2019年10月 |
1日(火)
ついに消費税10%が始まってしまいました。買い溜めた酒がいつまでもつのか、そればかりが心配の増税スタートです。買い溜めは酒以外もしていまして、紀伊国屋書店のKinoppyが煽りに煽っていましたので、結局9月は100冊くらいの乱読用の本を買い込んでしまっています。100冊の本の買い溜めっていうと、紙の本だとしたら積読だけでも大変なスペースをとることになるのですが、電子書籍の本は100冊買っても全く場所をとらないので、狂ったように本を買いまくってしまったのです。
ちなみに読書も幸せホルモンのオキシトシンを出してくれます。黙読はオキシトシンで、音読はセロトニンを出すらしいのですが、ここは黙読の方の話。僕は昔実家でオリビアという犬を飼っていまして、このオリビアを小脇に抱えて寝転びながら、読書をするのが大好きでした。またナナという猫も飼っていまして、こいつは足のところで丸まっていました。犬・猫との触れ合いは代表的なオキシトシンの分泌を促す行為ですから、僕は知らず知らずのうちに犬+猫+黙読という、オキシトシンをドバーッと出す行為に没頭していたのです。
僕はてっきり、研究時間が増えていくことによって、趣味の読書が減っていくのは、当然のバーター関係なんだと思っていました。ところが、学術的な研究っていうのはドーパミンを出しながらしている行為らしいです。つまり、趣味の読書と学術的な研究はバーターの関係にはない。これは重大な問題です。
読書によってオキシトシンを得ていた研究者は、それと同じだと思って学術研究にだけ没頭して行くと、いつしかドーパミン・アドレナリンしか出さない不幸で寂しい人間になってしまうということなのです。不正行為をしてアドレナリンを出すという事をしていなくてもです。学術研究をしていてドーパミン、さらにはアドレナリンを出せば出すほど、オキシトシンが不足していることが分からなくなってしまいます。
ドーパミン・アドレナリンどっぷりの人間というのは怖いものでして、興奮的な幸福感につつまれていますから、オキシトシンが不足していても気付けません。その結果、趣味のボケボケした時間や、恋人や家族とのゆったりした時間、そういう幸せを放棄してしまうのです。これって、研究者が人間として生きていく上では重要問題です。研究者になるような人達なので、まぁ自己責任で、何か対応した方がいいでしょう。
7日(月)
結婚式に招待されていたので、カミさんと一緒にふらっと神戸へと行ってきました。結婚式って幸せに満ち満ちていて素敵ですよね。ただ、今日の話は幸せについての話ではなく、神戸の話です。神戸もラグビーのワールドカップが開催されている都市でして、街は世界各国からラグビー観戦にやって来た人たちで溢れていました。神戸製鋼もあるし、確かに神戸というとラグビーのイメージがありますよね。
しかしながらしばらく前に、カミさんと話していて折角だから1泊しようということになった時、頭の中にラグビーのワールドカップが開催される事なんて、これっぽっちもありませんでした。そのため、手頃なホテルを探したのですが、神戸ってこんなにもホテルが予約できない都市なのかと困惑仕切りでした。そのため、少々想定していたよりは予算はオーバーするものの、ちょっと奮発してホテルオークラ神戸に泊まることにしたんですよね。神戸は、ホテルオークラの中でも特に評判のいいホテルなので、まぁ話のタネにっていうところでした。
そして実際に泊まってみたところ、いやぁ、ホテルオークラ神戸の評判がいい理由が分かりました。そんな高価格帯の部屋に泊まったわけじゃなくて、普通の所にしか泊まっていないのですが、すごく居心地がいい。そして感動的。ホテルの窓から港の夜景を眺めているだけでも、いつまでも泊まっていたいと思わされますが、そういうレベルの話だけじゃありません。
リゾートホテルじゃなく、街の中にふらっとあるホテルで居心地よく感動できるって、凄い空間ですよね。同価格帯くらいの、他のシティホテルもいくつかは泊まったことがありますが、ちょっと別格の心地好さでした。魔法をかけられているような気分になります。ホテルオークラ神戸の熱烈なファンっていうのがいるのは知っていましたが、そりゃ確かに固定ファンもできますよ。僕もすっかり魅了されています。
こういう多くの人達によって隅々まで行き届いた快適な空間って、その中の何か1つ1つを切り取って言語化していくと、とても陳腐化してしまいますよね。総合的な空間が破壊されてしまいます。だから、右から左に色々と書いていくのは止めておきます。とても良かった、っていう以上の表現力を僕は持っていないなぁっと思わされるのでした。
16日(水)
