2024年6月

4日(火)
 今年度もはや6月、通勤の地下鉄やバスの乗車人数も減って来て、順調に1年生の出席率が下がっていることを実感する季節になってきました。昔々に、武田晴人先生が言っていたことですが、景気が良くなると学生がまじめに勉強をしなくなり、景気が悪くなると学生がまじめに勉強をするようになるという、景気と学生の就学態度は逆相関の関係にあるという事でして、そんなこんなで景気が悪い時ほど先生はご機嫌になるのでした。

 そんな昔話を思い出しながら、コロナ明けの景気の回復とインバウンド、さらには少子化による若年層の賃金アップや就職の良さなどが相乗効果になって、今の大学生たちはお気楽な大学生活を送れる立場をゲットしています。世代間の不平等が大きい日本という国ですが、今の若い世代は自分たちの生活という意味では本当にラッキーな世代でもありまして、仕事や賃金に困るという事はまぁあまり考えないで生きていけることでしょう。

 ただ一方で、人口が多いからこそ維持されていたさまざまな社会的なシステムは、今の若い世代がどこまで享受できていくかは微妙です。人口減少はある程度の所では止まると思うのですが、それまでは人口減少が続いていくわけでして、それに応じた社会システムができるよりも前に人口が減っていくと、色々な不便が各所に生じていくことでしょう。ロスジェネの方は、実入りが少ないくせに人口減少のデメリットも受けますから、それと比べれば幸せとはいえ、ミクロでは良くてもマクロではいろいろと大変です。

 ところで人口減少がどこで止まるかですが、基本的には恋愛結婚に向かない層がある程度淘汰されて、恋愛結婚に強い人たちによる再生産が整ったところで人口減少はストップするはずです。荒川和久さんが恋愛強者:中間層:恋愛弱者の割合を3:4:3という風に見積もっていますが、そうすると7割の所がラインじゃないかと思うわけです。ただ、どの時点から比較しての7割になるかは難しいところ。

 加えて大切なのは、結婚した人の出産数の2人以上というラインを何とかできるようにしてもらいたいと思うばかりです。できたら、2人から3人へと増やしたいところ。個人もですが政策も大切でしょう。それにしても、恋愛強者と中間層ばかりの日本という国になると、これまでの日本という国とはかなり違った国になるような気もしますね。

13日(木)
 尾てい骨を殴打してから1ヶ月くらいたちます。尾てい骨の方はもう痛くないのですが、背中はまだ少々痛い。整骨院の先生曰く、背骨を折らないように背中の筋肉が瞬時に硬くなることで守ったという事のようです。しかしその瞬時に硬くなってしまった背中の筋肉は、なかなか従前に戻りきらないので大変です。もう99%は回復しているのですが、長時間同じ体制などでいると、思い出したかのように背中の筋肉が痛み始めますので、困ったものなのです。

 これ80代とかで同じ状態になったとしたら、寝たきりになってしまう人がいるのは分かります。老人の転倒が怖いと言われるのはこういうのも含めてなんですね。単純に骨粗鬆症による骨折だけの問題だと思っていましたが、筋肉が硬直して痛みを感じるようになってしまってからの回復にも時間がかかります。

 整骨院へと行くのがちょうど学校帰りの時間帯などだと、部活のスポーツで痛めた学生さんなんかもいるのですが、彼ら彼女らの回復力の速さには驚かされます。年齢とともに回復力が下がっていくというのを本当に実感しますね。

 回復力が下がるというと、昔は日本酒を1升、ワインを3本とか飲めたものが、もう飲めません。これも肝臓の処理機能が落ちて回復能力が下がっているからなのでしょうが、飲み過ぎた場合の翌日に、気持ちが悪い二日酔いではなくて、まだお酒が残っていて酔っていることが分かる二日酔いになっていることがあります。そんなこんなもあって基本的には、焼酎を水割りすることによって体内の水分量を考えつつ飲むようにシフトしてしまいました。

