2022年9月

8日(木)
 福岡県中間市での幼稚園児のバス放置死からまだ1年だというのに、今度は静岡県牧之原市での同様の事例ということで胸が潰される思いです。水筒のお茶を飲み干しながら必死に誰かが来るのを待っていたというニュースを目にすると、もうどうして良いのか分からないほどの悲しさと憤りを感じます。運転手さんが休みで、70代の園長と70代のシルバー人材派遣の人との2人が担当していたということで、人手不足なんでしょうが、もうちょっと何とかならなかったのかと思うばかりです。

 このようなバス内にしろ乗用車内にしろ、放置されて熱中症での死亡ニュースを見るたびにカミさんと話していたのですが、緊急時に自動車のクラクションを鳴らさせる訓練っていうのを、行った方が良いんじゃないでしょうかね。子どもがクラクションを鳴らすというのは、いたずらだから触らせない、っていうのが一般的な常識かと思います。

 しかしながら、いざ閉じ込められてしまった時には、クラクションを鳴らすくらいしか外への助けを呼ぶ方法はありません。朦朧とする前に、ちょっと暑いなと感じた段階でクラクションをブーブーブーと鳴らすトレーニングをしておけば、まさかの時にも対応できる可能性は上がります。3歳になったばかりの子どもとかだと、それでも難しいかも知れませんが、でも何もしないよりはマシです。

 幼稚園や保育園のバスに限らず、自宅の乗用車にだって忘れられてしまうことは有り得ます。せっかく、エンジンが止まっていてもクラクションは鳴るようになっているのですから、価値観を転換して、常日頃から子どもにはクラクションを鳴らすトレーニングをしておくべきでしょう。自宅だけじゃなく、幼稚園や保育園でも、クラクションを鳴らすトレーニングを入れるべきじゃないでしょうかね。

12日(月)
 沖縄県知事選は玉城デニー知事が再選しましたね。しかも思っていたよりも大差での勝利でした。この前の沖縄調査の時にタクシー運転手さんが話していた話ですが、辺野古での埋め立ての砂利をわざわざ山口県から運んできているということでした。沖縄県内でも砂利や砕石なんていくらでも入手できるだろうに、わざわざ暗殺された安倍首相の地元から持ってきていたとは驚きでして、辺野古をめぐるそのへんの安倍・菅政権への嫌悪感が、その国葬にこだわる岸田政権にまで波及した感じなんじゃないかなぁっていう印象です。

 オリンピック汚職もそうですが、当事者たちはバレずに隠れて上手くやっているつもりでも、だいたいバレバレにバレて嫌悪感だけが高まっているわけです。東京オリンピックが失敗に終わったのも、具体的な汚職の金額やルートは分からなくても、利権に群がる醜さみたいなものは、大雑把ではありますが国民にはよく見えていたからでしょう。しかも、汚い金について嫌悪感が高まっている中で、更なる利権あさりのための札幌オリンピックの提案ですから、検察には徹底的に摘発していって貰いたい限りです。

 そういえば、田沼意次の息子の田沼意知が暗殺されたときに、その暗殺犯の佐野政言が人々に感謝されて佐野大明神として祀られたことはよく知られた話です。また、昭和の御代の暗殺事件についても、減刑が嘆願され、その犯人たちは出所後に尊敬を集めたことも良く知られています。そして今回の暗殺犯についても同情とともに減刑を嘆願する声も大きく、時代が変わっても人の心は変わらないなぁっとも思う訳です。

 もちろん、暗殺などという手段によって人の言論を封殺することは許されませんが、政治家の方も暗殺されたときに暗殺犯が称賛されるような行動は、しない方が良いのではと思います。他にも、暗殺されたら暗殺犯の方が大明神としてまつられそうな人とか何人もいるわけでして、必殺仕事人を歓迎するような世情にならないように、利権あさりは止めて貰いたいものです。

