2022年6月 |
2日(木)
れいわの議員が国会の質疑応答で首相を犬呼ばわりしたということで話題になっていますが、それが下品だということは、まぁ衆議院議長が下品なのだからそんなものかとさて置きまして、質疑のテーマの減税の話です。景気が悪い時に減税を行うとよいことは初歩の初歩の話ですが、長らく日本では景気が悪くても減税を行わないという政策が採られてきました。それによって日本は経済力がダダ下がりに下がり続けてきたわけでして、減税が景気刺激に有効なことは明白です。
ただし、これには2つの問題があります。それは1つには、少子化によって、今減税をしてしまった時の将来的な補填の目途が立たないという問題。そしてもう1つは、減税対象として消費税が適切かという問題です。
減税が景気刺激にとって有効であるにもかかわらず、それに反対する財務省の意見が通ってしまうのは、現在の少子化のままだと将来的な財政破綻が見えてしまうからです。なので本来的に解決しなければならないのは少子化の問題なのですが、それを大失敗してきたのが日本の衰退の大きな要因です。
ある種、適切な時に減税をしなかったために、少子化が進んでしまった面も否めず、特に団塊ジュニア世代から就職氷河期世代にかけて、それなりに人口がいた世代の婚姻率を下げてしまったのが苦しいところ。もはや団塊ジュニア世代は子どもを産みませんし、就職氷河期世代ももうかなりのところです。出産可能年齢などの問題もありますから、なかなかそれを取り戻すのは難しい。
逆に言うと、少子化がとどまって人口が増えるような期待が膨らめば、景気を刺激するために減税などを行うといった政策的な余地も膨らみます。なぜならば将来的な税収が見込めるからです。だから少子化に手を付けないと駄目なのですが、すでに今の出産可能年齢の世代を踏まえると、就職氷河期世代よりも下の世代に入ってきています。
少子化対策に万能策とか特効薬なんて言うのは無いのですが、議論として整理すべき問題として、女性が低学歴であった時代の出生数の増加と、女性が高学歴化した時代の出生数の増加は、別のメカニズムとして考えるべきだという点です。男尊女卑的な人間が根本的に間違っているのは、昔の出生率が高かったことを善とし、男女平等の世の中でも昔のように女性を家父長制の奴隷にすれば問題が解決すると思い込んでいるところです。女性が高学歴化し男女雇用機会均等法もできた現在においては、これでは問題は解決しません。
また、ジェンダーの先端を行っている人たちの議論で首をかしげるのは、子どもを保育所へ預けて女性も男と同じように働き、たとえ死別したり離婚したりシングルマザーで子ども持つ女性を、女性のスタンダードとして想定するところです。確かにそういう人への補助は必要でしょうが、それをスタンダードなものとして政策の中軸に据えることには疑問です。サブ的に行うべき重要な政策を前面に出してしまうと、マジョリティへに向けられるべき対応が疎かになります。
やはり少子化対策の基本は夫婦、つまりは子ども達にとっての両親による世話が一義的にあるべきでして、それに祖父母が協力し、家族による子育てを充実させていくことが、一番の少子化対策なんじゃないかと思っています。家事も育児も男女ともに行いやすい状況が必須です。行政の力を借りるのはその次です。そのためには、残業などの長時間労働などを、男の側も女の側も甘受させられるような職場は困りものですし、仕事後や休日などの職場の用事なども、少子化の一因だと思っています。
勿論職種によっては、夜間や休日の業務などが発生する場合もあるでしょうが、それは夫婦の日程を調整することで負担を減らせるような環境が理想であり、保育所の臨時保育を多用しなければならないような子育て環境では、少子化は止まらない事でしょう。常々、保育所の充実が少子化対策の前面に出る事には疑問を感じていました。勿論それはそれで弥縫策としては重要でしょうが。