今回の台風19号の被害はかなり深刻なものでして、千曲川は昔々親に連れられてドライブに出かけたところでもあり、そのあまりにもの変わりように驚くばかりです。二子玉川あたりで堤防から水が溢れるというのも、ちょっと想像を絶します。台風で100人弱の死者行方不明者というのも、最近ではあまり聞いたことがなく、痛ましい限りです。
そんな中で、東京都市大学の図書館の地下エリアが水没してしまったとか。また、川崎市民ミュージアムの地下保管庫も、水をくみ出すまで美術品の安否は分からないとか。そんなニュースが気になります。
九州大学の伊都キャンパスへの移転前、箱崎キャンパスで、僕がいる附属図書館付設記録資料館でもたびたび地下浸水を経験していまして、辛うじて資料類が濡れるという被害は免れたものの、地下の保存庫の怖さは体験しています。床面積の有効利用の点からも、地上エリアを活用したいという点からも、地下に色々なモノを収蔵したくなる気持ちは良く分かります。しかしそれ、人類の貴重な財産をかなりの危険に晒している行為なんですよね。
たまたま今回は東京都市大学や川崎市民ミュージアムが話題になっていますが、同じような地下の書庫・収蔵庫って、全国各地に大量にあるんじゃないでしょうかね。地下を書庫にしない、収蔵庫にしないというのが一番ですが、そうは言っていられない場合には水没防止の密封する設備を作るとか、何らかの対策が必要なんじゃないですかね。全国の図書館や美術館に、けっこう重い課題を突きつけられた気がするのです。
18日(金)
45歳の誕生日を迎えましたが、これといって何の感想もありません。けっこう平々凡々に、当たり前の事が当たり前に、普通に流れていく40代です。たぶん、50歳の大台に乗った時じゃないと、あまり次なるインパクトは無いんじゃないかと想像しています。
最近はチョッと、幸せの3パターンについて考察する機会が増えていまして、夫婦で酒を飲みながら深夜に何を話しているんだという感じですが、この思考、けっこうはまります。
バブル経済の頃に、日本の経済を牽引するためにゾンバルトの『恋愛と贅沢と資本主義』的な消費が、盛んに賞賛される世の中へと変わっていったわけです。バブル経済が崩壊しても、ゾンバルト的な消費を煽ることによって、経済全体の底上げをして来たといって良いでしょう。ゾンバルト的な幸福っていうのはドーパミン・アドレナリン型の幸せであって、人々はこのゾンバルト的な幸せを手に入れるために、たくさんの消費をしたわけです。
ところが、ゾンバルト的な幸せっていうのは短期的な幸せです。この短期的な幸せのために、ドーパミン・アドレナリンだけを追い求め続けると、人間は狂います。一方で、バランスをとるためのセロトニンやオキシトシンを出すことは、あまり短期的な消費には結び付きません。もちろん、ペット産業の成長なんていうのはオキシトシン型の幸せを消費に結び付けた事例でしょうが、それは極一部に過ぎず、結果的にドーパミン・アドレナリンを促すことで経済の底上げをし続けたわけです。
結果として到来をしたのは、少子化による人口減少社会です。少子化の原因なんていうのは複合的ですから、1つに強く原因を求めることは間違っているのかも知れませんが、セロトニン型やオキシトシン型の幸せを軽視したことが、その原因の1つであるとは言えるんじゃないでしょうかね。恋愛も始まりはドーパミン・アドレナリンですが、それを持続させて楽しい家庭を築いていくためにはオキシトシンが重要です。
そして、恋愛を持続させ、家庭を築いていくオキシトシン型の幸せを重視すれば、実際には長期的な消費へとつながっていきます。幸せな家庭を維持するためには、そのための不断の消費が必要ですから、短期的にはあまり消費に結び付いていなかったオキシトシンこそが、長期的な消費を促す一番重要な要素になってきます。日本社会には、この視点が欠けてしまったような気がします。
大学受験なんていうのはドーパミンを出して勉強が快楽になったからこそ成功します。そして僕なんかは、ドーパミンを出し続けるために、勉強から手近に転換できた研究へと手を広げ、研究者にまでなってしまっています。だから10代後半〜20代とかは人生ドーパミンとセロトニンばかりだったような気がします。その延長で生きてしまっていたらと思うと、ゾッとして恐ろしい限りです。
僕は34歳1ヶ月で結婚していますが、結婚生活のはじまりはまだドーパミン・アドレナリンとセロトニンで過ごしていました。30代後半くらいから、徐々にオキシトシンも増えて来たんじゃないかなぁっと思っています。研究者なんていうのは、普通のサラリーマンと比べて人生が少々後ろにズレテいますので、本当だったら20代後半から30代前半にはオキシトシン型の幸せを増やしていった方が良かったような気がしますが、まぁ十分に上々かな、と45歳の誕生日に感じるのでした。
29日(火)
