2025年1月 |
7日(火)
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
一昨年の年末から昨年の年始にかけては、ダウンタウン松本のアテンド問題で騒ぎになっていましたが、昨年末から今年の年始にかけては元SMAPメンバーの中居君の9000万円和解スキャンダルですか。フジテレビ幹部によるアテンドについては、フジテレビ側が否定しているようでして、もしそれが本当ならばフジテレビ幹部がアテンドしたという告発や報道が偽計業務妨害にあたる事件ですし、いったいどうなっているのでしょうね。本当に虚偽の告発ならば、フジテレビなりから刑事告発が行われることでしょう。
フジテレビ幹部プロデューサーによるアテンドが事実か否かはさて置き、中居君が和解君になるまでの9000万円を支払うレベルのスキャンダルはあったわけでして、それ自体が大きな驚きです。ジャニー喜多川によるグルーミングによる性搾取で世の中が騒がれ、しかも中居君自身は病み上がりという中で、9000万円もの和解金を払うようなスキャンダルっていうのが衝撃です。それだけ、彼にとっては当たり前の行為だったのでしょうね。
中居君がそのような認識になってしまったのは、アテンドがあったか否かはともかく、女性タレントや女子アナやその卵たちからの性接待などが日常的にあったからなのでしょう。そのため、そのような性接待を意図していない女性をも、すべてバーターを期待した性接待をしてくれると受け取ってしまう認知が出来上がっていたということになります。
加害者側である中居君の罪は罪として当然ですが、中居君の認知を形成してきた、バーターを期待して性接待を行うような面々、彼女らやそれをアテンドする男性・女性も含めてですが、それでうまい汁を吸う面々が跋扈している状況そのものが問題なわけです。フジテレビの終わってる感、面白くない番組作りなども、性接待のバーターで番組作りをしてきたからだろうなぁっと想定されます。
この種のバーターを期待する性接待が横行すると、それを意図しない女性が被害に遭うというのが大きな社会的害悪です。加えて、性接待によって無理押しが通ることにより、まともな人材起用ができなくなり、社会の各所で真っ当な業務ができなくなっていくことも大きな社会的害悪です。粛々と仕事をしてもらうだけのはずの人材採用が、横やりによって歪められていく国。日本社会が遅れた終わった国になってきたのも、こういう風潮を作り上げてきた人々の功績なのでしょう。
そのようなどん詰まりのような日本社会を実感しながら、新しい年は始まりましたね。どこが、おめでたいのやら。
14日(火)
長年にわたって違和感を感じていた言葉に、共感力というものがあります。相手が大変な局面などにある時に、寄り添ってあげることでして、下世話なところでは夫婦間での男脳と女脳の話とかでよく出されている言葉です。
しかし共感力というのは共感+力で構成されていますから、共感する力というように読めるのですが、そこが意味している内情は共感する力ではなく、相手の話を傾聴し同感し同情する心のように思われるわけです。共感、英語に訳するとSympathyでしょうけど(より学問的にはEmpathyですが、たぶん一般的に考えられているのはそちらではないでしょう)、このSympathyという用語は多義語でして同情、弔い、弔意、お悔み、支持、同感などなど様々な意味を持ち合わせています。
一方で日本語の場合には、共感、同感、同情、弔意などというのはそれぞれ全く、もしくは微妙に違う意味を持ち合わせています。特に共感という場合には、相手が体験した場面を受けて、その人の感情と同じように、悲しんでいる場合には悲しみ、怒っている場合には怒り、同じ喜怒哀楽を共有するということを意味します。これが現代の日本語的な感覚としてなんとなく理解できる、共感をする力が高い人の行動です。
ところが世間一般で共感力として求められていることっていうのは、これじゃないでしょう。お話をよくよく聞いてあげて、親身になってあげること。そこに共感は必要ありません。なのに言葉としては共感力という言葉で、この共感でないことが求められてしまうという矛盾が発生しているのです。これは可哀想に思って慰める思いやりの感情でして、同情です。
思うのですが、この同情という部分は多分に宗教的な要素も持ち合わせているものでしょうから、キリスト教でもイスラム教でも神の慈悲やそれを受けての宗教家の慈悲のようなところが発生源なのではないでしょうか。それに対して日本の場合には、神道の神様たちにはあまり慈悲の要素はありませんし、仏教でも天台、真言、臨済、曹洞などの系統にはあまり慈悲の要素はありません。そんな関係から、日本人は宗教的に見て同情心が極めて弱い民族なんだと思います。
