2021年3月

2日(火)
 最近、もう10年くらい前に亡くなってしまった愛犬のオリビアのことを思い出します。高校生の頃の僕と一緒に寝起きしていたのですが、僕が朝起きるよりも早く、母が起きるとともに僕の部屋を出ていき、食事をするのかミルクを飲むのか、それとも挨拶をするだけなのかは知らないのですが、一通り満足するとまた僕の部屋に帰ってくるのです。そして、僕を起こします。その起こし方なのですが、ひたすら僕を舐め回すのです。特に唇を奪いに来ます。

 ワンコのスキンシップというのはペロペロと唇を舐めてくることでして、特に口をこじ開けて口の中まで舐めようとしますから、必死に唇を閉じてベロチューから身を守るのが朝の日課でした。朝だけに限らず、ベッドの中で読書とかしていても、同じように起こしに来るときもありました。ところがある日、僕はふと考えたのです。そんなにベロベロ舐め回すのならば、舐め返してやろうって。するとなんと、嫌がるじゃないですか。舐められないように、必死に顔を背け、自分に舐めさせろというのです。おいおい、今まで自分がされたら嫌がることをしていたのかと、その時は驚いたものでした。

 時は流れて、行きつけの焼鳥屋さんでの話です。店の大将と仲の良い、アラセブンの常連さんがいつものように盛り上がって飲んでいました。仮にAさんとしておきましょうね。Aさん。その日はいつもよりも盛り上がりが大きかったんでしょうね。僕のホホをベロベロと舐め始めたのです。父親と同世代の爺ちゃんに舐められて、ワーッと思うと同時に、酔っぱらっていた僕は、ふと閃いてしまったのです。

 そして僕は、後頭部までつづく額のところを、ペロペロと嘗め回し返したのでした。するとこのAさん。なんと、許可が出たとばかりに、さらにペロペロと僕のホホを舐めまわしてきたので、僕の方がしょぼんとして席に着いたのでした。そんな僕へとカミさんの冷たい一言。あれ、オリちゃんじゃないから。前にオリビアのエピソードを僕から聞いていたカミさんは、僕が何をしたかったのか瞬時に分かったとのことでした。しかしこれで僕は、ワンコと酔っ払いは、同じようにベロベロと嘗め回してきても、同じ対処をしちゃダメだなと学んだのでした。

 なぜか最近、そんなことばかりが思い出されるんだよなぁ。

10日(水)
 10年前のこの時期は東京にいまして、10年前の明日、3月11日には国会図書館の憲政資料室へと、福島県の猪苗代水力発電所の研究のための資料閲覧のために出かけていくことになるのです。中目黒のKKRホテルに泊まっていまして、翌日は国会図書館から中目黒まで歩いて帰ることになるとは露知らず、のんびりしたものでした。カミさんも別の調査やらで一緒に東京にいまして、翌日の11日は一緒に国会図書館に行くのか、別々の行動を採るのかという選択肢だったのですが、結果として一緒に国会図書館へ行っていて助かりました。別々行動を採っていたら、けっこう大変だったんじゃないかと思いだされます。

 たまたまですが10年前の旅程は3月12日まででして、3月12日に一旦は福岡に戻った後、今度はまた2週間後くらいに東京へと調査に出る予定になっていたのですが、その辺は停電続きとかでキャンセルになってしまいましたね。福岡に戻るのが3月12日の予定ではなかったとしたら、ホテルも停電エリアに入ってしまうかも知れないですし、飛行機か新幹線で早く切り上げたんでしょうかね。羽田空港のラウンジにもヒビが入っており、対岸の千葉の火災の煙もはっきりと見え、けっこうな混乱の中でしたね。あれから10年ですか。早いなぁ。

 阪神淡路大震災の時は、既に大学生になって東京に出ていたのに、成人式で岐阜へと帰っていた時でしたし、東日本大震災の時は既に福岡に赴任していたのに、出張と調査で東京に出ていた時でしたし、微妙に震源に近づいているのが気になります。偶然でしょうけど。

15日(月)
 東日本大震災の翌日、2011年3月12日が全線開業だった九州新幹線も、10周年を迎えましたね。そのちょうど中間、2016年春には熊本地震があり、新幹線にも大きな影響が出ていました。地震の直後に鹿児島に調査旅行に行く予定があったのですが、地震で九州新幹線の回送列車が脱線し、しばらくの間不通になってしまっていました。そんな時、事務の方から鹿児島へは飛行機でも行けるけれども、それでは行かないのかという、本音かジョークか分からない話を聞き、始めて福岡‐鹿児島間に飛行機が飛んでいることを知ったのでした。

 福岡と鹿児島の間がリレーつばめだった頃からしか知らないのですが、それ以前の特急だけの頃だと、飛行機を使った方がはるかに速かったのでしょうかね。全くの盲点でした。もしかしたら中学生のころだかに、西村京太郎のミステリーで読んだことがあるトリックかも知れませんけど、全く頭の中にありませんでした。

 九州新幹線で個人的に良かったのは、筑後船小屋駅というマイナー駅の近くに、船小屋温泉というところがあって、ここの温泉を知ることが出来たことでしょうか。新幹線が無かったら、まず行くことが無かった温泉郷でしょう。次に狙っているのは、新玉名駅から近い玉名温泉と、新八代駅から3駅ほど離れた日奈久温泉などですが、日奈久は熊本地震の断層でも有名になったところでして、ときどき物産展で売りに来る竹輪が美味しいんですよね。竹細工でも有名で、我が家の菜箸やらは日奈久のです。

 何はともあれ、九州新幹線によって、熊本・鹿児島の両県庁所在地へは、新幹線の利用客数も当初予定よりもはるかに多くなっているという事です。間の駅については、当初予定よりも利用客数が少ない駅もあるということで、その辺の開発は今後の課題でしょうが、とりあえずは熊本駅・鹿児島駅そして博多駅という、3つの拠点駅の利用者数が順調だったのが何よりです。1年後か、2年後か、3年後かは分かりませんが、コロナはいつかは終息しますから、そうしたら今回のダイヤ改正で減便された分も、自然と復活することでしょう。

24日(水)
 この度、はじめて幸せの黄色いドクターイエロー新幹線を見てしまいました。前々から存在は知っていたのですが、実際に見るのは初めてでして、実物を見ると確かにちょっと感動します。思っていたよりも黄色のインパクトが大きく、白い新幹線が黄色くなっているだけで、こんなにも印象深く心を惹きつけるのかと感心したのでした。自分一人で見ていたら罪悪感に襲われたでしょうが、幸いにも家族一緒にいる時だったので、罪の意識が生まれなくて良かったです。

 今年度も『エネルギー史研究』が完成しまして、プロフィールのところに加筆しておきます。カミさんとの共著論文で三菱のことを、書評で三井のことを扱っていて、我ながら珍しく旧財閥系のテーマです。本当はプロフィールに、もう少し色々と加筆したいのですが、色々と忙しいので、また暇な時にでもまとめてやりましょう。