少々宮古島まで行ってきました。新婚旅行で沖縄へ行った時に親切にしてもらったタクシー運転手さんが宮古島出身で、いつかは行ってみたいところでしたが、ついに宮古島まで行ってしまいました。バブル経済超えにわく沖縄ですが、宮古島の賑わいもかなりのもので、市の中心部のホテルでリーズナブルなところは、すでにかなり前から埋まってしまっている状況。そのため、同じ宮古島市ということで伊良部島のホテルなら予算内で泊まれるということで、伊良部島での滞在となったのでした。予約時には全く知りませんでしたが、NHK朝の連続テレビ小説の〈純と愛〉のモデルになったホテルらしいです。
2015年に完成したばかりの伊良部大橋からの景色は絶景でして、エメラルドグリーンから薄い水色までグラデュエーションを左右前方に見渡せるって凄く感動します。岐阜県では絶対に見られません。これはいい仕事をしていまして、国土交通省に感謝です。そしてホテルが渡口の浜っていうところに近かったので、ぶらっと散歩に行ったところ、泳いでいる人もいる。10月末なのに海水浴の人がいるのも驚きですが、涼やかな風が吹き少しまだ暑い日差しがさしている中を、粒が細かくサラサラの砂浜に裸足をつっこみ、僕らもしばし時を忘れたのでした。
この渡口の浜の海の家みたいなところに、〈俺のそば〉っていうノボリが出ていまして、そこまで書かれていると気になってしまいます。お店に入ると、結構巨大なヤシガニを飼っています。そんなヤシガニと吹き込んでくる海風を楽しみながら、〈俺のそば〉を注文してみました。一緒に出てくる自家製の唐辛子味噌がありまして、それを混ぜ込んで食べてやる。すると、鰹出汁と塩味がガツンと来るところに辛味も乗って、かなり濃くて美味い。これは海で汗を流して食べると、さらに美味しさが増すだろうなぁっと思いながら、リピートまでしてしまったのでした。
それ以外にも、宮古島市では宮古そばばかりを食べていました。正確に言えば、宮古島での宮古そばと、伊良部島の宮古そばを色々と食べたのですが、どうやら宮古島と伊良部島では少々味が違っています。宮古島の方が塩分が少なく、伊良部島の方が塩分が濃い感じです。これはもう、その日の体調でどちらが美味しいと感じるかが変わってきますので、自分がどのくらい汗をかいているかと相談な感じでした。レストラン入江の宮古そば、これもガツンと来て忘れられない美味しさだなぁ。
あと宮古島といえばマンゴーの大産地。宮古島未来創造センターっていう、図書館と公民館が合体したような施設がこの夏に出来上がったのですが、そこの飲食エリアでカミさんがマンゴージュースを発見。しかもなんと、宮古島産のマンゴーの生絞りジュースということで、季節限定でそろそろ終わりだということでした。そんなタイミングの良さも感じながら生絞り100パーセントジュースを飲んでみたら、これがもう言葉を失う美味しさ。マンゴーの本場の本気度を感じさせられたのです。
ついでにプロフィールも更新しておきましょう。
31日(木)
今日は首里城の正殿・北殿の全焼という衝撃的なニュースで目を覚ましたのですが、その後、南殿をはじめ6棟が全焼するという規模まで被害が広がったということで、やるせない気持ちでいっぱいです。沖縄戦によって焼け落ちた首里城ですが、正殿が復元されたのが1992年のこと。約半世紀をへて復元された沖縄の象徴的な建物でした。建物自体もそうですが、内部は玉座や宝冠や絵画やとさまざまな復元物が展示されていまして、博物館的な役割も担っていましたし、北殿は2000年のG8サミットの舞台でもありました。
そんな首里城が、出火の原因は今のところ正殿の電気系統云々っていう話が出ていますので、漏電が原因なのか、何が原因なのか分かりませんが、焼け落ちていく映像というのはあまりにも辛すぎます。中の展示物まで瞼に焼き付いているだけに、その被害の全容もだいたい分かってしまいます。
首里城から見下ろす那覇の街っていうのは、とても爽快で素敵な景色なのですが、当分の間は閉鎖されてしまうことでしょう。世界遺産に指定されているのは、上の建物ではなく遺構なので、首里城の歴史的な価値が失われるわけでは全く無いのですが、それでも見て分かりやすい上の建物の全焼というのは、やっぱり辛いものです。
これから、また1からの再建となることでしょう。1992年の再建ですから27年前、前回の再建に携わった人たちもまだ存命でしょうし、その技術を生かすとともに、漏電対策や防火対策の最新技術なども取り入れながら、また素敵な首里城が帰ってくることを待ちましょう。前回の再建に携わった人たちの、子どもの世代や孫の世代の役割になるかと思いますが、こういう時の沖縄の人たちの底力っていうのは目を見張るものがあります。僕も何か協力できることがあればなぁっと思うのでした。