ところが、共感をする力の方は強いのでしょう。そこに、共感力を高めようというキャンペーンが頻繁になされてきましたから、同情することなく喜怒哀楽を共にするという感情がとみに育っていったのだと思われます。
などということを、元SMAPメンバー中居正広の一件を見ながら考えていたのですが、本来的には被害者である女性への同情から、被害者の救済だとか、同じような被害者を出さないようにするためにはどうすべきかとか、そういう方向性へと話が行くべきなのでしょうが、日本ではなかなかそうはならない。共感をする力が強い日本人たちは、被害者女性の感情とオーバーラップしながら加害者である中居メンバーと、さらにはその疑いがあるフジテレビバッシングへと向かっていく。
それとともに加害者である中居元メンバーへ共感する人々もいますから、被害者がそのような場面へと行ったことが悪いというバッシングであるとか、金銭目的なんだろとか、情報リークがどこからかも分からないのに被害者に対して和解金を貰ったのだから黙っていろとかいうバッシングまで発生するわけです。
被害者の側に共感するのか、加害者の側に共感するのか、そのどちらかなのかは別として共に日本人が同情心が乏しく共感する力が高いために生じているような気がします。まぁ、長年にわたって元々高い日本人の共感力を、さらに高めてきた結果のような気もしますが、それはさて置きこの方向性では単発の勧善懲悪はできても、構造的な問題の解決にはつながらないような気がするんですよね。
もちろん単発での勧善懲悪はそれはそれで大切な事なのですが、宗教心に基づかないで他国では宗教心によって対応しているような側面というのを、色々と解決していかなければならないような気がします。そもそも同情心とかの文化が薄い日本で、どうやってそれを育てていくのかとかよく分かりませんね。ルース・ベネディクトの「罪の文化・恥の文化」ではありませんが、他人に同情するのとか同情する対象に対して失礼なような気がしますし、難しいところです。
16日(木)
伊与原新『藍を継ぐ海』が直木賞を受賞したということで、一ファンとして嬉しい限りです。中堅からベテランの売れる大衆小説が受賞する傾向がある直木賞ですが、回によっては本当に売れているのかいなという受賞も間々ありまして、伊与原新の受賞はちょっと遅すぎるのではと思うくらいです。
まぁこういう賞は、受賞するのが適切な人というよりも、賞を与える側が与えたい人へと与えられているだけですので、たぶん伊与原新よりも優先させたい人たちが先行したのでしょうが、まぁ何はともあれ受賞したのはファンとしては嬉しいです。
〈宙わたる教室〉がNHKのドラマで人気を博したのもあるのでしょうけど、他にも映像化して欲しい作品はたんまりとありまして、直木賞を取らせたということは映像化の計画もすでに色々とあるのでしょうから、それが実現をするのが待ち遠しいです。〈博物館のファントム〉とかも絶対に絵になるでしょうし、伊与原作品というのはどれも情景や色彩がファーっと浮かんでくるものが多く、ビジネス的な拡大が待ち望まれるばかりです。
ところで、ロサンゼルスの山火事はサンタアナ風というのがかなりの強風らしく、それが再び吹き荒れるという話でして、沈下の目途が立たないようです。そのような自然環境的な条件がありつつ、ロサンゼルス市当局の方が消防予算を削減していたために、高価な消防車を動かすための整備費も捻出できていなかったとか言われています。
その結果として、火災旋風まで生じる大火災になってしまい、なんと関東大震災で焼失した東京のエリアの10分の1ほどが消失しているらしいです。関東大震災の10分の1というのは、かなりの規模でして、火災旋風の怖さを見せつけられます。これだけの大火災があると、森林が燃えて出された二酸化炭素の量はどのくらいなんだろうとかと思いますが、備えを怠うことへの教訓となっているのでした。まぁ、備えていたら本当に対応できたのかどうかは不明ですが、たらればの議論は出てくる状況でしょうね。
22日(水)
物価上昇はなかなかのところまで来ていますね。キャベツが400円台ばかりというのはよく目にしますが、白菜も小さいのは1玉100円台ですが、大きなしっかりとした白菜は1玉で300円台から400円台ですし、大根も小さいのは1本100円くらいですが大きな大根は1本200円台になってきます。キノコも1袋130円くらいのが多くなっていますし、牛乳も1リットルで200円ですか。
鶏肉も手羽元でさえ100g68円、時には98円とかも見かけて高騰っぷりに驚きます。100gで98円も出したらモモ肉が買えるだろと叫びたいところですが、隣でモモ肉は100g148円とかで並んでいるので何とも言えません。それってアメ牛の値段のはずだったじゃん。単か見ているだけで頭の中がバグってくる状況ですが、円安に人件費の高騰が合わさったことで、もうこれは後戻りはし難い感じになっていますね。子どもの頃に少しだけ記憶がある物価上昇の世の中に、なかなか頭が適応できていきません。