そう考えると、国が行うべき少子化対策は、迂遠な道かも知れませんが、戦後日本を作りあげる上では貢献したブラックな職場を淘汰し、サービス残業を止めさせ、職場の飲み会やゴルフなどを抑制し、全国をホワイトな職場へ変えていくことなんじゃないかと思います。ブラックな職場は、家庭を低学歴にならざるを得なかった女性が守っていたからこそ維持できただけです。女性が高学歴化した現在には、逆に女性にまでブラックな職場が提示され、さらに少子化を加速させてしまいました。
全国のブラックな職場をホワイトな職場へと変えていけば、自然と、男女ともに子育てに使える時間が増えることになり、婚姻数や出生数も改善することでしょう。ほんと、西洋医学的ではなく東洋医学的な処方ですが。ちなみにこれ、景気刺激のための減税をするための環境づくりの話ですから、先が長い話のようですが、婚姻数や出生数に改善が見られれば、将来的な税収が計算できるようになりますから、減税をする余地が大きくなるはずです。
そして消費税が減税対象として正しいのかという話ですが、消費税は高齢者を含む日本全体から徴収できる貴重な税金です。これを減税対象にしてしまうのは、選挙の票目当てには良いでしょうが、あまり良い政策だとは思えません。景気対策としての減税ならば、自動車税やガソリン税、高所得者以外の一般の人たちの所得税など、現役世代がよく払っている税金を集中的に減税した方が、お金を使ってくれるのではないでしょうかね。
7日(火)
前回の続きですが、少子化対策として婚姻率を上げるためには給与を上げる必要があるという議論があります。確かに、給与を上げることも重要でしょうが、それだけでは不十分だというのが前回のお話の前提です。給与を今の倍か3倍か5倍かにするならばともかく、ちょっとくらい上げたくらいでは婚姻率は上がらないことでしょう。
給与をちょっと上げると婚姻率が上がるという発想は、男性が働きに外へ出て女性は専業主婦というケースに適合的な20世紀的な思考であって、現代社会ではそんなことをしても焼け石に水です。
現代の家庭は、男性も女性も共に働くことを推進された社会の中にあるわけでして、男女雇用機会均等法の下で教育を受けてきた世代たちはそれ以前とは意識が全く違ってきています。男性も女性も平等に社会で働くということは、男性も女性も平等に家庭の中での仕事、つまりは家事や育児やを果たさなければなりません。
それにもかかわらず、サービス残業や長時間労働によって家庭に使うための時間がないならば、必然的に家庭を維持する事なんてできませんし、そんな将来が見えるならば結婚には躊躇してしまいます。もちろん場合によっては親世代・祖父母世代やさらには親戚や隣近所の協力を得ながらという、核家族になる以前の古い対応方法もありますし、そういう家族は上手くいくケースも多いでしょうが、核家族化が進展した現代にあってはそういう対応が出来るケースは限られることでしょう。
要するに、家事や育児に参加する時間的な余裕がないような職場だと、結婚できる可能性がグッと下がってしまい、そして家庭を維持するのが難しくなってしまうのが現代社会です。「亭主元気で留守がいい」っていう発想は、時代に取り残されてしまった人たちの頭の中にだけある前世紀の遺物です。
官僚のなり手がいなくなっているというニュースがありましたが、官僚さんなんて言うのは典型的なサービス残業や長時間労働の世界でして、まともな家庭を築きたいならば選択しづらい職種ですよね。昔は見えなかった側面が、ネットによる情報の広がりによって、みんなに見えてしまったのです。そういう意味で、企業はホワイトな職場へと変えていかないと、自社の社員が結婚も出来なく、結婚しても家庭を維持できないという、不幸な社員づくりをしていることになってしまう時代です。
