の買出しも最後の追い込みでして、今年の9月は何がなんだかの忙しさです。買い溜めている酒も、そろそろ置き場所に困ってきていまして、少しづつ肝臓に入れながらスペースを空けてはいますが、それでも追いつかないので、これ以上の酒の買い込みをするかどうか思案中です。

 酒を死ぬまで長く飲み続けるためには、肝臓とのつき合いが大切でして、那覇で薬草茶を買い込むお店があります。沖縄ヨモギのフーチバだとか、名前もそのもの長命草(ボタンボウフウ)だとか、美肌効果ばかり宣伝されていますが月桃など、島の薬草がいろいろ簡単に手に入ります。

 長年通っているお店で、牧志第一公設市場のところにあるお店なのですが、市場の中じゃなく、市場の建物の表側にある店舗です。前に沖縄へと行った時に、店舗が移転するっていう話を聞いていたんですよね。それで、てっきりそのお店が移転するとばかり思っていました。ところが今回、那覇へ行ってみたらビックリ。なんと牧志第一公設市場そのものが仮設店舗へと移転していまして、お店が移転するというのは、そういう話だったのかと驚いた次第です。

 ところが、お目当てのお店が何処にあるか分からない。市場内の店舗と、市場の外の店舗が、再配置されていて難しい。ということで、グルグル何度も回ってしまいました。10年以上前の新婚旅行のときとかは、市場の中で魚貝を買って、2階で食べるなんていうのもチャレンジしてみたのですが、最近は市場の中はチラ見するか、入らないことも多かったので、改めて公設市場全体をグルッと回ると、それはそれで面白かったですよ。ついでに、パパイヤイリチー用の乾燥パパイヤまで買ってしまいました。

20日(金)
 放生会が期間中すべて晴天っていうのは珍しいのですが、今年はその珍しい事態+後片付けの時間まで晴天という空模様でして、いい1週間を過ごしました。お祭りっていうのは出店の屋台の人たちの威勢の良さが特徴的ですが、放生会の屋台は、長丁場に向けての体力セーブで静かな屋台が見ていて面白いのです。そんな屋台の人たちもフィナーレということで、1週間楽しませてもらえて感謝でした。そんなこんなをしていたら、今日から雨、連休中は荒れるみたいでして、ほんと今年は天気がベストだったなぁっと改めて思うのでした。

 ところで消費税の増税にあたって、電車賃なども値上げをされることに気付く。九州大学では、定期券よりも回数券の方が割安だということで、通勤手当として定期券代ではなく回数券代が支給されています。そしてなんと、この回数券も10月1日から消費税にともなって値上げ+値上げ以前に購入した回数券は使用期限まで使えるということで、買い溜めをしてきました。変なものも買い溜めです。

 前回は、5%から8%へと60%も増税されたので世間の買い溜めも大きかったのですが、今回は8%から10%へと25%しか増税がされないため、前回ほどの買い溜め需要は発生していないようです。しかしながら、そうは言っても25%も増税されるというのは、僕的にはかなりの重税感なので、出来るだけ多くの物を買い溜めしておきたいのです。

 市販の医薬品も増税ですが、アンメルツとか肩こりや腰痛のためには欠かせないし、コンタクトレンズ関連の用品とか結構値段がするし、だんだんと訳が分からなくなってきている次第です。。。

 さて、カミさんとの共著論文が出来上がりましたので、また業績一覧も更新しておきます。抜き刷りは・・・余力があれば来週送りたいが、仕事をいくつも抱えているからなぁ。。。

26日(木)
 人間が幸福を感じるときには大雑把に大きく分けて3パターンあると言われています。1つはドーパミンやアドレナリンで感じる興奮的な幸福、もう1つが心の平穏やバランスを保つセロトニンによる幸福、そして3つ目が愛情をつかさどるオキシトシンによる幸福です。セロトニンやアドレナリンが不足してくると、鬱や引き篭もりっていう症状がでるとしてよく知られていますが、オキシトシンの不足っていうのも、あまり大々的に言われていないだけで、けっこうな不幸をもたらすんじゃないでしょうかね。

 勿論、セロトニンが出て、アドレナリン・ドーパミンが出ていれば、たとえオキシトシンが出ていなくても、快活に人々の中を動き回り、快楽を追及した行動を採り続けることでしょう。だから、パッと見には不幸だとは、本人も周囲も思わないことでしょう。逆に、とても幸せで恵まれている人のように見えます。本人も自分は幸せだと思い込みます。しかしながら、オキシトシンの不足している人生だと、ひたすらドタバタ劇を繰り広げるだけの、慌ただしい生活になってしまい、平穏でボケボケした牧歌的な幸福感の対極へと向かっていきます。

 このオキシトシンが十分か否かっていうのは、1つには幼少期の生育過程において、親をはじめとする大人達に十二分に愛されて育ったか否かが影響しますから、なかなか残酷なものです。本人が知らぬ間に、不幸への道か、幸福への道かが、大人達によってひかれています。勿論、成長し大人になっていく過程で、自分の生活などを意識して積極的にオキシトシンを得られる体へと転換していければ、愛されない幼少期を過ごしてもレールを外れて逆転可能なわけですが、気付かなければオキシトシンが分泌されずに不幸なままのレール上を歩く人生です。

 そういう場合に、アドレナリン・ドーパミンの分泌によって、オキシトシンで得られる幸せとは異なった興奮的な幸福感だけで、すべてを埋め合わせようとすると、不幸な人生はより不幸になってしまいます。もちろん、アドレナリン・ドーパミンの幸福感があるので、本人も周囲も完全に幸せかのような錯覚におちいりますが、それはあくまでも錯覚です。オキシトシンと、アドレナリンと、セロトニンと、3つの幸せホルモンがバランス良くないと、結局は長い人生を楽しく満ち足りて謳歌することは出来ません。

 不幸な人間は、法的か倫理的かはさて置き、いろいろと悪事を働きます。悪事によって様々なモノを手に入れると、アドレナリン・ドーパミンによって興奮するのでしょう。それによって、満たされない欲求を代替的に満たそうとします。そう考えると、オキシトシンを出せない人々を、社会的にどうやってオキシトシンを出せるような人間に変えられるのか。それは医学の役目なのか、政治の役目なのか、教育の役目なのか。どの分野になるのかは知りませんが、日本社会として考えていかなきゃいけないんじゃないですかね。原朗先生の裁判とかを見ながら、今の世相に対してそんな事を思うのでした。