2022年8月

4日(木)
 そういえば、しばらく前に大牟田の四ツ山漬のところでカラスミを買ってきた話は書いたのですが、1級品と2級品を食べ比べした結果を書いていませんでした。その感想は、僕とカミさんで全く異なっていたのです。

 僕の方は、1級品と比べて2級品の方が塩味が強いという感想だったのですが、カミさん曰く、塩の辛さの違いなんて分からないと。。。塩分過多の鳥取県民恐るべしです。それに対してカミさんの感想は、1級品と比べて2級品の方が生臭いという感想だったのですが、僕は全くその生臭さは感じませんでした。。。岐阜県民の海産物音痴もまた恐るべし。

 いやこれでも福岡に来て美味しい魚を食べる機会が増え、生臭い魚だと「岐阜のスーパーでも売っている魚だ」っていう位には分かるようになったのですが、カラスミの微妙な生臭さがあるかないかの違いまでは分かりません。それよりも、塩分の加減の方が強く感じてしまって、僕の嗅覚も味覚も反応しないのです。

 どちらにしろ、確かに2級品のカラスミはお値段はお得なのですが、そのまま酒のアテで食べるというよりも、過熱をしてカラスミパスタにするとかお茶漬けにするとか、そういうひと手間をかけると一番美味しく食べられる感じです。食べ比べをしなければ2級品で十分だったのですが、食べ比べをしてしまうと白黒ついてしまいますね。

 ちなみに海の魚の鮮度はまだ十二分には分かりませんが、川魚の味の違いはそれなりによく分かります。球磨川の鮎を食べたときに、木曽川の鮎との味の違いに驚いたのですが、そうなると是非とも食べたいと思いつつまだ食べられていないのが四万十川の鮎。あれはマンガの〈美味しんぼ〉でしたが、京極さんが涙した四万十川の鮎を食べたいと30年来も思いつづけつつ、なかなか高知県まで行く機会がないので食べられないままです。鮎は食べ物で味が変わってくるので、四万十川の味を感じられるのだと思いますが、死ぬまでに1回は食べてみたいなぁ。。。

9日(火)
 安倍元首相の国葬についての議論が起こっていますが、そもそも論として現在の日本に国葬に関する法律が無いことが、立法府である国会の無責任なんじゃないかという気がします。

 戦前の国葬令は、大喪の礼を含む皇族の国葬がメインの法律でして、付随して臣民のうちで功績があった者も国葬の対象となるという法律でした。そして国葬令は勅令であったため、明治憲法から日本国憲法になる際に失効してしまいまして、本来ならばこの時点で新しい国葬令の制定を国会はしなければならなかったはずです。しかしながら、大喪の礼等は宗教問題とのからみで棚上げされますし、昭和天皇も若かったために、国葬令のサブ的な旧臣民たちの国葬について誰も考えなかったのでしょう。

 その後、貞明皇太后の葬儀を実質的に国葬にしたり、吉田茂の国葬をしたりしていますが、国葬令が無いままに国葬をするという無責任な状況だったために、内閣や議会や政党が葬儀をするという、訳の分からない慣習が出来上がってしまったのです。本来ならこの時点で、国葬について法制化すべきでした。国葬は弔問外交の舞台になることがしばしばあり、日本のプレゼンスを高める役割も果たしますから、ちゃんと制度化して行った方が良いと個人的に思います。

 安倍元首相の国葬についての議論は議論で別に良いですが、誰かが亡くなってから葬儀の話をするというのは非常に下品でして、あぁあぁという感じで眺めています。本来的には国会で事前に新たな国葬令を決めておき、そのルールに基づいて粛々と国葬にするなり別の葬儀にするなり、判断されるべきだったことでしょう。

 遅きに失したとはいえ、安倍元首相の葬儀の話とは別に、国会でちゃんと現代日本に適した国葬令を制定して貰いたいものです。誰かが亡くなってからの葬儀のあーだこーだという話なんて言うのは、これが最後にして貰いたいものです。

18日(木)
 大失敗に終わった2020年、いや2021年の東京オリンピックでしたが、ここへきて汚職事件が摘発されたり、関連建築物の巨額赤字が話題になったりと、失敗に失敗を重ねる状況になっています。オリンピックを強行した責任者の菅義偉前首相は辞任したとはいえ、関係者たちだけが旨い汁を吸った失敗イベントのその後を見ていると、一義的には都民が負債を負う問題とはいえ、国税も投入されているわけでして腹立たしい限りです。

 もはや近代オリンピック自体が曲がり角でして、世界各国の持ち回りという形式そのものに無理があるといわざるを得ません。誘致合戦でIOC幹部が旨い汁を吸うことが目的化しており、それを各国の関係者がトレースして旨い汁を吸うという、利権が利権を呼ぶだけの利権ピックの状況は、もはや民主主義的な国が行うイベントととは言い難いでしょう。

 オリンピックの商業主義自体を批判する気は無いのですが、あまりにもコストとリターンが見合っていない。今回はコロナ下という状況でそれが分かりやすかったのですが、例えコロナが無かったとしても膨れ上がった経費を見るだに、もはやオワコンです。僕の師匠の師匠でもある原朗先生が言っていることですが、戦争などの非常事態には普段は見えなかった問題点が顕在化するものでして、コロナという非常事態だからこそ普段の問題点がよく浮かび上がってきます。

 そういえば、原朗先生と言えば御高著『学問と裁判』(同時代社)が刊行されました。前作『創作か、盗作か』(同時代社)につづく力作でして、老いてなお精力的に活躍する原先生には頭が下がるばかりです。格好いい老人です。我が家では原朗先生のことを源三位中将のごとく尊敬しておりますが、学者の格好いい生き様を後進たちへと教えてくださっていまして、多くの人にそのスタンスを学んで貰いたいものです。

30日(火)
 科研費の関係で久しぶりに沖縄へと調査へ行ってきました。コロナ前のインバウンドでの賑わいを知っているだけに、シャッターが閉められている店の多さには胸が痛みます。特に国際通りは、沖縄資本ではなく本土資本の店も多かったですからね。沖縄資本でも、複数店舗を構えていたところが店舗数を減らしていたりして、こんなところも閉めているのかと衝撃は大きかったです。

 でも、5年、10年、15年と変わらないお店とかを見るとホッとします。マンゴーは、アップルマンゴー中心から、キーツマンゴー中心に変わって、さらにはアップルマンゴーでもキーツマンゴーでもない新しいマンゴーも登場してワクワクしますが、売っているおじぃもおばぁも変わらないのが最高です。そういえば、タクシー運転手さんからパイナップルを貰ったのでホテルへ持って帰ってナイフで切って食べたのですが、パイナップルが昔よりもはるかに美味しくなっている。

 僕のイメージの中ではパイナップルって、もっと酸味が強かった印象があるのですが、まったく酸味を感じない品種のパイナップルになっていまして、最近の品種改良技術は凄いですね。見た目から、昔とパイナップルが味が変わっているなんて思いもしなかったのですが、酸味の無いパイナップルならばどれだけでも食べられる。これは凄いです。なんていう品種のパイナップルか聞き忘れてしまった。。。

 キーツマンゴーを知った時のインパクトも大きかったですが、今回のパイナップルもインパクト大だな。しかし、何ていう名前なんだろう。