 日本酒を飲むのは、次の日の予定とかもなく、自宅へも歩いて帰れる距離でと、色々な条件を付けた時だけになってしまいました。日本酒の味は好きなのですが、中途半端に飲んで終わりというのは、やろうと思えば出来ますけど、あまりにも悲しいし勿体ないしということで敬遠してしまっているのです。回復力の高かった頃が懐かしい。

18日(火)
 岸田首相だけが、岸田内閣はまだ大丈夫だと思っている滑稽な状況ですね。地方選でも自民党は負け続けていまして、早く首をすげ替えろという民意が出ているにもかかわらず、本人だけは何故か分からない。鈍感力。まぁ、自民党の地方議員が減り続けるだけなんでしょうが、こういうのが着実に次の総選挙につながっていくとしても、まぁ自分の後のことは知らないっていう人なのでしょう。一定数いますよね。そういう人。ある種、これまでの義理と人情の自民党ではあまり見られなかったシティーボーイかも知れません。

 ところで、ようやくと梅雨入りです。まぁ、筑後エリアは6月に入ってから筑前エリアよりも曇天や雨も多かったので、気分的にはもっと早く梅雨入り宣言を出しても良かったのにと思うのですが、筑前エリアにあまり雨が降りませんでしたからね。県単位どころか北部九州で一括して梅雨入り宣言を出していますから、まぁ致し方ないところでしょう。しかしこれでやっと花壇のヒマワリも勝手に水を得てくれます。

 梅雨入りとなると久留米は水害の常連強豪地帯として、今年こそは無事に過ぎてもらいたいと思うところです。遊水地をいくつか増やしているので、そこに水を流して何とかなると良いのですが、昨年の田主丸のような土砂災害が起きると深刻な事態になってしまいます。ハザードマップでも危険区域の指定がされていない場所からの土砂崩れでしたからね。これは油断してしまう。市町村合併で市域がかなり広くなってしまっていますので、市の隅々まで目が届いているのかは心配なところです。

 梅雨の長さと降雨量との因果関係は少ないようでして、梅雨入りが遅ければ降雨量も少ないという話ではないようです。雨は降って貰わなければ困りますが、ほんと降り方ですよね。ほどほどに降ってくれることを今は望むばかりです。

26日(木)
 斉藤栄が亡くなりました。91歳の大往生だったのですあ、これで僕が中学生から高校生くらいにかけて読み漁っていた作家さんたちは、ほとんどが鬼籍に入ってしまったことになります。宗田理、西村京太郎、山村美紗、内田康夫、和久峻三、アガサ・クリスティーは読んでいた頃には故人でしたが、アイザック・アシモフに星新一、永井路子などなど。なかなか豪華な顔ぶれを読んでいたなぁっと御冥福をお祈りするばかりです。

 あと存命なのは、藤川桂介が90歳、桐島洋子は86歳、若いところだと水野良が60歳で残っているのか。ほかにもちょいかじり程度ならば、内館牧子や林真理子、藤本ひとみに半村良などなどたくさんいますが、この辺の人たちの作品は読み漁ったという感じですね。この辺のを一日1冊、多い時には2冊3冊と大量消費していたのが思い出されますが、論文を読むようになって小説やエッセイを読むのはめっきりと減ってしまいました。

 最近は久留米から伊都キャンパスまで通勤時間がある事もあって、ふたたび小説を読む時間が増えています。昔の作品をもう一度読むっていうのも素敵ですが、やはり新しい作家さんを探してはいます。でもなかなかピンとくる作家さんもいないのですが、そんな中で伊予原新は面白いですね。〈リケジョ〉で有名ですが、文理の違いはあるとはいえ彼の話はそのリアリティーにくすっと笑ってしまいます。

 でもこういうのは、他人から紹介して貰ったやつっていうのは、こう言っちゃなんですが、だいたいいまいちなんですよね。作品との相性というのは不思議なもので、誰かが面白いと思っても、それを自分が面白いと思うかどうかは別問題です。そういう意味で、何とか賞とか貰っていても参考にもなりません。自分で見つけ出すしかない。上に名前をあげた作家さんたちも、賞をもらっている作品より、他の作品の方が面白かったりします。そんなものなので、他人の評価というのは本当にあてになりませんよね。