2022年11月 |
1日(火)
色んなものの価格が値上がっていまして、円安を実感しています。円安自体は中長期的には日本経済にプラスでしょうが、ここまで急激な円安となってしまいますと短期的には非常に苦しい局面です。特に、日本経済の悪弊として労働分配率の低さが言われていますが、賃金が上がらない中での物価上昇は人々の生活を圧迫していきます。
小泉―竹中改革の中で、金融改革などは重要な改革だったのですが、労働改革だけは大失態だったそのツケが回ってきています。小泉―竹中改革のポイントはミクロ経済の視点でマクロ経済を運営したところでして、確かに規制緩和によって企業経営が上向くという側面は大きかったのですが、こと労働改革に関してだけは合成の誤謬を多発させる愚策でした。内需の大きさが日本経済の強みだったのにもかかわらず、小泉―竹中改革の労働改革はこの内需を破壊する方向へといき、日本経済の弱体化のターニングポイントとなりました。
日本の経営者たちなりは、どうしてこの労働者=消費者であるために、労働者の酷使がマクロ経済の弱体化に繋がるにもかかわらず、必死に内需を縮小させるための方向へと邁進するのかが理解に苦しみます。まぁゲーム理論的に考えても、他社が賃金コストを下げるならば自社もとなるのでしょうが、こういうのは国が再び規制を強化するしかないのでしょうかね。
支持率が下がってしまった岸田内閣ですが、労働分配率を上げることができるか否かが、経済に強いはずの宏池会出身の首相として求められていることでしょう。
うちのカミさんはもともと、地元の鳥取には国際的な価格競争力があることをシニカルに豪語していましたが、いつの間にやら日本全体に国際的な価格競争力が出始めてしまっています。中国に流出したシャインマスカットの苗のニュースを見ていたら、1房で800円とか出ていたのですが、それ、僕が普段買っている田主丸のシャインマスカットの値段ですがな。これだけの円安だと農作物でさえ国際的な価格競争力を持ててしまいますから、しばらくは輸出をすればするほど儲かる企業や事業者も増えていくことでしょう。それがちゃんと、個々人の所得へと反映されるかどうかが重要ではありますが。
8日(火)
財務省界隈がまた増税の話をしているようですが、ケインズ主義全盛の時代から今はどうやら古典派経済学へと傾注しているようでして、新古典派ではなくて古典派かよという馬鹿馬鹿しさに襲われます。日本の税制としては、昔よりは弱くなったとはいえ所得税の累進課税を採用していますし、消費税もありますから、単純に国民の所得を伸ばして消費を伸ばすことが税収増につながります。
つまり新古典派的な経済成長を加味して制度設計をすれば、税収は自然と増えていきます。しかしながら、まるで金本位制の時代に古典派経済学で考えていたような、経済成長はおこならないという前提で税収を増やして赤字を埋めようとするため、日本経済は成長が出来ていません。どうして1980年代にケインズ主義の限界を感じた官僚さんたちは、古典派へ行ってしまったのか。
平均年収が400万円台まで下がっていますが、これを平均年収で600万円台へと上げていくだけで、累進課税と消費税を考慮すれば日本の税収は劇的に上がっていきますし、財政赤字の問題も解決していきます。インフレは問題ありません。大切なのは労働分配率です。企業が内部留保を溜めず、株主への配当も減らし、労働分配率を高めていけば、財政の問題は驚くほどに簡単に解決します。
大蔵省時代の成功体験に引き摺られているのだと思いますが、金本位制の下や金本位制への復帰を考えている状況下では、インフレを抑えて財政のバランスをとることが最も重要です。しかしながら、すでに世界から金本位制が消え去って半世紀にもなるのに、輝かしき大蔵省の栄光の時代のままに、金本位制下で正しかったことを続けているのが財務省です。MMTは行きすぎですが、新古典派的な緩やかな拡大は必要です。主税畑が出世コースの大蔵省‐財務省の官僚さんたちには、この転換がどうしても難しいようでして。
またもう1つには、バルブ経済の反省があるのでしょうが、所得の増大とインフレが土地価格の急上昇へと行ったのは、土地の価格は下がらないという神話の下に土地担保金融が何重にも蔓延ったからでして、土地は値下がることもあるという前提の下に土地担保金融の規制をかけていけば、バブル経済のような事態は避けられるでしょう。それに今それを考えるのは、あつものに懲りてなますを吹く状態です。バブルで踊った金融マンたちから大蔵官僚がノーパンしゃぶしゃぶ接待を受けたのも、それまた別の話。
