| 2025年12月 |
2日(火)
道の駅のイベントで2kgで1080円という新米を入手してしまいまして、ちょっとニンマリとしていますが、それにしても米価が下がりませんね。米の生産量が回復しているにもかかわらず、それでも米価が高止まりしているという状況です。一昨年来の米価の高騰の問題は、基本的には米の需給の問題でしたので、米の生産量が回復してきた現在の状況としては、鈴木農水大臣が述べたように自由に市場に任せておくというのが一見、経済学的には正しいのですが、商学的には正しくない対応です。
なぜならば、流通過程において投機という要素が入ってしまっていまして、こういう場合にはそのような対応を採るとパニックにしかなりません。米価の高騰はこれまでその年度の需要と供給のバランスという問題でしたが、今の日本の状況としては米生産者の高齢化によって中長期的に米生産量が激減していくというのが根本原因です。そのため、単年度の需給バランスではなく、中長期での需給バランスによって米価が動くようになったのでしょう。
つまりより正確に言うならば、数年前までならば新米が基本的取引されていたので自由市場に任せればよかったのですが、ここにきて古米・古古米なども取引される市場へと急激に転換してしまいました。一部の外食産業や中食産業などでは、米が古くても大して問題ないことが発覚したためです。そのために、数年前の経済学的に正しい対応は、現在では経済学的に不適切な対応になってしまったわけです。ゲームの条件が変わってしまいました。
だから流通業者などは、今年売らなくても古米、古古米、古古古米としつつ、毎年ある程度の新米を古米に送って、古い米を市場に出していけば、どこかの時点で投機で大儲けできるという環境下にあります。この投機の思惑を解消してやらないことには、米価が安くなることはないでしょう。そして投機の思惑が外れるためには、中長期的な米生産量の安定的な確保が見通される必要がある訳です。投機筋は、戦後の自作農創出によって作られてきた農家が高齢化と後継者難によって大量に消滅していくことを織り込んでいますから、これへの対応が必要です。
それが、農家への所得補償のような形で自作農の水田面積を保持するのが良いのか、株式会社化などした農業法人への優遇措置とするのが良いのか、それとも別の何かが良いのか、どれが良いのかは専門外の僕には分かりません。しかしどのような方針にせよ、中長期的に必要な水田が残されて米生産量が確保されていくという道筋をつけていくことが、米価を下げるためには必要なんじゃないでしょうかね。