もちろん、給与も上げた方が良いですけど、給与よりもまずは労働時間(業務+付き合い)の削減ですよ。
9日(木)
先日、大牟田へ行ったときに四ツ山漬のお店へ入ったのですが、前々から目を付けていたカラスミを買ってしまいました。A級品とB級品がありまして、B級品はカラスミなのに破格の安値。A級品もそれなりに割安なお値段でした。尿酸値があと少しで7.0に手が届きそうという関係もありまして、魚卵はあまり食べないようにしているのですが、美味しそうなカラスミの誘惑に少々負けてしまったのです。
と言いましても、尿酸値は怖い。大学業界は尿酸値が高くて痛風の先生もそれなりにいまして、恐ろしい話をいろいろと聞かされますから、これ以上の尿酸値上昇は避けたい。そんなこんなを考えながら、ふと思いついたのが沖縄のスクガラスした。スクガラスという小さいお魚の塩漬けなのですが、これを島豆腐に乗せて食べると泡盛ととてもよく合います。コロナ下で沖縄欠乏症にかかっている身としましては、あれを思い出したのでした。
というわけで豆腐を買って来まして、そこの上に薄――くスライスして、さらに小さくしたカラスミを乗せる。そして食べる。よくよく冷やした日本酒もちびり。絶品だわぁ。ビビビときたアンテナセンサーが間違っていなかったことに感動し、最高のカラスミを堪能する。しかし、この美味しさに誘惑されてパクパク食べると尿酸値に来ますし、割安と言ってもそれなりのお値段ですから、ほんとおっかなびっくり少しだけ楽しむ禁断の食べ物です。
16日(木)
ようやくとですが3回目のコロナワクチンを接種してきました。前2回がモデルナのワクチンで副反応に苦しんだこともあり、3回目はファイザーのワクチンを接種することにしました。2回目を打ったのが昨年8月、本来的な8ヶ月間あけるのならば4月だったのですが、シーズンがいいのでコロナのリスクも低かったのがありまして、少々ダラダラと躊躇して9ヶ月強もたってしまいました。冷房のために各所が締め切られる夏を前に、ついに3回目の接種に踏み切ったのでした。
おっかなびっくりだったのですが、ファイザーのワクチンは相対的に楽です。2日間ほど頭痛に苦しみ、腕の刺された部分が最初は痛みその後かゆみに変わり、脇のところも痛くなったくらいです。これでも前2回のモデルナと比べたら遥かにマシでして、自分のコロナワクチンとの相性の悪さに驚いています。
しかし、3回目の接種者数が少ないのは当然だと思います。これだけ副反応という名前の、実質的にはワクチンの副作用が強い状況ですから、躊躇してしまうのは当たり前です。しかも、薬害がでても国がそれを認めるまでには、裁判で長い年月がかかりそうという状況ですから、それだけ薬害に関する行政への国民の信頼感が無いことが背景にある訳です。厚生労働省には、1歩1歩地道に国民の信頼感を高めて貰いたいものです。
そのくらいの薬害のリスクと、その薬害を国がなかなか認めないであろうという負担も考えたうえで、それでもワクチンは打った方がマシだと思っているから接種するのですが、まぁ難しいところですね。実際に確率は低くても、薬害にあたってしまった人たちにとってはそれが全てになってしまいます。自分や家族が薬害にあってしまった時に、低い確率にあたってしまったのだと心から納得できる人は少ないことでしょう。
もう4回目は来ないで欲しいな。でも高齢者以外にも4回目のワクチン接種という話も出てくるのでしょうか、その辺は不透明ですね。
21日(火)
天神の三越と大丸で買い物をしてから、新幹線の定期券がある関係から博多駅へと移動して久留米へと戻ることにしました。ところが、新幹線の中でウトウトウトウト、久留米駅で大慌てに慌てて新幹線から降りたのでした。するとなんと、ポケットの携帯電話が無い。無情にも閉まる新幹線のドア。あぁあ、ということで久留米駅の改札へと行ったのでした。
