2025年5月

1日(木)
 先日、まったくの別件で社会経済史学会のサイトを見ていた時に、自分の名前が評議員の所に掲載されていることを見つけてしまって頭にクエスチョンマークが幾つも点灯。いや、誰からも何も聞いたことないし、いったい何なんだと思い学会事務局へと問い合わせをしました。名簿の上か下か、誰かと間違えているだろうという推測が僕の中では一番の有力説でした。

 しばらくたって理事の鎮目雅人先生から返信メールが届いたのですが、社会経済史学会ではそもそも、事前にも事後にもあなたが評議員になりますよとか、承諾してくださいとか、なりましたよとか連絡をするというシステム自体が存在しないとのこと。だから僕は評議員になっていたらしいです。学会サイトに掲載してあるので本人が確認してくださいというシステムになっているとの説明でした。

 本当かいなという驚きとともに、評議員としての特段のオブリゲーションなども無いということで、そんなもんなのかと思いつつも、それはちょっとどうかという返信はしておきました。やはり特段のオブリゲーションがないにしろ、組織内で何らかの肩書を与えるならば本人の承諾くらいはもらうのが普通だとは思うんですよね。あくまでも、僕の感覚だとですが。

 いや、確かに評議員としてのオブリゲーションがなければ、そのシステムでも学会としての不都合は発生しないのだろうけれども、知らない間に勝手に評議員の役職をあてがって、学会員本人には一切何も連絡をしないというのは、組織としてどうなっているのかという驚きに包まれたのでした。このシステムが、学会の始まりからそうなのか、どこかの時点で面倒臭くて変わってしまったのかは分かりませんが、本人が知らないままでもOKっていうのは、ちょっと違うだろと思うのです。

 事前にも事後にも誰からも一切何も知らされずにある日突然に評議員になっているという現在のシステムだと、自分が評議員をしていることを知らないままに研究者を終えてしまった人も何人もいるのではないかと思います。たぶん、評議員って学会の活性化とかそういう目的があって、最初は出来たシステムじゃないのかなぁっと推察するのですが、本人が評議員であることを知らないシステムだと、何が何だか分からないだろと突っ込みを入れたくなるのでした。

8日(木)
 1945(昭和20)年の沖縄県の人口は約59万人、うち約7-8万人は県外へと疎開しており当時の沖縄には約42万人がいた。そのうち沖縄出身の軍人・軍属に民間人を合わせると約12万人が沖縄戦で亡くなっている。戸籍上の人口比では6分の1以上、実際にいた人口比では3.5分の1以上の沖縄県民が亡くなったということです。

 女子師範学校と第一高等女学校の生徒と引率教師たちによるひめゆり学徒隊は、240人のうち配備された陸軍病院でアメリカ軍の攻撃などにより136名が亡くなります。この陸軍病院以外でも、さらに90人が戦禍によって亡くなっています。計226人。つまり生き残ったのは240人中14人(5.83%)だったのです。その14人の生存者たちと、女子師範学校・第一高等女学校の卒業生たちが中心になって、ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館は作られています。

 このような状況ですから沖縄では、一家どころか一族全滅をしてしまった方々もいますが、沖縄戦を生き残った人たちであっても殆んどの人たちが親族を沖縄戦で失っています。友人を1人も失わなかった人は皆無でしょう。それが県民の6分の1を戦争で失った沖縄の実態です。そして日本本土は6年間の占領でしたが、沖縄は27年間にわたってアメリカ軍に占領されました。いまも多くのアメリカ軍基地があり、地位協定などもあってアメリカ兵の犯罪に悩まされていることも度々ニュースになっています。

 そのような状況を知っていれば、アメリカ軍が沖縄を解放したとかいう発想や印象を、ひめゆりの塔や資料館で受けるはずはないでしょう。そしてそんな展示や解説がされるはずがないことは、ちょっと考えればわかることです。いや考えなくたって、常識的にわかります。

 西田昌司議員の発言を前後まで含めてみましたが、これ、ひめゆり平和祈念資料館でのエピソードじゃないんじゃないですか。どこか他の資料館か何かで得た感想で、別の講演会か何かでは大うけした話を、お得意の講演ネタとしているんじゃないでしょうかね。沖縄の保守系の人びとが開催した会での発言のようですから、他の地域の保守系の人たちにウケたネタを、沖縄で平和の施設といえば〈ひめゆり〉だということで、御当地ネタとして入れ込んで話した、そんな政治家の講演テクニックのように見えました。

 ですから、本人は他の講演会で大ウケして好評だったネタが、沖縄でなぜウケないのか理解できないのでしょう。沖縄は左翼が強いから批判される、くらいにしか考えていない事でしょう。だけど、そうじゃない。政治家の御当地ネタを入れ込んだ講演テクニックというのは、上手い人は上手いですが、センスがない人間は使い回し感が本当に酷い。今回は、その中でも最低レベルに酷いセンスのなさ、虚偽の内容による誹謗中傷になっていますから、議員辞職すべきレベルの大放言だと思いますよ。