 ちなみに、そうはいっても僕は国葬には賛成です。国葬にするか否かは政治家の政策や行動を賞賛するか否かで決めるのではなく、もっと在任期間とかニュートラルな判別基準で考えるべきです。人間的に安倍元首相が国葬に値するとは思い難いですが、最長在任期間の首相であったというニュートラルな基準で国葬にすべきなのです。今後の国葬の法制化でも、在任3年とか5年とかが基準であるべきで、政策の是非を問うてはいけません。政策の是非や不正の話などはもはや歴史法廷で論じればいい話でして、葬式の場で話す話じゃないでしょ。

22日(木)
 ネット社会が発達する前は、古本屋を散策するなんて言うのが宝探しの感覚もあって楽しかったのですが、ネット検索で古本を発注するようになってしまってからは、そういうアクティブな行動から変化したような気がします。そんな話をカミさんとしていたところ、ネットで古本とか史料を買うのはガチャだと言うんですね。確かに言い得て妙でして、内容を十分に確認しないままについつい購入依頼をしてしまい、それが当たると大喜びをするけれど、ハズレてしまうとしょんぼりしてしまう。その感覚がネットゲームのガチャにそっくりなのです。

 いつの間にか古本屋が、散策コースの宝探しからガチャへと変わっていたという衝撃を受け、でもガチャって確かにはまる時ははまるよなぁっと、現代の古本屋=ガチャ説に妙に納得してしまったのでした。まぁ、元々が宝探しなので、それがガチャに変わったところで大差はない気がしますが、本当に1冊見つけただけで論文が書けるというような史料とかたまにありますからね。そういうアタリを見付けるために、ガチャを回す気分で古本屋のサイトをピコピコしてしまう秋の夜長でした。

 でも、秋晴れの古書店の散策から、秋の夜長のネット検索というのは、人間としてはかなりダメな方向に行っている気はするのです。なにかでリカバリーをしなければ。

 ところで先日、久留米の三本松公園で行われたビアガーデンへと行ってきました。キリンの朝倉工場から生ビールが来ていまして、ひさしぶりに出来たてほやほやのビールを堪能しました。文化街の新興を兼ねたビアガーデンでして、各お店の歌唱力のある面々や面白い面々が熱唱していて、色んな意味での見事さに聞き入ってしまいました。文化街のお店で飲んだことはまだ無いのですが、公園でいきなりお客さんの相手をしていた様子を見ていると、博多の中洲のお店とはかなり雰囲気が違っていそうですが、なかなか探検に行く機会がないのが残念です。

30日(金)
 安倍元首相の国葬が終わりましたが、会場周辺では安倍元首相の顔を掲げて、射的や水鉄砲で撃ち殺すというパフォーマンスが横行していたようでして、あまりにもの事態に驚愕しています。ドン引きです。僕も別に安倍元首相を好きな訳でも支持していたわけでもありませんが、射殺され暗殺された人に対して射的や水鉄砲で撃ち殺すパフォーマンスができるという、その感覚を持つ人間が存在することが恐ろしい。

 死者を冒涜するのはあまりにも僕の感性としては受け入れ難いですし、ちょっと前まで日本人はそんな事をしなかったと思うのですが、いつから日本がこんな事態になっているのかと驚くばかりです。死ねば皆神様であり仏様。特に安倍元首相みたいな権力欲にまみれた嫌らしいタイプが暗殺なんてされたっていうことは、明らかに祟り神になりやすそうですから、日本的に考えれば丁重に祀っておいた方がいいでしょうに。

 そして国葬が終わったからこそ、国会では国葬についての法制化を進めて欲しいものです。55年体制下で放置されていた立法の不作為のために、こんな混乱が起きているのですから、そうならないようにも法制化は必要です。該当条件を作るも良いですし、国葬は禁止するという法でも良いですが、不作為だけはいけません。
 
 とはいっても、セクハラ常習者で性モラルの欠如した細田衆議院議長が居座っており、さらには旧統一教会とも懇意だったのに、何の責任も取らない無責任国会。衆議院議長の品位を地に落とし続けている細田議長ですから、まさに終わってますね。岸田首相は本当に人事が下手糞です。