しかし食品というのはあまり買い溜めができないからなぁ。困ったもんですね。
29日(水)
実家にいたころは味噌をよく食したのですが、カミさんは食文化圏が違う関係もあって、僕の方から茄子の味噌炒めが食べたいとか、豚とキャベツを味噌で炒めてくれとかいうリクエストを出したときにだけ、味噌をたっぷりと使った料理が出てきます。そんな関係で、ゆっくりゆっくりと僕の味噌消費量は減っていたのだと思います。
ちょっと前に、星野村でフキノトウの佃煮というのを買ってきまして、これをお豆腐の上にちょんもりと乗せて食べると絶品でして、ほっと心が休まる味がします。僕はもともとフキノトウ味噌が好物だったのですが、味噌の入っていないフキノトウ佃煮を美味しいと感じているだけでなく、フキノトウ味噌よりも体が欲しているのではないだろうかという段階にまで至っておりまして、カミさんに話したところ、体から味噌が抜けてきているのではないかという推察をされまして、脱味噌化を感じている次第です。
そうは言っても味噌は無性に食べたくなる時がある訳でして、脱味噌化は味噌への中毒状態からの脱出という感じなのでしょうかね。
ところで中居正広とフジテレビとの件ですが、フジテレビプロデューサーによるアテンドが、少なくとも当日には行われていないということが明らかになりました。すると、BBQの際など前もってプロデューサーから中居正広へと被害者をアテンドするような文言などがあったのか否か、というところが焦点になってくるわけでして、第三者委員会はその辺が調査ポイントの1つとなるのでしょう。
また、被害者からの相談が上がった後に、フジテレビは被害者のことを配慮して中居正広を起用し続けたと説明していますが、そんなことは論理的にも常識的にもあり得ない訳でして、この点についてはフジテレビは明確に嘘をついているだろという感想です。
思い出されるのは三菱自動車(現・三菱ふそうにあたる部門)のトラックですが、三菱自動車はリコールすべき欠陥を把握したときに、リコールするよりも被害者に金を払う方が安上がりだという経営判断をして、社会的に大きな批判を受けました。リコールしていれば死ななくてすんだ被害者を一定数発生させてしまったのです。それと同じように、今回のフジテレビの案件は、被害者に金を払って黙らせ中居正広を起用し続ける方が、金儲け的に旨味があるという経営判断をしただけじゃないかと思われるのです。
少数の被害者を泣き寝入らせ、それによって金儲けをする経営という昭和的な体質を、フジテレビの中に感じ取ってしまいますが、その辺もどうだったのかというところがポイントでしょう。三菱自動車の事件の時にはフジテレビも盛大にバッシングしていたと思いますが、バラエティやドラマを担当して出世したフジテレビの幹部たちは、自社のニュース番組を見たりすることはなかったのかも知れませんね。
30(木)
昨日、フキノトウの佃煮、フキノトウ味噌、というように書くところをフキ佃煮、フキ味噌と書いていまして、全く別物になっていたことに驚愕しているとともに、〈週刊文春〉のように誤りを放置しておくのもなんですので、早速の訂正をしておきました。
ところで昨日の続きですが、フジテレビの第三者委員会っていうのが、どのレベルまで調査するんだろうなぁっというのも1つの見所です。今回の中居正広に関して事前から事後まで調査するのは当然でしょう。しかし問題はその次のステップです。日枝相談役が女子アナをはべらしていた話とか、今回のプロデューサーのみならず港社長もまたアテンドをしてきたという報道もありますし、女子アナなどが仕事を貰うために枕営業が常態化していたという話も出ています。そういうフジテレビの企業風土に中居正広が安心して、今回の加害をしたという側面が考えられます。
そういう企業風土というか、企業体質というか、フジテレビ内における慣習の部分にまで第三者委員会が切り込んでいけるのかどうか、そしてそのような行為を行っていた人たちに対して、処分なりをどのように行うのか。それが明確になるまで、企業などもCMは出しづらいでしょう。
場合によっては、CMを出している大手企業の広告担当者などが、女子アナ接待の対象になっているケースもあるでしょうが、たぶん今回そこまで調査がなされることはないでしょう。本来的にはそこまで追及されてしかるべきなんだと思いますが、今回はそこまでいかずにフジテレビの腐敗をどこまで明らかにできるかでしょうから、接待される側であった芸能人なり、スポーツ選手なり、企業なり、官僚たちなりについてはまぁ有耶無耶で終ってしまうのではと思っています。
ただしフジテレビの案件が終わったのちに、次は接待された側、それは中居正広レベルの行為をしていなくてもですが、そちらに注目が集まることもあるでしょうから、過剰な接待された人たちは週刊誌のスクープ記事におびえる日々を過ごすことになるのでしょうね。