改札口で、駅員さんに相談したところ、すぐに新幹線さくらの車掌さんに連絡を取ってくれるとのことでした。僕が列車内で物をなくしたのは、かれこれ12年だか13年だか前の有田駅で下車をしたときに財布をなくした時以来でして、あの時は車内で車掌さんが見付けてくださいまして、早岐駅まで取りに行ったのが良い思い出です。そんなことを考えつつ待合室で待っていたのですが、駅員さんから、新幹線内で車掌さんが見た感じではみつからないという報告が。
え、そうなってくると話が違ってきます。新幹線の中で携帯電話を見ていないので、もしかしたら博多駅に落としたのかも知れない?いや地下鉄でも携帯電話を見ていないので、もしかしたら三越か大丸かも知れない?そんな恐怖感が襲ってきます。とりあえず、博多駅の方へと連絡を入れて貰ったのですが、博多駅でも拾得物の連絡は無いとのことで、久留米駅と博多駅の連絡先を貰って家路についたのでした。
家に帰ったところカミさんに、携帯電話はロックをかけているとはいえ、念のために電話を止めた方が良いのではとアドバイスされまして、といっても携帯電話を僕は持っていない訳でして、カミさんが最寄りのソフトバンクショップへと連絡を取ってくれたのでした。すると、ソフトバンクショップのお兄さんから、携帯電話の位置検索システムがあると教えられる。なんだそれ?
よくよく聞くと、僕はソフトバンクの安心パックに入っているらしく、携帯電話がどこら辺にあるかの位置情報確認システムが利用できるという事でした。驚き。ただし、ピンポイントじゃなくだいたいの場所しか分からないということですが、博多駅にあるのか天神にあるのかの違いでも分かれば御の字ということで、機械が読み上げてくれますという連絡を待つこととしたのです。
まつこと数10秒、機械音が流れてきました。「鹿児島県鹿児島市西田2丁目から半径700メートル・・・・・」おいおいおいおい、鹿児島やないかい、という絶望的な気持ちになりながらも、やっぱり新幹線の中に忘れていたことが分かったのです。パソコンで調べたところ、鹿児島中央駅は鹿児島市中央町ですが、西田2丁目はそこの隣あたりの住所です。急いで久留米駅へと電話をかけて、携帯電話の位置情報検索システムで鹿児島にあることが分かった旨と、もう一度、座っていた座席あたりを調べて欲しいと伝えたのでした。
しばらくして、伝えておいたカミさんの携帯電話に電話がかかってきて、鹿児島駅で見つかったとのこと。やったー、本当にありがとうございますと感謝しきりです。ちょうど鹿児島駅に到着して清掃の時間にあたっていたみたいです。座席のシートの間に挟まっていたということで、ホッとしたのですが、それと同時に鹿児島駅まで取りに来るか、郵送で送るか決めてくれと言われたのでした。しばしフリーズをしたのち、鹿児島駅へとこれから取りに行く旨の返答したのでした。
コロナ下で移動が少なくなっていたところ、久々の長距離移動がこんな理由で悲しい限りですが致し方ありません。カミさんに新幹線の時間を調べて貰って、久留米駅へと急いだのでした。鹿児島へ向かう新幹線の中は、携帯電話もないのでボーっと車窓を眺めているだけでしたが、熊本駅って意外と久留米駅から近いなぁっとか、海が綺麗だなぁっとか、そんな1時間を過ごしたのです。
そして新幹線に乗りつつ、この新幹線も鹿児島中央駅で折り返しなのだから、もしかしたら鹿児島中央駅で携帯電話を見つけてくれた清掃スタッフがそのままこの新幹線も担当しているのではと思いつく。そして鹿児島中央駅に到着して、降りてすぐに尋ねたところビンゴ!なんと、携帯電話を見付けてくださった清掃スタッフさんに、直接にお礼を言うことができたのでした。よかったぁ。