いま減税をする必要はあまりないと思いますが、ここでまた増税をして日本経済の何度目かの破壊をするというのは愚の骨頂でして、そんなことをして評価するのは古典派のルール下で生きている化石さんたちだけでしょうね。
15日(火)
先日、みずま祭りへと行ってきました。三潴を〈みずま〉と読むのは、博多にいた頃もあやふやには知っていましたが、久留米へと引っ越して明確に読めるようになりました。この三潴に、水沼公園というみずま公園があり、コロナ下ということもあって3年ぶりのイベントが開催されたのです。大カラオケ大会みたいなのや、よさこい大会みたいなものもやっていましたが、そちらのメインステージには近寄らずに、辺縁部で祭りの気分を味わいました。
緑地の中央に巨大な風船で出来たすべり台なども置かれて子どもたちで賑わっていましたし、お祭りですから屋台を堪能してきました。筑後は肉も野菜も美味しいために祭りの屋台の品質が高いことには常々驚かされますが、秋晴れの公園で同じようにくつろぎながら過ごす人の群れを見つつ美味しく色々と味わっていると、コロナで活動が抑えられてきた反動みたいなものが良く分かります。
日本酒コーナーもありまして、比翼鶴や花の露、杜の蔵、池亀酒造などは久留米の中心部でも味わえるので、何か珍しいものをという感じで探したところ瑞穂錦というメーカーの〈鬼夜〉という酒に目が行ったのでした。鬼殺しにしろ、だいたい〈鬼〉という文字が入っている酒は辛口で気になってしまうのですが、この〈鬼夜〉を味見したところかなり美味しい。飲みやすくて鬼も殺せそうな酒でして、いい出会いをしてしまいました。
そんなことで興味を持って帰宅後に調べたところ、大善寺の玉垂宮で正月明けくらいに火祭りをやっているらしく、この火祭りの事を〈鬼夜〉と呼ぶそうです。1600年にもわたって火祭りをしているとか。もともとは神仏混合の大善寺の一部だったようなのですが、明治の神仏分離の際に大善寺が排されて玉垂宮の方だけが残って大善寺玉垂宮のようでして、どうして大善寺の名前が残っているのかはよく分かりませんが、火祭りは仏教が入る前から火祭りとのことです。本当かなと思うくらい伝統がありますね。どこかで途切れたり復興したりしていないのでしょうか。
17日(木)
寺田稔総務大臣は池田行彦の娘婿ということですが、葉梨康弘前法務大臣が葉梨信行の娘婿で、ともに東大法学部からキャリア官僚になったのちに、政治家になることを目的として息子がおらず娘だけの政治家を物色して世襲政治家ポジションを手に入れたグループです。普通の人間はこういう歪んだ行動パターンを取りませんから、不幸せな人生を歩んでいるなぁっと笑えます。逆に娘しかいない政治家には、こういう不幸で異常なタイプが大挙して押し寄せているのだろうと、それはそれで笑えます。
それはさて置き、年末の紅白歌合戦の顔触れを見ていると、もう痛々しいから止めた方が良いんじゃないかと思います。JASRACが奮闘したおかげで街中で流行歌が流れることも少なくなりましたから、ヒット曲は誕生しない時代です。だからと言って、僕の世代ですらよく分からない歌手・グループが増えており、高齢者とかもうチンプンカンプンの世界でしょう。高齢者は馬鹿にされても黙って受信料を払い続ける存在として軽視されるのでしょうが、若者に媚びても彼らが新しく受診料を払うことは無いでしょう。テレビなど持たずにオンラインでコンテンツを消費するだけです。
いつまでも北島三郎や島倉千代子が歌い続けるのも確かにあれでしたが、でもまだその方がマシだったのではと思わせる顔ぶれです。ユーミンを出したり、サザンを出したり、中島みゆきを出したり、色々と頑張っていた時代もあるのに、もうそういう努力も止めちゃったのか、1回出たから十分だと蹴られてしまっているのかは分かりませんが、格落ち感が凄いです。
