研究者を目指す人へ(1) |
以下の文章は2000年代初頭〜半ばの研究業界の状況を踏まえたアドバイスでして、現在の研究業界の状況とは合致していません。そのため、既に歴史的な資料としての価値しかなくなっています。昨今の研究業界の状況を踏まえたブラッシュアップされたアドバイスは、また時間がある時にでも纏めたいと思っています。
大学院生時代から色々と考えていた事を、チョッとまとめてみました。
★大学学部・専攻の選択に関して
東大には進振りシステムと言うのがありまして、専攻の選択は大学2年時となるわけですが、より一般的には大学入学時に専攻を選択する事となると思います。ここで、当然自分の興味がある分野に進学すると思います。しかし、進学前にイメージしていた学問分野と、実際の学問的な方法に接した場合とでは、それを楽しいと感じるかどうかは一様ではありません。僕の場合は日本史学から学問の分野へ入ったのですが、日本史の本を読んで面白いと感じていた事は、日本史研究をするということへの興味関心とは直結しないので注意が必要です。幸いにも日本史の研究そのものにも興味関心があり、それなりに相性も良かったみたいで、こうやって長々と研究の道に踏み込んでしまいましたが、チョッと違うなと思ったら早めの方針転換をお薦めします。
さて、日本史とか歴史とか大枠の興味関心がある分野を決めても、続いてはより細かい自分の専門を何にするかという判断をしなければいけません。実は僕の場合は、元々は古代史・中世史に興味があったのですが、史学概論やら入門講義やら、そう言うのを受講している過程で近代史へと興味関心が移ってきました。しかも、近代史に興味が移ったころは、まだ政治史の方に興味がありまして、自分が経済史をする事になるなんてまったく考えても居ませんでした。ただ東大の日本史の場合、近代のゼミが2つ用意されていまして、近代史っていうことで両方(より性格には近世政治史も入れて3つ)のゼミに出席していました。その中で、高村ゼミでやっていた内容や研究手法に一番興味を抱き、最終的には近代経済史を専攻として確定させていくのですが、近代政治史(加藤陽子)や近世政治史(藤田覚)などで学んだ研究手法も、その後は非常に重宝しています。
歴史学、日本史学っていう大枠を決め、史学の研究手法に拒絶反応が無かった後には、こんどはより細かい分野ごとに微妙に異なる研究手法の差、それのうちどれと自分が一番相性が良いかって言うのも重要ということです。勿論研究対象への興味関心だけから対象を決めるのも否定はしませんが、研究には分野ごとにそれぞれ細かいルールがあります(しかも文系学問の多く場合、ルールは決して明示的ではなく習慣的・感覚的だから困りものです)から、合う合わないって言うのは結構重要です。近代政治史に適性があっても、中世外交史に適性があるかは分かりませんし、近世都市史の優秀な研究者が、古代政治史を選択していても成功したかは分かりません。まぁ、あまり視野狭窄にならず、この細分野は合わないなと思ったら、勇気を持って変更する事も重要だと思います。これが簡単に出来るのは学部生時代までですしね。
★大学院への進学について
さて、学問という世界に興味関心を抱き、研究手法などもそれなりに違和感無く受け入れられることとなれば、次は大学院へ進学して研究者を目指そうということになると思います。しかし、文部科学省(旧文部省)による大学院重点化政策のおかげで、大学院終了後の就職は保障されていないということは、知っておく必要があります。法科大学院などは終了しても2割くらいしか法曹関係に就けないと言われていまして、それと比べたらもうチョッとマシですが、それでもかなりハイリスクな選択である事は間違いありません。しかも昨今は国の人員削減政策の影響で、若手ポストの削減だとか、任期制ポストの増加が見られますので、更に大学院終了後の身分は不安定になっています。大学院へ進学するということは、それらのリスクをすべて認識していないと、後から騙された気分になってしまいます。
あと、大学院生活というのはとってもお金がかかります。文系の場合は理系と異なり、書籍の購入費や学会への参加費なども、全てが大学院生の自腹ということが多いです。学生支援機構(旧育英会)の奨学金も、免除職がなくなってしまったため、単なる低利の借金になってしまいました。最低でも5年間、下手したらそれ以上の期間を、金銭の不安を抱えながらやっていくのは、かなりの負担です。僕の場合も、この平成不況で実家が倒産してしまったという予想外のハプニングがありましたが、それ以前は基本的に金銭の心配無しだったからこそ研究者を目指せたという側面があります。実家の倒産があと2-3年早かったら、たぶん別の道へ進んでいたことでしょう。ほんと、予想以上にお金はかかります。
さて、後もう一つ覚悟しておかなければいけないのは、民間へ行った奴らや官僚になった奴らからは、研究者の卵が大学院で陰鬱としている間にも、昇進し、昇給し、大きなプロジェクトも任され、華々しく活躍しているという話が耳に入ってくるということです。友人達のそういう成功って言うのはある面では嬉しいのですが、反対にある面ではジェラシーも感じることになります。5年間のほとんど変化が無い大学院生と比べて、一般社会人の20代って言うのは驚くほど変化の激しい日々です。自分では比較的呑気な性格だと自負していたのですが、それでもチョッと欝っぽい気分の時とかありましたから、メンタル的に弱い人は気をつけてください。研究者は一般人と比べて、人生が少し後にズレています。ただそれだけの話なので、あんまり深刻に考えないのが、精神衛生上のお薦めです。
以上を覚悟した上で、研究者の道を歩むべく大学院へ進学することとなります。 →つづく