そして改札口へ行って携帯電話を受け取り、カミさんに無事を伝え、時刻表示をみたら15分後くらいに帰りの新幹線。それを乗り過ごすと、さらに40分後とかだったため、15分後の新幹線に乗ることを決断です。鹿児島中央駅は、新幹線改札口を出るとすぐにお土産売場があるのですが、そこへと急いで入って、すぐに目に付いた薩摩黒豚のチャーシューと角煮と生ハムを買い込み、鹿児島の地面を踏むこともなく改札内へと戻ったのです。
そして改札内の角打ちで焼酎を1杯、これが僕の急遽発生した鹿児島旅程となったのでした。往復2時間強で運賃18000円強。携帯電話が無くなったと思えば安く上がりましたが、痛い臨時出費です・・・・・・でもこれ、逆方向だったらと思うと新大阪駅なんですよね。交通費もだけれど往復の時間もきつい。新幹線、怖いわぁ。皆さま、落とし物にはご注意ください。
23日(木)
慢性的に軽い腰痛はあるのですが、先日重いものを持った時に腰を強く痛めてしまいまして、それから暫く整体へと通っています。そこで教えて貰ったことですが、骨盤が歪んでいて、そのために体を支えるバランスが崩れて腰が痛み、さらには腰をかばって足も張り、という形で玉突き状態で体が痛んでいっているみたいです。もうボロボロですね。
そんなこんなで患部の腰痛を治してもらいながら、その余波が出ている部分も治してもらっているのですが、とにかく筋肉が固まってしまっているとのこと。まぁ確かに、日常生活で使っていない部分の筋肉なんてあまり考えもしないですが、そこが固まっていると言われて押されれば激痛が走るので、けっこうマズいなぁっと感じます。そして、いつの間にかこんなに体が硬くなっていたのかという事にも驚きます。
柔軟のストレッチもして貰っているのですが、普段使わない部分の筋肉のところは、なんと自分一人でストレッチすることすら出来ないくらいに固まっています。記憶の中では簡単に動いたはずなのになぁっと、想像以上にヤバい事態です。そんなこんなを施術されながら、ふと色々と感じたわけです。
文部科学省のスポーツ庁ですが、発足以来、言語化できないモヤモヤ感があったのですが、その実態が分かりました。スポーツによって健康な生活を手に入れるというお題目は良いのですが、そもそも国民の一定数は体を柔軟にするストレッチすら、自分1人で行うのは困難なくらいに体は固まっているのです。それはお前だけだろと突っ込まれそうですが、多分僕だけの話ではなく、日常生活に支障は無くても、日常生活で使わない筋肉の部分は固まっている人は多いはずです。
そんな人を相手にしてスポーツ云々なんていうのは、健康寿命を延ばすよりも怪我をさせるリスクの方が高いでしょう。ちなみに僕はウォーキングもしているし、重いものも持ち上げているしで、それなりに体は動かしていますが、それでも今いきなりスポーツをしろは、体を壊しそうで不安です。ちなみに、スポーツ庁の定義ではウォーキングをしている僕なんかは、スポーツをしている人にカウントされるでしょうが、それ多分、健康寿命的には不十分です。
体を動かして健康寿命を延ばすためには、厚生労働省管轄の柔軟体操とかストレッチとか、そういうリハビリや整体の技術を持っている人たちと組み合わせながら、スポーツ庁自体を文部科学省管轄だけじゃなくて厚生労働省管轄のところまで含めて作る必要があったんじゃないでしょうかね。体育からの転換でスポーツとし、馬鹿馬鹿しい精神性を排除したところまでは良かったのですが、そこから一歩前へ出て、厚生労働省管轄のところと上手く接合できていないのがモヤモヤ感の原因だったのです。
今からでも、リハビリテーションの理学療法士や柔道整復師などが前に出る形で、スポーツ庁の活動はやっていった方が良いと思うのですけどね。スポーツなんてはるか先の話であって、そもそも国民の一定数はストレッチの手助けからしないと無理ですよ。ほんとそうでもしないと、体なんてなーんにも動きません。