15日(木)
 先日の沖縄の1945年の人口を見ていて、1940年の国勢調査に基づいた人口推計と、本土への疎開を考えても、かなりの人数の齟齬があるので、出征した兵士の数なのか、疎開にはいっていない県外への避難者の数なのか、疎開とは関係ない県外での経済活動等のためなのか、そもそもの推計も何パターンかありそうでして。。。研究もなさそうですが、この辺の推計はなかなか難しいのだろうなぁっという感じです。統計の専門の人、誰か研究してくれないかな。

 そんな沖縄といえば、先日、お部屋の掃除を色々としていたところ、ちょっと前の圧縮麩が発見されました。沖縄から宅急便で送るときに、そのままの麩は嵩張って空気に配送料を払っているような感じでイマイチですから、圧縮麩というのは心に優しい。まぁ、麩だから賞味期限なんてあってないようなものなので、まぁあまり気にせずまとめ買いをして送ったやつです。

 その圧縮麩を使って、カミさんに頼んでちゃんぷるを作ってもらいました。この時期はニンニクの芽が美味しいので、麩とニンニクの芽のちゃんぷる。人参、豚肉、エノキ、卵などなどを入れ込んで。ここで我が家の悩みどころはモヤシなのです。ちゃんぷるにはモヤシが欠かせないだろと思いつつも、久留米はなぜかモヤシの値段は高め。他の野菜の多くが地元や近隣でとれるのに対して、モヤシは他県とかから冷蔵で来ますからね。

 しかし値段の問題だけじゃなく、モヤシを入れると保存に向かない。まだこの時期ですと、作り置きでつくって2-3日は食べたいところですが、モヤシを入れておくとすぐに酸っぱくなってしまうんですよね。モヤシが一番アシが早い。ちゃんぷるにはモヤシが欲しいけれど、モヤシを入れると作り置きができないという、ちゃんぷるはこのジレンマの中にあるのです。

 逆に、梅雨時や夏になってしまうと、ちゃんぷるを作り置きしておこうなんて言う無謀なことは考えなくなります。少量ならば冷蔵庫に入れておけばいいですが、それなりの量があると冷蔵庫のキャパが足りない。ということで、モヤシを入れても2食続けてで食べきってしまうくらいの分量ですから、問題にはならないんですよね。

 久留米の気温もそろそろ25℃を越えて30℃に近づいてきていますから、ちゃんぷるの作り置きがしておけるのも限界に近いところです。

20日(火)
 国民民主党が山尾志桜里元代議士らを参議院選挙に出馬させるとなって支持率を急落させていますが、下手したら10議席くらいは失ったんじゃないでしょうかね。怖ろしいほどの破壊力。玉木代表が毒饅頭を喰っちゃった感じでしょう。ここから先は、山尾志桜里をいかに黙らせるか、いかに隠すのかで、国民民主党の減り幅がかわってくるという感じでしょうか。

 山尾志桜里元代議士はもともと子役芸能人の出身でして、マスコミでも持てはやされて宣伝されてきたところ、政治資金の不正支出があってかつその説明からも逃げて辞任した人でした。しかも、不倫によって相手の家庭を壊しかつ相手のパートナーが自死に追い込まれてしまったという状況にもかかわらず、やはり子役芸能以来のコネによってマスコミなどで持てはやされ続けています。ネットが発達した現代社会においては、こういうゴリ押し感のある人っていうのは非常に好感度が低い。というよりも嫌悪感が強くなります。

 同じような状況は2世タレントとかでもありますが、父親や母親が有名芸能人だった知名度を利用して、美人〇〇、イケメン〇〇などと大仰にネットニュースが飛ばされたりしますが、だいたいこれも好感度が低くなる。というよりも嫌悪感が強くなる。多分昔々は、この知名度の高さがある程度あると、こんなに凄いですよという宣伝だけで世の中は動いたのでしょうが、現代社会はネットでの情報の共有によって、その情報は間違っているだろという反対意見が容易に集まります。そのため、この昔ながらの宣伝手法で宣伝された人たちっていうのは、有権者や消費者にとって、宣伝している、または依頼している方からしたら真逆のマイナスの効果をもたらすことになります。

 スキャンダル芸能人たちがCMなどを辞退に追い込まれるのも同じ構図でして、昔は芸能人たちは知名度でCMに出ていました。しかしながら現代社会は、好感度によってCMに使われます。そのためどんなに知名度を上げようと、好感度が嫌悪感へと変わるとタレントしての価値が無どころかマイナスになります。もしスキャンダルが生じても使い続けると、ゴリ押し感が半端ないことになってしまうからです。昔はハチャメチャな芸能人たちが知名度もあってテレビ番組でもCMなどでも活躍していましたが、好感度タレントであることを求められる現在では使えないでしょうね。すぐに不買運動で大変なことになってしまうことでしょう。

 でもそういう役者さんや芸人さんの方が凄みがあったりしますから、映画なり舞台なり、スキャンダルを抱えている人も活躍できる場っていうのも確保して欲しいものです。その方が、文化的には深みが出ると思うんですよね。そういう意味で、山尾志桜里元議員というのは政策立案の協力者とかもはや裏方に回るべき存在であり、ゴリ押しで表に出すのはちょっと・・・と思うばかりです。