あぁ、書いていて分かりましたが、昔と比べて格落ち感があるのですよ。昔のヒット歌手でも、今のヒット歌手でも、どういう基準で選ぼうと良いのですが、年末の大晦日、一年の最後の最後に豪華な顔ぶれだなぁっと思わせるのが紅白歌合戦の存在意義でした。ところが今年の顔触れでは、全体的に豪華さが足りないのですよね。もう、国民の多数が豪華だなと思うような顔ぶれなんて言うの自体が存在しないのかも知れませんが、これで来年は氷川きよしがいませんし、石川さゆり、坂本冬美、郷ひろみ、ゆず、福山雅治、セカオワ、キンキあたりが辛うじていうところでして、もう個々人が勝手にYouTubeで見ていれば十分でしょ。
22日(火)
今年は集中豪雨による水害が無かった関係もあって、野菜が安いのが嬉しい限りです。そろそろ鍋のシーズンに入ってきましたが、白菜が1玉100円台でありますし、キャベツも大きいのが1玉100円台ですし、物価上昇が激しい中で野菜が安いのは嬉しいです。冬になってくると、白菜にしろキャペツにしろ葉物野菜が美味しい季節になります。そのため夏と違って野菜の消費がグッと増えることになります。
夏場でもトマトとかキュウリとかオクラとかありますが、やはり冬場と比べると野菜の消費量が減ってしまいまして、こればっかりは致し方ないのですが、秋から冬へと野菜が増える季節になって農業エリアである筑後に住んでいるメリットが十分に発揮されます。夏場は、阿蘇の高原で作られる貴重な葉物類などを探すのですが、やはりお値段もそこそこ良いですし、絶対量が少ないですから難しいですよね。
前に沖縄の論文を書いていたときに知ったのですが、地産地消という概念は、元々はフードマイレージから来た概念でして、輸送にかかる燃料費などを考えて地産地消の方が地球に優しいというのが重要です。もちろん品目によっては北海度の物を買うこともありますし、海外のフルーツや食材なんかを買う時もありますが、それでも基本はやはり地産地消をできるだけ多く実行することが、地球への負荷を減らすことに繋がっていると意識して行動しています。
こういうのは消費者1人1人の意識の総和の問題ですから、できるだけ多くの人が地産地消や、距離的に近い産地の商品を買うことを心がけることが肝要です。輸入食材とか珍しくて買ってしまうこともありますが、やはり環境負荷を考えると程々にすべきですよね。飲食店とかを探すときにも、地産地消を進めている飲食店はその分、地球に優しい行動を採っているわけですから、それを応援する意味からも利用するように心がけています。
沖縄の論文の時も書きましたが、すべての農産物や食材を地産地消で揃えることなど出来ないでしょうが、フードマイレージの原点に戻るならば、できるだけ近い場所の農作物や食材を選ぶというだけでも十分に大切なことです。地産地消と言っても全か無かで場所を考えるのではなく、相対的に近い場所という感じで、多くの人たちが消費を心掛けることができると良いですね。
29日(火)
オリンピックの談合事件のニュースのコメント欄を見ていて面白かったのが、多分どこかの業界の談合関係者が書き込んでいるコメントでした。それによると談合をする場合には、書類を作成しないとか、メモをとらないとか、携帯電話や録音機は持ち込ませないとかだけでなく、談合場所の打ち合わせをする際の電話は公衆電話から行うとか、清朝にも慎重を期して談合をやっている旨が書かれていました。談合をすることは犯罪ですが、そのくらい慎重なものなのだと感心した訳です。
それに対して今回の東京オリンピック談合事件は、何ていうか大胆というか傲慢というか、慎重さの欠片もない感じで談合の証拠が次から次へと出てきているようです。国民の富を奪いつくす特権的な立場にあるのだという傲慢さが、東京オリンピック利権に群がった人々たちを覆っていまして、反吐が出るようなニュースです。
ところで岸田首相、人を見る目の無さに驚きます。真面目系クズと呼ばれる人たちがいますが、岸田首相はこの真面目系クズにコロコロにだまされるタイプのようでして、自分の人を見る目の無さをもっと自覚した方がいいでしょう。岸田首相自体は悪い人じゃないのでしょうが、人を見る目の無さだけは如何ともし難い。
何故だかは分かりませんが、岸田首相はどうしようもない真面目系クズの小悪党を信用できる人物だと思ってしまうのでしょう。誰か信頼できる人に人物判定を任せた方が良いんじゃないかと思うのですが、そうするとその信頼できる人物もまた真面目系クズかも知れませんから、隘路にはまってしまっていますね。どうやって抜け出すのでしょうか。