28日(火)
ジブリの〈千と千尋の神隠し〉の舞台化作品の話ですが、ポスターが公開されたときから橋本環奈と上白石萌音とのダブルキャストの比較で注目されていました。実際に舞台を見に行った人たちの感想をみていると、橋本環奈が初舞台なのに対して、上白石萌音は13歳の時から舞台に立っているというベテランでして、講評などでは上白石萌音への賞賛と、それと比較される橋本環奈という感じになっているようです。舞台経験豊富な上白石萌音に対して、初舞台の橋本環奈の演技は頑張っていても物足りないところがあるのでしょう。
ところが、〈千と千尋の神隠し〉っていうのは、千尋が油屋のカエルたちに邪険に扱われながらこき使われる作品でして、演劇の評論家やマニアが橋本環奈を辛評するほどに、橋本環奈の千尋っぽさが上がっていくことになります。逆に、そういう目の肥えた人たちが上白石萌音を賞賛すればするほど、彼女は千尋イメージからは乖離していってしまうのです。その結果、橋本環奈の舞台だけを見たか、もしくは両方の舞台を見ていない人にとっては、千尋としては橋本環奈の方がイメージにしっくりくるという、何ともパラドキシカルな状況が誕生してしまったのです。
これは橋本環奈の事務所とかが意図的に仕掛けたものなのか、それとも偶然の産物として出来上がったパラドクスなのか、それは分かるすべもありませんが、とっても珍しくて面白い状況が出来上がっていることに感動してしまいます。
話は変わりますが、今回の参議院選挙は福岡県選挙区は大量の候補者が立候補していまして、やはり中選挙区制は面白いです。小選挙区制の県の人たちだと、どうしても選択肢が少なくなってしまいますからね。選挙区へ候補者を立てておけば、比例票の掘り起こしにもつながりますから、中選挙区と比例との組み合わせっていうのは、民意を拾い上げるためには良くできたシステムだと思います。
逆に、衆議院の小選挙区と比例の組み合わせ、しかも敗者復活付きというのは、色んな意味で民意を無視しすぎな制度でして、1990年代はじめの政治改革が何故に単なる小選挙区中心の選挙制度改革となってしまったのか、反省すべき時期に来ているのではないでしょうかね。政治資金規正法の問題が、金がかかる中選挙区制という論点へとすり替えられてしまったように思い出されます。
小選挙区制度は、当選可能性の高い党の候補に選ばれることが第一になってしまい、中選挙区制時代よりも有権者を無視できてしまいます。地方における人口減少というのは、別に選挙区の事なんて大して考えなくても良くなった政治家たちによる、選挙区軽視の結果という側面も大きいんじゃないかと思っています。中選挙区制の時代に日本が発展し、小選挙区制の下で日本が衰退したのは、果たして因果関係はあるのか無いのか。僕はあるんじゃないかと思っているんですよね。
30日(木)
梅雨明けらしいですが、日曜日から再び崩れて1週間くらい雨天・曇天がつづくとか。。。それって本当に梅雨明けしているのでしょうか?普通は単なる梅雨の晴れ間っていうんじゃないでしょうかね。梅雨明け宣言とか出ると人々の行動が能動的になり、消費活動も活発化して経済に好影響のため、意図的に誤った梅雨明け宣言を出したのではないかと疑いたくなるレベルです。
前は中国の統計データが党員の出世争いのために出鱈目だというのは笑い話になっていましたが、今や日本の統計データなども嘘八百な数値が入り込んでいるというのが明るみに出てしまいましたからねぇ。気象発表くらい、鉛筆なめなめ手を入れられそうです。しかも気象庁は国土交通省の傘下でして、ゴキブリは1匹いたら30匹はいると思えとも言われますし、まぁ眉唾な気分にもさせられます。